2011年08月24日

フィトンチッドとアレロパシ−を考えるA

台風9号で、昨年に続いてまたしても2日半も停電になり、
冷蔵庫やテレビ、パソコン、給湯器といった電化製品は
使えなくなりました。
我が家では、懐中電灯の乾電池の予備やロウソクを準備しておくといった
停電を予期するなら当然の対策が
毎度疎(おろそ)かになっていることもあって、
こういう時は、
「日の出とともに起きて、日暮れになると寝る」
という
『太陽とともに生きる』
生活を強いられることになります。

現代は「定時法」という、季節に関係なく
1日を24時間に等分割した時間法が使われていますが、
江戸時代では夜明けから日暮れまでを6等分する
「不定時法」という時間法を採用していました。

江戸や京都、大阪、堺といった大都市以外の田舎の農村では
「日の出とともに起き、日没とともに寝る」
昔の生活そのものだったと思います。

日本の場合、昼の時間が最も長い日が夏至、
最も短い日は冬至ですから、
季節によって時間の長さが変わるのは不便なようですが、
時計を持たない当時の人にとっては、
太陽の高さでだいたいの時刻が判るのは
かえって便利だったかもしれません。

昼間の時間帯は、日の出を起点として
・卯の刻六つ(明け六つ)
・辰の刻五つ
・巳の刻四つ(お四つ)
・午の刻九つ(正午、太陽が最も高い)
・羊の刻ハつ(お八つ)
・申の刻七つ
・酉の刻六つ(暮六つ)

という日暮れまでの十二支の間を6等分し、
お寺などで時の鐘を打って庶民に時刻を知らせていたわけで、
・「牛の刻九つ」を正午
・「羊の刻ハつ」をお八つ=茶菓子の時間
というのは、当時のなごりのようです。

こうした不定時法は1873年(明治6年)の
太陰暦から太陽暦への改暦まで使われ、
その後現代の定時法に至っていますが、
明治時代の文明開化で照明が発達したことで
夜型生活も一般的になり始めたわけですから
劇的な時法改革も時代の変革に見合ったものだったようです。

リュウキュウアオヘビ110823.JPG
 昨日23日(火曜)のコーヒー山での作業は
 主に黒ポット苗木の水やりを中心に行いました。
 黒ポット苗木は数千もあるので、3日間かかって
 昨日が最終日になりました。
 台風9号一過後は、ヤンバルにはにわか雨以外に
 まとまった雨がなく、台風で中高木の照葉樹の
 枝葉が吹き飛ばされたことで森林内の見通しがよくなり
 降雨がないことで乾燥してきたために
 また台風の暴風で植え付け予定の苗木が大揺れになり
 根元がグラグラして根にストレスがかかっているために
 今月の移植は見送ったことで、
 先週末から水やりを行っています。
 昨日はリュウキュウアオヘビと出会いました。
 このヘビはコーヒー山には多いです。
 昼行性で臆病、俊敏な動きをする
 綺麗な黄緑色をした無毒へびです。
 奄美大島以南の南西諸島に生息するヘビですが
 絶滅危惧種ではないようです。


想像を絶する大津波で人々の暮らしが一瞬にして破壊され、
太平洋沿岸地域に甚大な被害をもたらした東日本大震災は
頼りない政治のために多くの被災者は今も不便な生活を強いられていますが、
電気の供給能力が不足したことによる計画停電や脱原発論などで
当たり前のように電気に依存し過ぎた電気文明社会が見直されつつあります。

ヤンバルクイナ110824.JPG
 自宅前にやってきたヤンバルクイナのオス。
 下の黒いピンボケなのは野菜のタネ撒き用の
 黒い育苗トレーを裏返しにして
 ブロック塀に積み上げてあるところですから
 ヤンバルクイナは我が家の庭内にも平気で侵入してきて
 ブロック塀の上は当然として、
 物干し竿にしている竹の上も
 サーカスのように歩いたりしているのです。
 それでも警戒色が強く、1日に何度も出会うのに
 カメラを取りに行っているスキにどこかへ行ってしまうし、
 なかなか撮影出来ないのです。


我が家のエリアはヤンバルクイナやノグチゲラ、
リュウキュウヤマガメといった
国の天然記念物たちが生息する過疎ですから、
郵便局のゆうパックや宅配業者の配達も1日に1回だし、
電力会社や電話会社の設備投資も後回しになるのも理解できますが、
だからこそ、江戸時代のエネルギー消費の少ない生活、
エコロジーな生活を再認識して、
我が家やコーヒー山でも、
将来的には風力発電を検討しようかと考えています。
コーヒー山での作業も、腕時計に頼るのではなく
昔ながらの陽の高さに応じて作業や休憩をした方が
良さそうです。

ヒメハブ110823.JPG
 またまたヒメハブ。
 ヘビが嫌いな方にはうんざりでしょうが、お許し下さい。
 私も爬虫類が好きではないのですが、
 どうも前世に因縁があるのか、爬虫類と出会う機会が多いのです。
 黒ポリポットの雑草や飛ばされてきた枝葉などを取り除いてから
 水やりをしていたのですが、
 雑草を取っている時にこのヒメハブが飛び出してきたのです。
 おそらく私の様子を伺っていたのでしょうから
 彼は私に咬みつこうと思えば出来たのかもしれませんでしたが、
 「邪魔しないでほしいな」
 と言わんばかりに
 右手のすぐ脇を触れるくらいの感じですり抜けて行きました。


我が家の屋上には、すでにオブジェと化した
太陽光の温水パネル装置があります。

国頭村でも、その昔
「米軍基地所在市町村活性化特別事業(=島田懇事業)」
という内閣府の直轄事業として
その恩恵に与(あずか)った名残りですが、
強烈な台風で、この地区の屋上に設置した太陽光パネルは
ことごとく暴風で吹き飛ばされている歴史がありますから、
我が家でも太陽光エネルギーは見送らざるを得ないのです。

