2006年07月31日

「有機農法だから安心」という迷信を考える

「有機農法」は、大地で動植物自体や
その排泄物等の有機物質を肥料としてほどこし、
そこで育った有機野菜を食し、
その残物、排泄物、堆肥等を肥料として使用するという
自然循環型の昔の農法で、
除草剤や化学肥料、農薬を使わないので
環境保全型農業といわれ、
JASマークは
“安全・安心”の「信頼マーク」とされています。

有機肥料は、土壌中の微生物を有効利用しますから、
いろいろな菌や虫、寄生虫がたくさんいます。

コーヒー園でも、
コーヒーの幹や枝葉にいろいろな昆虫や虫を見かけますが、
移植のときに地面を掘り返したり、
しゃがんで地面を見ているだけでも、
多くの虫を見かけることができます。

多くの虫がいるということは、善玉だけでなく、
悪玉の菌や寄生虫もウヨウヨいる、ということですから、
スーパーで有機栽培の根菜類を買われたときは、
よく洗浄したり殺菌をしないと“安全”とは言えないのです。

多くのレストランやコンビニ弁当などを作る食品加工業種で
生鮮野菜の洗浄に洗剤や次亜塩素酸を使って殺菌したり、
添加物を加えたりするのは、
食中毒被害を出すのを恐れているためです。

完熟したトマトを袖口で拭いて食べたり、
イチゴ狩りで、もいだイチゴを、そのまま口に入れたり、
というのは、私はほとんどしません。

ヨーロッパやアメリカでは、
「安全」という観点より「環境保全」を意識して
有機農法を推奨しているようです。

近年、下肥を使って栽培した有機野菜で回虫の卵が
よく発見されるようになっています。

回虫の卵は普通に洗ってもなかなか落ちません。

添加物や農薬を避けて健康に十分に注意しているはずが、
「お腹に回虫などの寄生虫を飼ってしまった」
という人も増えているのです。

これらは
・ 地産地消
・ 有機栽培
・ 無農薬栽培
がもてはやされた“弊害”です。

生産者側も正しい知識を持っておらず、
昔ながらの農法をすれば
「“安全・安心”な有機野菜」
と思い込み、
人糞を肥料に使い、
近くのスーパー等で有機栽培、地産地消という名目で販売し、
病害虫を撒き散らしている生産者が実際にいるのです。

中国の有機栽培では下肥を使っているところがあり
回虫などが心配されています。

沖縄にも、
人糞を使用した有機堆肥を生産しているメーカーがあります。


また、有機肥料の大部分は畜産糞尿の堆肥ですが、
畜産業では密飼いや、病気予防・速成のために
配合飼料の多くはホルモン剤・抗生物質・動物薬剤を
多投されています。

また穀物飼料の大部分も輸入に依存していますが、
輸入飼料は輸送、貯蔵中に殺菌剤、殺虫剤が
多量に散布されています。

これらの毒物は肉や乳もそうですが、糞尿にも混入しています。

欧米の有機農産物では、
この薬漬けの糞尿堆肥は使用禁止になっていますが、
現在の日本の有機JASでは
この薬漬けの糞尿は使用してよいことになっています。

・ 牛糞
・ 豚糞
・ 鶏糞
の効用も大事ですが、
「そもそもどういう飼料を食べさせたのか」
という見方も必要になるのです。

鶏は、
「食べた6割を未消化で排泄すると」
いわれていますから、私は鶏糞は使いませんし、
牛糞堆肥は、牧場を選び、
完全発酵のものしか使わないようにしています。

消費者は、農産物を選択する“こだわり”を、
さらに研ぎ澄ませる必要がありそうです。


最近、スーパーでは、
「生産者の顔の見える農産物の販売」
に力を入れていて、生産者の写真が飾られています。

時には、生産者の“こだわり”コメントも書かれているのですが、
販売会社や広告会社が書いたとしか思えないような
“こだわり”コメントになっていることがほとんどで、
実際の生産者の生の声や、“こだわり”が何なのか、
そのレベルを知りたいものです。

