2014年08月22日

対馬丸撃沈から70年

1944年8月22日22時12分頃、
1788人を乗せた疎開船・対馬丸が、
鹿児島県トカラ列島の悪石島(あくせきとう、奄美大島の約110km北)約7km北の沖で
米海軍の潜水艦ボーフィン号による魚雷攻撃を受けて沈没しました。
今からちょうど70年前の出来事です。

対馬丸は、当時陸軍の徴用貨物船として、
暁空(ぎょうくう)丸、和浦(かずうら)丸と共に船団を組み、
3隻に約5千人を載せて、那覇港から長崎に向かっていました。
3隻の護衛には駆逐艦・蓮(はす)と砲艦・宇治があたり
5隻の船団で航行していたのです。

3隻の乗船者は九州に集団疎開する学童、一般疎開者が大半で、
対馬丸には疎開者1661人、船員86人、船舶砲兵隊員41人の
1788人が乗っていました。

対馬丸らの船団は上海を出航し、那覇港で疎開者らを乗せ、
長崎に向かって出航したのですが、
ボーフィン号は、対馬丸が那覇港から出航する2日前、
上海から那覇港に向かう粟国島近海でこの船団を発見し、
以降攻撃の機会を窺(うかが)っていたのです。

対馬丸の犠牲者は1485人、生存者は280人。
生存者の内訳は、軍人49%、船員72%に対し、学童疎開児7%、一般疎開者14%、
15歳以下の子供たち1000人余りを含む、多くの疎開者が犠牲になりました。

今年の4月中旬に、
大韓民国の大型旅客船「セウォル(世越)」が、
全羅南道珍島郡の観梅島(クヮンメド)沖海上で転覆・沈没し
300人を超す死者が出ましたが、
対馬丸の犠牲者は、実にその約5倍にもあたるのです。

1912年、タイタニック号が北大西洋上で氷山に接触・沈没し
1513人の犠牲者を出し、当時海難事故としては世界最大といわれたようですが、
対馬丸の被害者はそれと同等なのです。

1939年(昭和14年)9月4日、
第二次大戦の翌日のことですが、イギリスからの移民、
そして東ヨーロッパからの避難民で満載状態にあったイギリス客船アセニア号が、
北アイルランドの首府ベルファストを出港してニューヨークに向かっていたときに
ドイツの潜水艦Uボートが、この客船を戦艦と間違えて撃沈し、
112人の犠牲者を出す事故がありました。

潜水艦や航空機による商船への無制限攻撃は
1930年(昭和5年)9月に調印されたロンドン海軍軍縮条約によって禁止されたものの、
1936年(昭和11年)に同条約は失効されました。
それでも
潜水艦の無警告商船攻撃禁止は国際的に有効とされていたために、
チャーチルがヒットラーに猛抗議をしたのです。
ヒットラーは非を認め、国籍を問わず、あらゆる客船に対する攻撃を一切禁じました。
ナチス・ドイツでさえ、民間船への攻撃をしなかったのです。

日本時間1941年12月8日、
日本軍はハワイオアフ島の真珠湾に停泊していた
アメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して爆撃しました。
米国はそれを宣戦布告なしの奇襲「闇討ち」の報復として
以降潜水艦による無差別作戦を実施したのです。

アメリカは「リメンバー○○」で国民を団結させて立ち向かうのが常套手段の国です。
1836年、アメリカは当時まだメキシコ領だったテキサスのサンアントニオに義勇軍を送り込み、
独立運動の象徴アラモの砦を築かせました。
これはメキシコ軍が襲ってくるのを見越した上のことでした。
1845年、籠城した155人の守備隊はメキシコ軍の攻撃を受けて全滅しました。
アメリカはこの事件を「リメンバー・アラモ」という合言葉で、
国民の戦意を鼓舞、奮起させ、戦争を正当化して侵略戦争を起こしました。
このメキシコとの戦争での勝利で、アメリカは
現在のアリゾナ州、カリフォルニア州、コロラド州、ニュー・メキシコ州、
ネバダ州、ユタ州、ワイオミング州といった、
当時のメキシコ領の52%に当たる広大な領土を奪取しました。

1898年には、アメリカは今度はスペインと争いました。
そのときの合言葉は「リメンバー・メイン号」です。
アメリカの戦艦・メイン号を、スペイン領ハバナで爆破して、スペインの犯行としました。
アメリカの世論は「リメンバー・メイン」を合言葉にして、戦争反対から賛成へと変わり、
キューバ(当時スペイン領)の独立運動とメイン号爆沈事件を契機として、
キューバ解放を大義名分にスペインと戦争を始めました。
結果、アメリカが勝利し、スペイン領だったフィリピン、プエルトリコ、グアムも植民地化して、
名目上キューバを独立させています。
領有化したフィリピンでは、その後アメリカに対し独立運動を起こしますが、弾圧され、
推定約2万人が殺害され、また破壊に伴う飢餓と病気で約20万人の現地人が死亡しています。
フィリピンを手に入れたアメリカは、フィリピン人に対し英語を公用語としたのです。

また、1914年、今からちょうど100年前ですが、
強国による植民地をめぐり、
植民地大国のイギリスと、出遅れたドイツの対立、
バルカン半島をめぐるロシアとオーストリアの対立、
ドイツ、フランス国境をめぐる対立の激化などから一触即発の状況になり、
サラエボ事件を契機に1914 年、第一次世界大戦に発展しますが、
ドイツはイギリスの海上封鎖に対抗して潜水艦戦を開始、
1915 年 5 月、ドイツのUボートがイギリスの客船ルシタニア号'を撃沈しました。
(ルシタニア号は英国への火器弾薬を登載し、ドイツの警告を無視、
ドイツを逆撫でするような航路を進み、ドイツ潜水艦の攻撃を誘因、
イギリスの駆逐艦隊はなぜか護衛せず港に停留)
この事件で子どもを含む多数のアメリカ人が犠牲になったため
「リメンバー・ルシタニア」というスローガンでアメリカが参戦、
豊富な資源を生かして連合国(英、仏、露、日など)などに物資を供給し続け、
アメリカは莫大な利益を収め、世界の大国に台頭したのです。

日本時間1941年12月8日、
日本軍のハワイオアフ島の真珠湾攻撃は
「リメンバー・パールハーバー」
ですが、
これも、戦争しないことを公約にして当選したルーズベルト大統領が、
大日本帝国海軍の真珠湾攻撃計画を事前に知り、精巧に誘導、
駐米大使の不祥事も重なって、真珠湾攻撃を卑劣な「奇襲、騙し討ち」と宣伝し、
世論を戦争反対から賛成へと変え、
アメリカは対日だけではなく、念願のヨーロッパにまで戦線を拡大したのです。

最近では2001年9月11日、
ニューヨークで発生した国際貿易センター爆破事件をアルカイダの犯行と断定し
「リメンバー911」、「テロとの戦い」を合言葉に、
国民の支持を得た米国政府はアフガニスタンに進攻しました。
真相は判りませんが、アメリカの自作自演説さえ出ています。

そして現在は、
イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」を空爆…、
アメリカの歴史は戦争の歴史です。
1776年に合衆国建国以来、238年間で
実に40回以上の戦争・武力行使を行っているのです。
(平均すると5〜6年に1回)

アメリカ国内でもインディアンを虐殺し、
ハワイを併合、メキシコ、グアム、フィリピンの領土拡張など
それぞれに正当化する、正義感あふれるスローガンを創りだしては
国民的高揚を図り、戦争をしかける戦略は
現在においても少しも変わっていません。
太平洋戦争での沖縄戦では住民も含めた無差別攻撃、
東京大空襲、広島・長崎への原爆投下など、
勝つためには手段を選ばないのです。

夜間に対馬丸が撃沈され、多くの生存者が暗い波間に浮いていたようですが、
力尽きて次々に沈んでいったようです。
潜水艦は潜望鏡でこれらを確認していたはずですが、救助は一切なし。
被災者の救助は日本の民間の漁船が行い、
奄美大島に流れ着いた人たちもいたそうですが、
生存者は家族や遺族への連絡も許されず、
鹿児島県の港に運ばれ隔離、軟禁状態にされ
対馬丸沈没について、軍事機密として
「決して誰にも口外するな」
とかん口令が厳しくしかれました。

悲惨な戦災は対馬丸だけではなく、
本土への疎開や南洋からの引き揚げなど、
沖縄県関連の船舶だけでも、沖縄戦で26隻が沈没させられ、
3427人の沖縄県民が犠牲になっています。

米軍は真珠湾攻撃以降、
日本船舶に対する無制限潜水艦戦による日本の商船被害は
1945年の終戦まで2568隻に上りました。

2004年、那覇市若狭に対馬丸記念館が開館しました。
平和教育として来館した那覇市の小学6年生の平和メッセージの一節には、
「悲しみだけを生む戦争を作るのは誰でしょう
 それは人間です
 その戦争を止めることの出来るのは誰でしょう
 それも人間です」

という、本質をとらえた言葉がありました。

ハワイの真珠湾アリゾナ記念館に隣接して
「ボーフィン公園」 (潜水艦博物館)

があり、
多くの児童が犠牲になった疎開船・対馬丸を撃沈させたボーフィン号が、
「Navy Unit Commendation(賞賛に値する武勲)」
を授章して英雄扱いされているのです。
私も何度かハワイに行きましたが、
さすがにここには立ち寄る気もおきませんでした。

東京大空襲など無差別焼夷弾爆撃を立案し、
広島・長崎の原爆投下にも部隊責任者として関与した
カーチス・E・ルメイ大将は、
東京五輪のあった1964年に、日本政府から
勲一等旭日大綬章を授与されています。

叙勲理由は
「航空自衛隊創設の貢献」
です。
受勲を決定した当時の総理は佐藤栄作。

証書には昭和天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ、天皇の印)がありますが、
昭和天皇はルメイに対する勲章の親授を拒否されたといわれています、
当たり前ですよね。
昭和天皇が難色を示す中で、ルメイの叙勲を強く推薦したのが、
当時防衛庁長官だった小泉純也(小泉純一郎元首相の父)。

佐藤栄作は現総理・安倍晋三氏の親戚です。
佐藤栄作内閣の時に、日本への核兵器持ち込みの密約をアメリカと結んでいて、
日本の非核三原則は表向きの標語にすぎなかったことが判明しています。

東条英機内閣の開戦に、
当時商工大臣だった岸信介は賛同し(A級戦犯なのになぜか釈放)ましたが、
岸信介は安倍晋三氏の祖父、
麻生太郎氏は吉田茂の孫で安倍晋三氏とは親戚…、

日本を破壊しようとしているとしか思えない暴君ぶりを発揮して
本当はCIAの間者なのかな、と思わせる現総理は、
戦後の総理の中でも際立っているように感じさせますが、
戦後この一族は一貫して米国のポチ、要するに売国一族であって
単なる右翼思想の戦争ごっこ好きではないところが、
また問題なのです。

米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向けて
沖縄防衛局が実施する海底ボーリング調査を支援するため、
政府が海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」(5700トン、海自呉基地)の派遣を
検討している、と琉球新報に書いてありました。

「ぶんご」は前甲板に速射砲を持ち、重機関銃も格納していて、
掃海母艦というものの、攻撃能力からみれば事実上の軍艦です。

丸腰の反対派を抑えこむために軍艦を差し向けることも辞さない、
という政権も異常ですが、
反対派もいろいろな政党から送り込まれたり、
中国からの間者も入り込んで沖縄独立を画策する人たちもいたりして、
こっちも一枚岩ではないのです。
いずれ流血騒ぎに発展するのではないかと心配しています。
沖縄は県という名の軍事植民地なのだと改めて実感しています。
posted by COFFEE CHERRY at 21:23| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月07日

台風8号が明日沖縄本島に最接近

東京都台東区の入谷鬼子母神の境内などで
下町に夏の訪れを告げる「入谷朝顔市」が始まったようです。


朝顔を売る露店が並んで、特に夕方以降は電球が点いて風情があり、
私も東京に居た頃には何度も行ったことがあります。
雰囲気に飲まれて一度だけ威勢の良い露店で鉢を買ったことがありましたが、
F1種で観賞用の“使い切り”のため、
朝顔市の直後に行われる「ほうずき市」同様、
「ひやかしで見るだけ」参加が恒例になりましたね。

朝顔は、実が膨らんで、枯れたように茶色くパリパリしてきたら
黒いタネを取って、翌年の春ごろに播種(はしゅ)をするのが楽しみなのに、
命を観賞用にしてしまうのは、ちょっとね。


さて、明日昼ごろに、
沖縄には「非常に強い」勢力の台風8号が
現時点では久米島の西側を北東に進む予報が出ています。
(進路は微妙に西よりに変わり、徐々に西側の宮古島に近づきつつあるような)

久米島と沖縄は約100kmも離れていて、
これは東京を起点とすると水戸や箱根、甲府、宇都宮のあたりに相当します。
なので、台風の中心が通過する久米島や座間味諸島では大変ですが、
沖縄本島の、しかもやんばるは今回の台風は
それほど脅威ではなさそうと楽観視しています。

といっても、今日はさすがにコーヒー山には行けず、
自宅周辺の台風対策をしています。

コーヒー苗木20140707-1.JPG
 こういう鉢は暴風の当たらない場所に一時避難させるか、
 鉢を横にして台風通過後に起こす、というモノグサ対策もあります。


移植したバナナ子株20140707.JPG
 最近移植したバナナ子株。
 これは暴風で折れたら「しょうがない」と
 あきらめざるを得ません。


豚糞堆肥と国頭マージ20140404.JPG
 コーヒー山の地主が自ら我が家の近くまで
 わざわざ運んでいただいた国頭(くにがみ)マージと豚糞堆肥です。
 この画像は4月初めに撮影。


豚糞堆肥と国頭マージ20140707.JPG
 上の画像のままだと豚糞堆肥は大雨でドロドロに流出してしまうので、
 頂上に穴を開け、米ヌカと糖蜜などを入れて
 ブルーシートをかけて発酵させているのですが、
 暴風で吹き飛ばされるので、
 画像のように、周りを押さえたのですが
 どうなるのかな、少し不安。


台風の大まかな進路が判れば、
時計と逆回りに吹く暴風がどっちの方角からか、
あらかじめ判るので、
そういう対策をするのです。

沖縄タイムス台風8号記事画像20140707.jpg
沖縄タイムスの台風8号の記事に出ていた画像です。

朝日新聞DIGITALの記事(2014年7月7日13時20分)を以下にコピペしましょう。
台風8号「沖縄に特別警報の可能性」 気象庁が警戒促す
 大型で非常に強い台風8号は7日、
勢力を強めながら沖縄の南海上を北上し、
8日午前には中心気圧が910ヘクトパスカル、
最大風速が55メートルの猛烈な台風になって沖縄に接近する恐れがある。

気象庁は7日夜にも沖縄県に特別警報を発表する可能性があるとの見通しを発表。
「7月としては過去最強クラスの台風。最大級の警戒が必要」
と呼び掛けた。

 気象庁によると、台風は7日正午現在、
沖縄の南海上を時速25キロで北北西へ進んでいる。
中心気圧は930ヘクトパスカル、最大風速は50メートル。

沖縄では8日にかけて風が強まり、久米島や宮古島で最大風速55メートル、
沖縄本島で50メートルの猛烈な風が吹き、
総雨量は500ミリに達する恐れもある。

 台風は沖縄に接近した後に進路を東寄りに変え、
8日午後には九州南部も風速15メートル以上の強風域に入る見込みだ。
その後も非常に強い勢力を保ったまま9日から10日にかけて西日本に近づく見込みという。

 台風の特別警報発表の指標は沖縄では
中心気圧910ヘクトパスカル以下か最大風速60メートル以上。
仮に特別警報発表となると、
昨年9月の大雨で京都、福井、滋賀の3府県に出されて以来となる。

となっています。

聞きなれない「特別警報」とは、
昨年8月末から適用された最大限の警戒警報ですが、
久米島周辺はともかく、本島北部のやんばる地区としては、
2〜3年前に5回もやんばるを縦断したり大接近した大型台風の方が
威力が凄まじかったので、
「それを超えることはないだろう」
と、
そういう意味で楽観視しているのです。