USMC110824.JPG
 「USMC」とは、
 United States Marine Corpsの略で、
 「アメリカ海兵隊」のことを意味し、
 この訓練場の境界標識です。
 米軍の北部演習場は国頭村と東村のヤンバルをまたいで
 78.33平方キロという与論島の約4倍、久米島の約1.5倍、
 茨城県の竜ケ崎市などと同等の面積で、
 映画ランボーのようにゲリラ小屋を作って爆破したり、
 ジャングルや川の実戦移動訓練とか
 ベトナム戦争当時は枯葉剤の投下訓練までしていたという
 もう無茶苦茶な使い方をしている演習場です。
 我が家からこのUSMC標識までは約100mですが
 このエリアはもうずいぶん前に返されて国有林になっています。
 沖縄本島で基地がないのは今帰仁(なきじん)村だけじゃないかな。


前置きが長くなりましたが、ようやく本題に戻りましょう。
「フィトンチッドの話はその後どうなったの?
 @だけでもう終わりなの?」
というご意見がありましたので、
急きょ「フィトンチッドとアレロパシ−」の2回目を書くことにして、
今日は特に「人と自然の関係」について述べたいと思います。

植物は5億年前に地球に誕生し、
人類の誕生はまだ800万年前のことですから、
植物の起源を1日と換算すると、
人類の登場は夜11時半を回ったあたりのことなので
地球の生命体としてはまだまだぽっと出の新人なのです。

植物は5億年の歴史の中で、
地球の気候や地形の激変に耐えて、
それどころか激変の環境下でも何とか生きぬくように
進化を繰り返して現在に至っています。

日本では卑弥呼の後から聖徳太子までの約400年間が
歴史的に空白になっているのは、
この間の日本や沖縄は
「地形の激変があったため」
ともいわれています。

植え付けを待つコーヒー苗木たち110823.JPG
 昔の底抜け脱線ゲームというテレビ番組では
 先に針の付いた電車が通る前に
 課題をこなしながら風船を持ちあげて電車を通過させて、
 また戻って課題をこなすという、
 見ていてイライラする番組でしたが、
 「コーヒーの苗木の高さが30cm前後になったら定植」
 といっても、次から次と30cm級に生育するので
 簡単に移植といっても数千もあるとなかなか大変なのです。


19世紀の米国の思想家・エマーソンが
What is a weed?
A plant whose virtues have no been discovered.
「雑草とはとは何か、その美点がまだ発見されていない植物である」
と言ったように、
動くことが出来ない植物に対して、人間は
単に人の役に立つとか毒があるとか、
人からみて綺麗かどうかなどの勝手な判断で、
多くの人は植物を見下した目で見ますが、
実は植物の方が人間よりもずっと進んでいると私は思っていて、
植物にはむしろ敬意を払っています。

私たちは生まれてからずっと便利な文明下で生活し、
近年のコンピューターの日進月歩の発達で
時間に管理され、時間に追われる生活習慣になっています。

人は海や山などの自然に触れたときに
ストレスが和らいで、心身がリフレッシュされることを知っていますが
それは人がもともとそういうDNAを持っているからだと思うのです。
つまり、
「ヒトは自然と長く共生してきたことで
 もともと自然から生まれたヒトは、
 “自然に還りたい”という原点回帰があったり
 人工的な都会より、
 自然の中でこそ生き生きするDNAが人間にありそうだ」

と。

生理人類学者・佐藤方彦(まさひこ)先生の
「人間が人間になってからの500万年の間、
 人間が生活してきたのは自然環境でした。
 (中略)人間の生理機能は、脳も、神経系も、筋肉も、肺も、
 消化器も、肝臓も、感覚系も、すべてが自然環境のもとで進化し、
 自然環境用につくられています。
 全く不自然な都市での生活は人間の資質に
 さまざまな影響を及ぼすことが想像されます。」

「人類が森に生まれた。
 霊長類の仲間として森に住み始めたのは約6千万年前のことであった。
 さらに、猿人・原人・旧人・新人と続く進化の過程を通して、
 森は人間の体質に深く刻み込まれてきたはずである。」

と「おはなし生活科学」という本に書かれていることに
感銘を受けてから、
ますますそういう思いになりました。

現代人が都市化・人工化された環境を
「18世紀後半の産業革命以降」とすると、
また、人類の誕生が800万年前だとして、
  250年÷800万年=0.00003
つまり人類史上の99.997%は自然環境下で過ごしてきたことになりますし、
「人工化は産業革命よりもっともっと前だよ」
としても、
それまで狩猟と採集で生活してきた人間が
メソポタミア文明の頃に農耕と牧畜を始めたとされている頃を
“人工化”と考えたとしても
  1万年÷800万年=0.00125
つまり99.875%ということになり、
人間が人工的な文明で生活してきたのは
人類学的な見かたからすると、まだまだ最近のことなのです。

医学的には癌は
「人類が多細胞生物になってから癌はある」
らしく、
日本でも平安時代には癌らしい病気があったというので、
「癌は特に戦後以降の怪しげな食生活や化学物質が原因で、
 癌は近代病」

とも言い切れないのですが、
現代人は常に緊張状態を強いられ、
交感神経活動が高まり、
ストレスが溜まる状態にあることは誰でも体感している通りです。

こういったストレスに病んだ現代人が
緑にあふれた森林のなかに入って行くと
清々しい爽やかな空気が広がり、
しばらく歩いていると森林独特の
かすかな懐かしい香りに気がつくはずです。

