2008年12月08日

江戸時代を見直して沖縄コーヒーのブランド化を考える@

アメリカでT型フォードが発売されたのは、
今からちょうど100年前の1908年で、
それから1世紀の間自動車産業は
社会・経済の牽引役として、
世界中で華々しい成長を遂げてきました。

その間に人々の生活は大きく変化し、
豊かになったのですが、
サブプライム問題に端を発して
新興国での原油需要拡大と
投機マネーに翻弄される原油相場、
食費や輸送費、原材料費の急激な高騰、
株や為替の不安定な推移、大量の失業者などと、
今、世界は急激かつ未曾有(みぞゆう)
環境変化に見舞われている中で、
米国は50回以上も破産するような
巨額な負債を抱えていることから
「新大統領の最大の仕事は、来春デフォルト宣言して
 米国・カナダ・メキシコと地域統合して
 北米共通通貨“アメロ”を導入する」

という今までの資本主義が崩壊するという考え方も
なにやら現実味をおびて来ました。

与那から伊是名島を望む1206.JPG
 先週の5日(金曜)は、沖縄県内全域で強風が吹き荒れ
 那覇市では24.2mの最大瞬間風速を観測し
 海辺の泊(とまり)大橋が一時通行止めに
 なったくらいの強風でしたが待望の雨も降りました。
 翌日の6日(土曜)は、
 国頭(くにがみ)村・奥(おく)という緑茶生産地で
 気温が10.7℃(午前7時)という寒さになったと思ったら
 昨日7日(日曜)は一転して
 日中温度が20度の小春日和になりました。
 画像は与那から東シナ海の伊是名島を望んだところですが
 海上は白い波吹雪がたって波がうねってシケています。


一方、日本のバブル経済のピークの東証大納会で
日経平均株価38,915円をつけた
1989年(平成元年)以降のバブル崩壊時に、
「平成バブルと元禄バブル」
が対比されるようになり
「江戸時代では元禄バブル崩壊から、
     いかにして立ち直ったのかexclamation&question

という回顧と検証がされながら
いつしか忘れ去られていたのですが、
これからどんな未曾有(みぞゆう)の荒波が訪れようとも
私が初志を貫徹するためには、
いま一度、江戸時代中期の農業政策を
学習し踏襲(としゅう)しつつ
沖縄でのコーヒーブランド化の可能性も
併せて考えてみようと思います。

長くなるので、数回に連載することになりそうです。

バナナロードに仮置いた鉢.JPG
 コーヒー山では、幌付き2トントラックで大量搬送した
 背の高いコーヒー苗木をバナナロードに
 所狭しと仮置きしたので
 車はここまで入れなくなってしまいました。


江戸時代は、
キリシタン一揆による局地的内戦・島原の乱(1637年)や
江戸・駿府・京都・大阪の
同時多発テロ計画・由比正雪の乱(1651年)を除けば
国内での武力行使はなく、
また江戸幕府成立直前の
豊臣秀吉による朝鮮侵略(1592〜1598年)以降は
薩摩藩の琉球侵略(1603年)を除くと
海外への国軍としての出兵がない
265年間も続いた平和な時代でした。

強風で倒された鉢.JPG
 前日の強風のためにバナナロードに仮置きしてある
 コーヒー苗木の鉢が20本くらい倒されていました。
 倒された鉢は、鉢の底から根がはみ出して
 もともと安定が悪かったのですが、
 強風で倒されたせいで
 恵みの雨ももらいそこねたはずですから
 これらを優先的にバナナロード脇の林床に
 植え付けました。