WEATHERNEWSによると、
現在の台風の速度は時速25km、
これは
100m14秒=1500m3分36秒、
日本陸上競技連盟のHPの「日本記録」によると、
男子1500mは3分37秒42、
これだと速さがよくわかりにくい、
高校女子1600mリレーの日本記録が3分37秒86(大阪・東大阪敬愛高校、2009年)、
要するに
「原付バイクの法定速度は時速30kmなので、それよりちょっと遅い速さ」
で進んでいるわけです。

2〜3年前のやんばるを襲った大型台風は、
あちこちの林道崩落や北部の漁港などでもかなりの被災がありましたが、
やんばるの森も、いまだに復調途上なのです。

恩納村の山城武徳先生が現役で頑張っていられた頃は、
台風の翌日に農園がどの程度被災するものなのか、
アポも取らずに見学に何度も押し掛けたものです。
今から考えると、身勝手さが恥ずかしいですが、
山城先生は嫌がりもせず、
後片付けをしながら親切に丁寧に教えていただきましたが、
懐かしい想い出です。

当時は、
私がまだテスト圃場用地も借りられない時期で、
「コーヒーが風に弱い」
といっても、どのくらい弱いのか、
台風が来たらどうなるのか、
防風林はどのくらい持ち堪(こた)えられるのか等々、
未知なことが多く、台風のピークにさえ、
コーヒーがどういう状況なのか、どのくらいで主幹が折れるのか、
現場で見たいと思っていたものです。

コーヒー山は、今回の大型台風は、まず問題ないはずです。
春に中島さんと井上さんにアドバイスを頂いて、
日照を入れるために、一部を少し切り開いたのですが、
それが今までとどう違うのか、あるいは大差ないのか、
その結果を早く知りたいところです。


今日は7月7日で七夕ですが、
http://www.jishujinja.or.jp/tanabata/yurai/
「台風の被災がないように」
とかは願いません。
もちろん、被災が無く無事でありたいですが、
そういう意味ではなく、
「沖縄は台風が年に4〜5回は接近、または上陸」
と、
台風を受け入れる気構えがないと
何も出来ないということなのです。

4〜5月にかけて赤い花を咲かせるデイゴの出来をみて
今年の台風は多いとか少ないとか、言う人がいます。
「デイゴが見事に咲くと、その年は台風の当たり年だとか、
 天災(干ばつ)に見舞われる」

という迷信が沖縄にはあるのです。

THE BOOMの「島唄」の歌詞の出だしは
デイゴの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
デイゴが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
繰り返す悲しみは 島渡る波のよう

ですが、
これは迷信に基づくものです。



「当たるも八卦、当たらぬも八卦」
と、
靴飛ばしの天気占いをするより、
「年に4〜5回会う、海外の南方の友」
と視点を変えると、
別に海外の友ではなく、国内の友だとしても
これはもう相当親しい仲になるはずです。
毎年4〜5回も会うなら、
相手の気心も充分に理解する必要がありますよね。
多少、気まぐれで乱暴なところがあっても、
それを受け入れられる度量を、
天から試されているのだと思うのです。

そう考えると、
沖縄でのコーヒー栽培の場所は
おのずから判ると思うのです。

コーヒー苗木20140707-2.JPG
 自宅の庭のブロック塀の外側に置いてあるコーヒー苗木。
 ここはバナナが植えてあるように
 コーヒー苗木は遮光されていますが、
 同時に暴風の被災は受けにくいです。

コーヒー苗木20140707-3.JPG
 これも上記と同様です。
 画像上部の黒いグチャグチャしたのは
 バナナの花の果軸に付いた花苞ですが、
 2〜3年前の大型台風でやんばるバナナは
 すっかり疲弊してしまい、昨年は収穫ゼロ、
 今年に入り、ようやく開花し始めましたが、
 房の段数も例年の3割程度で、
 バナナは復調途上ですね。


ライバル視以前の問題で、
沖縄で真剣にコーヒーを栽培している人たちからすると
ただただ迷惑なだけなのですが、
海外産を沖縄産と偽装している悪名高い業者、
ここはどんな大きな台風が来ても
毎年豊作のことでしょう。
posted by COFFEE CHERRY at 17:53| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月13日

台風とどう向き合うかを改めて考える

6月11日(水曜)15時に、南大東島の西南西で台風6号が発生し、
北北東の小笠原方面に向かっていましたが、
昨日12日(木曜)には温帯低気圧に変わり、
Wethernewsによると、その後消滅して低気圧になって、
現在伊豆大島方面に進んでいるようです。

ということは、11日〜12日にかけて
大東島地方では飛行機や船が欠航になり、
沖縄本島では強風注意の予報が出ていましたが、
バナナが倒壊するほどの強風も吹かず、
むしろ昨日は久々の、おだやかな晴天でしたね。

大東諸島は、住居表示では沖縄県島尻郡北大東島とか南大東島となり、
私が前に住んでいた南風原(はえばる)町も島尻郡南風原町、
「ケラマブルー」で有名な東シナ海の慶良間(けらま)諸島も沖縄県島尻郡なので、
島尻郡はかなり広範囲に及ぶのですが、
大東諸島は宮崎県の真南で、沖縄本島からは約400kmも離れています。

約400kmという距離は、
東京駅から東海道新幹線では「岐阜羽島〜米原間」、
東北新幹線だと「古川〜くりこま高原間」、
直線距離では東京駅〜大阪・梅田駅間が約403kmですから、
沖縄本島と大東諸島は関東と関西くらい離れているので、
台風の影響も時間差も、だいぶ違ってくるのです。

沖縄は「台風の通り道」とか「台風銀座」といわれますが、
台風は例年25個前後発生するうち、
毎年4〜7個は沖縄地方を通過し、
農産物などにかなりの被害を出すのですが、
近年台風は大型化し、微速停滞型も増え、
また進路も読みにくくなりました。

恩納村の山城先生のコーヒー農園は
ハイビスカス(アカバナー)の防風林で
東側と北側を重視した造りになっていましたが、
近年の大型台風では、
最大風速が40km/sが限界のハイビスカスでは耐えられませんし、
防風対策は「より堅固で全方位」必要になりました。

台風というと、本土のNEWSでは、新人アナなどが岸壁などで、
おおげさな突撃リポートをするのがお馴染みですが、
本土では土砂災害、人的被害が多く、
土砂災害は、その直接的な気象より
人為的な地形改変を起因としているようです。

沖縄で建造物の倒壊、損傷や人的被害が少ないのは、
・沖縄の人は台風慣れしている
・家屋のほとんどが鉄筋コンクリート造り
 (屋根が赤瓦の場合でも漆喰で塗り固められているので飛散することもほとんどない)
・大きな川はなく(二級河川以下)海までの距離も短く
 降雨で雨水は海へ流れてしまう
・屋敷を石垣や防風林で囲い台風に備えているところが多い
 (防風林には、フクギ、ガジュマル、イヌマキ、フクギ、ハイビスカスなど)

などが理由と思われますが、
近年土砂災害は増えています。

2、3年前の大型台風の被災では、
やんばるの林道はあちこちが崩落して通行止めになり、
現在でもまだ復旧工事を続行中のところさえあります。

テレビの観光番組で海外の美しい街並みを観ていると、
沖縄はコンクリ造りの家屋が多く、
それも白色に統一されているわけではなく、
風水やユタなどの信心なのか、
中には緑色とか紫色、あるいはドピンクなどの家屋まであって
首里城のような赤瓦の屋根の街並みを期待された方は
その統一感のなさに違和感すら覚えることでしょう。

観光的見地としては、
ロマンティック街道と古城街道とが交差する中世都市ローテンブルク、
アジア側とヨーロッパ側の2大陸にまたがる大都市イスタンブール、
世界遺産のベルン旧市街などの美しい街並みの景観のように
沖縄も伝統的な赤瓦の屋根住宅の街並みであってほしいのですけど、
都市景観の統一基準の前に、台風がそれを阻んでいるのです。


さて、沖縄でのコーヒー栽培は、
近年チャレンジ希望者は増えつつも、
実際の取り組みまで至るのはほとんどいないのが現状だと思います。

県内の最近の新聞でも、
コーヒーが少量収穫出来ただけなのにコーヒーの里宣言したいとか、
売ることばかり優先するグループとかの記事を目にしたくらいで、
目立った動きはありません。

「沖縄でのコーヒー栽培のやり方が判らない」
というより、
とにかく時間がかかり過ぎる、
「10年は辛抱しないと」
というのが、
言葉では何となく理解できたような気がしても、
実際にやってみると、大小さまざまなハードルが次から次へと現われ
奥穂や谷川岳で山岳マラソンをやるようなものですから、
途中の落伍者が多かったり、
あるいは楽観的な見通しが立たないなら最初からスタートラインに立たないとか、
難レースを完走するまで我慢できる変人は少ない、
ということだと思います。

「タネ植えから初収穫まで5年」
というのは、
故・山城先生が言われたことで、
それは、
「すべてのリスクを考えない、最短期間」
のことを言われているのですが、
ほとんどの方はその「5年」を真に受けて、
それをさらに2〜3年に短縮できないかと
こぼれタネによる自生苗を使ってしまうのです。

実は私もその「5年説」を真に受けしていたのですけど。
しかも自生苗も一時重宝していた時期がありましたね。

でも、自生苗の使用は、私としては良い結果は出ませんでした。
山城先生でも自生苗は使いませんでしたし、
海外のコーヒー農園でも使っていないようです。
なので、私は自生苗は卒業し、
時間がかかってもタネ植えから行うようになりました。

沖縄は「台風の通り道」のために、
沖縄でのコーヒー栽培では、
今日の主題になりますが、
「台風とどう向き合うか」
を考え、防風対策を講じる必要があります。

これが甘いと、今まで私が知り得る限り、
半壊、全壊ですべて失敗、撤退しています。

ハイビスカス防風林を7m間隔の並列にした造りの山城方式に対し、
本島南部の南風原町でのテスト圃場の時は
ハイビスカス防風林を5mの正方形ブロックに区切り、
山城方式より堅固にしたのですが、
周りは農薬・化学肥料のかぼちゃ畑ですから、
自然栽培の私のテスト圃場から
・ハブが出てきた
・害虫が出てきた
・雑草が生え過ぎ
・ハイビスカスが道路に覆ってきた

などの理由で、
無断で除草剤を撒かれたり、
テスト圃場に入り込んで重機を転回したり等々
かなりの嫌がらせを受けて、
おまけに集落では孤立して村八分状態でしたけど、
・ハイビスカスの剪定と防風強度
・風の通り具合と害虫の関係
・微生物の多種共存の有用性
・コーヒーの支柱について
・台風でのコーヒーの被災進捗状況

など、多くのことを学び、
コーヒー山に活かすことが出来ました。
進化中というより、まだまだ無知だらけですけど。

本当は誰でも失敗はしたくないので、
事前に対策を立てたいところですが、
ほとんどは失敗をして、原因を考え仮説を立て、それから対策を立てる
ということを繰り返していますから、
必ずしも
「3歩進んで2歩下がる」
のではなく、
「3歩進んで4歩下がる」
あるいは5歩も6歩も下がる時もあるのです。
むしろ、その方が多いかもしれません。

その時に
「もうダメだ」
とあきらめるのか、
「私は無知すぎるな」
とくじけずタフになるのか、
そこも分かれ道ですよね。

沖縄でのコーヒー栽培では台風と向き合うのは大切ですが、
世間一般のコーヒー栽培のイメージは
「熱い陽射しの晴天に、見渡す限りのコーヒー農園」
という、
ブラジルのプランテーション農場ですから、
そのイメージを優先した農園造りが沖縄では多いです。

外見の見た目は良いかもしれないけど、
それは台風には無防備で間違いなく被災します。

「台風が来なければいいな」
「今年は台風は来ないさ」
とか
「台風が来ても何とか無事であってほしい」
といった、
「困ったときの神頼み」
ではなく
「やることやって神頼み」
にしないと。

ふだん信心深くないくせに、
初詣に行って、神社の祭壇に10円を投げて
「二拝二拍手一拝だったっけ?」
と神社参拝マナーを思い出して
重大なお願いをいくつも神様に要求したって
効き目があるわけないのと同じことなのです。

出来るだけ被災しない、良くいえばギリギリの防風対策、
ふつうにいえば「テーゲー(=大概、適当)」の対策をして
失敗するケースが多々あるのです。
この事例は多すぎて紹介できません。

南城市の知念農園でも、
本島南部を襲った3年前の大型台風で壊滅的な被災をして
以降コーヒー栽培はしていません。
ここでは山城方式で行っていましたから、
それでは近年の大型台風到来時代では、もう通用しないということなのです。

コーヒー山は、やんばるのほぼ中央に位置する民有林ですから、
森を覆う照葉樹林などから、森林内のコーヒーが守られるので
沖縄でのコーヒー栽培は森林栽培が最適だと思います。

また、台風では塩害も考えないといけません。
海抜80m、海岸から1kmの我が家からは藍色の太平洋が見えます。
黒潮海流を北上する台風の暴風は東風ですから、
太平洋から吹き付けてくるのですが、
海抜80m、海岸から1kmに位置する丘陵地でも
潮は横殴りに立っていられない勢いで吹き付けてきます。
車は潮で茶色い錆びが広がってしまいます。

東村の諸井清二さんのコーヒー農園は
ヒロ・コーヒーから県道70号線を約10km南下した右側の丘陵にあり、
海側に傾斜した地形で海が見えていたので、
私の住んでいるところとかなり似ている環境ですが、
ここも10年以上前の台風で壊滅しています。
(ここでは防風対策がほとんどされていなかったこともありますけど)

コーヒーにも耐塩性の品種がありそうですが、
現段階ではまだ入手出来ていません。
沖縄のニューワールドでいうと、
1号は塩害にも弱いけど、生育にも時間がかかる。
生長に時間がかかるのは故国ブラジルでも同じ。
ようやく収穫期を迎えたかと思うと、その後数年で枯れ始める。
2号はアマレロ.(Amarero)、ポルトガル語で「黄色」、
つまり黄色い実が成るのですが、これも塩害に弱い。
1号に比べると沖縄向き。ただこれも長寿にはならない。

「ニューワールド系は塩害を受けやすい」
ということは沿岸での栽培には不向きといえます。
コーヒー山は海岸から約5kmも離れているので、塩害はありません。
また、ニューワールド系は中米品種などに植え替えています。

私の住む集落の古老は
「東海岸で柑橘類果樹がほとんど栽培されないのは、台風の暴風のため。
 柑橘類は西海岸で盛んなのはそのため」

と言われました。
台風銀座の沖縄で、コーヒー栽培をしようと決意したら、
「どう売るか」
ではなく、
「台風と向き合い、コーヒーが長く元気に生育出来る場所」
を確保し、
同時に
「その土壌に向く品種探し」
が必要で、
さらに
「10年以上辛抱する不退転の覚悟」
が要るとなると、
私のように世俗を離れたボヘミアン的生活をするのも
止むを得ないことなのです。

長らくお休みしてご免なさい。

ヤンバルクイナの餌付け201405-1.JPG
 我が家の台所を出た庭のブロック塀の向こう側に
 コーヒー苗木を定植してあります。
 (小さな支柱があるところ)
 見にくい画像ですみません。


ヤンバルクイナの餌付け201405-2.JPG
 コーヒー苗木を定植したあたりは、
 出来るだけ自然な環境にしたいために落ち葉を撒くのですが、
 国の天然記念物ヤンバルクイナが毎日、
 出没するようになりました。
 おそらく虫やミミズを食べに来るのだと思います。
 あわてて撮影したのでピンボケになってしまいました。


ヤンバルクイナの餌付け201405-3.JPG
 最初の頃は人の気配を感じ取っただけで、
 警戒してすぐに逃げ去っていた彼(彼女?)ですが、
 最近はブロック塀を歩いたり、私を見ても様子を伺い、
 逃げなくなって、仲間を連れてくるようになりました。
>
posted by COFFEE CHERRY at 09:45| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月25日

マルハニチロ系のマラチオン混入事件は「木を見て森を見ず」〜3-2

今日も長いダラダラ話なので、
見たくない人は早く退散して下さい。

マルハニチロホールディングスの子会社
「アクリフーズ」群馬工場で製造した冷凍食品から
農薬「マラチオン」が検出された中毒事件は、
群馬県警が、ついに関与したと思われる工場契約社員を特定し、
偽計業務妨害容疑で逮捕する方針を固めたようです。

