2006年06月10日

名護市の諸井清二さんご夫妻のコーヒー栽培

4年前に諸井さんの圃場を見せて戴いたので、
現在どうなっているのかは未確認です。

諸井さんご夫婦は、当時名護市に住んでいて、
東村内に約1,200坪の圃場を持たれていました。

それまでにコーヒー栽培の知識や経験がなく、
誰にも師事せず、独学で取組んでいました。

私が圃場に行ったのは、
ヒロ・コーヒーの足立浩志さんに案内して戴いたのです。


圃場は、防風対策がされていないので、
コーヒーの木は荒廃していました。

朽ちたコーヒーの木や幼木の配置からして、最初の頃は、
一面にコーヒーが植えられているように感じられました。

すでに空き地化しているところもありましたから、
台風の影響をまともに受けたような印象でした。

コーヒーの幼木は、支柱をせずに、
植え草をコーヒーの幼木の周りを囲むように
植えてありましたが、
この方法では防風効果はなかったはずです。

相当に頑固な方のようですが、
沖縄でのコーヒー栽培は、
防風対策抜きでは成功するのは不可能ですから、
ヒロ・コーヒーの足立浩志さんに
基本的なことから指導を受けるべきだと思いました。

足立さんはとても面倒見の良いシャイな方です。

諸井清二さんは、コーヒー栽培では悪戦苦闘中ですが、
実はとても有名な方です。


1994年(平成6年)に、
諸井さん(大阪府茨木市、当時農業)は、
『環太平洋ヨットレース』に参加するために、
自分のヨット「酒呑童子(しゅてんどうじ)」号で
ロサンゼルスに向けて航行中、
大シケで転覆し、マストが折れ、かじが利かなくなって、
太平洋を3ヵ月間漂流した方なのです。

奥さんの千恵子さんは、
夫の遭難中に夢の中で、
1ヵ月後の「6月7日に韓国の釜山港の帰る」という正夢を見て、
それが全くその通り実現したことで、
ドキュメンタリー番組にもなりました。

諸井清二さんは、遭難当時56歳でしたから、
今年で68歳ということになりますね。

諸井さんは、
「遭難は命綱のハーネス(転落防止用ベルト)の欠陥が原因」
として、
帰還3年後に、
製造会社(横浜市)と販売会社(西宮市)に
計約1,860万円の損害賠償を求めた訴訟を起こし、
翌年、製造会社側が和解金800万円を支払うことで
和解が成立しています。

その後、夫婦で沖縄に移住され、
コーヒー栽培に取組んだようです。

posted by COFFEE CHERRY at 00:20| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 沖縄のコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

コーヒーの葉の出方の特徴

コーヒーの葉は、両手を合わせ、拝むように出てきて、
だんだんと両サイドに開いてゆきます。

 コーヒーの葉2.jpg

そのため、コーヒーの葉は、
枝に対して“対”の状態になっています。

 コーヒーの葉3.jpg

コーヒーは熱帯果樹ですから、
沖縄の冬では“冬眠”状態になり、
ほとんど動きを見せませんが、
春先から初夏にかけて、
成長が目に見えるようにグングンと葉を出してきます。

 コーヒーの葉1.jpg
よく見ると、
小判やサンダルの裏のような形にも見えますよね。

こういう葉の出始めの柔らかい状態のときに、
マイマイに食べられてしまうと、成長速度が遅くなるので、
雨降りや明け方などでも、
マイマイが葉に付いていないかを、
時々チェックしなければなりません。

posted by COFFEE CHERRY at 09:51| 沖縄 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月07日

水やりの“水”について考える

最近の“水ブーム”で、
多くの方が「水に対する知識・見解」に対する
関心や認識が深くなってきました。

現在の水道水は、戦後、米国の指導の下で、
化学薬品で処理をする急速ろ過の浄化装置が普及し、
塩素くさい水が世界一“安全な証”と称されてきたわけですが、
米国介入前は、
「緩速ろ過」という、
塩素を使わず水中の生きものによって水を浄化するシステムで
行われていました。