生産者の顔が見えても、肝心の“こだわり”が見えないのでは、
「生産者の顔」は無用の長物で、
消費者にとっては、ちっとも“安心”出来ないことを、
販売者には知ってほしいところです。

posted by COFFEE CHERRY at 17:21| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月29日

コーヒーの本葉

コーヒーは、発芽するまで時間がかかり、
発芽後も、デリケートで弱々しく見えるのが特長的です。

コーヒー苗の本葉(7月29日)4.jpg

コーヒーの木の下で、
実を取り忘れて自然落下した実が
発芽していることが良くあるのですが、
一見するとすぐにコーヒーの苗だと分かります。

コーヒー苗の本葉(7月29日)3.jpg

幹が細くて貧弱なわりに、
葉が大きくピカピカと光沢があって、
同一箇所から対で二葉が対生しているので、
すぐに分かるのです。

コーヒー苗の本葉(7月29日)2.jpg

この貧弱な状態でも、
直根はしっかりと真下に向かい力強く、
幹を持って一気に引き上げても、途中で切れることなく、
根まで地面から抜けますから、
上体が貧弱なだけに感心してしまうのです。

コーヒー苗の本葉(7月29日).jpg

6月 2日 コーヒーの発芽
6月16日 コーヒーの双葉
7月21日 ポットへの植え替え
posted by COFFEE CHERRY at 19:02| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月28日

インスタントコーヒーから考えるモラルや姿勢

インスタントコーヒーの歴史は、
1889年、アメリカのイリノイ州シカゴに在住していた
日本人化学者・加藤サトリ博士が、
緑茶の即席化(ソリュブルティー・可溶性茶)の研究途上、
コーヒー抽出液を真空乾燥する技術を発明し、
1901年ニューヨーク州バッファローで開催された
パンアメリカン博覧会で
「ソリュブル・コーヒー」(可溶性コーヒー)と名づけて
発表したのが始めとされています。
(もう1つの説がありますが、それはここでは省略します)


インスタントコーヒーは、
コーヒー抽出液から水分を除去したものですから、
水分を加えれば元に戻ります。

インスタントコーヒーの製造方法は、
下記の2種類があります。
・ フリーズドライ
  濃縮されたコーヒー液を凍結乾燥させる方法
・ スプレードライ
  高温の乾燥塔の中で、濃縮されたコーヒー液を噴霧して、
  瞬間的に水分を蒸発させる方法


日本インスタントコーヒー協会のHPでは、
「賞味期限」にふれて、
「インスタントコーヒーは乾燥しているものですから、
 賞味期限を過ぎているからといって、すぐに品質が劣化し、
 飲めなくなってしまうということはありません。
 振ってみて粉がサラサラした状態でしたら、
 お召し上がりいただいても差し支えないでしょう。
 しかし、おいしくお召し上がりいただくためには、
 賞味期限内に飲みきっていただくことをお勧めします。」
と書かれていますから、

「インスタントコーヒーは、賞味期限を過ぎても大丈夫」
ということなのですが、
4年前には、
大手新聞社の記事で世間を震撼させたことがありました。


以下は、2002年5月6日
沖縄タイムスの記事をそのままコピーしてます。

「インスタントコーヒーのネスレ日本、在庫品再利用」
インスタントコーヒーの国内最大手のネスレ日本(神戸市)が、
倉庫などに保管してあるコーヒーの在庫品を、
一度溶かして製品に再利用していることが発覚した。

同社では「法的には問題はない」としている。

業界団体の「全日本コーヒー公正取引協議会」が定め、
公正取引委員会が認可した競争規約にも
製品の再利用に関しての規定はなく、
表示も義務付けられていないが、
同協議会では「社会的に問題とされれば、規約を変え、
製品に再利用の表示を付けることも検討する」としている。

ネスレ社によると、
再利用の工程は「リワーク(製品の再生)」と呼ばれ、
工場や倉庫に保管されているインスタントコーヒーの
在庫品を一度溶かし、
生豆から作るコーヒー抽出液に混ぜて、
新たに賞味期限をつけて出荷している。

