2011年07月01日

今日は「山に入ってはいけない“山留め”の日」

琉球新報のお悔やみ(訃報)欄を見ていると
 ・カマド
 ・ナベ
 ・カメ
 ・ツル
 ・ウシ

という、
特に大正以前生まれの
女性の高齢者(オバァ)の名前が目につきます。

この名前は、
琉球王朝時代から引き継がれてきて
長く苦しい歴史的背景があるのです。

バナナロード110630.JPG
 延々と続くバナナロードを含んだ上、
 画面では右上がコーヒー山です。


琉球王朝時代は、
武士が支配する封建社会でしたから
土地は琉球王朝のものであり、
農民も琉球王朝に従属、支配されていました。

関ヶ原の戦いの9年後、今から402年前の1609年に
薩摩(島津)が琉球王国を侵攻し、
以降1879年(明治12年)の廃藩置県(琉球処分)まで
270年も琉球王国は占領され続けるのですが、
この間の農民は薩摩(島津)と琉球王朝の二重支配下に置かれ、
さらに重い税が課されて悲惨な生活にあえいでいたようです。

林床地内110630.JPG
 わりあい平坦な林床地内の画像です。

東アジアのハブとして君臨していた大交易時代の
琉球王朝は栄華と繁栄を誇っていましたが、
王朝一族や武士などの少数の特権階級が豊かなのであり、
差別対象の農民はしいたげられていたような文献を多く目にします。

アジアの海の古琉球.JPG
 「アジアの海の古琉球」という税込5040円の高価な本です。
  当然、名護市図書館からお借りしました。
 琉球王府の外交文書を記録した「歴代宝案」や明朝の記録「明実録」、
 「朝鮮王朝実録」といった三種の漢文史料を請密に分析され、
 この時代に刊行されていた種々の文献とも併せて、
 琉球三山(北山・今帰仁城、中山・浦添城「首里城」、南山・島尻大里城)や
 第一尚(しょう)氏の時代から第二尚氏の尚寧(しょうねい)王の時に
 島津の侵攻(1609年)を受けるまで琉球が独立国として
 アジアに君臨した時期を“古琉球”として、
 琉球の「大航海時代」が最も史実に近い形で描かれている本だと思います。


1879年(明治12年)の沖縄県になってからは
明治政府の身分制度廃で武士階級も廃止され
ようやく四民平等になるのですが、
明治以降でも、大地主が許されたことで、
琉球王朝時代に土地を所有していた武士出身者は
明治以後もお金持ちが多く、
勉学するチャンスにも恵まれていますから、
元士族系は教養を身につけ、政治や経済の中枢に上り
平民は相変わらず貧しい生活を強いられ、
民主主義的な視点から見れば、
戦前までの沖縄は差別社会といえそうです。

明治以降の沖縄の海外移住者が多いのは
こういった背景があるのです。

出番を待つコーヒー苗木たち110630.JPG
 コーヒー山のあちこちには、
 品種ごとに出番を待つ苗木君たちが
 大量に待機しています。


冒頭の、沖縄戦を生き延び、
焦土の沖縄を立て直してきた
沖縄の偉大な功労者であるオバァたちのその名前は
「農民の女性の名前」
で、
男尊女卑の思想が根強かった琉球王朝時代には
農民の女性は、台所のカマドやナベ、農具のツル、
家畜の牛と同じ地位であったことがうかがい知ることができて
単なる沖縄の昔の女性の名前ではなく、
過酷な時代を生き抜いたオバァたちには
尊敬の念を抱かずにはいられません。

また、沖縄の旧暦行事はなにかと多く、
毎月何らかの行事が行われています。
琉球王朝時代では首里王府を始め、
全島の部落で行事が行われていたはずで、
「昔はお祭りが多く、陽気で楽しそうだね」
といった感じもしますが、
今日のように労働基準法や男女雇用機会均等法、
土日祝日や有給休暇などがない封建時代では、
部落民全員参加型のコミュニティを形成し
祭りの物忌み(タブー)期間や山留め・海止め、
正月やお盆の期間、冠婚葬祭以外は
日の出とともに野良仕事に出かけ、
昼や日が落ちると一休み、
月の出とともに、ようやく帰宅、
というような
太陽や月と密接した過酷な農作業に
明け暮れていたのではないかと思います。

南山近くの尾根のコーヒー110630.JPG
 コーヒー山の南端の、
 わりと風当たりが強い尾根で
 元気に生育するコーヒーです。


また、沖縄と台湾は、中国の福建省から渡ってきた人も多く、
中国の民間信仰の風習がそのまま沖縄や台湾に残り、
沖縄にも火の神(ひぬかん)はカマドに祀られ
家族の健康と繁栄を護る神として
祈願する風習が現在でも受け継がれています。

火はマッチやライターがない太古の昔から、
人間の生活には欠かすことのできない
水とともに最も大切なもので
・料理を作る
・暖をとる
・明かりを保つ
・危険から身を守る

などのほか、
神聖なものとして多くの宗教儀式などにも使われ
信仰の対象にもなってきました。

旧暦の毎月1日と15日の朝は
仏壇(トートーメー)にお茶湯やお香を供えたり
葉や盛り塩を取り替えたりして
日々の感謝や反省の気持ちを祈願して、
火の神(ひぬかん)は、その願いを聞き、
それを別の神たちに伝えてくれる(=お通ししてくれる)
神でもあるのです。

そういう、生活に欠かせない大切な場所やモノの名前を
差別社会で抑圧された立場の農民は、
精一杯の愛情で女児に名付けしていったのだと思います。

移植準備110630.JPG
 コーヒー山の南西側の傾斜地に
 黄色い実のアマレロ種の苗木移植を進めていますが、
 この画像は、その穴掘りをしたところです。
 今までの失敗に懲りて直径80cm(深さも同じくらい)の
 巨大な穴掘りをするのは大変な作業ですが、
 大きな穴に移植しないと、苗木の毛根が伸びていかないのです。


私が3年前にコーヒー山をお借りする頃に、
地元の長老から
「月初めの最初の日は山に入ってはいけない」
と言われたことを
コーヒー山に到着する寸前で思い出しました。

今日の7月1日は、旧暦の6月1日という
ダブル“1日”Dayでもあり、
「祟りに遭ったり怪我をしたり、ハブに咬まれたり…」
といった災いを避けるためにも
その長老の教えを守ることにして
急きょ自宅にUターンしましたが、
その本当の理由を今度、
長老から聞いておかないといけませんね。
たぶん“神”に関係することだと思うのですが、
どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら
教えて下さい。

江戸時代の里山でも、
「山留め、海止め」
という風習があり、
 ・山に入ってはいけない
 ・海に入ってはいけない
という一定の期間を設けてきました。

古人は
「自然と共に生きる」
「自然の恵みを大切にする」
といった
「自然に生かされている」
ことを尊んでいました。

山では若木の生育や共生する鳥類の産卵、孵化がありますし、
磯や川も同様で、そこに暮らす生物たちが
命をはじめる時・場所であることを古人が尊重し
山に入って木を切ったり、キノコや果実を採ったり
磯や川での魚やカニ、貝などを獲ることを控えてきたのです。

大量生産・大量消費、環境破壊という生活スタイルが
常になった現代人が失念してしまったひとつに、
こういった
「自然の恩恵に感謝する気持ち」
がありそうですね。

コーヒー山110629.JPG
 雨がやみ、水蒸気が上がるコーヒー山
 今年は良い頃合いで降雨があり、
 ありがたいことです。




posted by COFFEE CHERRY at 23:37| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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