1788人を乗せた疎開船・対馬丸が、
鹿児島県トカラ列島の悪石島(あくせきとう、奄美大島の約110km北)約7km北の沖で
米海軍の潜水艦ボーフィン号による魚雷攻撃を受けて沈没しました。
今からちょうど70年前の出来事です。
対馬丸は、当時陸軍の徴用貨物船として、
暁空(ぎょうくう)丸、和浦(かずうら)丸と共に船団を組み、
3隻に約5千人を載せて、那覇港から長崎に向かっていました。
3隻の護衛には駆逐艦・蓮(はす)と砲艦・宇治があたり
5隻の船団で航行していたのです。
3隻の乗船者は九州に集団疎開する学童、一般疎開者が大半で、
対馬丸には疎開者1661人、船員86人、船舶砲兵隊員41人の
1788人が乗っていました。
対馬丸らの船団は上海を出航し、那覇港で疎開者らを乗せ、
長崎に向かって出航したのですが、
ボーフィン号は、対馬丸が那覇港から出航する2日前、
上海から那覇港に向かう粟国島近海でこの船団を発見し、
以降攻撃の機会を窺(うかが)っていたのです。
対馬丸の犠牲者は1485人、生存者は280人。
生存者の内訳は、軍人49%、船員72%に対し、学童疎開児7%、一般疎開者14%、
15歳以下の子供たち1000人余りを含む、多くの疎開者が犠牲になりました。
今年の4月中旬に、
大韓民国の大型旅客船「セウォル(世越)」が、
全羅南道珍島郡の観梅島(クヮンメド)沖海上で転覆・沈没し
300人を超す死者が出ましたが、
対馬丸の犠牲者は、実にその約5倍にもあたるのです。
1912年、タイタニック号が北大西洋上で氷山に接触・沈没し
1513人の犠牲者を出し、当時海難事故としては世界最大といわれたようですが、
対馬丸の被害者はそれと同等なのです。
1939年(昭和14年)9月4日、
第二次大戦の翌日のことですが、イギリスからの移民、
そして東ヨーロッパからの避難民で満載状態にあったイギリス客船アセニア号が、
北アイルランドの首府ベルファストを出港してニューヨークに向かっていたときに
ドイツの潜水艦Uボートが、この客船を戦艦と間違えて撃沈し、
112人の犠牲者を出す事故がありました。
潜水艦や航空機による商船への無制限攻撃は
1930年(昭和5年)9月に調印されたロンドン海軍軍縮条約によって禁止されたものの、
1936年(昭和11年)に同条約は失効されました。
それでも
潜水艦の無警告商船攻撃禁止は国際的に有効とされていたために、
チャーチルがヒットラーに猛抗議をしたのです。
ヒットラーは非を認め、国籍を問わず、あらゆる客船に対する攻撃を一切禁じました。
ナチス・ドイツでさえ、民間船への攻撃をしなかったのです。
日本時間1941年12月8日、
日本軍はハワイオアフ島の真珠湾に停泊していた
アメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して爆撃しました。
米国はそれを宣戦布告なしの奇襲「闇討ち」の報復として
以降潜水艦による無差別作戦を実施したのです。
アメリカは「リメンバー○○」で国民を団結させて立ち向かうのが常套手段の国です。
1836年、アメリカは当時まだメキシコ領だったテキサスのサンアントニオに義勇軍を送り込み、
独立運動の象徴アラモの砦を築かせました。
これはメキシコ軍が襲ってくるのを見越した上のことでした。
1845年、籠城した155人の守備隊はメキシコ軍の攻撃を受けて全滅しました。
アメリカはこの事件を「リメンバー・アラモ」という合言葉で、
国民の戦意を鼓舞、奮起させ、戦争を正当化して侵略戦争を起こしました。
このメキシコとの戦争での勝利で、アメリカは
現在のアリゾナ州、カリフォルニア州、コロラド州、ニュー・メキシコ州、
ネバダ州、ユタ州、ワイオミング州といった、
当時のメキシコ領の52%に当たる広大な領土を奪取しました。