再利用は1960年代から行なわれ、
2000年までは店頭のからの回収品も使っていた。



AGFブランドの味の素ゼネラルフーヅ(株)では、
この事件の起きる直前の2000年1月には、独自判断により
「インスタントコーヒーの再生利用」をすべて中止していて、
現在は、すべての製品で
「リワーク(製品再生)」は一切していない、

としています。

ということは、
AGFでは2000年1月以前は、
「リワーク(製品再生)」をしていた、

ということになります。

AGFでは、
・ 品質に徹底的にこだわること、それがおいしさの秘訣
・ 安全で高品質な製品作り
・ お客様に信頼され、愛される会社でありたい
・ 人々の快適な暮らしや豊かな食文化を支えたい
という美しいフレーズが、
HP上で、随所にでてくるのですが、
AGFでは、
2000年にISO‐9002を取得していますから、
「たまたま難を免れた」ようにも見受けられるのです。

「リワーク(製品再生)」を消費者に知らせないのは、
消費者をあざむく行為に他なりません。

最近の「安全・安心」というフレーズが、
当たり前のように使われて氾濫していますが、
それを発信している側が、真に
「“こだわり”を持っているかexclamation&question
というと、
疑問のところが多いのと同じように思えます。

単純に
・ 「新品」と「新品同様」の違い
・ 安全であれば良い
というのではなく、
提供する側のモラルや姿勢が常に問われているのです。

立派な企業理念があるなら、
それをまず厳守してほしいものです。

インスタントコーヒーには、
「一部でチコリやトウモロコシを入れている」
というウワサも根強く残っているのです。


posted by COFFEE CHERRY at 17:56| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーは昔からニセモノが多い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月26日

防風柵として利用するハイビスカスについての雑学〜その3

ヨーロッパにハイビスカスが渡ったのは、
1731年になってからですが、
赤色八重咲のハイビスカスといわれています。

 ハイビスカスの防風林.jpg

近年、
「石垣島でブッソウゲの原種が発見された」
というニュースがありました。

これが本当なら、
「ハイビスカスの原種は中国ではなく沖縄かもしれない」
という少々乱暴な説も考えられます。

沖縄原産のハイビスカス原種が、
何らかのきっかけで中国に渡り、
そこで八重咲種が自然に、あるいは人為的に作り出され、
原種ではなく、変種あるいは交配品種に
「rosa sinensis」(=中国のバラ)
という名前が付けられた、
という“こじつけ説”です。

真偽はともかくとして、
ハイビスカスの学名は
「rosa sinensis」(=中国のバラ)なのです。

posted by COFFEE CHERRY at 08:15| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイビスカスの雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月25日

防風柵として利用するハイビスカスについての雑学〜その2

ハイビスカスは、「Hibiscus」と書き、
「ヒビスクス」が正式な読み方です。

エジプトの神「Hibis」と、
ギリシャ語の「isko(似る)」が語源といわれています。

ハイビスカスは、
稔性(種子をつくる能力)が低い植物で、
主に挿し木で増やすのですが、
ハワイ原種のヒビスクス類約9種の交雑によって、
雑種がつくり出され、
その後ブッソウゲ(仏桑華)やフウリンブッソウゲなどが
花粉親となって、
見た目が美しいヒビスクス類が誕生した、
といわれています。

現在、5,000種以上ある、といわれています。

台風5号の影響による厚い雲.jpg

沖縄のアカバナーは、花が垂れ下がったり、
上向きに咲いたり、5枚の花びらがくっついたものや、
花びらが細かく分かれていたり、オシベが長かったり、
と、
いろいろな種類があるのですが、
これらは長い間に、
フウリンブッソウゲや他の種類と自然に交雑して出来た
雑種だといわれています。

posted by COFFEE CHERRY at 11:47| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイビスカスの雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