江戸時代で最も繁栄した元禄時代(1688〜1703年)は
生類憐(あわれ)みの令を制定した
第5代将軍・徳川綱吉の時代でもあり
元禄赤穂事件(忠臣蔵)もありましたが、
元禄時代の終わりの1703年は
徳川家康が江戸幕府を開いた1603年から
ちょうど100周年にあたり、
T型フォードが発売されて現在に至るのも
ちょうど100年前ということで
「100年間」が妙に符合するのは気になりますが、
この江戸時代初期の100年間は
土木技術が著しく進歩したこともありますが
戦乱が終わったことで、それまでの築城技術や軍事技術を
国を富ますという社会的事業に活かすようになったことで
江戸を中心とした五街道を制度化して
道中奉行をおき宿駅(宿場)を設置したり、
道路の改修・並木の植樹・一里塚の築造などの整備や
北上川や利根川、信濃川、筑後川などの主要河川を
改修して用水整備をして
古代から近世を通した中でも
最も新田開発の盛んな時代でもありました。

ポリペール栽培1206−1.JPG
 45リットルのゴミ箱用ポリペールの底に穴を開けて
 これで栽培していた成木も植えました。


農地面積と人口の推移
 ・ 室町中期(1450年頃)94.6万ha   
   推定人口1,005万人 
 ・ 家康の慶長時代(1600年)206.5万ha
   推定人口1,227万人
 ・ 3代将軍・家光の慶安時代(1650年)235.4万ha
   推定人口1,718万人
 ・ 5代将軍・綱吉の元禄時代(1700年)284.1万ha
  推定人口2,769万人
 ・ 8代将軍・吉宗の享保時代(1720年)292.7万ha
   推定人口3,128万人
 ・ 9代将軍・家重の寛延時代(1750年)299.1万ha
   推定人口3,110万人
 ・ 11代将軍・家斉の寛政時代(1800年)303.2万ha
   推定人口3,065万人
 ・ 12代将軍・家慶の嘉永時代(1850年)317.0万ha
   推定人口3,228万人
 ・ 明治時代初期(1872年)323.4万ha
   推定人口3,311万人

江戸城内の松の廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩(ながのり)が
高家肝煎(こうけきもいり)・吉良義央(よしひさ)に
切りつける前年の
元禄13年(1700年)を基準とすると、
日本最大の内戦・応仁の乱が勃発した頃の
室町中期からは農地と人口は約3倍に増え、
関が原の戦いで東軍が勝った1600年からすると
農地は約3割、人口は約2.3倍となっていて
江戸時代に入り急激に人口が増えました。

ポリペール栽培1206-2.JPG
 水差しでポリペール内に水を入れて、
 ペールを横にしてゆっくり転がして抜けやすくし
 木の主幹を持って引き出したところです。
 根がびっしりと生えています。


江戸幕府開幕後の100年間の列島改造大開発政策のもとで
農地は増大し、
農具の発達や農民の生産意欲と努力によって
農業生産も高まり、
その余剰に支えられて都市が繁栄し、
「町人物」「好色物」「武家物」ジャンルの
浮世草子の小説家・井原西鶴や
人形浄瑠璃作者の近松門左衛門、歌舞伎の登場、
菱川師宣などの浮世絵や尾形光琳の装飾画、
俳諧・松尾芭蕉、陶芸家・野々村仁清、
友禅染、小袖の流行など
豪華絢爛(けんらん)の元禄文化全盛の時代に
なったのです。

ポリペール栽培1206-3.JPG
 ようやく植えつけたところですが、
 バナナロードから鉢を運んでくるだけでも
 途中休み休みしながらですから
 大変な重労働なのです。



次回は、元禄バブルでの弊害と政策について
書きたいと思います。


アセロラの苗木1206.JPG
 コーヒー山の南山山麓に植えたアセロラの苗木です。
 案内板の左がアセロラの苗木で、
 中央両サイドがコーヒー苗木です。
 このあたりは伐採し過ぎて空が丸見えになっていて
 夏場の日照りと腐葉土不足から
 やや成育が悪い環境ですが、
 もともと山に生えていた在来樹種は再生力が旺盛です。


posted by COFFEE CHERRY at 12:50| 沖縄 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 江戸時代の農政から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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