同社の発表によると、1月20日の時点で、
同社群馬工場生産品対象商品数(想定)640万パックに対し、
回収数は、消費者からの返品が39万9247パックと
同社倉庫に返品済みの流通在庫509万7048パックで、
合計549万6295パック、つまり回収率は「85.9%」に上っています。
(消費者からの問い合わせは、累計95万4713件)

厚生労働省の1月21日の発表によると、
アクリフーズ群馬工場の冷凍食品による
健康被害が疑われる症状の発生件数は、
全国の自治体より公表された資料を取りまとめた累計件数は
「全国で2799件」
だそうですが、
返品回収率が高まったことで、
今後の被害の拡大は、それほど心配しなくても良さそうですね。

アクリフーズは、
「卑劣な犯人が意図的に農薬を混入した」
と、
いわば被害者といわんばかりの態度をとっているように見受けられますが、
同社は消費者からの最初の苦情を把握してから
商品回収の公表まで1か月半も要して
それが被害を拡大させてしまったことは見過ごせません。

被害を過少申告し、商品回収を避けようとする姿勢は
カネボウ化粧品(東京)の美白化粧品による白斑(はくはん)被害問題と同類で、
消費者第一といいながら、実際は利益第一主義だったのですから。

アクリフーズの企業理念は、
「アクリフーズが社会に存在する価値は何か。
 社会的使命、存在意義を定義しました。
 アクリフーズは、「食べる」場面で、
 お客様に美味しい、楽しい、嬉しい、すごいの感動を味わって頂くために、
 冷凍食品の限りない可能性を追求し、
 皆さまの明るく味わい豊かで、安全な食生活に貢献しています」

と冒頭にあり、
その後、
 ・食の感動をひろげる
 ・食の可能性をひろげる
 ・食の安心、安全をひろげる

が書かれています。

最後の「食の安心、安全をひろげる」では以下のように書かれています。
 何よりも身体に良いもの、安心で安全なものを提供することが、
 私たちアクリフーズの最も大切な社会的使命です。
 素材から生産、そしてお客様の口にお運びいただくまで、
 「アクリフーズなら大丈夫」と信頼される揺るぎない食品ブランドになるよう、
 努める所存です。


この立派な理念の通りなら、最初の苦情があった時に、
すぐに調査をして回収を指示していたはずです。

アクリフーズのHPによると
4年前の平成21年にISO22000の認証を取得しています。
ISO22000はISOの食品安全マネジメントシステムの規格で
この規格には
 ・緊急事態対応
 ・トレーサビリティシステム
 ・回収
 ・HACCP

等のシステムを包含していますが、
ISOではハインリッヒの法則を全社員に周知徹底教育されますから
(1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、
 その背景には300の異常が存在する)
それが最も認識していなければならないはずの
経営幹部が欠如していたことになるのです。

もう7年前になりますが、
 ・2007年1月 不二家が消費期限切れの原料を使っていた(JAS法違反)
 ・2007年6月 ミートホープが牛ひき肉の偽装表示(JAS法違反)
 ・2007年8月 石屋製菓が「白い恋人」などの賞味期限を改ざん(JAS法違反)
 ・2007年10月 赤福が消費期限の改ざん(JAS法違反)
 ・2007年10月 比内鶏の産地偽装(JAS法違反)
 ・2007年11月 船場吉兆の原産地表示違反、消費期限改ざん(不正競争防止法違反)

があり、
不二家や赤福はISO認証の立派な老舗で、永く
「消費者に愛されてきた銘菓」
を作り続けてきた企業であるにもかかわらず、
経営幹部の意識改革がなければ、
羊頭狗肉(ようとうくにく)、看板に偽りありと、
かえって不信を買うことになるのです。

立派な会社の社長室には、
仰々しく企業理念や社訓などが額縁に入れられて掲げられていますが、
いくらそれを暗唱したところで、それを遵守出来ないなら、
それは過去の遺物、化石に他なりません。
草葉の陰で創業者は泣いていることでしょう。

昨年、大阪の新阪急ホテルから始まった食品偽装でも
ホテル
 ・大阪新阪急ホテル
 ・ザ・リッツ・カールトン大阪
 ・シェラトン 都ホテル大阪
 ・天王寺都ホテル
 ・大阪国際交流センターホテル
 ・宝塚ホテル
 ・ウェスティン 都ホテル京都
 ・名鉄グランドホテル
 ・帝国ホテル
 ・ホテルオークラ
 ・椿山荘
 ・ハイアットリージェンシー東京
 ・都ホテル ニューアルカイック
 ・沖縄都ホテル
 ・奈良万葉若草の宿三笠
 ・大和屋本店旅館
 ・山のホテル
 ・箱根ハイランドホテル
 ・宮崎フェニックスリゾート シーガイア
 …


百貨店
 ・高島屋
 ・三越伊勢丹
 ・大丸松坂屋
 ・小田急百貨店
 ・そごう西武
 ・東武百貨店
 ・東急百貨店
 ・松屋
 ・丸井
 ・京王百貨店
 ・銀座三越
 …


日本を代表するホテルや百貨店、レストランなどが、
次々と偽装表示を公表しました。
(懲りない不二家は2007年の不祥事に続き、レストラン63店で、
 小さい牛肉を接着したステーキを「成形肉」と表示せずに提供しています)

一流の「お・も・て・な・し」をしているはずの立派なホテルや百貨店、大企業や
老舗、ISO認証企業などが食品偽装するようでは、
消費者は何を信じていいのか判らない、情けない時代になり下がり、
同時に、企業CMに惑わされることなく、
消費者がますます賢くなければいけない時代に入った、といえそうです。

白い恋人や赤福の2007年の食品偽装の、
さらに7年前の2000年(平成12年)3月、
雪印乳業大樹工場(北海道)で停電事故が起き、
脱脂粉乳の原料が高温のまま放置されたことで
黄色ブドウ球菌の毒素が大量発生。
この原料を再溶解した低脂肪乳などを同社大阪工場が原料として
乳児用粉ミルク「メガミルク」を製造、出荷し、
6月には最初の食中毒患者の届け出が保健所にありましたが、
雪印乳業(株)は事件直後の対応に手間取り、
商品の回収や消費者への告知に時間を要したため、
被害は13,420人に及んでしまいました。

その波紋が治まらない、2年後の2002年(平成14年)1月、
雪印乳業の子会社・雪印食品の牛肉偽装による交付金不正受給が発覚し、
親会社の雪印乳業は廃業・解散に至ったのですが、
そのグループ子会社として分社化していたのが雪印冷凍食品で、
「雪印の名前が社名にあると再建の足手まとい」
とばかりに、
2002年10月に「株式会社アクリフーズ」に社名を変更し、
2003年にニチロ(現マルハニチロ)に買収されて
アクリフーズは現在に至っているのです。
私は当初agricultureから「アグリフーズ」と社名を名付けたと思っていたのですが、
「アクリフーズ」なんですね。

社名はコロコロ変わっても、悪しき伝統はしっかり受け継いでいたことが
今回の被害を拡大させた主因といわれてもしょうがないのです。

同社は茨城県邑楽(おうら)郡大泉町、
地図で見ると埼玉県行田市の北、群馬県足利市の南、
栃木県佐野市の南西(佐野市というと西さんのご自宅があるところですね)に位置して、
太平洋戦争前、陸軍の九七式戦闘機や四式戦闘機「疾風」、一式戦闘機「隼」など
終戦までに計2万9925機の航空機を生産した中島飛行機があった軍事産業の拠点地で、
(三菱が設計した零戦の全体の約2/3も中島飛行機が生産)
それが戦後、三洋電機や富士重工業の工場になったようです。

大泉町にはアクリフーズの他に、
富士重工業大泉工場や味の素冷凍食品関東工場、
三洋電機東京製作所、凸版印刷群馬工場など大手の工場があり、
ブラジルやペリー出身の日系人も多く、
町の全人口の約15%近くが日系人が占めているようです。

三洋電機では最盛期は1万人以上の従業員を抱え、
年間数億円の法人税を納入していたようですが、
三洋の業績不振とともに工場の雇用環境も悪化し、
三洋は2009年(平成21年)パナソニックに買収されて以降、
昨年2013年5月には旧三洋の人員9割を削減するリストラ計画が発表されました。

企業城下町は、その企業が発展している時は好景気に沸きますが、
衰退期はOK牧場の決闘シーンの砂ぼこりが舞うような、
平家物語の冒頭部分、
 祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。
 おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
 たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

を感じてしまいます。
企業城下町は全国にありますが、
千葉県浦安市のオリエンタルランドのように
勢いがある企業があればいいですけどね。

アクリフーズの現在の従業員は294人、
その雇用形態は約8割がパートと嘱託(半年更新の期間工)で、
同社は中国山東省にも生産拠点があり、
そこから派遣された中国人研修生も含め外国人は11人だそうです。

朝5時〜23時の交代制、月給基本給14万2000円、
大手の工場の作業風景は、チャップリンの映画で、
機械に操られ人間の尊厳が失われるという「モダン・タイムス」を
私は連想してしまいます。
チャップリンが機械工になり、ネジを締める単調な作業ばかりすることで、
休憩中もその癖が治らず、上司の鼻や社長秘書のスカートのボタンを締めようとしたり、
道行く女性の服のボタンを締めようとしたりして病院に送られ、
工場はクビになる、という場面を。

アクリフーズ群馬工場では、現在生産ラインはストップ、
従業員は返品回収された商品の検査業務をしているようです。

経営幹部は保身を考え、しわ寄せは従業員に回る、という
いつもながらの構図ですね。
アクリフーズの夕張工場の製品からは異物の混入は見つかっていないのですが、
同社製冷凍食品の販売不振に伴い、
夕張工場でも減産と従業員の自宅待機も始まっているようです。

ところで、PB(プライベートブランド)商品というと、
ナショナルブランドとほぼ同品質の製品を、
より安価に仕入れることが出来て利益率が高まるために、
大手のスーパーやコンビニ、家電やホームセンター、ディスカウントストアなど
あらゆる分野で見かけるようになりましたが、
例えばセブンイレブンのPB商品「セブンプレミアム」は
必ず製造業社名入りになっています。
「誰が作ったか分からないのではお客様の信頼は得づらい」
という考え方なんですね。

「そんなの当たり前でしょう」
と思われるでしょうけど、
「安全・安心」を売りにしているイオンや西友などのPB商品の裏には
製造会社名が記されていないのです。

今回のアクリフーズ冷凍商品の回収に際しても、消費者の多くは、
PB商品も返品回収対象だとしたら、
製造会社名が記されていないと判りようがないですよね。
PB商品の製造会社の明記義務付けも
法の改正をすべきだと思います。

昨年の食品偽装では、
クマエビを「車海老」、バナメイエビを「芝海老」、
インドエビを「大正海老」と表記していたことも
消費者を欺いたのだから立派な詐欺だと思いますが、
まだメスを入れていない食材があるのです。
それは「お米」です。

魚沼産コシヒカリが、魚沼地区の生産量の数十倍が
全国に出回っているのは有名な話ですよね。

ブレンド米には内訳表示が法的に義務化されていないことで、
ブレンドした米の産地や生産年もきちんと表示しなくていいというのですから、
本来食用には向かない加工米や超古米などをブレンドしても
合法的に「国産米」として出荷出来てしまうのです。

日本人の主食のお米偽装は、根が深く歴史も長く、
いわばパンドラの箱なのです。

こうしたなか、存在感の薄い消費者庁は、来月から半年ほどの間、
食品表示の監視を担当する農林水産省の食品表示Gメンと、
お米の産地表示を監視する米穀流通監視官の合わせた約200人に、
消費者庁の職員を兼務させて、
外食のメニューについても監視させることにしたようです。

食品表示Gメンたちが、
「違反の疑いがあるケースを見つけた場合は、
 消費者庁が立ち入り検査をするなど必要な調査を行った上で、
 再発防止を命令するなどの措置を取る」
というのですが、
結果は期待薄でしょう。
こういうことは昨年の食品偽装前にやっておくべきことだからです。

沖縄のコーヒー栽培でも、
「実物見本を見せて注文を取り、実際に消費者に渡すのはニセモノ」
という古典的な詐欺の手口をするところがあり、
純粋に沖縄産を目指す生産者からすると大迷惑なところがまだあるのです。
くわばらくわばら。
posted by COFFEE CHERRY at 17:41| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月08日

マルハニチロ系のマラチオン混入事件は「木を見て森を見ず」〜3-1

食品大手マルハニチロホールディングスの子会社
アクリフーズ群馬工場で製造された冷凍食品に、
農薬マラチオンが意図的に混入され、
被害者地域が広範囲に及び、
年末から世間を騒がせています。
沖縄でも被害者が出始めています。

マラチオンは、
ダニ、アブラムシ、アザミウマ、ウンカなどに即効性があるとされている殺虫剤として、
「マラソン」と呼ばれることもあり、
ホームセンターや園芸店では「マラバッサ乳剤」という名称で売られていて、
誰でも自由に買えることが出来るのです。

食品製造ラインでは有機リン酸系農薬なんか使うはずがないので、
誰かが悪意を持って故意に混入させたことは間違いなさそうですし、
犯行現場は包装工程らしいので、
そこに出入りしている関係者の中に犯人がいるとするなら、
事件自体の解決は近そうです。

この工場での生産は市販用と業務用の商品を合わせて
年間8000万パックに上り、
回収対象は640万パックになっているそうです。

 8000万個÷365日=日産21.9万個
 640万個÷21.9万個=29.22日
約1カ月前の製造出荷分を回収対象にしているようですね。

回収といっても卸や販売店舗だけではなく
いつ頃買い置きしたのか不明の消費者宅の冷凍庫も対象になるし、
その後の信頼回復までを考えると
企業としては今後極めて深刻な問題になりそうです。

似たようなことは6年前の2008年にもありましたね。
JTグループの食品会社・JTフーズが、
中国の天洋食品が製造した餃子を輸入し、
日本生活協同組合連合会(生協、CO−OP)が販売し、
この冷凍餃子を食べた方が下痢や嘔吐など激しい中毒症状を訴えて
日本中を震撼させた、あの中国製ギョーザ中毒事件です。
事件後、JTブランドの冷凍食品は販売不振になり、
冷凍食品部門を加ト吉に譲渡するに至りました。
名前を変えて信頼回復を急ぐのではなくて、
「JTグループがどう変わったのか?」
が、信頼回復につながるはずですが。

この時の混入農薬も、メタミドホスなどの有機リン系殺虫剤でした。
マラチオン殺虫剤は誰でも買えますが、
メタミドホスは、日本では毒性が強いと判断されて農薬登録に至らず、
使用禁止、というより入手は困難です。
海外では農業用殺虫剤として(効能はマラチオンと同等)、
中国、米国、南米、オーストラリアなどで、かつて広範に使用され、
中国でも毒性が強いとして2003年に使用制限、
2007年に中国全域で農業での使用と販売を禁止、
2008年に前述の「ギョウザ中毒事件」があり、
2009年以降は輸出品も含めてメタミドホスの生産が禁止されたものの、
まだまだ中国では既製品はあちこちに無造作に置いてあるようですから、
また知ってか知らずか使われて、いつか問題になることでしょう。

今から19年前の1995年(平成7年)3月20日に、
国家転覆を目論んだ麻原彰晃(被告)率いるオウム真理教軍団が
東京の営団地下鉄で使ったことで有名になった「サリン」もこの有機リン系です。
毒ガス兵器で有名なVXガスも同様です。
言ってみれば、マラチオンやメタミドホスという物質は、
サリンやVXガスの親戚なわけです。

ちなみに致死量では、LD50が
・サリン  0.1〜0.01(mg/kg)
 (ガスとしての致死濃度は1㎥あたり100mg)
・VXガス  0.015(mg/kg)
 (ガスとしての致死量は1㎥あたり0.15mg)
・メタミドホス  10〜30(mg/kg)
・マラチオン  250〜600(mg/kg)


この聞きなれない「LD50」というのは
「急性毒性半数致死量」(単位「mg/kg」)
といって
いくらなんでも致死量の人体実験は出来ないので、
ラットやマウスなどの動物実験を行うのですが、「LD50」は
「実験動物に毒物を投与したときに、半数が死亡する体重1kgあたりの用量(mg)」
をいうようで、
LD50値は、毒性を示す用量による表示ですから、
値が小さいほど毒性が高いことになります。