防風柵として利用するハイビスカスについての雑学〜その1

ハイビスカスは沖縄を代表するような花で、
青い海や青い空、暑い夏を連想させます。

ハイビスカスは、
「中国南部やインドの東部が原産地」
と言われていますが、
実際にはどこに野生しているのかわかっていないのです。

ハイビスカスの防風林.jpg 

日本では、その昔、
ブッソウゲ(仏桑華、扶桑華)と呼ばれていました。

天下分け目の関が原の戦い(1600年)あたりに、
中国から琉球を経て日本に渡来し、
薩摩藩主・島津家久が1614年(慶長19年)に
徳川家康に献上したことが、
慶長年間(1596〜1615年)に記されているように、
中国名(仏桑)に由来して名付けられていました。

posted by COFFEE CHERRY at 15:15| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイビスカスの雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月21日

ポットへの植え替え

4月3日に、播種発芽プレートで
種植えしたコーヒーの種が発芽し、
双葉〜本葉になりましたので、
ポットへ植え替えをしました。

6月 2日 コーヒーの発芽
6月16日 コーヒーの双葉

ポットへ植え替え.jpg

割りばしは、ネコ避けです。

台風5号が発生しましたが、
台湾方面に向かっているようです。

posted by COFFEE CHERRY at 21:09| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月20日

コーヒーの若木は、水が特に必要

コーヒーの若木は、一般の果樹と比較すると、
水が特に必要なことが特徴的です。

水分が不足すると、
葉にその症状が現れます。

水不足の葉.jpg

水分が充分な若木は、葉がピンと張りますが、
日照りが続いて、水分が不足した若木は、
葉がしな垂れてしまいます。

水やりが充分な葉.jpg

雨の後のコーヒーの若木は、元気一杯になります。

posted by COFFEE CHERRY at 22:56| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月19日

今日は臨時休業にさせていただきます。

バナナのオーナー様の収穫と発送に追われて
今、帰宅したところです。
 ハイビスカスの防風林.jpg
 そのために、今日は臨時休業にさせて頂きます。
posted by COFFEE CHERRY at 22:03| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月18日

コナ・コーヒーと日系移民の関わり〜最終回

1928年(昭和3年)まで続いたコーヒー・バブルは、
翌1929年(昭和4年)10月24日(木曜日)の
ニューヨーク株式市場(ウォール街)の
株価大暴落に端を発した世界規模の大恐慌の始まりで、
コーヒー市場も暴落してしまいます。

大恐慌は1933年(昭和8年)まで続きますが、
この間のコーヒー生産は、雇用者が削減されたり、
マカデミア・ナッツなどコーヒー以外の栽培も始まりました。

1937年(昭和12年)に勃発した
盧溝橋事件(日中戦争)の後、
日本と米国、イギリス、オランダ等との間で、対立が深まり、
1939年(昭和14年)9月1日
ドイツのポーランド侵攻が戦端となって、
第二次世界大戦が始まり、
1941年12月8日には、
日本海軍は米国太平洋艦隊の基地である
ハワイオアフ島の真珠湾と、
アジアにおけるイギリスの拠点である
シンガポールの攻略のために、
当時イギリスの植民地であったマレー半島の
コタバルに奇襲攻撃を仕掛け、
日本は米国、イギリスと交戦状態に入る
太平洋戦争に突入することになりました。

ハワイの日系人は、
当時のハワイ人口の4割を占めていたことや、
日系人を強制収容した米国・カナダと遠く離れていたこと、
また当時、ハワイが正式な州でなかったこと等から、
ハワイの日系人は、日本人会会長や僧侶など、
日本人社会を代表する一部の人々を除き、
収容所に収容されませんでした。

ハワイ人口の4割を収容所へ入れれば、
その食糧も膨大なものになりますし、
ハワイの社会や経済活動が崩壊しかねないという
考え方もあったようで、
それだけ日系人はハワイの社会に浸透していました。

コナ・コーヒーは米軍が食料としての大量買占めのために、
コーヒーの値が再び高騰したため、
米国政府はこの傾向に歯止めをかけるため、
コーヒー値に上限を設定するようになりましたが、
戦争終結後2〜3年間、
コーヒー値の上昇傾向は続いたそうです。

太平洋戦争後から現在までの流れの資料はあるのですが、
また長くなるので、
別の機会で書くことになるかもしれません。

現在のコナ・コーヒーの農園経営者は日系人が少なくなり、
フィリピン人やメキシコ人の出稼労働者の雇用が多いのですが、
コナ・コーヒーを開拓、繁栄させた原動力は、
日系人に大きな功績があったことは、
まぎれもない事実なのです。