緩やかな流れの中で発生する藻類・原生生物・水生生物による、
いわば“生物ろ過”による水でした。

現在、多くの方は水道水に疑問を持ち、
・ ミネラルウォーター
・ マイナスイオン水
・ πウォーター
・ 逆浸透膜システムを利用した純水
・ トルマリン水
・ 麦飯石を利用した水
・ 磁気活性水
・ 電解還元水
・ 国内の名水・霊水
など、
ちょっと頭に浮かんだだけでも、このくらい出てくるように、
市販の多くの種類の中から、
お気に入りの“水”をご自宅で飲まれているものと思います。

・ これらの多くが、実は海外では普及していないとか

・ 活性水素やクラスター、マイナスイオンを
  測定する方法が困難だとか

・ それらがテレビ番組やCMによって
  スポンサーに都合の良い報道で
  消費者は誤解されてしまっているとか

・ 市販の水は灯油やガソリン並みに高いのはおかしいとか
そういう問題はここでは触れません。


「植物にどういう水をあげたら良いのかexclamation&question
ということを考えたいのです。

水やりの“水”は、
生産者の“こだわり”やモラルで見解が大きく分かれるところです。

私は植物にも、出来る限り“安全”な水を与えたいと考えています。


農業用水(=かんがい用水)
農薬を使用した農地から流れ出てくる汚水も含まれていますから、
私は使うことは出来ません。

井戸水
農薬が地面に浸み込んで、
井戸水に入って水質が汚染されている可能性がありますから
心配です。

水道水
塩素や発ガン性物質のトリハロメタン、環境ホルモン、
ダイオキシン、硝酸性窒素などが微量含まれていますから、
良いとは言えません。

となると、残っているのは
『天水』
です。
雨水のことですね。

雨水も100%安全とは言いがたいのですが、
上記の水よりは格段に安全なのです。

私は、この方法を利用しています。

恩納村の山城先生は、
自身のヤマ―コーヒー農園内に「天水プール」を作り、
それをポンプで引き上げて水やりに利用しています
 山城先生の天水プール.jpg
 山城先生の手作りによる天水プール、中には魚もいて釣堀のようです

posted by COFFEE CHERRY at 10:21| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

“起業”の気力だけは充実している

昨年2月まで、
沖縄県産業振興公社のインキュベートルームに、
“起業準備”として入居させて頂いたことがありました。

結果として、「撤退」しました。

「山原(やんばる)で広大な面積で行うには、
 現在のテスト圃場での栽培研究を最優先するべきで、
 事務所や起業はあとでよい」
「まだ機が熟していない、起業の段階ではない」

と判断したためです。

もちろん、資金的な問題もありました。

コーヒーの最大のリスクは、
「発芽後5年間をどうするか」
にあるからです。

本島北部の東村にあるヒロ・コーヒーの足立弘志さんが
5年間名護市でタクシーのドライバーで
生計を立てられたのはそのためなのです。

沖縄県は、1972年に復帰して、34年を経過しました。

人間で言えば、34歳という働き盛りの年齢ですが、
現状の沖縄県は、
若いときから生活保護から抜け出せない貧困状態が続いています。

そのため、高校や大学の新卒者であっても、
4割近くが就職出来ませんから、
県としては
「経済的自立のためには起業を促して雇用に努めたい」
という考えで、
県の商工労働部の出先機関として沖縄県産業振興公社が、
特に“起業”に力を入れるのは、当然のことなのです。

ただ、経営のプロではなく、
公務員や経営的資質に乏しい方が、マネージャーになるために、
「質より量」
を優先してしまうのです。

悪く言えば、“起業の手続き事務所”化しているのです。

私のテーマは、
「コーヒー&ハイビスカスシャンプーの生産・販売事業」
という長たらしいものでした。

本当はコーヒー事業1本で臨みたかったのですが、
“コーヒー=農業”として捉えられる可能性が高いので、
防風林のハイビスカスの葉を
シャンプーにする事業化と併せていました。

