2009年03月27日

戦後の沖縄コーヒーの祖の他界

終戦の翌年から沖縄でのコーヒー栽培に尽力された
和宇慶朝伝(わうけ・ちょうでん)先生は
「数年前に亡くなられた」
と5〜6年前に人づてに聞いていたことで
当ブログでも、確認もしないで
そういうように記述していたのですが、
今年の1月18日に104歳で亡くなられたことが
1月20日の新聞の「お悔やみ」欄に書かれていて
和宇慶先生に申し訳ないことをしてしまいました。

故人を偲び、故人の
「沖縄でのコーヒー栽培」
の“想い”を引き継いで
沖縄に定着させることが出来れば嬉しいです。

駅伝競走でいえば、
和宇慶先生が第1区間で、
恩納村の山城先生が第2区間、
第3区間は東村の足立さんで
私はずっと後の区間になりますが、
それでも私は最終区間ではなく
熟年開拓団の私も、あくまで
「つなぎ役」
ですから
無理せず、焦らずに
「今出来ることをやる」
という、いつもながらの微力前進で
後継者につないでゆきたいと考えています。

和宇慶先生は、
「終戦の翌年に沖縄にコーヒー苗木と種を導入された」
というだけでも素晴らしいのに、
それだけでなく、
「トックリキワタも和宇慶先生が導入された」
というお話を先月伺いました。

「トックリキワタ」という木は、
ずんぐりむっくりの、幹が膨らんでトゲがある
おそらく本土ではおよそ見たことがないような
変わった木ですが、
「幹が徳利(とっくり)のように膨らんで、
 果実から綿(ワタ)が取れる」

というのが語源、
といわれています。

トックリキワタ090303.JPG
 「トックリキワタ」は
 徳利(とっくり)のように幹が膨らんでいて
 なぜかトゲがゴツゴツあって、変な木ですが
 ピンクの花が咲くと華麗な感じがします。


「トックリキワタの沖縄への導入」
は、
「1963年に琉球政府からボリビアに派遣された
 医師・当間恵三氏が種を持ち帰って育苗された」

というのが定説で、
沖縄県内に普及したのは、
1987年にオリオンビールの創立30周年記念行事の
『花の国際交流事業』
で、
南米に移住された各国県人会の方々から、
イペーやゴールデンシャワーなど
熱帯の花の苗が100万本も寄贈されて
県内市町村に配布されたらしいのですが、
この中にトックリキワタの苗木が10万本もあって、
これが一気に広まり、
沖縄のあちこちで晩秋から冬にかけて
ピンクの花を咲かせている、
といわれています。

和宇慶先生がその前に導入された、
という証拠は
定説の1963年以前に和宇慶先生から直接、
コーヒー苗木とトックリキワタの苗木を買われた方がいて、
この方は
「ピンク色だけでなくて、白色と黄色の花の苗木も買った」
「トックリキワタは和宇慶さんが沖縄に導入した」
と言われているからです。

トックリキワタの木は、
花が咲いていない初春から秋までは
ムーミン谷に出てくるような異様な姿なのですが
確かに花は華麗で見ごたえはあって
近年見慣れて以前ほど気にならなくなりましたから
私もコーヒー山の入口部分に
並べたりしようかな、
とも考えています。


トックリキワタは
開花時期が終わった2月下旬から3月下旬ごろに
10cm程度のパパイヤのような実がぶら下がって
地面に落ちてくるのですが、
実の中には黒くて小さい種が数十粒入っているので、
犬の散歩の時には、その実を拾おうと
トックリキワタ並木の通りに行ってしまうのです。


以下は、コーヒー山の大回廊・重機の道の
一段下の“新・重機の道”のスライド写真です。
まだ間伐拡張中なので、苗木移植はこれからです。
アルバムを作る全ての素材を見る

 画像の右上に「重機の道」があり、
 左下が「バナナロード」になります。
 画面は北側を見ています。


冬を越して移植を待つ苗木0903.JPG
 “新・重機の道”に最も近いコーヒー苗木です。
 この周辺にあるコーヒー苗木を最優先で、
 4月中には植えつけたいところです。


明日は午後から雨模様の予報なので、
コーヒー山へ行くのは
週明けに延期することにしました。
posted by COFFEE CHERRY at 22:21| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 沖縄のコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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