「1kg中に○mg配合されている」
というのを○mg/kgと表示します。
1mg/kg=重量での含有率100万分の1(=1ppm)、1kg=100万mg、
昨日7日のNewsでは
「昨年10月5日製造の「チーズがのび〜る!グラタンコロ!」の衣部分で
 2万6千ppmのマラチオンを検出」
と書いてありましたから、
この衣部分のマラチオンは38.5mg/kg、
マラチオンの致死量は250〜600 mg/kg、
つまり「死にはしないけど、かなり危険」といえるでしょう。

LD50には、
皮下注射・筋肉注射・静脈注射・腹腔内注射・経口投与などがあり、
それぞれで数値が異なり、また動物によっても数値が違うようですから、
あくまで目安のアバウトな数値です。
ちなみに、ヘビ毒の毒性比較をする場合には、
咬まれたことを想定して、皮下注射で動物実験をするようです。

さて、その皮下LD50で比較する「日本三大毒蛇」の毒性は次のようです。
当然ながらLD50の数値が小さいほど毒性は強いことになります。

日本三大毒ヘビ
・ヤマカガシ  5.3 (mg/kg)
・マムシ  16 (mg/kg)
・ハブ  54 (mg/kg)
(毒性はヤマカガシが一番強く、マムシの約3倍、ハブの約10倍の強い毒性がありました。
 ハブ毒が最強と思っていましたから意外でした。
 ちなみにコブラ毒は0.5 mg/kgでヤマカガシの10倍、ハブの108倍と、さらに強烈です。)

天然毒素
・ボツリヌス毒素  0.00000032(mg/kg)
・テトロドトキシン(フグ毒)  0.0085(mg/kg)
・ニコチン(タバコ)  24(mg/kg)

医薬品
・ジギタリス  0.4(mg/kg)
(ホームセンターや園芸店で草花として売られていますがいいのかな?
 スズランも0.30mg/kgで猛毒ですよ。)
・モルヒネ  120-250(mg/kg)
・アスピリン  400(mg/kg)

食品
・カプサイシン(唐辛子の辛み成分) 60-75(mg/kg)
(唐辛子には1gあたりに3mgのカプサイシンが含まれているので、
 体重50kgの人が3000mg以上摂取すると命の危険がある、
 つまり1kgの唐辛子を食べると危険ということになりますから、
 キムチはそこまで食べないでしょうけど、
 カプサイシンダイエットは、サプリメントでは
 早期効果を期待して大量に飲むと危険が伴うということはいえそうです。)
・カフェイン  174-192(mg/kg)
・食塩  3,000-3,500(mg/kg)

さて、ここでカフェインが登場しました。
カフェインも多量に摂取すると死に至るのですが、
コーヒー=カフェイン
ではなく、
純粋なカフェインという物質としての話なので心配はいりません。

カフェインはアルカロイドという、植物の毒ですが、
人間には覚醒作用や解熱鎮痛作用があり、
眠気、倦怠感、頭痛に対する効果があることは間違いないので。
何にでも言えることですが
「百薬の長も、摂り過ぎは百毒になる」
ということなのです。

「LD50=174mg/kg」
は、
「体重1kgあたり174mgのカフェインを摂取すると、
 50%の確率で成人が亡くなる」

という意味ですから、
体重50kgの成人では、
174mg×50kg = 8700mg = 8.7g

料理やお菓子作りの時に、
大さじ、小さじとか出てきますが、
この量の目安は、
・小さじ 5g(すりきり一杯)
・大さじ 15g
といわれているので、
「体重50kgの成人は、カフェイン8.7g、小さじ大盛りで、50%の確率で亡くなる」
というのです。

コーヒーのカフェイン含有量は、
全日本コーヒー協会のHP資料によると
「コーヒー100mlには約60mg。紅茶、煎茶などにも含まれています。」
と書かれています。
(玉露は100mlあたり約120mgとコーヒーの2倍!)

「コーヒーカップ1杯は何グラムか?」
というと、
・エスプレッソカップ 20〜30cc
・デミタスカップ   60〜80cc
・レギュラー  100〜120cc
・マグカップ  180〜220cc
・カフェオレボウル 220〜250cc
などと、カップによって容量は違いますが、
私はマグカップで飲むので
ここでは
「マグカップ1杯200ml」
としておきましょう。

全日本コーヒー協会によるカフェイン含有量で換算すると、
「マグカップ1杯200mlのコーヒーのカフェイン量は120mg」
となり、
マグカップでコーヒーを何杯飲んだら
致死量「8.7g」に達するのかというと、
8.7g=8700mg
8700mg÷120mg=72.5杯

「1杯200mlのマグカップでコーヒーを72.5杯飲むと、
 成人の50%が死に至る」

というのですが、
カフェインは、
「摂取してから血中濃度が最高に達するまでの時間は30分〜2時間」
「血中消失半減期は4時間半〜7時間」
といわれているので、
「成人の50%が死に至るマグカップコーヒー72.5杯は、
 数時間内に飲んだら危険」

という前提なのです。

例えば4時間でマグカップコーヒー72.5杯を飲むとすると、
4時間×60分÷72.5杯=3.31
つまり、3分19秒に1杯ずつ4時間も飲み続ける、しかもマグカップで…。
そんなこと出来る人いないでしょう。

玉露のカフェイン含有量がコーヒーの2倍といっても、
玉露をマグカップで6分48秒に1杯ずつ4時間も
(合計36杯と4分の1杯)飲めるわけがないので、
「お茶やコーヒーでのカフェイン摂取は心配要らない」
といえましょう。


我が家では9歳になったラブラドール・レドリバーが家族として一緒に暮らしています。
彼は昨秋から、また腰を悪くして後ろ足で立てず、
室内では土下座状態で移動するので、
要介護状態になっています。

もちろん家族なので、日夜手厚い介護は当然ですが、
彼に以前、ノミ・ダニの駆除のために、フロントラインという、
首筋に滴下するタイプの駆除液を使っていたことがありました。

それを使うと、彼は苦しみ悶えていたのですが、
たしかにノミ・ダニの駆除効果は完全ではありませんが、
認められたために継続して、時々使っていたのです。

でも、これも成分を調べてみると、
「フェニルピラゾール系殺虫剤」
という医薬用外劇物で、
人体の皮膚に塗ると、すぐに吸収されて危険なものだと判り、
以降の使用は中止しました。

フェニルピラゾール系殺虫剤のLD50は、
・急性経口毒性(マウス) 1,366mg/kg 
・急性経皮毒性(ラット) 2,000mg/kg

我が家の犬は肥満大型犬なので成人並みの体重ですが、
ふつうの犬の体重が10kgとすると、
皮膚に20g、ヤクルト1本が65ccなので
ヤクルトの3分の1程度を体重10kgの犬に塗るだけで、
半数が死ぬ可能性がある危険な劇薬なのです。

説明書には
「安全でやさしい」
ようなことが書かれているのですが。

世知辛い世の中ですから、
身の回りには危険がいっぱいです。
特に口に入るものには相当な用心が必要です。


ここまでを1回目にしておきましょう。

ヤンバルクイナ20140103.JPG
 我が家の庭のブロック塀に、ヤンバルクイナのつがいが姿を表したところです。
 ここは西側ですが、南側、北側にはまた別のヤンバルクイナがやって来ます。
 目的はマイマイやミミズなどの捕食と、水浴びです。
 我が家近郊はヤンバルクイナの大繁殖地なので、
 カラスの次に目にする野鳥、というより
 せっかくタネ植えしたタネ、特に希少なカカオなども
 プランターを突いて食べてしまうので、害鳥の部類に入ります。
 今日は玄関前に彼らの糞があり、
 人の気配が無いと何羽か判りませんが、
 平気で庭に入り込んでいるようです。
 このあたりは元々彼らの居住区であって、
 彼らからすると私は怪しい侵入者ですから
 仲良く共生していきたいものです。
 彼らはとても警戒心が強く、よく見かけるものの、
 なかなか撮影出来ないのです。
තୀ㗝
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2013年12月19日

童話から学習するA3−3

ようやく童話の最終回の3回目ですが、何かと慌ただしく、
遅れに遅れて師走に入ってしまいました。

私のコーヒーブログは、
本当は栽培日誌的に書きたいのですが、
最近は道を外れています。
今日もダラダラと長いので、
興味のない方は、どんどん飛ばしてください。

前回から日数が開き過ぎてしまったので、
もう一度「花咲爺」の歌詞を想い出してみましょう。

花咲爺
作詞・石原和三郎  作曲・田村虎蔵

 うらのはたけで、ポチがなく、
 しょうじきじいさん、ほったれば、
 おおばん、こばんが、
     ザクザクザクザク。

 いじわるじいさん、ポチかりて、
 うらのはたけを、ほったれば、
 かわらや、せとかけ
      ガラガラガラガラ。


  しょうじきじいさん、うすほって、
  それで、もちを ついたれば、
  またぞろこばんが、
      ザクザクザクザク。

  いじわるじいさん、うすかりて、
  それで、もちを ついたれば、
  またぞろかいがら、
     ガラガラガラガラ。


  しょうじきじいさん、はいまけば、
  はなは、さいた かれえだに、
  ほうびはたくさん、
      おくらにいっぱい。

  いじわるじいさん、はいまけば、
  とのさまの、めに それがいり、
  とうとうろうやに、
      つながれました。


この「花咲爺」の六番までの歌詞について、
一番と二番、三番と四番、五番と六番と
二番ずつの構成に分けていたので、
今回の第3幕は、歌詞でいう五番と六番の部分に当たります。

花咲爺の第2幕は、
意地悪爺さんが怒って臼を燃やしてしまうところで終わったので、
今日の第3幕のあらすじは、
やさしいお爺さんは、
犬の化身である臼を燃やした灰を返してもらい
大事に供養しようとするのですが、
再び犬が夢枕に出てきて、
「桜の枯れ木に灰を撒いてほしい」
とお爺さんに頼みます。
その言葉に従って灰を撒いたところ、枯れ木に花が満開に咲き、
たまたま通りがかった殿様がそれを見て感動し、
やさしいお爺さんを褒めて、たくさんの褒美を与えるのです。
このときのセリフが、あまりにも有名な「枯れ木に花を咲かせましょう」ですね。
それを見ていた隣の意地悪爺さんが、
またまたその真似をして枯れ木に灰を撒くのですが、
花が咲くどころか殿様の目に灰が入ってしまい、
怒った殿様に牢屋に入れられてしまう。

という、
「花咲爺」の物語の、いわばハイライトの場面であり、
農業的にも最も考えさせられる場面でもあるのです。

やさしいお爺さんが撒いた灰は、
愛犬の化身というべき臼を燃やした灰ですから
草木灰(そうもくばい)になります。

草木灰の主要成分は、
根の発育を促進するため「根肥」といわれ、
植物の生理作用を円滑に行う働きをして生長促進をはかり、
病気や寒さなどに対する抵抗力をつける作用があるK(カリウム)や、
開花・結実に役立つため「実肥(花肥)」とよばれるP(リン酸)、
光合成をする葉緑体の構成成分として不可欠のMG(マグネシウム)、
細胞と細胞とを強固に結びつける働きや、根の正常な発育を促し、
また土壌酸度を調整するCa(カルシウム)、
植物体中の酸化・還元や生長の調整などの整理作用に関与するS(硫黄)、
葉緑素ができる過程で欠かせない鉄、
葉緑素やビタミンの合成に関わるマンガン、
新芽や根の生育を促進するホウ酸、
新しい葉を作るのに役立つ亜鉛、
葉緑素をつくる銅などが含まれている立派な有益な肥料なのです。

枝葉のたき火後20131203.JPG
 背丈くらいに積み上げた枝葉を焼き、草木灰をつくります。
 要するに、ふつうの「たき火」です。
 私の三重県の実家では、
 お茶や米、野菜などを栽培する農家でしたが、
 草木灰やもみ殻燻炭、卵の殻、ワラなどを多用する有機農法でしたから、
 私も化学肥料は使わない農法に徹していて、
 コーヒー山やバナナ園では草木灰も、もちろん使っています。
 画像のように白い灰は、高温になりすぎたのかも。
 白い灰は効き目が薄いといわれていますから、
 このたき火は勢いよく燃えすぎて、ちょっと失敗かも。


枝葉のたき火20131104.JPG
 先月のたき火画像です。
 こういう感じで、木の原形が残るような燃え方の方が
 草木灰としての効果があるそうです。
 現状の草木灰の使い方は、完熟豚糞と混ぜて
 コーヒーの木の幹の周りに撒いています。
 その中には粉炭も入れています。


童話・花咲爺の物語では、
やさしいお爺さんだけでなく、意地悪爺さんも灰を撒いているのですが、
やさしいお爺さんは効果があり、
意地悪な爺さんは逆効果になっていますよね。

これは撒く時期や撒き方の教訓を説いているような気がします。

栄養剤や栄養ドリンク、サプリメント、薬など、
人は元気で健康な時には、こういうのはふつう飲まないですよね。
忘年会や新年会でお腹が一杯の時に
消化剤を飲むことはあるでしょうけど、
そんな時に栄養剤は飲まないでしょう。
そう考えると、施肥もいつでもOKではなく、
撒く時期や、撒く量、撒き方の適否があるはずです。
例えば、出産後、
「産後の肥立が良い」とか「悪い」
という言葉を聞いたことがあると思いますが、
「産後の肥立ち」
とは、ご存じのように
「妊娠や出産を終えた女性の身体が日を追うごとに健康を回復すること」
を意味してます。

果樹に置き換えると、
子孫である実(タネ)を付けて完熟期を迎えた頃が“出産”に相当し、
木はヘトヘトになって、回復のための滋養強壮が必要になるといえるはずです。

また、意地悪爺さんは、
「灰をただ撒いた」
ということも考えられます。
草木灰はまとめて地面に置くと泥状に固まったり、雨で流れてしまうこともあるので、
土に鋤(す)くのが一般的です。

また、
「臼を焼いて草木灰を撒いた」
ことを広義にとらえて、
古来から行われている焼き畑農業を考えてみると、
昨年だったか、NHKBSの
「マメの木が森を救う!」
という番組を興味深く観たことを想い出します。

ケンブリッジ大学の熱帯生態学者マイク・ハンズ博士が
永年焼畑農業の研究をした結果、
「焼畑により土地が痩せる」
というのです。

ハンズ氏は、焼畑農法を「破壊的」として、
より「建設的」な農法への転換を提唱していました。

焼畑とは、文字通り森林を焼いて畑を作ることですが、
「森を焼いたその年の農産物の収量は上がるのだけど、
翌年以降は収量が落ちてゆき、いずれその土地は作物が育たなくなる」
というのです。

なぜ、
「作物が育たなくなるのか?」
というと、
ハンズ氏が言うには、
「焼畑により、土中のリンが不足してしまう」
からだと。

「リン」は、前述していますが、
農業肥料の三大要素「窒素・リン酸・カリウム」の1つで、
「花肥」「実肥」とも呼ばれるように、
花を咲かせ、実を実らせるのには、欠くことのできない栄養分で、
焼畑は、その貴重な「リン」を失ってしまうだけでなく、
「土そのもの」も流出してしまうことも問題なのだと。

森林には、地面を強い直射日光から守る「サンシェード」のような役割があり、
森林の覆いがなくなってしまうと、地面は乾きやすくなり、
乾いた土は風に飛ばされやすくなってしまい、
降雨時も、樹木のワンクッションが失われ、雨水は地面を直撃し、
表土が流れやすくなってしまう、というのです。

そのため、ハンズ氏は
「地球上でもっとも持続的で生産性の高い生態系である森に学ぶべき」
と言い、
それらの問題点を解決しようと提唱するのが、
森林の仕組みを再現する
「アレイ・クロッピング(Array cropping)」
という農法で、
番組ではホンジュラスで実践中のようでした。

「アレイ」とは、「列」を意味し、
「マメ科の樹(インガ)を列上に植えておき、その木の間で農作物を育てるという方法」
が効果的な農法だというのです。
私としては、このへんからちょっと違和感が…。