そのため、看板プレートでは「コーヒー」を最初に付けたのです。
 事業プレート.jpg
      こんな看板を堂々と掲げていたこともありました。

ハイビスカスについては、後日触れますが、
実はなかなかすごい薬草なのです。

沖縄では、昔ハイビスカスをシャンプーに、
ジャーカルという粘土状の南部の土をリンス代わりにして
使っていましたし、
沖縄の昔の女性の黒髪を思い出しても、
効果性があることは知られていたのですが、
あとで分かったのは特許関連が多いことで、
この事業化は難航しそうなので、あきらめました。

私は、コーヒーは単純に1次産業としてではなく、
加工・生産の2次産業化、
販売・観光・サービスの3次産業化も加えた
6次産業的に捉えています。

私は“起業”に対しては、かなり慎重に考えています。

手続きさえすれば、今や1円でも起業できる時代ですが、
問題なのは、起業したあとなんですよね。

起業するのは手続きだけですから、
ここまでは誰でも出来ることなのですが、
起業後は、
・ どうやって会社を大きくしてゆくことができるのかexclamation&question
・ どうやって質を高められるのかexclamation&question
・ 出資者や社員、お客様を満足させることができるのか令
・ 地域社会に貢献できるのかexclamation&question
が問われるはずです。

そのために、
 「自信がなかったり、機が熟していないときは、
  起業するべきではない」

というのが私の考えで、
産業振興公社では異端的に見られていました。


創業支援準備コ入居許可証.jpg
創業支援準備室
当時はデスク1つだけの6人共同部屋でしたから、
パソコン1台だけを置いた、
“拠点”という考え方しかできませんでした。

常駐しても、中座しても、デスク1つでは中途半端でした。


創業支援準備コ延長許可証.jpg
「3ヶ月期限の、更新申請」
という決まりなので、申請・継続していました。

何と言っても、県の施設に入れて戴いているのですから、
信用力だけはありました。


企業化支援オフィス入居許可証.jpg
企業化支援オフィス
6坪〜8坪くらいの間仕切りか個室で、
デスク4つや書棚までも貸し与えして戴けます。

「どっちの料理ショー」からの取材は、
ここに入居していたおかげなのです。

入居は3年が期限で、
その間に起業をしなければいけない約束ですから、
「起業には慎重で時期尚早」
という考えでは、
いくら私でも、さすがに居づらかったのです。

“起業”の気力は少しも衰えてはいませんので、
あとは資金的な問題なのです。



posted by COFFEE CHERRY at 11:44| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月05日

コーヒーの木の意外な強さ

しなりが出来ないコーヒーの木ですから、
当然台風には弱いのですが、
折れる前に、
「強風で枝葉同士がこすれあって葉や花芽、豆が落ちてしまう」
という現象があります。

実は、これが困るのです。

防風林で使うハイビスカスやカボックは、
台風の時は葉が吹き飛ぶのですが、
1ヶ月もすると、葉はまた元通りに復活してきます。

コーヒーの木は、一度葉が落ちたり吹き飛んでしまうと、
丸坊主になった枝からは少なくとも半年、
長いと1年以上かかって、ようやく葉が出てきます。

その間、冬になるとコーヒーの木は“冬眠”状態で、
動きが鈍りますから、
復活までにはよけいに時間がかかります。

移植をしても根付くまでは2年近くかかりますし、
コーヒーの木の独特な生理学的な特徴や
沖縄の気候風土や土壌の質的特徴を認識していないと、
沖縄ではとても大規模生産は出来ないでしょう。

そんな特異なコーヒーの木ですが、
水不足などで立ち枯れしたような半死の状態になっても、
“復活”することが多いのです。

 横から新しい幹が出てきた.jpg
画像のように、
幹の根元の横から、新しい主軸を出してくるのです。

幹の途中から出てくるときもあります。

このため、コーヒーの木の寿命が
40年とも70年とも文献では書かれながら、
100年以上の樹齢が存在するのです。

山城先生のコーヒー園では、
台風の被害や立ち枯れがあった場合は、
“スペア”のコーヒーの木(鉢植え)を移植して対応しています。

復活を待つより、新しい木を植え替えた方が、早いからです。

生産効率的には、もちろんその方法が正解ですし賛成ですが、
生き抜こうとするコーヒーの生命力に敬意を表して
出来る限り見守りたいのです。

鉢に植え替えて時間をかけると、
そのほとんどが葉をつけたり、
新しい主軸を出したりしてきます。

一般に果樹は、
自分がもう死にそうだと思うときに、大きな実を付けますから、
そういう意味では、
“リハビリ”を経験したコーヒーの木が、
どういう実を、どのくらい付けて、その質がどうなのかを
テストしようと思っています。