この森林浴効果をもたらす森林の香りが
「フィトンチッド」
とよばれるものなのです。

「フィトンチッド」は、森林の植物、
主に樹木が自分で作りだして発散する揮発性物質で、
その主な成分はテルペン類と呼ばれる有機化合物といわれています。

この揮散している状態のテルペン類を人間が浴びることが
“森林浴”というわけです。

フィトンチッドは身体をリフレッシュさせるだけではなく、
・抗菌
・防虫
・消臭

などといった、さまざまな効果があることも判っています。

樹木の光合成は、樹木が生きていくために必要な活動で、
人間が食事を取ることと同じで、
光合成は太陽の光エネルギーを利用して、
炭酸ガスと水から炭水化物を作り酸素を放出するのですが、
さらに樹木は二次的にフィトンチッドなどの成分を作り出しています。

その目的は
・他の植物への成長阻害作用
・昆虫や動物に葉や幹を食べられないための摂食
・阻害作用
・昆虫や微生物を忌避、誘因する
・病害菌に感染しないように殺虫、殺菌を行う

などと、
樹木自身を護る、多種多様な働きをしているのです。

土に根ざして生きる樹木は
「移動することが出来ない」
という決定的なリスクがあることで
外敵からの攻撃や刺激を受けても避難できないために
意識的にフィトンチッドを作り出して
発散することで自らの身を護っているわけです。

フィトンチッド110824.JPG
 Amazonで中古本が1円で買えました。
 といっても配送料が250円かかるので251円ですが。
 私は図書館で借りるか、中古本で安価に買うことが多いです。
 1983年(昭和58年)第7刷版の古い本です。


フィトンチッド(phytoncide)という聞き慣れない言葉は
ギリシャ語で“植物”を意味する「phyto」と、
ラテン語の“殺す”を意味する「cide」とを併せた造語で、
1930年ごろ、旧ソ連のB.P.トーキン博士に名付けられました。

人間から微生物にいたるまで、
生物というものは生存するための
さまざまな能力を身につけていますが、
フィトンチッドも樹木にとっては自分を護る防御の仕組みであり、
だからこそ樹木は何百年も生き続けることが可能なのですから、
人間が上から目線で見下せるものではなく、
むしろ植物が人間を冷ややかに見ているのではないかと思うのです。


次回に続く

フィリピン東海上に台風11号が発生しました。
勢力を拡大しながら北上し
またしても沖縄本島に向かっているようです。
どうやら週末から来週初めは大荒れになるかもしれませんね。

posted by COFFEE CHERRY at 18:28| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | フィトンチッドとアレロパシ− | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月21日

沖縄産コーヒー栽培は「ヤンバルの森林が最適」と改めて考え直す

沖縄は亜熱帯気候なので、
温帯や熱帯の植物は、基本的に栽培可能な地域ですから
コーヒーやカカオの栽培は地植え栽培でも当然可能なのです。

実際に県内のあちこちでも、
零細ですがコーヒー栽培をされている方々が徐々に増えつつあり
仲間が増えて喜ばしいことです。

コーヒーの木が地植えで栽培出来るなら、
コーヒー好きの方なら
「自分の家の庭や畑で栽培したコーヒーを飲んでみたい」
と思うのは当然のことですが、
県内でコーヒー栽培が今いちマイナーなのは、
 ・タネや苗木が容易に手に入らない
 ・コーヒーの特性や栽培方法がよくわからない
 ・順調に生育して実が付いたとしても、その後の加工方法がよくわからない

こともあるでしょうが、
「台風や強風に弱い」
ことや、
何より
『収穫出来るまで何年もかかる』
ことが最大のネックになっているようです。

まさに
「桃栗3年、柿8年」
それだけの年月をかけないと、ちゃんと実を付けてくれない、
ということですが、
「それまでの時間を丹誠込めて育成しなさい」
といった、
ジックリ待てない人には不向きな果樹でもあるのです。

バナナ園110820-1.JPG
 昨日20日(土曜)は、自宅に隣接する約300坪のバナナ園で
 草刈りとハイビスカスの苗木の植え付けを行いました。
 「バナナが見える暮らし」は私は大好きで、
 台所や居間、寝室からもバナナが見えるように
 庭にもいろいろな品種を植えています。


一般の樹木のように、
・ 接(つぎ)木
・ 取り木
・ 挿(さ)し木

という増殖法は、
なぜかコーヒーは極めて難しく、
(というより手間がかかる、という方が正確かも)
3大コーヒー研究所といわれる
 ・ブラジル
 ・コロンビア
 ・エルサルバドル

がある地域のコーヒー農園でも、
それらが行われていることを聞かないところをみると
増殖効率が悪い果樹でもあるのです。
実際に私も何度も挑戦しましたが、
100回試して数本成功するかどうか、という程度でした。
そうなると、時間がかかってもタネ植えに頼るしかないので
コーヒー栽培はどうしても敬遠されてしまうのでしょう。

バナナ園110820-2.JPG
 バナナ園の標高は約80〜100mあり、海も見えます。
 海までの直線距離は約1kmなので、台風時は
 潮が吹きあがり、白いしぶきが横なぐりに吹きつけます。
 バナナ園には防風林がないために、
 山城武徳先生の、7m置きにハイビスカス柵を設けた方式をするために
 まず草刈りをして、ハイビスカス(アカバナー)の根付き苗木を移植しました。
 引越し前の南部のテスト圃場では、ハイビスカスは枝を地面に刺す
 挿し木をしましたが、今回は根付きだし、樹高も背丈くらいあるので
 早目に防風柵は出来るはずです。
 今回はハイビスカスは剪定しながら堅固に作っていきたいです。