ハンズ氏は、
・マメ科植物が窒素を固定して肥料にするだけでなく、
 樹から落ちた葉もそのまま養分として農作物の成長を促す。
・インガがある程度大きく成長したら、地上に光が届くようにするために
 一定の高さで剪定し、枝を刈り取るため、燃料として薪を確保することもできる。

と、
唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞、
「うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 夢はいまも巡りて 忘れがたきふるさと」
のような、
日本の田舎の里山で行われていたことを想い出させるような理にかなった方法で、
この農法だと、従来のように次々に畑を移動させる必要もなく、
固定した一定の土地を畑として毎年利用できるというメリットが生じる、
というのです。

「同じ場所で焼畑を繰り返すからリンが不足する」
ことは正論でしょうが、
「畑を焼かなくとも同じ農産物ばかり作れば、連作で有効成分は微減する」
こともいえるはずです。

要するに
「アレイ・クロッピング農法はアグロフォレストリー(森林栽培)の手法の一つ」
というだけで、
この農法より中南米の中小零細規模で行われているアグロフォレストリーの方が
私としては参考にしたいと思います。
第一「インガ」というマメ科植物が
ホンジュラスでは元気に生育するかもしれませんが、
沖縄のやんばるに向くのかどうか、
苗木の入手方法だって判りません。

沖縄にもマメ科植物は
・デイゴ
・ホウオウボク
・カエンボク
・センナ
・ソウシジュ
・ハギ
・ツル植物のカズラ系

など多くあり、
コーヒー山に自生している在来系マメ科植物を中心に
アレロパシーを考慮して植えればいいので、
「インガが世界を救う」
わけではないと思います。
その土地にあったやり方をすればいいのです。

コーヒー山はやんばるの中心あたりだし、
村有林や国有林だって近くにあるので、
まさかコーヒー山の中でたき火をするわけにはいきませんから、
我が家のバナナ園前で焼いた草木灰をコーヒー山に持ってきて撒く、
という方法を行っています。

前述のハンズ氏の焼畑研究からすると、
意地悪爺さんは、
「同じ場所で毎年のように焼畑を続けたことで
 リン酸などが減少し、荒地になってしまった」

ということなのかもしれません。

「スパイラル」
は、意地悪爺さんのような悪循環からすると“負”ですが、
やさしいお爺さんのように、
計画や行い次第では“良”もある、
ということを教える戒めなんですね。


Wikipediaの「花咲か爺」を検索すると、
その「解釈」欄の後半には、
「この話の花を咲かせるモチーフは中世末以降、
 千手観音の信仰を背景として民間に普及した
 「枯れ木に花を」のたとえの形象化であると言われる。」

と記してありますが、
これをもう少し補足すると、
江戸時代初期の「竹斎(ちくさい)物語」という仮名草紙小説に
それが書かれているのです。

この小説の成立が1621年(元和7年)といいますから、
江戸幕府第2代将軍秀忠時代の後期、
・1615年(元和元年)に大坂夏の陣、豊臣氏滅亡、
・1616年(元和2年)に家康が75歳で死去、
・1618年(元和4年)家光乳母のお福(=春日局)が大奥法度(はっと)を定める
・1623年(寛永元年)家光が第3代将軍になる

だいたいそのあたりの頃です。

江戸時代後期に、
十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の作で、有名な
「東海道中膝栗毛」
という滑稽本が大ベストセラーになりました。
ひょうきんな弥次郎兵衛と喜多八が、
江戸品川を振り出しに東海道を下り、伊勢参りをすませて、
京都大阪を見物するという道中もので、
弥次喜多珍道中としても知られていますが、
この初刷りが、
「1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて」
といわれていますから、
「竹斎(ちくさい)物語」
は、
東海道中膝栗毛から180年以上前の滑稽文学になるのです。
十返舎一九も、「竹斎物語」から
かなり刺激を受けていると判ります。

「竹斎物語」の著者は、
伊勢松坂生まれの医師・富山道冶(とみやま どうや)、
私は三重県出身ですが聞いたことがない名前です。
藪(やぶ)医師竹斎(ちくさい)を主人公にした諸国遍歴の物語です。
仮名草子2巻2冊で、
主人公のやぶくすし竹斎(ちくさい)が都で食い詰め,
睨(にら)み之介という下僕をつれて
東海道を京から名古屋を経て江戸に下る道中の名所旧跡の見聞や失敗談を、
狂歌などを交えて滑稽に描いていて、
現代の腕の悪い医者を指す、
「ヤブ医者」
の起源でもあるそうです。

この小説は、
天下泰平にして、峰の松も平かに、
徳川松平の御代も慶び長き、慶長の頃、
世の中は平和にして治まりぬ。
その頃、山城の国にヤブ医者の竹斎という一風変わった瘦せ法師がおった。
貧に窮す故、何事も心に叶わず、
自然と自堕落な身形となり医者の十徳もヨレヨレに汚れ
病家からのお呼びも儘ならず。
「げにや家、貧にしては親知乏しく賤しき身には人も疎ましいものにやあらん」
と、芦刈の謡曲にも謠(うた)えり。
然る様にては都に住めども益もなし。
論語の教えにもあるように、賢きより賢からんとするには色を変えよ、とある。
繁盛する医者の上をゆくにはその方法を変えねばなるまい。
ここは一番、都を打ち捨てて田舎へ下ろうと思い立つ。
さても、恨の介ならぬ、睨の介なる用心棒を呼び寄せて、
汝も承知の様に我は天下一の藪医者を任ずるも、
なにせ病者も寄りつかぬ故、この上は諸国をめぐり歩いて
心の赴くままに住まいしようぞ、との存念なるが、
そなたの存念は如何に?と問わば、げにも仰せの通り、
かかる憂き都を捨て、田舎へ下り、心の赴くままの所で暮らすべきなり。
この睨の介もいづくまでも、御供いたしましょうぞ、と申されけり。

と、始まります。

この物語の後編2巻目の始めのあたりに、
千手観音の記述が出てきます。

睨みの介の申しける、田舎へ下るつもりなら、
ぐずぐずしても何かせん、急ぎ御下り召されよと、
三條大橋打ち渡り、良き病者の粟(会わ)田口、
病を問へば関(咳)寺の小町鐘突く、
つくつくと寝られぬ程に後より、
医者を大津の浦に来て病者の色を三井(見い)寺の左の脈は比叡(ひえ)の山、
伝教大師の御歌を思い出してやかくばかり。

あぬくたらさんみゃくぼだいの病者達、
我が行先に冥加をばあらせ給へと手をとりて、
みぎり(右)の脈はかすかにて、
如何にも堅き石山の寺の本尊千の手の千手観音尊しや、
誓いを聞くも有難く、枯れ木に花と聞くにつけ、療治の甲斐もありたれば、

何とし、信楽壺の中、ねりねり薬取りいだし、
飲めば心も潔く(いさぎよく)、命も長き瀬田の橋、病も泡と消えゆかん。

粟津が原を打ち渡り、睨みの介と竹斎は主従二騎にて過ぎ行けば、
今井の四郎兼平に少し姿は鳰(似お)の海、
舟は数々浮かべども御足無ければ乗せもせず、
海原遠く出船の漕がれて物を思はする、
余りの事の悲しさに睨みの介は一首とぞ、詠じけりとて哀れなり、
   弓張の月の入るより川岸を早く離るる矢橋舟かな
あたりの舟子、これを聞き、
優しの人の云いごとや、御足無くとも乗り召されよとて、
返し歌
   津の国の難波入江の舟ならば御足無くとも只乗はせめ
誠に歌さへ鄙びたり、舟人こぞりて泣きにけり、


と書かれているように、この時代では、
「千手観音の徳度は枯れ木にも花を咲かせるほど」
と言い伝えられていたようです。

それで、花咲爺では
「枯れ木に花を咲かせましょう」
と。
童話でも、調べるとなかなか奥が深いです。

海竜祭の夜.JPG
 諸星大二郎氏の「妖怪ハンター」シリーズの「海竜祭の夜」にも
 「花咲爺論 序説」があることを知り、本を知人から借りました。
 諸星氏は考古学や歴史学の史料まで使い、
 豊富な知識に支えられた奇抜な発想をするSF・伝奇漫画家です。
 私の子供時代の週間少女フレンドの、
 楳図かずお「ヘビ女」、望月あきら「サインはV」、手塚治虫「リボンの騎士」、
 少年画報の「まぼろし探偵」、「さるとび佐助」、「赤胴鈴之助」、「黄金バット」…、
 そういった昔の少年少女雑誌風の、懐かしい泥臭い絵柄で描かれています。


「妖怪ハンター」の主人公は、稗田(ひえだ)礼二郎という
イケメン考古学者で、妖怪バスターでもあるようです。
古事記の編纂者の一人、稗田阿礼(ひえだのあれ)をもじったネーミングなのでしょう。
「花咲爺論 序説」は以下のような論法です。

「花咲爺」は、もともと焼畑農耕民の間の伝承で、
日本でも焼畑の行われていた縄文中期から、
すでに言い伝えられていている。
灰を撒いて枯れ木に花を咲かすのは、
山林を焼いた灰による生命力の復活であり、
焼畑は何年かの周期で、最初の土地に戻ってきて
また火をいれて畑にする。
欲深い爺さんに殺された犬の墓に生えた木から臼を作ると、
その臼がまた金銀を生むが、
動物から植物の変身、
農具である臼が金銀を生むというのは豊穣を意味している。
動物を殺すことによって、その生命力が植物に転化し豊穣をもたらすのは、
大地に対して、ある種の供養が行われていた古代の儀礼の名残りで、
犬が代用される前は、人間が人身御供(ひとみごくう、神への生贄)であった。


うーん、こじつけが多いように感じて、説得力があるようで無い、
ちょっと違うような気がします。

これなら、前回の最後のあたりに書いた、
民俗学で「花咲じじい」の祖型といわれる、
中国の雲南省東部の、犬を主人公とする民話
「狗耕田(くこうでん)」
の方が、
より花咲爺の物語に近いような気がします。


童話も、子供の頃は誰でも読んだと思いますが、
その後見向きもしなくなり、そのうち関心もなくなり、
「たかが童話」
ですが、
改めて花咲爺を読み直すと、
灰を撒くことが農業的に効果があり、
物語では方や成功、一方では失敗という対比になっていることも、
私のように数えきれないほど失敗を積み重ねてきた立場からすると、
花咲爺は、なかなか考えさせられるところが多く、
「されど童話」
なのです。

亜熱帯の沖縄ですからコーヒー栽培は露地栽培でも可能ですが、
土壌や台風銀座であることも含めた気候環境なども鑑(かんが)みると、
単純に
「苗木を生育させて、やがて開花し、実が出来た、万歳」
というのでは、
「ただ植えただけ、ただ実が出来ただけ」
で、
「品質的に本当に良い実かどうか」
というのは、また別の次元の話になるはずです。
何を、どこをゴールに考えるのか。

そう考えると、コーヒー栽培も
「されどコーヒー」
なのです。


犬と農耕の話も書こうかと思いましたが、
さらに長くなるので、それはまた機会があった時にでも。
posted by COFFEE CHERRY at 12:51| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月15日

台風24号のコーヒー山の被災度

大型で強い台風26号台風は、
沖縄本島には15日(火曜)明け方に最接近し、
以降は北東に向きを変えて
勢力をやや落としながら
時速37kmで東京方面に向かっています。

世界陸上ベルリン大会の男子100m決勝で
優勝したウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)の9.58秒が
現世界記録ですが、
これは時速に換算すると34.488kmですから、
これを超えるということは、
かなり早い速度で進んでいるといえるでしょう。

この台風26号台風の強風域はとても広範囲で、
直径が1400kmもあるといわれています。

東京を起点とすると、直線距離で
・ 稚内  1097km
・ ソウル  1159km
・ 奄美大島 1262km
・ 与論島  1441km
・ 那覇  1556km
ですから、
本州全域が入るほどの大きさなのです。

ヤンバルはそろそろ強風圏を抜けたのかな、
でも朝から風速8〜10mの強風は変わりません。


さて、台風24号台風は先週の10月7日(月曜)午後に
沖縄本島の最北端・辺土(へど)岬と与論島の間の
北緯27度線とよばれる約20kmの狭い海峡を北西に
時速約30kmで通過しました。

ヤンバルは台風台風の中心に近く、
風速40km/h以上の暴風雨が吹き荒れ
国頭村一帯はお決まりの停電になりました。

この台風台風の向きでは、
ヤンバルは北西から入る風になりましたが、
台風は円弧で縦に割ると、右側の風が強く、
左側はやや弱いのです。
そのため不幸中の幸い(与論島以北の方、ご免なさい)で
ヤンバル一帯は、昨年の大型台風で被災した大木が倒壊したくらいの
風台風で済みました。
コーヒー山も同様で、被災はほとんどありませんでした。
以下画像で説明しまよう。

台風24号20131010-1.JPG
 ヤンバル内を南北に走る大国林道。
 所々に倒木が見られます。
 昨年の大型台風でかなりのダメージを受けている木が倒壊しています。


台風24号20131010-2.JPG
 暴風で枝葉があちこちに落下していますが、
 不思議とコーヒーには当たりません。
 画像右下はコーヒーです。


台風24号20131010-3.JPG
 コーヒー苗木ポリポットにも
 頭上から枝が落ちています。
 台風後の作業としては、
 こういう枝葉を取り除くことが多いです。


台風24号20131010-4.JPG
 根元付近に枯れた枝が散乱しています。
 こういう落下枝は放置。


台風24号20131010-5.JPG
 これも根元に落下した枝が散乱していますね。

台風24号20131010-6.JPG
 ひとりでは持ち上げられないほどの大きな枝が落ちていますが、
 不思議にコーヒーに当たりません。


台風24号20131010-7.JPG
 これも根元に落下した枝が散乱しています。
 コーヒーが風でしなることも、折れない要因と思いますが、
 折れずに耐えようとすることで、
 幹が根元を中心に動かされて
 毛根を切られることがあります。
 その対策として、幹を支える支柱を
 今後作成する予定です。


台風24号20131010-8.JPG
 枝葉がほとんど吹き飛ばされていますが、
 この木が植えられている場所は尾根です。
 コーヒー山は東側が高く、西側が低い、
 そういうスロープをイメージしてください。
 山の所有者が東側から入る暴風を防ぐために
 随所でそういう造りがしてあります。
 コーヒー山の東側には、隣の山との間に大きな谷があり
 尾根は東風も西風も強く風が吹きますから
 コーヒーを植える適地ではないのです。
 ここには私が植えたのではなく知人が植えてしまったのです。
 平地の露地植えで防風対策が甘いと、
 コーヒーはこういう感じになってしまうのです。
 この木は新芽が出ていて、今後また少し復活してくるでしょうけど、
 可哀そうですが、また暴風のたびに
 今回同様に枝葉が吹き飛ばされることになるのです。
 コーヒーは適所に植える必要があるのです。


posted by COFFEE CHERRY at 14:48| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 台風の被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月01日

童話から学習するA3−2

今日は
「花咲じじい」
の第2話についてお話しましょう。
当ブログでは、こういった
本来のコーヒー栽培から少し外れた内容が多いので、
嫌いな方はどんどん飛ばして下さい。

「花咲爺」の歌は、
私は幼稚園に行かなかったので(過疎で保育園や幼稚園が無い)
たしか小学校の音楽の授業で習ったと思うのですけど、
歌詞やメロディは今でもよく覚えていますが、
この歌は1901(明治34)年に発表された古い曲で
現在まで歌い継がれてきていたのです。

私が「花咲じじい」のSTORYを3幕に分けたのは、
「幼年唱歌(初の下)」に発表された、この
「花咲爺」
の歌詞から、単純に3つに分けただけなのです。



花咲爺
作詞・石原和三郎  作曲・田村虎蔵

  うらのはたけで、ポチがなく、
  しょうじきじいさん、ほったれば、
  おおばん、こばんが、
       ザクザクザクザク。

  いじわるじいさん、ポチかりて、
  うらのはたけを、ほったれば、
  かわらや、せとかけ
       ガラガラガラガラ。

  しょうじきじいさん、うすほって、
  それで、もちを ついたれば、
  またぞろこばんが、
  ザクザクザクザク。

  いじわるじいさん、うすかりて、
  それで、もちを ついたれば、
  またぞろかいがら、
       ガラガラガラガラ。

  しょうじきじいさん、はいまけば、
  はなは、さいた かれえだに、
  ほうびはたくさん、
       おくらにいっぱい。
六、
  いじわるじいさん、はいまけば、
  とのさまの、めに それがいり、
  とうとうろうやに、
       つながれました。