コーヒー農園にも
“リハビリ”研修センターが必要なのかもしれません。

posted by COFFEE CHERRY at 14:32| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月04日

コーヒーの葉面散布

当たり前の話ですが、
樹木に必要な養分は根から吸収し、
幹や枝を通って、葉や花など木全体に行きわたりますから、
ふつう施肥や水やりは土に施しているはずです。

ところが、肥料(液肥)や水分は、葉の気孔からも吸収します。

コーヒーの場合、
他の植物と比較すると、特に葉面からの吸収性が高いです。

根からの吸収が数日かかるのに対し、
葉面からは数時間で吸収されます。

根から吸収するのと違って、葉面からの吸収は
「養分が移動する時間がかからない」
という速効性があるので、
水分が特に必要なコーヒー栽培においては、
スプリンクラーや噴霧機の利用を考えがちですが、
木の立場からすると
「根を張ってゆかなくても葉から水分や養分を吸収できる」
となると
根の張り出しが遅くなってしまうのです。

人間に例えると、一種の“過保護”の状態になるわけです。

そのため、
コーヒー栽培におけるスプリンクラー設置は、
その使い方によっては良し悪しになるでしょう。

人間が時々飲む栄養ドリンクや
疲労困ぱいでビタミン剤の点滴を病院でするのと
同じような考え方で、
・ 台風や長雨等で植物が弱っているときの養分補給
・ 害虫対策としての忌避剤
・ 塩類障害などで根からの養分吸収が十分でない時の養分補給
など、
どちらかというとTPOをふまえて、
予防効果や応急処置として多用しないことを原則に
考えた方が良いように思えます。

まず、木をよく観察することが肝要なのです。

 コーヒーの葉6.jpg
posted by COFFEE CHERRY at 08:42| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月03日

小笠原のコーヒー栽培

東京から南へ1,000kmも離れた太平洋に
散在する30以上の島々・小笠原諸島は、
暖流の黒潮の影響をうける温暖な海洋性気候で、
バナナも栽培できますから、
コーヒーも露地栽培が可能なのです。

父島には「コーヒー山」という地名があるように、
小笠原とコーヒーの関わりは
1878年(明治11年)までさかのぼります。

実に128年の歴史があるのです。

現在、小笠原で栽培されているコーヒーの品種は、
明治11年にジャワから導入されたときの原種に近いものから、
品種改良されたものまで3種類程度があるといわれています。

現在、父島、母島で5軒の農家が
コーヒー栽培に取組んでいるようです。

父島では「ボニンコーヒー」の商標名で生産され、
三日月山の笹本農園では豆の販売もしているようです。

母島ではUCCの傘下の北川農園が
「小笠原のコーヒー」として限定販売されているようです。

北川農園での販売数量は6sですから、
小笠原のコーヒーは沖縄よりさらに零細な農家が中心のようです。

北川農園のコーヒーは
100g当たり1680円(税込・送料別)と、
ずいぶん高価ですが、機会があれば一度飲んでみたいです。


小笠原のコーヒーの歴史は幕末にさかのぼる
幕末の戊辰(ぼしん)戦争で、
旧幕府艦隊を率いて新撰組の土方歳三らとともに
函館の五稜郭に立て籠もり、
蝦夷島総裁として新政府軍と戦った
幕臣・榎本武揚(たけあき)が、
小笠原のコーヒーに関わっているのです。

