2006年07月03日

コナ・コーヒーと日系移民の関わり〜その8

1492年に、コロンブスがアメリカに到着するより
500年も早い時期に、
「北欧のヴァイキングがアメリカ大陸に辿り着いていた」
という北米大陸発見説もありますが、
北米大陸植民化の先頭を切ったのはスペインで,
1521年にメキシコ中央部に栄えていた
アステカ帝国を征服すると,
一方では南米への探検と征服をすすめながら,
他方北米各地への探検を始め,
1565年にはフロリダ半島にセントオーガスティンを,
1609年にはロッキー山脈の南端地方に
サンタフェなどの町を建設しました。

アメリカ合衆国が1776年にイギリスから独立して、
西部開拓者が進んでくるころ,
現在のテキサスに当たる広大な地域は
依然スペインの勢力圏内にあり,
そのためアメリカ人開拓者は
スペイン当局の許可を得て入植していました。

メキシコにしたらテキサスは辺境の地で、
何しろ広大ですから、
アメリカ人開拓者の入植の管理も甘くなり、
次第に無許可で勝手にテキサスに入りこむ人たちが増えて、
テキサスの人口が、
メキシコ人よりアメリカ人の方が多くなってしまいます。

これを危惧したメキシコの指導著サンタ・アナは,
アメリカ人のテキサス入植を禁止してしまうのです。

テキサスに入植しているアメリカ人は1835年に、
テキサスをメキシコから独立させるための反乱を起こし、
劣勢となったアメリカ義勇兵たちは翌年、
187人がサンアントニオのアラモ砦に立てこもって
13日間死闘を繰り広げた後
“全滅”してしまいます(1836年3月)。

このなかには西部のヒーロー,ディビー・クロケットや
ジム・ボーウィなども含まれていたので,
「Remember the Alamo」の合い言葉で、
アメリカは復讐に燃えて総力戦を展開、
テキサス共和国として独立を勝ち取り、
1846年にアメリカ合衆国に併合して
テキサス州となりました。

これに納得しないメキシコに宣戦布告して勝利し、
当時のメキシコ領のおよそ半分にもなる膨大な領土を
アメリカは手中に収めました。

この時、奪取したのが現在の
・ カリフォルニア
・ アリゾナ
・ ニューメキシコ
・ コロラド
・ ネバダ
・ ユタ
・ ワイオミング
の各州で、
アラモ砦のアメリカ義勇兵は、
合衆国政府と連絡を取り合っていたと書いてある本もあり、
「メキシコ侵略の囮だった」
とも言われています。


ディビー・クロケットは、
日本ではディズニー・ランドくらいでしか見聞きしませんが、
アメリカ人では知らない人がいない、
テキサス独立の伝説のヒーローです。

クロケットは、メキシコ軍の銃弾を全身に浴びて
最期を遂げたことにされていて、
アラモ砦に立てこもったアメリカ人と、
それを包囲攻撃するメキシコ軍との壮絶な戦いを、
史実に基づいて描いた映画「アラモ」も作られています。


実際のクロケットは、
アメリカの田舎から出てきた農民兼猟師上がりの素人政治家で、
成功を夢見て西部に行き、
粗野な開拓者を代表する領土拡大主義者として、
反乱に巻き込まれたらしいのですが、
一人自由を求めて西へ去り、
自由の為に玉砕したことにされて
神話化した英雄に祭り上げられています。

メキシコ軍は、アラモ砦が陥落後、
非戦闘員は全員解放して、クロケットや
ボウイ・ナイフの発明者でもあるジェームズ・ボウイ大佐、
アラモ砦の指揮官トラビス大佐などの
生存した男性捕虜を全員処刑にしたようです。

映画も、
「アメリカ人は正義で、その他は“悪”」
という、
アメリカ映画らしい図式になっています。


「Remember the Alamo」に味をしめたアメリカ政府は
19世紀末にも同じ手口を使い、
スペインを相手に侵略を企てます。

スペイン領キューバで起こった独立運動に乗じて
ハバナ港に派遣した戦艦「メイン号」が
何者かによって爆破され乗組員260名の犠牲者が出ました。

この爆破事件をスペインの陰謀と断じたアメリカは、
「Remember the Maine」
の合い言葉でアメリカ国民の闘志に火をつけ、
1898年にスペインに宣戦布告して
米西戦争に突入し快勝し、
キューバ、フィリピン、グァム、プエルトリコを奪いました。