ちなみに、
もう28年前の映画ですが
原田知世主演映画『時をかける少女』のセリフに、
「桃栗3年柿8年、柚子(ゆず)は9年でなり下がり、梨のバカめは18年」
というのがありました。
「桃栗3年柿8年」の後は、
梅やリンゴ、銀杏(ぎんなん)が出てきたり
あるいは年数も地域によって違ったりします。
私の故郷(三重県)では
「梅ゆうゆうと13年」
といわれていました。
沖縄ではリンゴやイチョウは育てにくいですから、
熱帯果樹の沖縄バージョンがあってもいいはずですよね。

コーヒーノキ110820.JPG
 バナナ園には2本のコーヒーが生育中です。
 バナナ園の端にあり、周囲を木に囲まれているために、
 木漏れ日が入る木陰の環境で、台風の被災もなく、
 まったく順調に生育しています。
 来年には開花してくれるんじゃないかな。


「沖縄ではコーヒーの栽培方法が統一されていない」
という方がいますが、
これは当たり前の話です。
県の農業試験場だって真剣に栽培テストもしてくれない現状では
個々の零細生産者は、それぞれ支援もなく孤立無援の中で
試行錯誤しながら独自の栽培方法に挑戦するしかないので、
また山城武徳先生や足立浩志さんといった
数十年もコーヒーに取り組んだ方々がここ2年内に
相次いで亡くなり、
県内でコーヒー栽培の代表的な人が不在となってしまったことも大きいです。
この機に乗じて
「山城武徳先生の後継」
を自認する生産者もいます。
その方の人格には山城先生から呆れた、
という話は何度も聞きましたが
その方を褒めた話は一度も聞いたことがありません。
評価は自分がするのではなく、周りの他人がするものですが、
その悪い評判ばかりを撒き散らす身勝手な人には
もはやつける薬はなさそうです。

ヒメハブ110820.JPG
 バナナ園の草刈り中に、またしてもヒメハブが出現。
 刈り取って積み上げた草から突如現れ、
 「動きが鈍い地雷ヘビ」と思いこんでいたヒメハブは
 すごい勢いでクネクネ動き、また草の中に潜っていきました。
 このバナナ園には、ハブ、アカマタ、ガラスヒバァが生息していますので、
 今後草刈りは2カ月に1回は行わないとダメですね。


私は亡くなられた和宇慶先生や山城先生、足立さんを含めて
県内の主要なコーヒー栽培者の栽培方法を直接何度も見てきました。
参考にしたいところもあれば、
その逆に取り入れない方がいい、というところも見てきました。
それらを踏まえて、“良いとこ取り”ではありませんが
自分なりにアレンジして栽培してみても
失敗の積み重ねの連続です。
「コーヒー栽培の失敗の事例」
については、私がダントツのトップだろうと、
これについては自信があります。

そういう感じで、
県内でコーヒー栽培にチャレンジしている人たちには、
私は除いて構いませんが、
「どうか暖かく見てあげてほしい」
と私は思います。

また、
「沖縄ではコーヒーは事業としてはムリ」
という方もいますが、
これは、そういう方が
「枝がしなるほどたわわに実った収穫期を残念ながら見たことがない」
ことや
昔の正確性に欠ける文献のコーヒーベルトの固定観念が
常識化していることで、その先入観から
「沖縄はコーヒーベルトから外れている」
と決めつけてしまうのでしょうが、
それも早計です。
「沖縄では広大な栽培面積で取り組んだ人がいない」
というだけの話なのです。
「数本では事業化はムリでも、数千本なら事業化は可能」
「台風の被災が怖ければ、
 あちこちに農園を分けるなどのリスク分散をすればいい」

というのが私の持論ですから、
本当にコーヒーが事業性に欠けるなら
私だってとうに投げ出しているはずです。
私も孤立無援の中で、
個人で取り組んでいるためにモタモタしているだけなんです。

ヤマーコーヒー農園110821-1.jpg
 2002年当時の山城武徳先生の農園です。
 私はこの当時に何度もこの農園と山城先生宅に伺って
 コーヒー栽培のレクチャーを受けました。
 この圧倒される光景には
 「沖縄でこんなことが出来るのか」と、感動したものです。
 これを見たら「沖縄ではコーヒーはムリ」という論理は、
 私からすると、とても考えられないことです。


温暖化の影響で、本土は猛暑に見舞われる地域が多くなり、
局地的な集中豪雨が多くなったりしています。
沖縄の夏はどんなに暑くても35〜36度で、
最近は日中でも32度くらいですし、
しかも私の住むヤンバルは夜間の気温が23〜28度くらいと涼しく、
寝る時はエアコンは不要ですから、
本土から沖縄に避暑に来られる観光客も多くいるようです。
本土でも夏の猛暑があって冬の寒さが氷点下にならない地域であれば
コーヒーだって栽培可能になってくるかもしれません。
実際に房総半島ではドラゴンフルーツやパッションフルーツなどの
熱帯果樹も栽培され始めています。

ヤマーコーヒー農園110821-2.jpg
 私は夢を追いかけているのではありません。
 山城武徳先生がこれだけ作り上げたのですから、
 私はそれを応用するだけのことで、
 沖縄で良いコーヒー豆を生産させる責務があるだけなのです。