この「花咲爺」の六番までの歌詞で、
一番と二番、三番と四番、五番と六番が
それぞれ正直じいさんと意地悪じいさんの対比になっていますよね。

「幼年唱歌」の「唱歌」というのは、
明治初期から第2次大戦終了時まで、
文部省が編纂した
旧制学校(尋常小学校、高等小学校、国民学校)教育用に作られた歌で、
「幼年唱歌」というのは、
幼稚園向けの童謡という意味のようです。

「花咲爺」は1901(明治34)年、
「幼年唱歌(初編 下巻)」に発表されましたが、
同年には「幼年唱歌(二編 上巻)」には
「うさぎとかめ」「おおやま」、
(二編 下巻)には「牛若丸」が、
この前年の明治33年には
(初編 上巻)に「きんたろう」「ヒライタヒライタ」、
(初編 中巻)に「さるかに」「うらしまたろう」、
明治35年には
(四編 下巻)に「二宮尊徳」が発表されています。

中米品種2年苗木20130930.JPG
 山城先生の2品種が沖縄では広く栽培されていますが、
 画像の中米品種は、これでタネ植えから2年弱と
 山城先生の2品種より1年は成長が早いのです。
 画像の大きさは、もう充分に定植出来る大きさですから、
 「この品種は沖縄では2年で定植出来る」
 ということです。


この明治34年は、
1894年(明治27年)から1895年(明治28年)にかけて行われた日清戦争で
大日本帝国が勝利し、
日露戦争は1904年(明治37年)2月から始まる間の
軍国主義の真っただ中という時期でした。

また、沖縄県からの集団移民では
「沖縄移民の父」と称される金武村出身の當山久三の尽力で
1899 年(明治29年)、30名が那覇港を出帆し、
鹿児島・神戸で横浜に渡り(横浜で3人が検査不合格で下船)、
同年12月30日、チャイナ号(外国船・5,900総トン)で27人が横浜港を出航、
翌年1月8日にオアフ島のホノルル港に到着し、
26人が上陸を許可されました。
(上陸不許可1名の理由は不明)

當山久三は「沖縄の偉人」にも必ず登場します。
彼は、金武の尋常小学校で教師をした後、
上京して移民問題に関心を持ち、
民権運動で活躍する謝花(じゃはな)昇
(県費留学生として学習院、東京山林学校で学ぶ、沖縄の偉人の一人)
とともに政治結社をたちあげるなどして帰郷します。
その後、沖縄の現状を目の当りにし、
移民問題に積極的に取り組み、
当時の県知事・奈良原繁
(薩摩藩出身で生麦事件でリチャードソンに斬りつけたといわれている人、
 知事在任中は行政や商権を鹿児島出身者で固め、
 人頭税などの旧慣温存策の姿勢を緩めず県民は重税と貧困にあえいでいた)
と交渉し、
このハワイへの移民団が実現されたのです。

沖縄県からハワイへの第2回移民は、
その3年余後の1903年(明治36年)に農業自由移民として
40人(県統計上は45人)が送り出され、
この時も當山久三が引率しています。
この時の彼は
「いざ行かむ 我らの家は五大州 誠一つの金武 世界石」
と詠んでいます。

1904年(明治37)になると、ハワイへの移民は増加(262人)し、
また、メキシコとフィリピンへの移民も開始され、
翌1905年(明治38年)には仏領ニューカレドニア島、
(ハワイ移民1,233人)
1906年(明治39年)にはペルー移民、
(ハワイ移民は4,467人、翌年は2,525人)
1908年(明治41年)にはブラジル移民も開始されました。
(タイタニック号が北大西洋上で沈没したのは1912年)

その後、沖縄県から世界各国への移民が継続し、
とくに大正時代から昭和10年代までに大部分が送り出されました。
沖縄県は1960年代まで、移民が常態的に行われています。

沖縄から移民を送り出した背景としては、
1868年の明治維新にともない、それまでの薩摩藩の植民地から
1879年(明治12年)の「琉球処分」で沖縄県が設置されたものの、
琉球王朝時代の古い制度がそのまま残る「旧慣温存政策」が続けられ、
沖縄の近代化は立ち遅れ、農村は重税と貧困にあえいでいる中、
日清戦争後の全国的なインフレや台風などによる影響から飢饉がおこっていたこと。
また第二次世界大戦前までは、
近代的な産業の発達していない、経済的基盤が弱い
将来が暗い沖縄に見切りをつけ、
辛くとも新天地で出直そうと出稼ぎの覚悟を決めたり、
戦後は米軍統治による土地接収などにより生活基盤が破壊されたことなどが
移民への決意の大きな要因なのです。

また、琉球王朝時代からの地割制度の崩壊により土地が私有化され、
農民が土地から解放され、土地を売却あるいは抵当にして、
海外渡航費の捻出が可能になったことや
移民斡旋、や移民指導者の存在、
1898年(明治31年)に沖縄で一般化された徴兵令から
出稼ぎ移民に行くことで徴兵を免れる徴兵忌避、
あるいは渡航先に親族縁者や同胞が居るという安心感も、
移民への要因だったはずです。

また、NHK大河ドラマの新島八重が、
明治30年頃にどうなっていたかというと、
1874年(明治7年)の第2回京都博覧会で、
(前年の第1回で初めて外国人の入京が認められたが、この時はローマ字活字が無かった)
八重が英訳(組版と校正を担当)した英文の京都名所案内が刊行されました。
兄・覚馬を頼って山形県米沢から上京したのが1871年(明治4年)ですから、
その英語力の上達も驚かされます。
1890年(明治23年)1月には新島 襄は病気のため46歳で急逝(八重45歳)、
襄の死後、八重は、襄の門人たちと性格的にそりが合わず、
同志社とは次第に疎遠になります。

襄の死から3か月後には、
八重は日本赤十字社の正社員となり、
1894年(明治27年)から始まった日清戦争では、
広島の陸軍予備病院で4ヵ月間篤志看護婦として従軍し、
40人の看護婦の取締役として、怪我人の看護だけでなく、
看護婦の地位の向上にも努め、その時の功績が認められ、
勲七等宝冠章が授与されています。
皇族以外の女性としては初めて政府より叙勲を受けた
栄誉ある受勲といえましょう。
さらに1904年(明治37年)の日露戦争では、
大阪の陸軍予備病院で2ヶ月間篤志看護婦として従軍し、
その功績で勲六等宝冠章も授与されています。

また、京都府河原町の
新英学校及女紅場(にょこうば、日本で二番目の女学校)で
八重が長井機織教導試補時代に知りあった
当時の茶道教授・13代千宗室(円能斎)の母とのコネで
1894年(明治27年)入門し、
円能斎直門の茶道家として茶道教授の資格を取得、
茶名「新島宗竹」を授かり、京都に女性向けの茶道教室を開き、
裏千家流を広めることに貢献しています。
また女紅場時代の教授には華道家元池坊の当時の家元だった42世池坊専正もいて、
1896年(明治29年)に、専正から「池坊入門」の免状が交付されていることから、
華道の心得も習得していたのです。
会津の誇りや気骨を失わず、洋式砲術を学び、英語も学び、
教育者であり、看護婦で茶道・華道も修め、
八重は本当にタフでパワフルな女性でした。
弱きを挫(くじ)き強きに媚びる、
目立ちたがり屋でパフォーマンス能力だけが優れる
有害な現首相とは比べ物になりません。

そういう情勢下の1901(明治34)年に唱歌「花咲爺」が発表されたのです。

中米品種今春タネ植えした苗木20130930.JPG
 これも中米品種ですが、今春タネ植えした苗木です。
 プランターで発芽させ、先月黒ポリポットに分けました。
 これも従来の沖縄栽培品種より半年以上成長が早いです。
 やはり沖縄の気候環境や土壌への適・不適品種があるということです。
 こういう栽培比較テストの重要性を認識しているのは
 私の知る限り、残念なことですが私以外にはわずか一人だけなのです。



前置きや脱線が多くて、とても読みにくいと思いますが、
毎度毎度申し訳ありません。
さて、今日のテーマ、
「花咲じじい」
の第2幕に移りましょう。
前述の唱歌「花咲爺」の歌詞、三番と四番になります。

家族同然の愛犬を殺されたのに、
「心やさしいお爺さんが淡々と遺体を引き取り、裏庭に埋めるのが不自然」
と思う私は、
まだまだ人間が出来ていない、というのか、
徳が足らないというのか、
まだまだ精進が足りないからでしょう。

私は、この第2幕では、
裏庭に埋められた愛犬の亡骸は、
地中でバクテリアやきのこなどの菌類やミミズなど分解者の働きにより、
最終的には無機物までに分解され、
心やさしいお爺さんが植えた苗木の養分として吸収され、
る物質循環として
木がスクスクと元気に生長する、という
生態系における物質循環や適性施肥の有効性を説いているのだと思います。

臼からザクザクと出てくる宝物は、樹木の様々な恵み、
単に木の実や果実といった天からのご褒美という意味だけではなく、
木材や薪炭、落ち葉(=腐葉土)、
二酸化炭素吸収と酸素供給、
木陰の癒し、風よけなども意味しているように思います。

一方、意地悪爺さんは、というと
またしてもガラクタばかりがザクザクと出てきました。
目先の利得に惑わされ、
肥料過多による肥料焼けなどの悪影響や、
土づくり作業の粗放化による地力低下、
あるいは、手当たり次第に木を切り倒したことで
地面を押さえていた根が枯れ、大雨などで裏山が崩壊、
土砂に襲われるという場面も連想されます。

意地悪爺さんは自らの悪行を省みず、
怒って臼を燃してしまいます。
怪盗ルパンと星一徹を足して2で割ったような
悪辣(あくらつ)ぶりで
こんな人と隣り合わせに住みたくないですね。

花咲爺20131001.JPG
 名護市立図書館で借りた「日本の昔ばなし(U)」。
 花咲爺を含めて全70の昔話が載っています。
 それぞれに言い伝えや伝承民話があったと思うと
 民俗学もなかなか興味深いですね。


「花咲じじい」
のSTORYが確定したのは江戸時代で、
もともとはどういったところから伝承されてきたのか、という学説は、
明治時代の民俗学者・柳田國男説が研究し、
これが基本になっていたようです。

柳田説は、
一寸法師や座敷童などのように
背の低い神や人を「小さ子(ちいさご)」と呼び、
何らかのかたちで福をもたらすとする小さ子信仰が
日本の神話や伝説にあり、
また、灰をまいて雁を取る「雁取り爺」は東北で「犬コムカシ」と呼ばれ、
「川上から流れてきた木の根っこから生まれた犬が狩猟で獲物をもたらす」
という異常誕生の「小さ子」のモチーフを有し、
「花咲じじい」の祖型である、
というのが定説化したようですが、
昭和60年頃に、
当時学習院大学の国文学教授の吉田敦彦・古川のり子らは、
花咲爺伝承について
「ハイヌヴェレ型神話である記紀の
 オオゲツヒメ殺し・ウケモチノカミ殺し神話と同系列の神話」
という新説を発表しました。
ハイヌウェレ型神話とは、聞きなれない言い方ですが、
世界各地に見られる食物起源神話の型式の一つで、
「殺された神の死体から作物が生まれた」
という神話で、
「オオゲツヒメ殺し」
というのは、
横溝正史氏や松本清張氏などの推理サスペンス小説の題名ではなく、
古事記や日本書紀に出てくる神話です。

スサノオは高天原で悪さをして、
「天の岩戸」事件の騒動を起こしたために高天原を追放され、
髭を剃り、爪を切られたとされています。
かくしてスサノオは高天原を追放されますが、
そのスサノオは食事の神であるオオゲツヒメの元へ立ち寄り、食事を要求します。
オオゲツヒメは鼻、口、肛門から様々な食べ物を取り出せるという
まか不思議な能力を持っていて、
それらを綺麗に盛り付けてスサノオの馳走にしようとしました。
スサノオは覗き見でこれを目撃してしまいます。
スサノオは、
「カラダの中から出した汚物を食べさせる気か」
と激怒し、スサノオはオオゲツヒメを斬り殺してしまうのです。
すると、オオゲツヒメの頭からは蚕が、目からは稲が、
耳からは粟が、鼻から小豆が、
陰部からは麦が、肛門からは大豆が発生した、

というのです。

これが
「オオゲツヒメ殺し」
で、吉田・古川説では、
すでに縄文時代に存在していた、
死体から植物が生まれるハイヌヴェレ型神話が
古事記と日本書紀の体系神話に取り入れられ、
その後幾多の時代的変容を遂げながら「花咲じじい」が成立した、
という新しい学説でしたが、
民俗学者の多くは、
「日本国内のこととしては無理が多く、中国の華南においてこそ適当だ」
という認識を持たれているようです。

日本古代史「神話・前節」の最前線20131001.JPG
 名護市立図書館で借りた「日本古代史 神話・伝説の最前線」
 この図書館は蔵書数が少ないので、
 どんどんリクエストすることにしています。
 「一人3冊くらいまでなんですけどねえ」
 と時々言われても気にならなくなりました。


最近の民俗学者の主流は、
古来、犬祖神話や犬と農耕に関わる信仰や習俗の行われてきた
中国の雲南省東部の雲貴(うんき)高原およびその周縁地域に、
犬を主人公とする狗耕田・兄弟分家型説話が特に多く分布しており、
その型の説話が「花咲じじい」の祖型である。
これらは農耕起源神話の系統をひく説話で、
基本的には狗耕田(くこうでん)・兄弟分家説が我が国に伝流し、
隣の爺型パターンをとる花咲じじいとして国内に流布したとみるべきだ、
という考え方が定説になっているようです。

「花咲じじい」の原型といわれる中国の民話「狗耕田(くこうでん)」は、
中国で犬は「狗(く)」なので、
タイトルからすると、
「犬が田を耕す」
という意味ですが、
その内容は、簡略すると以下の通りで
筋書きは兄弟の葛藤になっています。

あるところに兄弟がいました。
父親が死んで遺産を分配することになりました。
強欲な兄は財産のほとんどを奪い、
弟には、一匹の犬と僅かな荒れ地だけが残りました。

弟が引き継いだ犬は、
たいそう働き者(犬)で鋤(すき)を曳いて牛馬のように田を耕し、
そのおかげで弟は食うに困らない富を得ることができました。

それを見ていた兄は、弟から犬を借りて、田んぼを耕さそうとしますが、
犬は働きません。
兄は収穫することができず、税金を取られて財産を(わずかに)失います。
怒った兄は犬を縛り、棒で叩き殺してしまいます。
なかなか帰ってこない犬を探しにきた弟は、
無残に棄てられた犬の死骸を発見して涙を流します。

弟は、その死骸を丁重に葬ってあげたところ、そこから竹が生えました。
弟がその竹を揺すると、金塊・銀塊が雨のように降ってきました。
それを見ていた兄が真似ると、糞尿や、土塊、瓦片が降り、
兄はひどい目に遭ってしまいます。
兄は怒って竹を切り倒してしまいます。

弟は悲観にくれますが、切り倒された竹で弟は籠を作りました。
弟が籠を置いて呪文を唱えると、
獲物(雁などの鳥の卵、魚)が沢山獲れるようになりました。
それを見ていた兄は、また真似をしますが、
呪文がいい加減だったり、間違えた呪文だったため、
採れるのは雁の糞、毒蛇などでした。

怒って兄は、籠を薪にしたため、焼かれて灰になります。
悲しんだ弟は、その灰を畑にまくと、
作物は人の10倍取れるようになり、一生生活に困らない富貴を得ますが、
四度それを真似て、畑に灰をまいた兄は、
どんなに耕しても人の1割しか作物が採れず、
とうとう父親の財産がなくなってしまいました。


この狗耕田(くこうでん)は兄弟、
花咲じじいでは隣の爺型パターンでの対比が描かれていますが、
共に仏教の教え、
「物事の成立には必ず原因と結果がある」
という因果論を根本にしたSTORYです。