1898年には、アメリカは今度はスペインと争いました。
そのときの合言葉は「リメンバー・メイン号」です。
アメリカの戦艦・メイン号を、スペイン領ハバナで爆破して、スペインの犯行としました。
アメリカの世論は「リメンバー・メイン」を合言葉にして、戦争反対から賛成へと変わり、
キューバ(当時スペイン領)の独立運動とメイン号爆沈事件を契機として、
キューバ解放を大義名分にスペインと戦争を始めました。
結果、アメリカが勝利し、スペイン領だったフィリピン、プエルトリコ、グアムも植民地化して、
名目上キューバを独立させています。
領有化したフィリピンでは、その後アメリカに対し独立運動を起こしますが、弾圧され、
推定約2万人が殺害され、また破壊に伴う飢餓と病気で約20万人の現地人が死亡しています。
フィリピンを手に入れたアメリカは、フィリピン人に対し英語を公用語としたのです。
また、1914年、今からちょうど100年前ですが、
強国による植民地をめぐり、
植民地大国のイギリスと、出遅れたドイツの対立、
バルカン半島をめぐるロシアとオーストリアの対立、
ドイツ、フランス国境をめぐる対立の激化などから一触即発の状況になり、
サラエボ事件を契機に1914 年、第一次世界大戦に発展しますが、
ドイツはイギリスの海上封鎖に対抗して潜水艦戦を開始、
1915 年 5 月、ドイツのUボートがイギリスの客船ルシタニア号'を撃沈しました。
(ルシタニア号は英国への火器弾薬を登載し、ドイツの警告を無視、
ドイツを逆撫でするような航路を進み、ドイツ潜水艦の攻撃を誘因、
イギリスの駆逐艦隊はなぜか護衛せず港に停留)
この事件で子どもを含む多数のアメリカ人が犠牲になったため
「リメンバー・ルシタニア」というスローガンでアメリカが参戦、
豊富な資源を生かして連合国(英、仏、露、日など)などに物資を供給し続け、
アメリカは莫大な利益を収め、世界の大国に台頭したのです。
日本時間1941年12月8日、
日本軍のハワイオアフ島の真珠湾攻撃は
「リメンバー・パールハーバー」
ですが、
これも、戦争しないことを公約にして当選したルーズベルト大統領が、
大日本帝国海軍の真珠湾攻撃計画を事前に知り、精巧に誘導、
駐米大使の不祥事も重なって、真珠湾攻撃を卑劣な「奇襲、騙し討ち」と宣伝し、
世論を戦争反対から賛成へと変え、
アメリカは対日だけではなく、念願のヨーロッパにまで戦線を拡大したのです。
最近では2001年9月11日、
ニューヨークで発生した国際貿易センター爆破事件をアルカイダの犯行と断定し
「リメンバー911」、「テロとの戦い」を合言葉に、
国民の支持を得た米国政府はアフガニスタンに進攻しました。
真相は判りませんが、アメリカの自作自演説さえ出ています。
そして現在は、
イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」を空爆…、
アメリカの歴史は戦争の歴史です。
1776年に合衆国建国以来、238年間で
実に40回以上の戦争・武力行使を行っているのです。
(平均すると5〜6年に1回)
アメリカ国内でもインディアンを虐殺し、
ハワイを併合、メキシコ、グアム、フィリピンの領土拡張など
それぞれに正当化する、正義感あふれるスローガンを創りだしては
国民的高揚を図り、戦争をしかける戦略は
現在においても少しも変わっていません。
太平洋戦争での沖縄戦では住民も含めた無差別攻撃、
東京大空襲、広島・長崎への原爆投下など、
勝つためには手段を選ばないのです。
夜間に対馬丸が撃沈され、多くの生存者が暗い波間に浮いていたようですが、
力尽きて次々に沈んでいったようです。
潜水艦は潜望鏡でこれらを確認していたはずですが、救助は一切なし。
被災者の救助は日本の民間の漁船が行い、
奄美大島に流れ着いた人たちもいたそうですが、