榎本は幕末の26歳の時にオランダに留学し、
そこでコーヒーを知り、興味を抱いたようです。


当時の小笠原の主な年表
・1830年(天保元年) 
 それまで無人島だった小笠原に白人5名、
 ハワイ先住民約20名が父島に来島し定住を始める

・1853年(嘉永6年) 
 ペリー提督が沖縄より父島に寄港し、石炭補給所用地を獲得する

・1862年(文久2年) 
 幕府の支援を受け、八丈島などから日本人の入植が始まる
 (父島19戸36名、母島1名、計37名)

・1863年(文久3年) 
 前年の生麦事件の影響で国際緊張が高まり、
 日本人入植者は小笠原から撤収してしまう

・1875年(明治8年) 
 外務省の調査団が明治丸で来島し、
 欧米系住民が日本所管となることを諒承する
 (父島13戸68名、母島3名 計71名)

・1876年(明治9年) 
 日本政府が37名の移民を送り、扇浦に仮庁舎を設置し、
 小笠原が日本領土であることを諸外国に宣言する
 年3回の横浜〜父島の定期航路が開設される

・1878(明治11年) 
 内務省勧農局出張所・同試験地を父島北袋沢に開設する
 所長・武田昌次らが、
 布哇(ハワイ)、爪哇(ジャワ)、印度(インド)
 各地を視察し、熱帯植物を採収して小笠原に持ち帰る
 この中に、爪哇(ジャワ)で採収したコーヒー苗木があった


・1880年(明治13年) 
 小笠原群島の管轄が内務省から東京府に移される
 (父島75戸338名、母島7戸19名、計357名)

・1887年(明治20年) 
 東京府知事らが小笠原・硫黄島を視察
 当時の小笠原人口は498名

・1888年(明治21年) 
 ワシントンにおいてメキシコと日本が
 対等の条件の「修好通商条約」を締結する

・1890年(明治23年) 
 「父島製糖組合」が組織される
 (父島272戸1106名、母島212戸898名、
  計484戸2004名)

・1891年(明治24年) 
 外務大臣榎本武揚がメキシコ殖民団を組織し、
 チアパス州ソコヌスコ郡エスクィントラ周辺の官有地を
 メキシコ政府から購入し、
 同地にコーヒー栽培に就業する日本人を殖民する計画を立てる

 榎本が東京農大の原点「徳川育英会育英黌農業科」を創立する

・1897年(明治30年) 
 榎本が募った約30人の移民たちがメキシコへ渡り、
 日本人によるコーヒー栽培に着手するが、
 この事業は長続きせず、失敗に終わってしまう



戊辰(ぼしん)戦争で、
勇猛果敢な土方歳三が戦死して旧幕府軍は壊滅し、
榎本武揚は新政府軍に降伏して幽閉されるのですが、
その後彼の高い資質を見込まれて
新政府の外務大臣になってゆく過程で、
彼がオランダで知ったコーヒーに興味を持ち、
小笠原で試したことが推察されます。

1878年(明治11年)に
インドネシアのジャワ島からコーヒー苗を試験場に移植し、
4年後には収穫があったようですが、
小笠原でのコーヒー栽培は定着しなかったようです。

小笠原島史によると、
コーヒー導入後28年後の1906年(明治39年)には
「収益面でサトウキビに劣ることから
 コーヒー栽培をする者はなく、放置されている」
と記録されているようです。

それでも、当時コーヒーが栽培された証として、
今でも「コーヒー山」という地名残っているんですね。

1972年(昭和47年)は、
沖縄が返還された年なのですが、
この年に小笠原でコーヒーが復活したようです。

母島の東京都小笠原営農研修所は、
この年「小笠原亜熱帯農業センター」に改組されたのですが、
ここで野生化していたコーヒーの木が80本ほどあり、
UCCが栽培方法や精製などの講習会、官能検査での協力をして、
栽培研究が再開されたようです。

1978年(昭和53年)には、同センターで
「コーヒーの肥効に関する試験」
が行われ、
1983年(昭和57年度)には、
小笠原亜熱帯農業センター試験成績書に
同研究の結果(67〜70頁)が書かれているようです。
ぜひ見せて頂きたいものですね。