悪い結果にも良い結果にも、
そこに必ずそうなるべき原因が先に存在しているというのです。

仏教では、
悪い結果が嫌ならば、悪を生みそうな原因を作らないことが大切で、
この世には偶然という現象は一切無くて、
すべてが原因から起こる必然が起こり、流れて行くのが
この世だというのです。

生命の行為・行動(体、言葉、心でなす三つの行為)には
その結果である果報が生じるとする業論があり、
果報の内容如何により、人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果)、
人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧めています。

「善因善果」
とは、
よい行いをしていれば、いずれよい結果に報いられるということで、
「悪因悪果」
とは、
悪因は悪い結果をまねく原因、
悪果は悪い報いや結果ですから、
人の行いの善悪に応じて、その報いが現れる因果応報の悪い方が
悪因悪果なのです。

老子の第五十章「天寿を全うするには」の後半には
仏教の因果論の本質を、
「人間の人生・幸・不幸に違いが生じ、運命が分かれるのは、
 その人間の物事への執着具合による」

と表現されています。

「花咲じじい」
は、
単なる童話にとどまらず、
なかなか奥が深く考えさせられます。

次回は最終回の第3幕ですね。

イボイモリ20130930-1.JPG
 昨日コーヒー山で出会ったイボイモリ。
 咬まれる怖さよりも触りたくない感じです。
 彼は沖縄を中心とした南西諸島の湿度の高い森林に生息していて、
 環境省レッドリスト絶滅危惧II類、
 および沖縄県と鹿児島県の天然記念物に指定されています。
 冬にドングリの実を付けるスダジイの根元の地面の穴に居たのを発見しました。
 もちろん撮影後は元の場所に戻しましたよ。
 肉食系で、ミミズや陸棲の巻貝、小昆虫などを食べるようです。


イボイモリ20130930-2.JPG
 イボイモリは正面から見ると可愛く、
 サンショウウオのような感じでしょうか。
 コーヒー山での絶滅危惧種での出会える頻度ランキングとしては、
 (県の天然記念物)オキナワキノボリトカゲと(国の天然記念物)アカヒゲは毎回、
 (国の特別天然記念物)ノグチゲラは、
 往路復路も合わせると年20回前後、
 (国)リュウキュウヤマガメは自宅付近も含めると年5〜10回、
 (国)ケナガネズミは2年前に死骸を見ただけ、
 (国)ヤンバルクイナは自宅の庭の水槽に毎日水浴びをしに来るくらいで
 自宅付近では見ない日はありませんが、
 コーヒー山では鳴き声はするものの姿を見たことは皆無、
 (国)ヤンバルテナガコガネは夜行性で枯れた大木の穴に生息しているらしく、
 密猟者っぽいのは夕方見かけますが、ヤンバルテナガコガネ自体には
 まだ出会ったことはありません。
 また、(県)コノハチョウは飛来しているのは年に10回程度は見かけますが、
 停まって翅を閉じた姿は枯れ葉とそっくりになるので、
 見逃しているのだと思いますが、撮影はゼロです。

posted by COFFEE CHERRY at 23:01| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月18日

童話から学習するA3−1

本土が酷暑やゲリラ豪雨、竜巻、突風といった異常気象に襲われ、
一昨日は台風18号が愛知県から宮城県を縦断し、
あちこちに多くの爪跡を残しました。
沖縄は梅雨明け以降、少雨というより
雨不足の日々が続いていました。

それでも、東シナ海を北東方面に進んだ台風17号(9月3、4日)の影響など
ようやく待望の雨が降るようになり、
草木もひと息つけるようになりました。


さて、「花咲じじい」の話が2カ月も過ぎてしまい、
あの時に考えていたことがうまく書ければいいのですけど…。
長くなりますから、興味のない方は飛ばして下さい。

「花咲じじい」の童話は
日本五大童話の中に君臨する、
あまりにも有名なSTORYですから、
あらすじはカットしますが、
この物語は日本人が大好きな、
典型的な勧善懲悪的なお話なのです。

遠山の金さんが、北町奉行の遠山金四郎景元として
奉行所のお白州で
「証拠を出せ」
「金さんを連れて来い」
と騒ぐ悪党に奉行が桜吹雪を見せつけて
悪党たちがついに観念し
ぬれぎぬの善良な人が救われて事件が無事解決、
めでたしめでたしとなるのは
典型的な勧善懲悪のお話です。

今、流行りのドラマ「半沢直樹」の
「やったらやり返す!10倍返しだ!」
も同様だし、
水戸黄門や暴れん坊将軍、大岡越前、鬼平犯科帳、必殺仕事人、
素浪人月影兵庫、江戸を斬る、破れ傘刀舟、
銭形平次、三匹の侍、子連れ狼、半七捕物帖、
桃太郎侍、八丁堀の七人…、
時代劇ドラマにはそれぞれにお約束な展開とお決まりのセリフがある、
観ていて安心の勧善懲悪ドラマですよね。

映画では忠臣蔵や座頭市だってそうだし、
海外でもロビンフッドやウィリアム・テル、
子供向けのウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊や
アニメのアンパンマンや宇宙戦艦ヤマト、ポパイ、鉄人28号だってそうだし、
私が子供の頃にテレビで観た月光仮面やまぼろし探偵、少年ジェット、
ナショナルキッド、七色仮面、赤胴鈴之介、怪傑ハリマオ…、
相棒や科捜研の女、浅見光彦シリーズ…、
こういうのも全部勧善懲悪のお話なのです。

こういった、善良な人や善良な行いが奨励されて、
悪者や悪い行いは懲らしめられる勧善懲悪は、
「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典や
孔子以降の儒教思想、南宋以降の新儒教・朱子学、
仏教の因果応報思想が基になっていて、
こういった思想が主に朝鮮半島を経由してきたこともあり、
韓国ドラマのトンイやチャングム、チュモンなどの韓流時代劇も
勧善懲悪のSTORYになっているわけです。

こういった日本人が大好きな勧善懲悪ドラマですが、
観終わった時はスッキリするものの、
その後時間の経過とともに、
何となくスッキリ感が低減してしまうものです。
(私だけかも)

とにかくあまりにも完全無欠な美学すぎて
理想を追求する純潔な美学というのか、
「現実との違い」
が心のどこかで増殖してきてしまうのです(私は)。

そのため、ドラマを観るにしても、
ただ観るのではなくて、展開やセリフなど、
「なるほどな」
と思うところは私なりに取り入れるように
ドラマから学習するように心がけているのです。

そのため、童話を見ても
「こういうことを伝えたいんじゃないかな?」
と、つい深読みしがちになり、
難解な「星の王子さま」は読むたびに理解度が増し、
「花咲じじい」では、読むごとに
「これは農業的にかなり奥が深い話なんだな」
と、読むごとに新たな発見が次々に出てくるのです。


前置きが長くなりましたが、
「花咲じじい」のSTORYは展開は
3話のドラマ仕立てになっていると思います。

心やさしい老夫婦が我が子同然に大事に育てた白い犬が、
あるとき畑で「ここ掘れワンワン」と鳴き出し、
お爺さんがそこを掘ると、大判小判がザクザクと出てきて、
老夫婦は喜んで、近所にも振る舞い物をして
意地悪で欲深い隣家の老夫婦がこれをねたみます。
悪辣(あくらつ)な隣家の老夫婦は、
無理やり心やさしい爺さん宅の愛犬を連れ去り、
財宝を探させようと虐待します。
しかし犬が指し示した場所から出てきたのは、
期待はずれのガラクタ(ゲテモノ・妖怪・欠けた瀬戸物)でした。
怒り狂った隣人夫婦は犬を鍬で殴り殺し、
飼い主夫婦にも悪態をつきました。

ここまでを最初の第1話としました。
今日も長くなりそうなので、その第1話についてお話しましょう。
(次回は第2話を)

「我が家の庭や畑、コーヒー山でも
 何でも鑑定団で数百万円も評価されるような
 琉球王朝時代のお宝が出てこないかな?」

「我が家の犬も『ここ掘れワンワン』と鳴けばいいのに、
 探査能力がないのかな?」

と思ったところでしょうがないのですが、
それはともかく、
お爺さんがどんなところを掘ったのかを考えてみましょう。

「裏の畑」
想像すると、
おそらく栗拾いやタケノコが取れ、晩秋には落ち葉が積り、
薪(たきぎ)が拾えるような里山があり、
また近くには清い小川も流れ、
蝶や小鳥が飛び交う陽当たりの良い
エデンの園をイメージするような肥沃な土地だったはずです。

ということは、
掘り出した宝物とは
「農作物」
のことで、
畑を農耕に適した平坦地とすると、
「掘る」
とは
「耕す」
ことになりそうです。

心やさしい老夫婦は、
肥沃な土地で丹精込めて農業をして生活をしていたのです。
(あくまで私の個人的な見解です、念のため)

また少し脱線しますが、
韓流ドラマの「名家の娘ソヒ」」(原題「土地」)の43話(全52話)では
興味深いセリフがありました。

「名家の娘ソヒ」は、
『風と共に去りぬ』の韓国バージョンといった風で、
「いつどんな時代にも変わることのない人間の飽くなき欲望と愚かさ、
 それを克服する強さと賢さ、そして優しさ」
をコンセプトに描いていたように思いました。

STORYは、大地主の孫娘のソヒが、
叔父が騙し取った先祖代々の土地を苦労して奪い返すのですが、
時代背景が大正〜昭和20年までのために、
日本の侵略、占領、掠奪、抑制、祖国の誇りとレジスタンス運動、
また、
「下男や下女が人間らしく生きていこうとするのが罪なのか、自由を夢見るのは悪なのか」
といった白丁(ペクチョン)という身分制度や人種差別も描かれていて、
実は私は後半の10回くらいしか観なかったのですが、重厚な内容でした。
(朝鮮を侵略した日本は「悪」と、徹底的に描かれています)

その最終回(52話)「土地は命」では
主人公のソヒは、
命より大事な先祖代々の広大な土地の献上を
日本人の警察署長から強要されるのですが、
「その土地を、欲や名誉、ましてや権威や権力のために欲しようとするから、
 争いごとが絶えないのだ。
 地主を殺して財を奪っても、土地を占領して国を奪ったとしても、
 その原因は、人間の土地への欲望なのだ。」

と悟り、
ソヒは、すべての土地を小作に与えてしまうのです。

興味深いセリフがあったのは、
私が初めてこのドラマを観た、たしか43話(44話かも)でした。
テレビの電源を入れたら、たまたまこのドラマが映っていたのです。
そのセリフを聞いて、その後も観るようになりました。

故郷の平沙里(ピョンサリ、釜山と光州の中間くらいの韓国南部)で
故郷の小作のヨンの臨終場面で、
ヨンが主人公のソヒに、こう言うのです。
「土地自体に“欲”はない。
 天の意思に従って、人間の植えたタネを育み、その実りを与えてくれるだけ」

と。

「土地はほどこした分だけ、恵みとして返して(与えて)くれる」
というのです。

このセリフで
「丹精を込める」
という気持ちを思い出したのです。

「丹精込めて作られた農産物は美味しい」
というのは、
生産農家が、どんな気持ちで苗を植えたのか、
どんな気持ちで天候と向かい合い、
どんな想いで農産物を育ててきたのか、
そういったことが漠然と頭に浮かび、
「農家の真心がこもった生産物だからこそ、
 ありがたく美味しく頂きたい」

だから美味しい、ということもあるでしょうし、
丹精込める気持ちが植物にも通じていることも
有り得るのかもしれません。
草木や犬、猫など人間と同じ生き物ですから。

コーヒー栽培であれば、コーヒーの木の性質を知り、
その木を居心地の良い環境に植え、
コーヒーがストレスを感じない土壌になるように
成長を想い、元気に育む環境を整え、
あくまで主役はコーヒー、人は世話役として
お世話をしてあげる必要があります。

「言うは易く、行うは難し」
の通り、
沖縄でのコーヒー栽培は、
夏季の台風シーズンで
強風により枝葉が揺らされ、こすれて
開花後の緑豆が大量に落下したり、
あるいは倒壊されたり、
といった、他のコーヒー生産地には見られない弊害がある地域ですが、
台風が来ても堪えられる圃場づくり、
かといって、決して過保護にならないように、
常に
「原産地ではこういう環境だったんじゃないのかな?」
ということをイメージしながら、慈愛を持って接すること。

フクギの実20130910.JPG
 名護市内で拾ったフクギの実。
 この量でだいたい30〜40分で拾えます。
 フクギは沖縄の防風林としては最強です。
 ですが生育にとても時間がかかるのです。
 1972年の復帰以降、道路や建物などインフラが最重要視されてきましたが、
 台風銀座の沖縄は、フクギ並木を県内のあちこちに
 造っておけば良かったのに、と思います。
 私はもうすぐ還暦なので「今からフクギの防風林造り」なんて言うと
 周りからバカげていると呆れられますが、
(フクギはタネ植えからだと10年でも大人の背丈まで生長しません)
 樹高10mに達する成木は、私が見れなくとも
 孫子の代で完成すればいいのです。
 フクギの発芽率は悪いのですが、石垣島の仲野さんから
 発芽を良くするノウハウを教えていただきました。



また、不撓不屈(ふとうふくつ)の精神は、
沖縄でのコーヒー栽培には不可欠ですが、
山城武徳先生没後に、タケノコのように新規参入される方々の多くは
「コーヒー栽培は5年で出来る、いや3年で可能かも」
などと勝手に思い込み、
品種選定もせず防風対策も甘く考えたり、
また思わぬ失敗をすると
「沖縄ではコーヒー栽培はムリ」
と、早々と撤退したり、
あるいは、海外産と混ぜるという禁忌を犯すようになってしまうのです。
(「海外産と混ぜてはいけない」というのではありません。
  ブレンドするかしないかは生産者の理念によるものですから。
  海外産とのブレンドなのに沖縄産と詐称せず、
  正々堂々とブレンドだと公表すればいいのです)

台風で思わぬ被災をしても、
それであきらめるのではなく、
被災は自身に原因があるのですから
「どこに問題があったのか」
「どうすれば良かったのか」
を自省、猛省して、
次の対策を講じる必要があるのです。

「不撓不屈(ふとうふくつ)で挑む」
のと
「不撓不屈(ふとうふくつ)の気持ちで挑む」
のとは、似ているようで違います。

自分の手で丹精込めてお世話をして
慈愛を持って木々と暮らす。
そんな「ターシャの庭」的な生活が
私はとても気に入って満足しています。

ターシャの庭.JPG
 5年前に93歳で亡くなられたアメリカの絵本画家ターシャ・テューダーが
 土地の開墾から完成まで数十年かけて、丁寧に丹精込めて庭づくりをされ
 スローライフな生活をされていました。
 花が大好きで、厳冬期は温室でも咲かせていましたね。
 ターシャは生前「自然を人工の畑に代えてきたが、
 耕作する人がいなくなれば畑をもとの山(自然)に還す」と言っていたのですが…。
 ターシャはアイルランドの劇作家ジョージ・バーナード・ショーに傾倒されていて、
 彼の言葉を座右の銘にしています。
 「人は自分が置かれている立場をすぐ環境のせいにするけれど、
  この世で成功するのは立ち上がって自分の望む環境を探しに行く人、
 見つからなかったら創り出す人である」



脱線が長くなりましたが、
「丹精を込める邪心の無い真摯な念」
というのは、
子育てであろうが、モノ作りであろうが
相手に必ず通じるものだと私は信じているので、
「無心で丹精込めることは植物に届いている」
と私は考えています。

そのため、「花咲じじい」では、
心やさしい老夫婦が丹精込めた施しが
「豊作になって還ってきた」
のが、
「ザクザクの宝」
で表わしていると思うのです。

また、
「ここ掘れ、ワンワン」
と鳴いた愛犬の白い犬ですが、
日本人は狼(大神)を崇拝する民族ですし、
民俗学では白い犬や白いヘビは神の使いとも考えますから
「老夫婦は自然からたくさんの恵みを戴いた」
と解釈してもいいと思うのです。
心やさしい老夫婦のことですから、
自然への感謝の気持ちもあったことは言うまでもありません。