現在のコナ・コーヒーの作付面積は、
約3,200エーカー(約13平方キロメートル)を超え、
最近では日本の経済評論家・増田俊夫氏の
投資事業などもあって、増大傾向にあります。


3,200エーカーの広さの参考
(数字の単位は平方キロメートル)
・ 東京ドームの278個分
・ 愛知県 清須市     13.31
・ 大阪府大阪市 東淀川区 13.26
・ 大阪府堺市 美原区   13.20
・ 東京都 豊島区     13.01
・ 愛知県 高浜市     13.00
・ 東京都 東久留米市   12.92
・ 埼玉県さいたま市 大宮区12.75
・ 大阪府守口市      12.73
・ 大阪府大阪市 淀川区  12.64


ハワイの人口は約121万人ですが、
その41.6%(約50万4千人)がアジア人で、
このうち16.9%(8万5千人、人口比約7%)を
日系人が占めています。

1985年に沖縄県はハワイ州と姉妹都市になり、
2004年には那覇市がホノルル市と姉妹都市になっています。


「コナ・コーヒーと日系移民の関わり」は、
15回にもなりましたが、
コーヒーや、砂糖、香辛料が、
大航海時代から先進諸国に翻弄された農作物だったことを
知ってもらいたかったことと、
コナ・コーヒーは特に日系人が関わっていたことで、
しつこく書いてしまいました。

 コーヒーの花(7月18日).jpg
posted by COFFEE CHERRY at 18:22| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月17日

コーヒーの白い花

コーヒーの白い花が、また咲き始めました。

コーヒーの花7月17日)(.jpg

コーヒーは、開花後6ヵ月後に、赤く熟して収穫期を迎えます。

沖縄では、冬の時期がコーヒーの収穫期に当たります。

posted by COFFEE CHERRY at 17:06| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月16日

台風の後遺症

沖縄は台風台風の通り道ですから、
特に風に弱いコーヒー栽培では、
“台風台風対策”は欠かせません。

コーヒーの木は、強風に当たると、
しなることが出来ずに折れてしまいます。

折れる前には、
強風で激しく枝葉がこすれあう状態になっています。

このこすれあう状態の中で、
花芽や小さな実、こすれた葉が落ちてしまうのです。

コーヒーのタ(7月16日).jpg
  緑の豆と白い花

葉が茶色くなっているのは、強風で葉がこすれた後遺症です。

茶色くなった部分は、もう元に戻ることはありません。

posted by COFFEE CHERRY at 17:01| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

今日も臨時休業にさせていただきます

  ハイビスカスの防風林.jpg
最近、バテ気味のため、今日も臨時休業にさせて戴きます。

いつも、ご覧戴いている方には、たいへん申し訳ありません。
posted by COFFEE CHERRY at 23:42| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月14日

コナ・コーヒーと日系移民の関わり〜その14

1868年(明治元年)に、
最初の日本人移民(元年者)がホノルルに到着してから
26年後の1894年(明治27年)、
日清戦争が勃発したこの年に、ハワイ王国は消滅しています。

その4年後の1898年(明治31年)には、
米国がハワイを併合してしまいます。

翌年1899年(明治32年)にはコーヒーの生産過剰で、
コーヒー価格が暴落してしまいます。

同時に砂糖の価格が急騰したことで、
投資家たちはコーヒーから砂糖への投資に移行しますが、
コナ地区の傾斜の地形と水分に乏しい土地は
大規模なサトウキビ栽培には不適でした。

大規模なコーヒー農場は閉鎖を余儀なくされ、
多くの耕地主(白人企業家)がコーヒー産業を見離し、
大規模の農園は3エーカー(約3,600坪)から
5エーカー(約6,000坪)の区画に細分化されて、
大半が勤勉で評判の良い日系労働者に
賃貨されるようになり、
ハワイ島における日系移民所有の
家族経営コーヒー農園が次々に誕生してゆきました。

