2006年07月11日

コナ・コーヒーと日系移民の関わり〜その13

ハワイ王国を支えていた捕鯨は
1850年をピークに次第に衰退してゆきます。

1859年には、
米国のペンシルベニアで石油が発見され、その後、
捕鯨船がベーリング海で氷に閉ざされる事件も起こり、
急速に終焉を迎える事になりました。

代わって、ハワイ王国の経済を支える様になったのが
砂糖産業だったのです。

ハワイ王国から、米国に砂糖を販売するには、
米国の関税の高さが障壁となり、
カメハメハ5世が、
なんとか米国と互恵条約を結んで関税を取り除こうと、
外交政策の強化に乗り出し、
1876年に7代目のカラーカウア国王が
自らワシントンを訪れ、
米国18代大統領グラントと会見し、
米国と互恵条約締結に成功します。

条約締結によって、
ハワイの砂糖は無関税でアメリカに輸出できることになり、
ハワイ王国の砂糖生産は爆発的に増大してゆきました。

しかし、その代償として
真珠湾の使用権を要求した米国の圧力により、
締結11年後の1887年には条約が改訂され、
海軍修理補給基地としての真珠湾の使用権を
合衆国に譲る事となってしまいました。

サトウキビ産業の飛躍的な増大で、
コーヒーからサトウキビ栽培に
作付転換する農家も増加したようです。

1890年には、世界のコーヒー市場価格が急騰します。

コナでも欧米投資ブームが起こり、
大規模なコーヒー栽培時代の幕開けを迎えます。

コナでは初めてのコーヒーブームでした。

コナ・コーヒーの耕作面積は、
6,000エーカー(約24平方km)以上にも及び、
300万本以上のコーヒーの木が栽培される
大規模なコーヒープランテーションに発展しました。

約24平方キロメートルの面積とは…
・ 東京ドーム 500個分に相当 
・ 東京都新島 (23.87平方キロメートル)
・ 東京都硫黄島(22.36平方キロメートル)
・ 沖縄県伊江島(22.75平方キロメートル)
・ 北海道摩周湖(19.23平方キロメートル)
・ 東京都立川市(24.38平方キロメートル)
・ 京都府八幡市(24.37平方キロメートル)
・ 奈良県香芝市(24.23平方キロメートル)
・ 愛知県豊明市(23.18平方キロメートル)
・ 埼玉県新座市(22.80平方キロメートル)

このコーヒーブームを日系移民が聞きつけて、
過酷なサトウキビ産業からコーヒー栽培に入ってきたのです。

当時は手作業でコーヒーチェリーの表皮を取り除き、
16時間の浸水後、
屋根の上の干し棚で天日乾燥させる加工をしていました。

地元の工場で最終チェックをして、麻袋に詰めていたようです。

当時のコーヒー麻袋の運搬は、ロバが利用されていたようです。

ロバは「コナ・ナイチンゲール」という愛称で呼ばれ、
カイルア港やナポオポオ港まで
麻袋を載せた荷台を引いていたそうです。

コーヒーの麻袋は、港で蒸気船に乗せられ、
サン・フランシスコへ輸送されていました。

次回へ続きます。

 コーヒーの苗木0606.jpg

posted by COFFEE CHERRY at 21:17| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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