今度は、心やさしい老夫婦と対極にある、
隣家の私利私欲の性悪老夫婦を考えてみましょう。

欲得に目がくらんで、自分も宝物を得たいと
心やさしい愛犬シロに探索を強要し、
犬が苦しまぎれに鳴いた場所を掘ると、
そこから出てきたのは宝物ではなくて石やゴミばかりでした。
怒り狂った性悪老夫婦はシロを殺してしまいます。

ここで犬が鳴いた場所を想像してみましょう。
「陽当たりが悪く、小川や井戸もなく水はけも悪い土地で
 おまけに石の多いガレて地力の少ない土地」

をイメージしてしまいます。
さらに
「傾斜地や雑草も放置した管理の悪い土地」
とか
「病害虫が発生しやすい悪劣環境」
も加わってもよさそうです。

とにかく、
心やさしい老夫婦の肥沃で農業に適した畑とは真逆で
意地悪で私利私欲の性悪老夫婦は
「自然の営みを無視した報い、災い、凶作」
と考えてもいいのではないでしょうか。


前述で
「ここ掘れ、ワンワン」
と鳴いた愛犬の白い犬ですが、
日本人は狼(大神)を崇拝する民族ですし、
民俗学では白い犬や白いヘビは神の使いとも考える、

と簡単に書いてしまいましたが、
ここでその説明をしておきましょう。

犬は、たくさんの仔を産み、そのうえお産が軽く、
仔犬の発育も良いので、
「子授け・安産・子育ての神」
として神社に祀られていることが多いのです。

今でも信心深い妊婦の方々は、
子宝に恵まれたことを神様に感謝して、
「妊娠5ヶ月目の戌(いぬ)の日に帯祝い(着帯の祝い)」
(「5」は縁起が良い数であり、
 同時に5か月目は胎児が安定する時期といわれています)
をしますが、
戌の日が選ばれる理由は、
「犬の安産にあやかるため」
といわれています。

妊婦は
「赤ちゃんが岩のように丈夫に育ちますように」
との意味の込められた
「岩田帯(いわたおび)」
という腹帯をおなかに巻き、
神様から大切な子宝を授かったことに感謝し、
神社で安産を祈願するというのが「帯祝い」の風習なのです。

信心深くない私でも、神社でこの安産祈願をしましたから、
今でも多数のママさんは行っているはずです。
当時の私は、ただ昔から続いている日本の伝統的な習わしとしか思わず、
神社に掲示されていた説明も読みませんでしたが、
「古事記」や「日本書紀」に登場する
神功(じんぐう)皇后に由来しているのだそうです。

日本書紀(上).JPG
 現代語訳で書かれているのでとても読みやすいです。
 古事記が全三巻のうち一巻が神代(かみしろ、じんだい、かみよ=神世=神話)、
 日本書紀は神代は全三十巻のうち二巻だけで、
 それ以外は天皇家による皇位継承の歴史が紹介されていて、
 日本の正史となっているのです。



神功皇后は、日本武尊の第2子、
第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の后(きさき)で、
夫・仲哀天皇はヤマト王権に抵抗した
熊襲(くまそ、九州南部、古事記では熊曾)討伐後の西暦200年2月に
神に逆らい急死してしまうのですが、
神功皇后は当時すでに臨月でありながらも
住吉大神のご神託を賜り、玄界灘を渡って朝鮮半島に出兵し、
新羅を戦わずして無血で降伏させ、
さらに高句麗・百済をも支配下に治めて、
帰国後に筑紫国(つくしのくに、現・福岡県北部)で御子を出産しました。
(後の第15代・応神天皇、16代は仁徳天皇)
その後大和に戻った神功皇后は、子の応神天皇を皇太子に立て、
日本書紀によれば西暦201年〜269年までの
実に68年間も天皇不在のまま政ごとを執り仕切ったという、
日本史上、女傑の中の女傑なのです。

そのため、
明治時代に発行された紙幣(改造紙幣1、5、10円券)で
最初に肖像が描かれたのも、この神功皇后だし、
切手(旧高額5円、10円)の肖像画にもなり、
端午の節句に飾られる五月人形(武者人形)も
長きにわたり神功皇后だったのです。

古事記・日本書紀のすべてがわかる本.JPG
 古事記と日本書紀を対比させ、カラーで表や挿絵が多く、
 見やすく判りやすいです。読者対象が中高生なのかも。



「古事記」にも「日本書紀」にも神功皇后は登場するのですが、
今から約1300年前の奈良時代に完成した日本の歴史書・日本書紀
「巻第九 気長足姫尊」
(おきながたらしひめのみこと=神功(じんぐう)皇后、
 なお古事記では中巻・仲哀天皇に息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)として表記)
では、
夫・仲哀天皇が亡くなった後、
神功皇后は身重ながら200kmの海を越えて朝鮮半島に出兵するのですが、
大将の印であるオノとマサカリを持って
出兵兵士に向かい、
こう檄(げき)を飛ばすのです。
(以下は前画像「日本書紀(上)233〜234ページの書き写し」

「金鼓(かねつづみ)が[乱れて]節なく、旌旗(せいき)が錯乱すれば、
 天子の旗や軍旗が乱れる時には、軍隊は統率されない。
 財[物]を貧り欲が多く、私[事ばかり]を思い[家]内を心配していると、
 かならず敵のために虜にされる。敵が少[数]でも軽んじるな。
 敵が強くとも屈してはならなぬ。女を犯し暴れるのを許すな。
 投降する者を殺すな。
 終(つい)に戦に勝ったなら必ず[恩]賞がある。
 背走したなら自[明]のこと有罪だ。」

と。
何とも勇ましいですよね。
その後は、こう書いてあります。

「このとき、たまたま皇后の出産の月であった。
 皇后は、それで石を取って腰に挿しこみ、祈って
 『事が終わって戻って来て日に、この土[地]で産むように』といった。
 その石は、今伊都の県の道の辺にある。
 さて荒魂(あらたま)をさしまねいて軍の先鋒とし、
 和魂(にぎたま)を請(しょう)じて王船の鎮(しづめ)とした。」


「伊都県」とは今の和歌山県でしょうか?
「荒魂」とは、荒ぶる魂、神の祟りは荒魂の表れで、
天変地異を引き起こし、病を流行らせ、
人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きをいうようです。
「和魂」は少し意味合いが違い、
雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な働きで、
神の加護は和魂の表れなのだそうです。

日本書紀の世界.JPG
 日本書紀の中に描かれている時代から6つのテーマを選び、
 それについての詳細な記述があり、
 得られる充実感のある本でした。



日本書記では、神功皇后が神と同体で、
卑弥呼や台与(とよ、卑弥呼の後継者で卑弥呼の死後、邪馬台国の女王になった)
であるような書き方をしているのですが、
それはともかく、神功皇后は臨月の時に
卵形の石2個をお腹に巻きつけて冷やし、
出産を15ヵ月まで遅らせたというのです。

この石は鎮懐石(ちんかいせき)と呼ばれ、
「事を終えて無事出産するように」
と祈念が込められた石で、
鎮懐石をはさんだ帯が「岩田帯」の起源なのです。

出産を15ヶ月まで遅らせながらも無事に後の応神天皇をご出産されたことから、
神功皇后は『安産・子育ての女神』として、
多くの妊婦の方々やママさん達から、絶大な信仰をあつめているのです。 

神功皇后が新羅を攻めたのは今から1813年前の西暦200年、
この年は中国では袁紹と曹操との覇権をかけた官渡の戦いがありました。
203年には劉備玄徳が、諸葛孔明を軍師として迎える三顧の礼、
208年は曹操軍と孫権・劉備連合軍との赤壁の戦いがあり、
まさに三国志真っ盛りの時代が、
日本では神話や卑弥呼が登場するヤマト王権の時代なんですね。

ともかく神功皇后は安産の女神として、
また犬も安産の神として、
「妊娠5ヶ月目の戌(いぬ)の日に帯祝い(着帯の祝い)」
が信仰されているわけです。

神社の入り口には、神社を守る守護獣、
無角の獅子と有角の狛犬(こまいぬ)とが一対に置かれていることが多く、
神社の境内のキツネでも龍でもヘビでも、
神道では動物は「神様の使い」とされ“神使(しんし)”とよばれています。

獅子は中国の唐の時代に、おそらく遣唐使が帰国便で日本に導入し、
狛犬は唐時代の獅子が、仏教とともに朝鮮半島を経由して
日本に伝わったとされていますが、
沖縄のシーサーやシンガポールのマーライオンも含めて、
古代オリエントからシルクロードを通って中国に伝わり、
そこから朝鮮半島や日本、琉球、シンガポールに波及したものです。
要するに、シーサーも狛犬もこれらはスフインクスの親戚なのです。

「ここ掘れワン、ワン
と鳴いた白い犬は、そのへんの犬ではなく
神代の神使として登場していたのです。
(次回、第2話に続く)

ロブスタ種20130910.JPG
 今年の5月10日にタネ植えしたロブスタ種です。
 タネ植えから4か月でこの状態は、
 沖縄のコーヒー栽培としては驚異的な生育の速さです。

posted by COFFEE CHERRY at 17:06| 沖縄 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月07日

最近の出来事から想うこと

今日は暦の上では「立秋」ですが、
名古屋では名古屋で37度、福岡では35度の予報が出ていました。
やんばるは日中34度ですから、
陽射しは暑くとも、気温的には本土の猛暑より
いくぶん涼しいと言っていいのでしょうか。
それでも昨年よりは暑い気がします。

明日8日(木曜)から夏の高校野球が始まります。
プロ野球はまったく観ませんし、
高校野球は県代表戦だけは観て応援しています。
全国の球児たちは例年予選から本大会まで酷暑の中で試合を強いられていますが、
近年異常気象が常態化していて、夏季の本土は明らかに亜熱帯化しています。
高野連は昔からの伝統を重視していますが、
熱中症で選手がバタバタと倒れて社会的な問題になるまでは
開催時間など何も変えられないのでしょう。

沖縄県代表は沖縄尚学。
春の選抜では、沖縄尚学は開会式直後の第一試合に登場して
福井県代表の敦賀気比に11対2の大敗をしてしまい、
選手は頑張った結果なのですが、
県民はその驚愕に拍子抜けしてしまいました。
(その後、敦賀気比は準決勝で、優勝した埼玉県代表の浦和学院に敗退)
先月は沖縄大会の準決勝、決勝戦を、たまたまテレビで見れたのですが、
春からの成長が顕著とはとても思えず、
今年はあまり期待しないで応援することにします。
尚学の登場は11日(日曜)の第二試合、
相手は京都代表の福知山成美、
ここは強いのか弱いのかはまったく知りません。
当日は尚学のイケメンの比嘉公也監督を応援することにしよう。


沖縄地方は、もうだいぶ長いこと降雨がありません。
本土は異常気象で局地的豪雨が相次いでいるようですが、
沖縄地方は強い太平洋高気圧が貼り付いていて
本島には台風も来ないのです。
接近すらありません。

7月中旬には先島(宮古列島・八重山列島)に台風7号が襲来しましたが、
雨が少なく、塩害が広がっているようですし、
宮古島では地下ダム枯渇の可能性も心配されています。
大東島ではさとうきびも枯れだしているようです。
久米島(7月は0mm)は今月末から断水の予定。
久米島でもそういう状況であれば座間味諸島はもっとひどいはずです。
米穀データバンクによると、2013年産のコメ(水稲)は、
沖縄県産米が全国で唯一「不良」(他の46都道府県は「やや良」か「平年並み」)。

本島では、沖縄気象台によると
那覇の7月の降水量は4・5ミリ(平年比3%)で、
これは1890年の統計開始以降、
123年間で最も雨の少ないという記録的な少雨らしのですが、
やんばるの、特に山岳地帯だけは、まれに降雨があります。
雨雲っぽいグレーの雲が出ながら降雨がない日はけっこうありますね。
先週の7月31日(水曜)には、
やんばるには大雨洪水注意報が発令され、
一時的に大雨が降りました。
ありがたいことです。
台風は来れば来るでイヤなのですが、
来なければ来ないで雨をもたらさないので困るわけです。
雨は出来れば五風十雨、10日に一度は降ってほしい…。
しかも局地的豪雨ではなく、しとやかに、
しかも出来れば私の就寝中に…。
人間って勝手なものですね。

「酷暑も極限を超えたとき涼風が吹く」
という格言があるように、
何ごとも極限まで我慢しないといけないのです。
便利過ぎた世の中は我慢することを忘れさせているようです。


台風は
「大掃除」
と解釈すれば“恵み”となります。
 ・雨をもたらし、水資源を潤沢にする
 ・病害虫を吹き飛ばす
 ・年末の大掃除のように、家の補強や外回りの片づけが出来る
 ・海水がかき回され高い海水温が下がる

など、
台風はデメリットばかりでもないのです。

8月7日の夕暮れ20130807.JPG
 自宅から西側の山岳に夕陽が沈むところです。
 今日の夕方19時半に撮影しました。
 少し前まではこの時間帯でも明るかったのに
 日が短くなっているのが感じられます。



自然界の摂理に従い、有るがままの姿を尊び、
「来る者は拒まず、去る者は追わず」
という、
荘子の不去不来の境地というか、
自然体、平常心が大事なのです。


中国宋代の「無門関(むもんかん)」という公案集の
第十九則「平常是道」では、
南泉禅師に入門して間もない20歳前後の若い修行僧・趙州(じょうしゅう)が
「如何なるか是道」
(「道とはどんなものでしょうか?」)
と、師の南泉(当時50歳前後)に問い、
南泉は
「平常心是道」
(「ふだんの心こそが道である」)
と答えています。

ここでいう“道”とは、
禅宗なので「仏道」のことで、
一般的な
「何ごとにも心が動じない、揺れ動かない」
といった平常心とは違うようです。

日曜劇場「半沢直樹」の小木曽次長は
上司にはモミ手でこびるくせに、
部下の前になると「オイ、コラ」と威張りまくります。
ミスは部下の責任、手柄は横取りという
とにかくズルく立ち振る舞う上司はどこの会社にもいるものですが、
「そういう人の前でも決して心を乱さず、聖人君子でいるべき」
と説いているのではないのです。

轢き殺された子ハブ20130807.JPG
 首や胴を車で轢かれた子ハブです。
 今日の夕方、自宅のすぐ前で撮影しました。
 体長約80cmなのでまだ1歳にはなっていないはずです。
 ハブは猛毒があり咬傷事件は年間約100件あるのですが、
 人を感知したらすぐに攻撃してくることはありません。
 ハブでもヒメハブでもアカマタでも、
 ヘビの嫌がる半径1mに入らないように気をつけることです。
 ハブとは何度も遭遇していますが、
 危害を加える気がなければ、ヘビはそれを察知して先に離れて行きます。
 近郊のあちこちでハブが鎌で裂かれて放置されている光景を目にしますが、
 仲良くは出来なくとも、「共生する道はないのかな」と思うのです。


お茶をいただく時にはありがたく頂く、食事の時には感謝して頂く、
植物の命を尊び植え替え作業をする、読書をする、テレビを観る、
新聞を読む、孫の世話をする…、
日ごろの日常をふり返ると、何かと邪念を交えることが多く、
真実を歩むことが少ない。
それでも歩むべき道から外れないこと。
求道とはどの道であっても容易なものは何一つない。
日常生活を怠惰に過ごしてムダにせず、
当たり前のことを当たり前に行う心を大切にして、
道を求め続けることが肝要だ、
「平常是道」はそういうことを説いているようです。

そういう意味では私もまだまだ精進が必要です。
それでもコーヒー栽培では一条の光が見えてきました。

今日は「童話から学習するA」の予定でしたが、
間が空いてしまったため、
いろいろ感じることを書いてしまいました。
「花咲じじい」は本当に次回に。

自宅庭に侵入したヤンバルクイナ20130807.JPG
 自宅の庭にヤンバルクイナが侵入するようになりました。
 しかも私が見ている前でも平然と。
 「何もしない」と見抜かれているのでしょうか。
 あわてて撮影するので、ほとんどがピンボケで
 何とか見れる画像はこの1枚でした。
 画像のあたり(南側)からは2羽、この反対側(北側)からは1羽、
 見分けはつきませんが、いつも同じヤンバルクイナと思われます。
 黒澤明監督の「七人の侍」で、
 野武士軍団が村を襲撃してくるシーンを連想してしまいます。

posted by COFFEE CHERRY at 23:22| 沖縄 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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