「沖縄産コーヒーなんて…」
という焙煎業者も県内にも居て、
そういう持論を展開しているようです。
私はもちろん真逆な考え方です。
“水と油”といった相反した考え方はあっていいのですが、
私はそういう方々に説得する気はありませんし、
議論する気もありません。
私自信が満足する、自分なりの最高レベルのコーヒーが
生産出来たとしても、それをそういう方々に
「沖縄産でも良いレベルのコーヒーが出来るでしょう?」
と、納得させる気もありません。
コーヒーは嗜好品ですから、
香りや酸味、苦み、甘味、コクなど、
同じコーヒーでもその感じ方は人それぞれだと思いますし、
全体的なバランスから
「美味しい」
と思えれば、それでいいとも思いますし、
そのコーヒーの辿(たど)ってきた道(ルーツ)というか
生産地に至る歴史的STORYや、
生産者の理念や作業風景、農園の光景なども
飲む時に、もし、ふと思い浮かべていただけるなら、
生産者としたら、これほど嬉しいことはありませんが、
「私が丹精込めて作ったコーヒーは美味しいでしょう?」
という押しつけはしたくないし、するべきではありません。

「美味しいか美味しくないか」
を評価するのは、飲んだ人が決めることですから、
「1人でも多くの人に美味しいと感じてもらえるコーヒーを作りたい」
ために、
「美味しいコーヒーを生産するために、どうしたらいいのか」
をひたすら突き詰めて考えないといけないのです。

そういうわけで、
「沖縄でコーヒーが栽培可能か?」
というのは、
実際に誰でも栽培出来るわけですから、
ここから先が各生産者の理念で分かれてくるところなのです。

ただ、栽培して
「実がたくさん取れればいいね」
という生産者もいれば、
「除草剤や農薬、化学肥料を使おう」
という生産者もいるでしょうし、
「いや、畜産堆肥を入れた有機栽培がいいよ」
という生産者もいるはずです。
また、
「沖縄産は国産で注目されるから、
 ゴマかして海外産を混ぜちゃってもわかりゃしないさ
 売れればいいのさ」

という産地偽装をする生産者もいれば、
「栽培面積や栽培本数、収穫量なども
 コーヒーのことなんかみんな知らないんだからいくらでもゴマかせるさ」

といった、最初から詐欺を図る生産者だっているのです。

これらは、生産者の理念ですから、
ウソつきは「沖縄産コーヒーの信頼を失墜させる」ことで論外ですが、
生産者それぞれに、いろいろな自由な考え方があっていいのです。
それでも県内でも複数のコーヒーの木を栽培している人は
まだ私が名前や住所まで知っているだけでも
40人ちょっとしかいないのですが、
これだけ理念が違う人たちがいるのが現状の中で
 ・生産者の交流、研修、講習
 ・栽培方法や加工方法、防風対策の指導や助言

などを行い、
「全体のレベルアップを図る」
という趣旨で
仮に「コーヒーの生産者団体」が県内に立ち上がったとしたら、
私は迷わずにその団体に入らずに、孤軍奮闘の道を選びます。

私は
「同じ作るなら丹精込めてより良いものを作りお客様に提供したい」
からです。
「良いものを目指すなら、徹底して最高のものを作り上げたい」
と本気で考えているのです。
そういった“最高のものを作る”ための仲間づくりであれば
共に知識や技術を供与しあって、切磋琢磨しながら
共にレベルアップしていきたいという気持ちはもちろんあります。

それなのに、海外産を混ぜたり、
栽培面積や栽培本数などをゴマかしたりするブローカーに近い生産者と
私がもし一緒の生産者団体に入ってしまったら、
私も当然のことながら
「田舎の怪しいお土産」
と思われてしまうはずで、
それならそういう“仲良しクラブ”的な、
誰でも入れる団体には入らず、
たとえ孤立したとしても
「岡田さんのコーヒーだから飲んでみたい」
といわれる道を進んだ方がいいと考えているのです。

いつか
「良いもの作りを目指す生産者だけの厳しい団体」
だって、県内に出来ることでしょう。
そういうホンモノの団体なら私も喜んで入りたいところです。

私が孤立したとしても、
もちろん、他の生産者に対する協力は惜しみませんよ。
私も和宇慶朝伝先生や山城武徳先生、
足立浩志さんなど諸先輩たちには
ずいぶん親切に教えていただきましたから、
私でも役立てることがあれば助言は惜しみません。

そういうことで、いま私が取り組もうとしているテーマは
「美味しいか、美味しくないか」
というあいまいな基準ではなく、
『沖縄の気候や土壌環境に最適な品種は何か?』
ということです。

これは花城良広先生にも7月にご助言いただきましたが、
私もまったく同感です。
沖縄では、残念ながらまだこれがわかっていないのです。
いってみれば、今年は
「沖縄産コーヒーの良品作り計画元年」
のような
「沖縄産コーヒーの歴史的な転換期に入った」
といってもいいかもしれません。
そう覚悟した生産者は私ひとりなのは寂しいですが、
「いずれ経過を見て同調される方も少しずつでも増えてくればいいな」
と気長に思っています。

リュウキュウヤマガメ110820-1.JPG
 バナナ園で草刈り中に、
 沖縄固有種のリュウキュウヤマガメの
 子供(体長約7〜8cm)を発見しました。


リュウキュウヤマガメ110820-2.JPG
 この子の親もすぐ近くに居て、
 巨大なスッポンくらいの大きさでした。
 親も撮影しようと甲羅をつかもうとしたら
 咬みつかれそうになったので、
 「再開した時に撮影させてもらおう」
 とあきらめたことがありましたが、
 彼の子に会うとは…。


リュウキュウヤマガメ110820-3.JPG
 リュウキュウヤマガメは本島ではヤンバルにしかいません。
 絶滅危惧種ですが、もちろん、コーヒー山にもいますよ。
 彼らは国の天然記念物にもなっています。


私は、
「コーヒーの木を元気に生育させれば、良い豆をつけるはず」
という当初の素人発想から、
「どれだけ木を自然のままに元気に生育させられるか」
となって、
「もともと森林で自生していたコーヒー原種をイメージして
 その森林栽培の再現がコーヒー栽培環境に最適じゃないかな」