無人島だった小笠原を偲んでいるのか、
小笠原原種の植物には「無人=ムニン」という名前が
付けられたものが多いです。
・ ムニンツツジ
・ ムニンボタン
・ ムニンヒメツバキ
・ ムニンフトモモ
・ ムニンイヌノハナヒゲ
・ ムニンキヌラン
・ ムニンアオガンピ
・ ムニンヤツデ
・ ムニンイヌツゲ
・ ムニンゴシュユ
・ ムニンモチ
・ ムニンタイトコメ
・ ムニンヒサカキ
・ ムニンビャクダン

posted by COFFEE CHERRY at 10:10| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 小笠原のコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月02日

コーヒーの発芽

 コーヒーの発芽1.jpg
モヤシのように、
種を持ち上げてヒョロヒョロと頼りなく出ているのが、
コーヒーが発芽したところなのです。

 コーヒーの発芽4.jpg

4月3日に種植えしたコーヒーが、昨日発芽していました。

晩種から発芽までは平均約3ヶ月ですから、ずいぶん早いです。

文献は、中南米の大生産地を参考にして書かれていますから、
「40〜60日で発芽し、その後20〜30日で双葉が出る」
と書いてあるのですが、それは
・ 栽培地域
・ 播種時期
・ 土壌
・ pH(ペーハー)濃度
・ 品種
・ 水分
・ 日照
などの栽培環境によっても違いますし、
沖縄でも播種時期によって大きな差が出ます。

栽培実績をデータ化・統計化してゆくことが必要ですが、
多くの場合“永年の勘”に頼っているのが現状です。

 コーヒーの発芽3.jpg
頭に付けている種の殻は、
やがて自然に落下し、双葉になってゆきます。

双葉になると、
直根は地上部分と同じくらい伸びていて、
横からは毛根も出ています。

荒っぽい事例ですが、
この段階では、細い幹を持ち上げると、
途中で切れることなく一気に地面から抜き取ることが出来ます。

見た目は貧弱でも、コーヒーも果樹ですから、
双葉にさえなれば想像以上に強いです。

コーヒーの根は、
直根部分がとても重要で、これを傷付けるともうダメです。

発芽床の深さは約4cmですから、
双葉の段階で根は約3cmになっていますので、
根が長すぎてグルグルと発芽床の中を回らないうちに、
黒いビニール製のポットに移植して成育させます。

 コーヒーの発芽2.jpg

発芽床の土で、黒いのは炭、白いのはコーラルです。

コーラルは、カルシウム分とミネラル成分が主体ですから、
水やりや雨でこれらが微量に溶解しますので、
私は多用しています。

発芽したコーヒーの木から、赤い実が収穫できるのは、
早くて3年後のことなのです。


posted by COFFEE CHERRY at 11:54| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月01日

コーヒーの白い花

コーヒーの花は繊細でデリケートな白い色をしていますが、
開花後わずか2〜3日で散ってしまいます。
 コーヒーの花4.jpg
花の大きさは1円玉程度で、
淡いジャスミンに似た芳香を放ちます。

柔らかい花にはマイマイ(カタツムリ)も寄ってきて
食べてしまうこともあります。
 コーヒーの花.JPG
アラビカ種は自家受粉で花が咲き、その花びらは5弁ですが、
ロブスタ種も5弁、
リベリカ種は7〜9弁あるそうです。

 コーヒーの花5.jpg

花の咲く時期は、
沖縄では概ね4月〜8月くらいに集中しています。

 コーヒーの花2.jpg

開花後は確実に結実し、
6〜8ヶ月の間に徐々に果実が大きくなり、
緑色から黄色、赤色と変色し、成熟してゆきます。

さらに放っておくと、
干しブドウのように黒くカピカピになって朽ちてしまい、
こうなると生豆にも種植えにも出来なくなりますので、
赤いうちに収穫しないといけません。

取り忘れた果実が、朽ちる前に自然に落下して、
発芽してくることも、とても多いです。

赤い果実の色や大きさがサクランボに似ているので、
「チェリー」とか「コーヒー・チェリー」と
呼ばれていることは、ご存知の通りです。

 コーヒーの花3.jpg

posted by COFFEE CHERRY at 00:28| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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