2007年05月01日

チョウや蛾についてC「枕草子」

今からさかのぼること約1,000年前の平安時代中ごろ、
『源氏物語』の作者・紫式部とライバル関係にあった、
ともいわれる女流作家・清少納言が
執筆されたといわれる随筆『枕草子』は、
・ 『方丈記』鴨長明  1,212年ごろ(鎌倉時代)
・ 『徒然草』吉田兼好 1,330年ごろ(鎌倉時代)

と並んで、日本三大随筆と称されています。

枕草子の第一段「春はあけぼの」は、
・ 春はあけぼの…
・ 夏は夜…
・ 秋は夕暮…
・ 冬はつとめて…

という文頭のように、
それぞれの季節の美観を特定の時刻での情景としてとらえ、
日本のエッセイの起源でもあって、
私も今まで第一段を暗唱できるくらい何度も読みました。

この中には、虫や蝶(てふ)に関する記述も多いので、
久しぶりに読んでみたのです。


枕草子〜『春はあけぼの』第一段
春はあけぼの
やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、
紫だちたる雲のほそくたなびきたる

夏は夜
月のころはさらなり、やみもなほ、
ほたるの多く飛びちがひたる。
また、ただ一つ二つなど、
ほのかにうちひかりて行くもをかし
雨など降るもをかし

秋は夕暮れ
夕日のさして山の端いとちかうなりたるに
からすのねどころへ行くとて、
三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり
まいて雁などのつらねたるが、
いと小さく見ゆるはいとをかし
日入りはてて、風の音、虫の音などいとあはれなり

冬はつとめて
雪の降りたるはいふべきにあらず、
霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、
火など急ぎおこして、炭もてわたるもいとつきづきし
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、
火桶の火も白き灰がちになりてわろし



 春は日の出前の空の明るくなる頃がよい。
 だんだんに白くなっていく山際が、少し明るくなり、
 紫がかった雲が細くたなびいているのがよい。

 夏は夜がよい。
 月(満月)が出ているときは言うまでもない。
 闇夜であっても、
 蛍がたくさん飛び交っているのはいいものだ。
 また、ほんの一匹二匹などが、
 かすかに光って飛んでいくのも趣があっていいものだ。
 そんな夜には、雨など降っても風情がある。


 秋は、夕暮れの時刻がよい。
 夕陽が差して、山の端がとても近く見えているところに、
 カラスが寝どこへ帰ろうとして、
 三羽四羽、二羽三羽などと、
 飛び急ぐ様子さえしみじみとした情緒がある。
 まして雁などが連なって、
 とても小さく見えるのは実に趣がある。
 夕陽が沈みきって、風の音、虫の音などが聞こえるさまは、
 また何ともいえないものだ。

 冬は、朝早い頃がよい。
 雪が降ったのは言うまでもなく、
 霜が真っ白に降りているのも、またそうでなくても、
 とても寒い朝に、火を急いでおこして、
 炭を持ち運ぶのも冬の朝に似つかわしい。
 昼になって、寒さがだんだんゆるんでいくと、
 火桶の炭も白い灰が目立ってきて、よい感じがしない。



虫や蝶(てふ)に関する記述は、
特に第四十一段に多く登場します。

『虫は』第四十一段
虫は鈴虫 ひぐらし 蝶(てふ) 松虫 きりぎりす
はたおり われから ひを虫 螢。

蓑(みの)虫、いとあはれなり。

鬼の生みたりければ、親に似て、
これも恐ろしき心あらむとて、
親の、あやしき衣ひき着せて、
「今、秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ」
と言ひ置きて逃げて去(い)にけるも知らず、
風の音を聞き知りて、八月(はづき)ばかりになれば、
「ちちよ、ちちよ」
とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり
 