この時のメーン号の爆破も、
アメリカが画策したものだと言われています。

そして、
「Remember pearl horbor」。

これも伝統の手法による仕組まれた陰謀です。

12月1日にルーズベルトは
各地の軍司令部に戦争準備の指令を出していますが、
ハワイの軍司令部だけは除かれました。

そして肝心な2隻の空母と新鋭艦19隻は
あらかじめ外洋に移動させ、
老朽艦16隻だけを残して、日本の先制攻撃を誘導しました。

戦争を仕掛けるためには、自国民の命さえをも生贄にする。

これがアメリカが国民を鼓舞し、
戦争へと誘う時の常套(じょうとう)手段です。


アメリカ・メキシコ戦争(1846〜48年)によって
メキシコから獲得したカリフォルニアの
サクラメントの近くで1848年に金鉱が発見されると、
世界中から金鉱脈目当ての山師や開拓者が殺到し、
翌1849年だけでも
10万人以上の人々がカリフォルニアに押しかけました。

彼らは、1849年に移住してきたので
"forty-niner"(49er)と呼ばれ、
この言葉は、現在では、
サンフランシスコを本拠地とする
アメリカンフットボール・チームの名前として残っています。


3年後の1852年には
カリフォルニアの人口は約20万人まで急増し、
西部の開拓が急進展することになりました。

「ゴールドラッシュにより、
 金を求めてヨーロッパ中から人がいなくなった」

という記述があるほど、
ヨーロッパからでも、
農民や労働者、商人、乞食や牧師までもが、
一攫千金を夢見て、新大陸を目指したようです。

このニュースが東海岸まで伝わると、昔のことですから
「西部にはいくらでも金が埋まっているらしい」
という話に誇張されてしまい、
「それだったら自分も金を発見するぞ」
という『山師』たちが
大挙してカリフォルニアに押しかけてきました。

ジョン万次郎も、
日本に帰国するための旅費を稼ぐために
カリフォルニアに行ったのでした。

それはやがて、白人たちとインディアンたちの
不幸な闘争を引き起こしてゆくことになるわけです。


ゴールドラッシュは、
ジョン万次郎などのように、
成功した人はほんの一握りだけだったようです。

平均年収の10倍近い収入を得ても、
生活必需物質が暴騰し、
全米平均の数十倍にまでなって、
多くの人が破綻していったようです。

1852年になると、地表の金はほぼ採取されてしまい、
「愛しのクレメンタイン」(Clementine)には、
当時の悲惨さが歌われているのだそうです。

In  a  cavern,  in  a  canyon,
Excavating  for  a  mine
Dwelt  a  miner  forty  niner,
And  his  daughter  Clementine.


洞窟で、峡谷で、
金脈を求めて採掘する一人の鉱夫、
フォーティナイナーがいた。
彼の娘はクレメンタインといった


この歌は、日本では「雪山賛歌」として
元気な山男たちの歌になっていますが、
原曲ではフォーティーナイナーズの娘が
川に落ちて死んだ話なのだそうです。

一攫千金の夢にとりつかれ、
辺境の地まで娘を連れてきたものの、
苦しい生活を強いることになり、
挙げ句の果てには死なせてしまった、
という話のようです。

1859年にはネバダで銀鉱が発見され、
今度は人々はネバダに殺到して行きました。

こうして、
11年間にわたるカリフォルニアのゴールドラッシュは
幕を閉じたのでした。

1860年代〜1890年代にかけて、
未開拓地域(フロンティア)が消滅してゆき、
西部開拓時代は終わりを告げます。


「本題から外れている」というお叱りもありますが、
コナ・コーヒーの日本人移民の背景の時代が、
アメリカ史のようになっていますが、
ようやく、次回は本題に入れそうです。

posted by COFFEE CHERRY at 23:43| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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