コーヒー農園は、主に不況や飢きんなどで生活が困窮していた
山口県、広島県、福島県、熊本県、沖縄県出身の農家の
次男や三男などが従事したといわれています。

農園の賃貨料は、
その年のコーヒー豆収穫量の半分だったそうです。

日系移民は家族総出で
マウナ・ロア、フアラライの丘麓の密林を開墾し、
栽培面積を拡張しました。

1900年(明治33年)には、ハワイが米国領になり、
米国本土の契約移民禁止法がハワイにも適用されます。

この年のハワイ総人口に占める日系人は、
40%ほどになっていて、
ハワイ社会にも大きな影響力を持つようになっていました。

1904年(明治37年)日露戦争勃発の前後の、
1905(明治38年)〜1908年(明治41年)は、
出稼ぎの在米日本人労働者のピークでした。

コーヒー産業経営は次第に回復し、
20世紀初頭にはコーヒー園の、
実に80%が日系人の手によるものになった、
と言われています。

1914年(大正3年)には、第1次世界大戦が勃発し、
米軍が兵士の携帯食糧の一部としてコーヒーを大量に買いあげ、
これによってコーヒーの需要が再び高まり、
世界のコーヒー市場価格が高騰し、コナ地域では、
住民の新改築やコーヒー豆の加工工場の設備改善が
盛んにに行われたりして、
ちょっとした建築・設備投貿ブームが起こるほどの
バブル景気に見舞われました。

日系2世は、好景気を背景に、
大学に進学しコナ地区から出て行ったために、
日系人社会の空洞化が進んだことや、
当時世界的なペストの流行によって
ハワイアン人口が激減したことで、
コーヒー労働者の減少という問題が発生し、
フィリピン系移民をコーヒー収穫時に雇うようになりました。

フィリピン系移民は、
コーヒーの収穫の季節だけコナ地区でコーヒーの収穫を手伝い、
それ以外の季節はサトウキビプランテーションで働く
“季節労働者”としての意味合いを持っていました。

1918年(大正7年)には第1次世界大戦が終わり、
排日運動が盛んになります。

1920年(大正9年)には、
日本人の土地所有権と借地権を完全禁止する
「排日土地法」が施行されてしまいます。

1923年(大正12年)関東大震災の翌年
1924年(大正13年)には、
日本人の移民を全面的に禁止する「排日移民法」が施行され、
時代はますます緊迫化してゆきます。

コーヒー相場の高値は1928年(昭和3年)まで続き、
コーヒー農家にとっては、最盛期を迎えていました。

次回へ続きます。

 ハイビスカスの花.jpg 
posted by COFFEE CHERRY at 18:29| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月13日

今日は、臨時休業にさせて戴きます。

台風3号から、思わぬ作業が増えてしまい、
今日は臨時休業にさせて戴きます。

この画像のハイビスカスは、コーヒー園の防風林で、
台風3号の前に撮影したものです。

 ハイビスカスの防風林.jpg 

一般に風速40m/秒を超えると、
ハイビスカスの葉の多くは吹き飛ぶのですが、
台風3号では最大風速37m/秒程度だったせいでしょうか、
ハイビスカスの葉は、ほとんどが残っていました。

仮に、葉が吹き飛んだとしても、
1ヶ月程度で元通りのように緑緑した状態に戻ります。

posted by COFFEE CHERRY at 20:43| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

コーヒーの双葉〜その2

6月16日「コーヒーの双葉」のその後です。
 双葉0712−4.jpg

前回から26日が経過して、少し大きくなったでしょうか。

コーヒーの木の成長は、とても時間がかかります。

 双葉0712−2.jpg

これから、しばらくすると、本葉が出てくるはずですが、
明日くらいから、黒いポットに1本ずつ移植する予定です。

 双葉0712−3.jpg

一般の果樹は、
挿し木や取り木で、割りあい簡単に増やせるのですが、
コーヒーの場合は、それらが以外と難しく、
種から苗木を育てる方法が一般的です。

 双葉0712−1.jpg

今日は、時間がないので、
コナ・コーヒーの続編が書けませんでした。
posted by COFFEE CHERRY at 21:05| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーオーナーの募集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月11日