生存者は家族や遺族への連絡も許されず、
鹿児島県の港に運ばれ隔離、軟禁状態にされ
対馬丸沈没について、軍事機密として
「決して誰にも口外するな」
とかん口令が厳しくしかれました。
悲惨な戦災は対馬丸だけではなく、
本土への疎開や南洋からの引き揚げなど、
沖縄県関連の船舶だけでも、沖縄戦で26隻が沈没させられ、
3427人の沖縄県民が犠牲になっています。
米軍は真珠湾攻撃以降、
日本船舶に対する無制限潜水艦戦による日本の商船被害は
1945年の終戦まで2568隻に上りました。
2004年、那覇市若狭に対馬丸記念館が開館しました。
平和教育として来館した那覇市の小学6年生の平和メッセージの一節には、
「悲しみだけを生む戦争を作るのは誰でしょう
それは人間です
その戦争を止めることの出来るのは誰でしょう
それも人間です」
という、本質をとらえた言葉がありました。
ハワイの真珠湾アリゾナ記念館に隣接して
「ボーフィン公園」 (潜水艦博物館)
があり、
多くの児童が犠牲になった疎開船・対馬丸を撃沈させたボーフィン号が、
「Navy Unit Commendation(賞賛に値する武勲)」
を授章して英雄扱いされているのです。
私も何度かハワイに行きましたが、
さすがにここには立ち寄る気もおきませんでした。
東京大空襲など無差別焼夷弾爆撃を立案し、
広島・長崎の原爆投下にも部隊責任者として関与した
カーチス・E・ルメイ大将は、
東京五輪のあった1964年に、日本政府から
勲一等旭日大綬章を授与されています。
叙勲理由は
「航空自衛隊創設の貢献」
です。
受勲を決定した当時の総理は佐藤栄作。
証書には昭和天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ、天皇の印)がありますが、
昭和天皇はルメイに対する勲章の親授を拒否されたといわれています、
当たり前ですよね。
昭和天皇が難色を示す中で、ルメイの叙勲を強く推薦したのが、
当時防衛庁長官だった小泉純也(小泉純一郎元首相の父)。
佐藤栄作は現総理・安倍晋三氏の親戚です。
佐藤栄作内閣の時に、日本への核兵器持ち込みの密約をアメリカと結んでいて、
日本の非核三原則は表向きの標語にすぎなかったことが判明しています。
東条英機内閣の開戦に、
当時商工大臣だった岸信介は賛同し(A級戦犯なのになぜか釈放)ましたが、
岸信介は安倍晋三氏の祖父、
麻生太郎氏は吉田茂の孫で安倍晋三氏とは親戚…、
日本を破壊しようとしているとしか思えない暴君ぶりを発揮して
本当はCIAの間者なのかな、と思わせる現総理は、
戦後の総理の中でも際立っているように感じさせますが、
戦後この一族は一貫して米国のポチ、要するに売国一族であって
単なる右翼思想の戦争ごっこ好きではないところが、
また問題なのです。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向けて
沖縄防衛局が実施する海底ボーリング調査を支援するため、
政府が海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」(5700トン、海自呉基地)の派遣を
検討している、と琉球新報に書いてありました。
「ぶんご」は前甲板に速射砲を持ち、重機関銃も格納していて、
掃海母艦というものの、攻撃能力からみれば事実上の軍艦です。
丸腰の反対派を抑えこむために軍艦を差し向けることも辞さない、
という政権も異常ですが、
反対派もいろいろな政党から送り込まれたり、
中国からの間者も入り込んで沖縄独立を画策する人たちもいたりして、
こっちも一枚岩ではないのです。
いずれ流血騒ぎに発展するのではないかと心配しています。
沖縄は県という名の軍事植民地なのだと改めて実感しています。