額(ぬか)づき虫、またあはれなり。
さる心地に道心おこして、つきありくらむよ。
思ひかけず暗き所などに、
ほとめきありきたるこそをかしけれ。
 
蠅(はへ)こそにくきもののうちに入れつべく、
愛敬(あいぎやう)なきものはあれ。
人々しう、敵(かたき)などにすべき大きさにはあらねど、
秋など、ただよろづの物にゐ、
顔などに濡れ足してゐるなどよ。
人の名につきたる、いとうとまし。
 
夏虫、いとをかしうらうたげなり。
火近う取り寄せて物語など見るに、
草子の上などに飛びありく、いとをかし。
蟻(あり)は、いとにくけれど、軽(かろ)びいみじうて、
水の上などを、ただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。



虫で趣があるのは、松虫、ひぐらし、蝶、鈴虫、
こおろぎ、きりぎりす、われから、かげろう、蛍。
蓑虫、これはとてもかわいそうだ。
鬼が生んだので、親に似て、
この子も恐ろしい心があるだろうとして、
親がみすぼらしい着物を着せて、
「もうすぐ秋風が吹くので、そのころに来よう。
 待っていなさい」
と言って置いて逃げて行ったのも知らず、
秋風を聞いて、八月ころになると、
「ちちよ、ちちよ」
と心細げに鳴くのは、ほんとうにかわいそうだ。
 
米つき虫も、またけなげだ。
そのような小さな虫でありながら求道心を起こして、
額を地面につけながら歩き回っているのだろう。
思いがけず暗い所などで、
コトコト音を立てて歩き回っているのはなかなかおもしろい。
 
蝿こそは憎らしいものの中に入れるべきで、
かわいげがないものだ。
人並みに相手にすべきほどの大きさではないが、
秋など、やたらといろいろなものにとまり、
顔などに濡れた足でとまったりするのは嫌なものだ。
人の名に、蝿という字がついているのは、
とても気味が悪いものだ。
 
夏虫は、とてもおもしろくかわいらしい。
灯火を近くに引き寄せて物語などを見るときに、
本の上などに飛び回るのは、たいそう風情がある。
蟻はたいへん憎らしいが、身の軽さがばつぐんで、
水の上などをひたすら歩き回るのがおもしろい。
 


今から約1,000年も前の平安時代中ごろ、
清少納言や紫式部といった、時の女流作でも
蝶や虫に対しての“思い”があり、
人間と虫は共生していましたが、
現代社会では、
人間の一方的な都合で認定した“害虫”を
多くの農家が化学殺虫剤で殺しています。

化学合成殺虫剤は、有名な毒ガスの親戚が多く、
殺虫剤を害虫体内への侵入経路から分類すると、
 ・ 接触剤   :昆虫の体表を経由して薬剤が体内に入る
 ・ 食毒剤   :茎葉を食害することで薬剤が体内に入る
 ・ 浸透性殺虫剤:植物体内に浸透した殺虫剤が、
          食害により薬剤が体内に入る
 ・ くん蒸剤  :殺虫剤をガス状で用い、
          気門から薬剤が体内に入る

という4種類の方法があります。

1988年(昭和63年)のイラン・イラク戦争で、
当時のフセイン大統領が
クルド人都市ハラブジャに散布して
住民を大量殺りくしたり、
1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件で
使われたりして有名な “サリン”は、
有機リン系殺虫剤と作用機構は同じですし、
第二次世界大戦で除虫菊が不足し、
その代替殺虫剤として開発されたDDTは、
衛生害虫の駆除や、昆虫が媒介する風土病の防除に
大いに貢献したのですが、
その反面人体への蓄積による中毒性も問題になりました。

人間が地球を支配しているのではなく、
人間も自然の一員であり、
自然の恵みのおかげで生かされていることを
今一度考え直してほしいところです。


070501コーヒーの花托(かたく).JPG
コーヒーが落花して半月くらい経過した花托(かたく)
posted by COFFEE CHERRY at 13:26| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの害虫・益虫・タダの虫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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