コナ・コーヒーと日系移民の関わり〜その13

ハワイ王国を支えていた捕鯨は
1850年をピークに次第に衰退してゆきます。

1859年には、
米国のペンシルベニアで石油が発見され、その後、
捕鯨船がベーリング海で氷に閉ざされる事件も起こり、
急速に終焉を迎える事になりました。

代わって、ハワイ王国の経済を支える様になったのが
砂糖産業だったのです。

ハワイ王国から、米国に砂糖を販売するには、
米国の関税の高さが障壁となり、
カメハメハ5世が、
なんとか米国と互恵条約を結んで関税を取り除こうと、
外交政策の強化に乗り出し、
1876年に7代目のカラーカウア国王が
自らワシントンを訪れ、
米国18代大統領グラントと会見し、
米国と互恵条約締結に成功します。

条約締結によって、
ハワイの砂糖は無関税でアメリカに輸出できることになり、
ハワイ王国の砂糖生産は爆発的に増大してゆきました。

しかし、その代償として
真珠湾の使用権を要求した米国の圧力により、
締結11年後の1887年には条約が改訂され、
海軍修理補給基地としての真珠湾の使用権を
合衆国に譲る事となってしまいました。

サトウキビ産業の飛躍的な増大で、
コーヒーからサトウキビ栽培に
作付転換する農家も増加したようです。

1890年には、世界のコーヒー市場価格が急騰します。

コナでも欧米投資ブームが起こり、
大規模なコーヒー栽培時代の幕開けを迎えます。

コナでは初めてのコーヒーブームでした。

コナ・コーヒーの耕作面積は、
6,000エーカー(約24平方km)以上にも及び、
300万本以上のコーヒーの木が栽培される
大規模なコーヒープランテーションに発展しました。

約24平方キロメートルの面積とは…
・ 東京ドーム 500個分に相当 
・ 東京都新島 (23.87平方キロメートル)
・ 東京都硫黄島(22.36平方キロメートル)
・ 沖縄県伊江島(22.75平方キロメートル)
・ 北海道摩周湖(19.23平方キロメートル)
・ 東京都立川市(24.38平方キロメートル)
・ 京都府八幡市(24.37平方キロメートル)
・ 奈良県香芝市(24.23平方キロメートル)
・ 愛知県豊明市(23.18平方キロメートル)
・ 埼玉県新座市(22.80平方キロメートル)

このコーヒーブームを日系移民が聞きつけて、
過酷なサトウキビ産業からコーヒー栽培に入ってきたのです。

当時は手作業でコーヒーチェリーの表皮を取り除き、
16時間の浸水後、
屋根の上の干し棚で天日乾燥させる加工をしていました。

地元の工場で最終チェックをして、麻袋に詰めていたようです。

当時のコーヒー麻袋の運搬は、ロバが利用されていたようです。

ロバは「コナ・ナイチンゲール」という愛称で呼ばれ、
カイルア港やナポオポオ港まで
麻袋を載せた荷台を引いていたそうです。

コーヒーの麻袋は、港で蒸気船に乗せられ、
サン・フランシスコへ輸送されていました。

次回へ続きます。

 コーヒーの苗木0606.jpg

posted by COFFEE CHERRY at 21:17| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

コナ・コーヒーと日系移民の関わり〜その12

オアフ島のかつて砂糖工場の町ワイパフは、現在は
「ハワイズ・プランテーション・ビレッジ」
(Hawaii's Plantation Village)
といって、
1930年代の砂糖工場が最盛期の頃の
町並みが再現されています。