「沖縄では台風と共生しなければいけない栽培環境なので、
 防風対策を考えると、自然の要塞の森林が最適じゃないかな」

と考えるようになり、
花城良広先生からの
『焙煎加工や味は二の次で、まず沖縄に最適なコーヒー品種を探すべき』
というアドバイスを真摯に受け止め、
改めて
「沖縄でのコーヒー栽培で良い豆を生産するための課題」
を改めて考え直しました。

@ 栽培する場所
 平坦地なのか傾斜地なのか、丘陵地なのか森林なのか、
 海からどのくらい離れているのか、土壌は何か、
 水はけはどうなのかなどを考える必要があります。
 土壌は本島中部以北の国頭マージが最適です。
 また風通しが悪いと病害虫が発生しやすくなります。
 西日だけが当たる場所は植物の生育はよくないです。

A 気温差と標高
 標高が高い=気温差がある、朝露が出る地域が最適、
 となると本島ではヤンバルが最適地になります。
 山城武徳先生や足立浩志さんも
  「国頭マージのヤンバルがコーヒー栽培の適地」
 といわれていました。

B 栽培品種が陽樹?陰樹?
 コーヒーは基本的に木陰の少ない光合成で生育する陰樹で、
 日なた用の品種は、プランテーション化に合わせて
 品種改良してきたものです。
 陰樹を直射日光の当たる日なた栽培すると、
 光合成の異常などで短命化してしまいます。
 そのため“コーヒーノキ”とか“アラビカ”というだけでは不十分で、
 「アラビカの何という品種なのか?」
 あるいは
 「どこから入手したのか?」
 という経緯からルーツをたどるとかが必要になり、
 木陰栽培なのか日なた栽培なのか、
 品種に適した場所を調べた上で植えつけるべきです。

C タネ植え
 中南米では、毛根が伸びやすいように砂地に種植えをしています。
 私も砂を入れたいのですが、川砂が入手できません。
 海砂は「水をかけて塩分を流した」と言っても…。
 コーヒーは発芽率は高いですが、発芽後に形が悪いものや
 成長が遅いものは勇気を出して間引く必要があります。

D 移植時期
 苗木の高さが30cm程度になり、
 根がポット内で巻かない頃が最適です。
 移植する穴は、苗木ポットの3倍以上の
 大きな穴を掘らないといけません。
 苗木も移植する場所の近くに置いて、
 環境に慣らした方がいいです。
 また台風が襲来しやすい8月と沖縄の厳冬期の1月の
 移植は避けた方がいいかな、と考えています。

E 水やり
 成木になるまでは水は定期的に必要で、
 小さい苗木ほど必要です。
 水道や井戸がない森林栽培では
 雨水バケツをあちこちに置く必要があります。

F 生産履歴などの栽培管理
 植えつけたコーヒーの木には、すべて通し番号を付けて、
 いつ、どういう肥料を、どのくらい投入したのかといった
 管理は当然必要になります。
 私も移植した約2,500本のすべての木に、
 まだ通し番号を付けていません。
 「安心」と「安全」は違いますが、
 『安全』を提供するなら、そのスローガンよりも、
 より真摯に“安全の意味”を考えないといけません。
 「灌漑用水の水は汚染されているから使わない」とか
 「化学肥料は1gも入れない」とか厳しい見かたが問われます。

G 加工方法
 脱穀機はお米の精米機メーカーの細川製作所が
 すでに高性能な加工機を開発して私も持っていますが、
 県内でも1カ所、コーヒーの収穫した実の加工機を
 作っているメーカーが判りました。
 ここは近日見てこようと思います。

H 台風対策
 沖縄は「台風銀座」といわれるように台風が多く、
 いわば「台風と共生する」考え方、
 つまり「台風に耐えうる堅固な農園作り」が求められます。
 地球温暖化による影響なのか、海流の変動や暖水渦の発生、
 海面上昇で長周期波浪などが起きたり、特に近年は
 南西諸島において猛烈な台風が
 かなりの高頻度で発生・襲来し、
 その脅威にさらされています。
 また襲来するコースや時期も多岐におよぶようになっています。
 その逆に、沖縄島嶼域を中心とした干ばつ・渇水に悩まされた歴史もあり、
 風水害・集中豪雨・土砂災害以外に
 少雨に対する両極端の災害対策が必要となるのです。

思いついたまま書いた@〜Hといった
基本的な諸条件を満たす地域は、
消去法で考えても、本島ではヤンバルの、
特に山岳地帯の民有林はコーヒー栽培には最適だと思います。

コーヒー山110819.JPG
 8月19日現在のコーヒー山。
 南側の谷をはさんで撮影しました。
 台風9号以降晴天が続き、
 雨乞い状態で、撮影当日は雨水バケツに一杯に溜まっている雨水を、
 オタマジャクシに注意しながら、柄杓(ひしゃく)で水撒きをしました。
 コーヒー山にはまだ水たまりも所々にあり、
 乾ききってはいないので1週間は大丈夫でしょう。


私も失敗続きの試行錯誤の連続ですから、
エラソーに書いていることはご容赦頂きたいのですが、
花城先生からのご助言をいただいて、
「沖縄でのコーヒー栽培は森林栽培が最良」
と、一層自信を深めています。

世界経済が混乱したり英国や中国などの暴動など
世界は未曾有(みぞう)の
「ソブリン恐慌に突入した」
ともいわれるようになりましたが、
こういう混沌とした世の中こそ
農福論や老福論を論じてほしいものです。
posted by COFFEE CHERRY at 17:33| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月17日