日本からの移民をはじめ、
世界各地の移民の生活を、
当時の家を復元する事で今に伝えられています。

日系移民には、
主に不況や飢きんなどで生活が困窮していた
山口県、広島県、福島県、沖縄県出身の農家の
次男や三男などが多かったといわれています。

長男は跡取りなので、
先祖代々の土地や墓を守るために、
移民として海外に新境地を求めることは出来なかったようです。

現在のJA(前・農業協同組合)の社員も、
農家の長男ではなく、次男以下が多いはずです。

ほとんどの人々が未知の地に期待と不安を抱きながら、
まず生活圏を確保してから家族を呼び寄せようと、
男性が単身でハワイに渡って来たようです。

プランテーション内で働く労働者は、
国別にブッロクで敷きられて住んでいたようです。

日本のブロックには公衆浴場や稲荷神社、床屋もありました。

また、住居は洋風造りの二部屋くらいで、
そこに一家族が暮らしていました。

また、火事を避けるためにかまどは外に作られていたそうです。

プランテーション労働者は
1日約11時間にも及ぶ炎天下での過酷な労働でも、
日当は1日1ドルで、
休憩時間は40分程度しかなかったそうです。

そのため、逃亡する人や、病気で亡くなる人も多く、
生活環境も劣悪で、
酒や女、博打にふける人も多かったといいます。

異国での過酷な労働の中でも、心の中は、
「いつか故郷に錦を飾りたい」
という気持ちが強く、
永住を覚悟してハワイにやって来た人は少なかったようです。

そのため、いつか日本に帰国した時のことを考えて
「自分の子供にも日本語の教育をさせたい」
という願いから、
日本語学校がお寺に設けられました。

教師には、
プランテーション内の知識人や、
お寺のお坊さんなどがなったそうです。

次回に続きます。

 2006年1月のコーヒーのタ.jpg

posted by COFFEE CHERRY at 18:25| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月09日

台風3号の影響

台風3号台風は、夜中に、
風速30m/秒を超える暴風雨が吹き荒れましたが、
幸い本島に直撃することなく
“接近”だけで通過して行きました。

暴風雨の今朝、コーヒー園が心配で見に行きましたが、
ハイビスカスの垣根が
すでに2m程度に成長していることもあって、
コーヒーの木は無傷でした。

ハイビスカスの防風柵の強度を増すには、
冬場の剪定と垣根の幅を広くする必要性を感じました。


午後から、バナナ園の被害状況を調べに行きました。
台風3号によるバナナの倒壊.jpg
 台風3号で倒壊したバナナです。

バナナの葉をバッサリと切ってしまう方法では、
倒壊を免れる可能性は高くまるのですが、
フィリピン東海上には、熱帯低気圧が発生していますので、
これが台風4号台風になる可能性もあり、
台風3号台風が本島に直撃しなさそうなので、
バナナの葉を切ることをためらってしまいました。

倒壊したバナナには、可哀そうなことをしてしまいました。

バナナは草本ですから、幹が電柱くらい太くても、
風の当たり具合によっては、倒壊してしまうのです。

posted by COFFEE CHERRY at 19:43| 沖縄 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月08日

キノボリトカゲがコーヒーの木に

台風3号台風の接近で、沖縄本島は強風域に入っています。

コーヒー栽培にとっては、
「風より雨雨
にしてほしいところです。

現在は、風速15m/秒程度でしょうか、
このくらいでは、コーヒーは、何でもありません。

コーヒー苗のポットが倒れないように
並べなおしていたら、
“キノボリトカゲ”を発見しました。

 キノボリトカゲ.jpg

“キノボリトカゲ”は、
バナナブログでご紹介したことがありますので、
ご興味ある方は、こちらをご覧下さい。



「沖縄に台風台風が接近」
というニュースはご存知だと思いますが、
現在の台風3号台風は、宮古島方面に向かっています。

「沖縄本島南部と宮古島」は、
距離的には「東京と名古屋」くらい離れていますので、
今回の台風3号台風は、迂回してこない限り
沖縄本島への影響は、それほどでもなさそうです。

「宮古島と石垣島」は、
「名古屋と大阪」くらいの距離ですから、
沖縄本島より、むしろ石垣島の方が深刻だと思います。

琉球諸島は広く点在していますので、
台風台風シーズンには、ほとんどが台風台風の影響はあるものの、
接近・直撃して暴風域に巻き込まれる島と、
強風域だけで済む島とに分かれてしまうのです。


コナ・コーヒーの12回目は、次回にさせて戴きます。
posted by COFFEE CHERRY at 18:38| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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