コーヒー山で私を威嚇するヒメハブ

コーヒー山ではハブは見たことがないのですが、
 ・獰猛(どうもう)なアカマタ
 ・コブラ科のハイ
 ・黄緑色の綺麗な臆病なリュウキュウアオヘビ
 ・雨水バケツ内に入り込んでオタマジャクシを追い回す俊敏なガラスヒバァ
 ・ツチノコのようなヒメハブ

といったヘビには時々出会います。

林床地110817-1.JPG
 本島全域を45時間も暴風域に巻き込んだ台風9号の影響で、
 ヤンバルの照葉樹林の枝葉もずいぶん吹き飛ばされてしまい
 コーヒー山の林床地もご覧のようにスカスカの状態です。
 ふだんはこんなに陽が入らず、木陰で木漏れ日が入るくらいですが、
 これだけ陽が入ると、森林内が乾燥してきてしまうのです。
 天気予報では当分「晴れ時々曇り」なので、
 にわか雨に期待したいところです。


「ハブ対マングース」
という観光客向けの残酷な見世物ショーは
動物愛護法で禁止されているようですが、
名護市の58号線バイパス沿いに
ショーの看板が出ていますよね?
私も昔、ショーを見たことがありますが、
檻(おり)の中のハブとマングースは
お互いに警戒し合って眼をそむけず、
ハブが動いた一瞬のスキを狙って
マングースが眼にも止まらない早さで
ハブの首に咬みついてしまうのです。
後味が悪く、見たことを後悔する残酷なショーです。

林床地110817-2.JPG
 林床地から空を見上げると、
 ふだんは枝葉で覆われて空がほとんど見えないのですが…。
 枝葉が覆いかぶさって、陽をさえぎってくれるまで
 1カ月はかかりそうです。


マングースは、本島中南部ではよく見かけますが
今やヤンバルにも出没して年間500頭前後が
捕獲されているそうです。


マングースはヤンバルの森でハブと出会ったとしても
戦わずにお互いにスルーしてしまうはずですよ。
見世物ショーでは彼らは狭い檻(おり)に入れられるので
やむなく命を懸けた死闘をせざるを得ないのですが、
森は広いのですから、何も命を懸ける必要性はないわけです。

アマレロの苗木110817-1.JPG
 移植時期が近いアマレロの苗木です。
 苗木は台風の影響はなかったのですが、
 イタジイなどの中高木の枝葉が吹き飛ばされたことで
 陽が入るようになり、コーヒー苗木たちにも
 陽が当たっています。


アマレロ苗木110817-2.JPG
 これも移植時期が近いアマレロ苗木です。
 ふだんは画像下のような木陰で
 時々木漏れ日が入る環境ですが…。
 今まで木陰で生育させてきたので、
 急に陽が当たると葉が日焼けしてしまうのです。


アマレロ苗木110817-3.JPG
 これも移植時期が近いアマレロ苗木です。
 画像左は雨水バケツです。
 台風の暴風雨で雨水バケツはどこも充分に
 雨水が溜まりました。
 陽が入ることで林内は乾燥してきますから、
 雨予報がないなら水やりもしないといけません。


コーヒー山で私がヘビに咬まれないのも、
ヘビが私を認識して、先に移動してしまうためです。
ヘビは偶発的に出会ってしまった時、
例えば、実際にコーヒー山で遭った話ですが
「ブルーシートを動かしたらヘビが居た」
とか、
「重ねた植え木鉢を持ちあげたらヘビが入っていた」
とかの場面では、
ヘビにも逃げ出す余裕がないために、
攻撃態勢に入ることがありますが、
充分に逃げられる余裕がある時は
ヘビの方が移動してしまうのです。

ヒメハブ110817-1.JPG
 ヒメハブは私を威嚇しているのです。
 撮影は私の主人がしました。
 すぐにも飛んでくるような感じで恐怖を感じます。
 沖縄では
 「頭が三角なのは毒ヘビ」
 なのです。


今日のコーヒー山では
南側に向かう山道を往復したのですが、
戻る時に気配を感じて注意深くあたりを見渡すと
通路にヒメハブが、すでに攻撃態勢に入っていました。
ヒメハブは通路上で動く様子もないので、
私が迂回して降りて行きました。

ヒメハブ110817-2.JPG
 このヒメハブは、近くの中山尾根(コーヒー山内)で、
 古くなった硬質プラスチック製の衣装ケースを
 雨水を溜めるために、黒バケツと併せて
 あちこち置いてあるのですが
 この半透明の雨水が入った衣装ケースの下に居たヒメハブのようです。
 初対面の時よりオタマジャクシをたくさん食べて
 かなり大きくなっています。
posted by COFFEE CHERRY at 20:32| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒー山の動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

自宅の啼鳥に国指定特別天然記念物が仲間入り

我が家では大型犬(ラブラドール)と室内で共生しているために
昨年7月に引越しする前のリフォーム時に
古くて傷んだ畳や襖(ふすま)を全部撤去してしまい、
貼り替えたコンパネの床の上には、
ペットに配慮した滑りにくく傷が付きにくいというキャッチフレーズの
少し厚めのクッションフロアを床全面に敷きつめてあります。

また、小さい床の間には、無造作に荷物を積み重ねていて、
山水などの水墨画の掛け軸や生け花、香炉がある
本来の、お客様のおもてなしの心という風情とはほど遠い
積み将棋のような、いつ崩れてもおかしくない
罰当たり的な“ミニ仮倉庫”になってしまっています。

地デジ難視対策衛星放送利用申込書110801.JPG
 7月24日に地デジ化移行後8月1日までの8日間は
 我が家は地デジ難民に陥っていました。
 本島北部や離島などの過疎地では、
 単純に地デジ対応のテレビ器機や
 チューナーの有無だけの問題ではなく、
 地デジの送信設備自体が不備で、
 私の住む集落でも完ぺきな地デジ化は
 半年後なのか1年後なのかも判らない状況なのです。
 総務省への問い合わせもしましたが事務的で冷淡な対応のために
 「地元の完全地デジ化までは地デジ難民でもしょうがない」
 と覚悟していたのですが、近所で
 「タダでチューナーを取り付けてもらい衛生でテレビが見えるようになった」
 というので、村役場に相談に行ったのです。
 村役場では予想外に誠実に親身に動いていただき、
 総務省にも連絡代行していただいたおかげで、8月1日に
 衛生アンテナとチューナーをタダで設置していただいて、
 テレビが見れるようになったのです。
 沖縄に住みながら東京のテレビ番組を見るのも不思議な感じで
 沖縄に接近する台風状況などは天気予報でも
 まったく詳細の説明がないものの、
 衛生でテレビが見れるようになったことで少し文化的になりました。


平安時代に貴族が住んでいた寝殿(しんでん)造りとよばれる住宅は、
京都御所内の紫宸殿(ししんでん)のように
中央に寝殿(しんでん)と呼ぶ中心的な建物が南側の庭に面して建てられ、
その両側(東西)に対屋(たいのや)という付属的な建物を配した
上から見ると「コ」の字形をした住居で、
中央の寝殿前の広い庭や池があり、
庭園では儀式や舞の舞台にもなったようです。

こけら葺きの屋根で板戸の突き上げ窓、
丸柱に板張りの高床で、屏風(びょうぶ)や押し入れ、床の間、
畳、間仕切りがない、といったシンプルなバリアフリーの
ワンルームがつながったような造りの住宅ですから、
人懐っこいヤンバルクイナの大生息地内にある我が家の周りには
ハブやアカマタ、バーバートカゲなどの爬虫類や
カエルなどの小動物などによる食物連鎖が
常態的に起きているサバンナや直線距離で約1kmの海を、
広義で庭や池に例えれば
我が家はさしずめ野生の王国内の“寝殿造り”なのかもしれません。
(そういえばヤンバルクイナも国指定天然記念物ですが、
 今日のテーマは別の野鳥のことです)

アカマタ110723.JPG
 夜、寝始めたときに妙な気配がしたので
 電灯を着けてあちこち見ていたら
 私のベッドの上の窓枠の桟(さん)をヘビが移動していました。
 アカマタの子供です。
 就寝中に頭にヘビが落ちてきたら誰だってイヤですから
 早目に気づいて良かったです。
 ヘビがどこから侵入したのかは不明ですが、
 別の日は風呂場の三角コーナーに
 ハブの子供を発見して大騒ぎになりました。
 室内で発見したヘビは可哀想ですが
 また家に侵入してくる可能性があるために
 剪定バサミで切り、ハンマー投げのように
 遠くに投げ飛ばしました。
 ハブは猛毒がありますが、アカマタは無毒のかわりに
 短気で獰猛(どうもう)な性格で、
 「同等の体長のハブも飲みこんでしまう」
 らしいので
 「アカマタがいるところにはハブはいない」
 ともいわれています。
 我が家の庭の内外ではカエルが多いために
 時々アカマタ君に出会いますが
 今のところヘビが先に移動してくれるので
 咬傷事件までは起きていませんが…。


ヘビの抜け殻110622.JPG
 我が家では洗濯機を風呂場の外に設置しているために
 台風の暴風雨で潮をかぶったりして故障がちです。
 その風呂場の小窓のアルミサッシの外側窓枠に
 約150cmのヘビの抜け殻がありました。
 庭の内外にはカエルがたくさん生息しているために
 ヘビも寄ってくるんですね。
 抜け殻の模様からはアカマタらしかった、と記憶しています。
 このブログではヘビやトカゲ画像が多く掲載されるために
 誤解される方が多いのですが、
 私は爬虫類が大好きなのではありませんよ。


ヒメハブ110728.JPG
 我が家の玄関前に潜んでいたヒメハブです。
 胴が太く、尻尾が細く短かく、ツチノコのような感じのヘビです。
 毒ヘビの特長である“頭が三角”なので
 「猛毒がある」とも言われていますが
 地元の人たちは
 「毒はほとんどない、踏んでも咬まれることもない」
 とも言う人がいます。
 でも咬まれたくはないです。
 体長は60〜80cmくらいかな、
 動かずにジッと獲物を待つタイプのヘビで
 草刈りをしていても保護色をしているためになかなか気づきません。
 ある意味“地雷”のようなものですね。
 撮影時はたまたま剪定バサミで雑草を刈り発見しました。
 玄関前で犬が毎日歩いているあたりなのに、よく無事だったものです。
 ヘビはスコップですくい上げて、これもハンマー投げの要領で
 ヤンバルクイナが歩くブロック塀の10mくらい外に投げ飛ばしました。


この寝殿造りは、
京都の公卿政権と鎌倉の武家政権が対立し
やがて武家政権が成立する鎌倉時代になると、
書院造りという実用向きの住宅に進化します。

書院造りの特長は
寝殿造りを武家社会に馴染むように実用的にアレンジした住宅形式で、
柱は丸柱から角柱になり襖(ふすま)や障子による引き戸が発達し、
いくつもの小部屋にきっちり区切って、そこに畳を敷きつめるようになり、
壁や天井も付けられ、格式が重んじられ、
対面・接客の機能を重視して造られました。

やがて室町時代後期から江戸時代初期にかけて
「書院造り」として発展するのですが、
 ・床の間
 ・引き違い棚
 ・付書院(=造り付けの文机)

という座敷飾り3点セットは、室町時代の東山文化の特長で、
また日本画の原点をなす水墨画や茶道の習慣も
中国(明)から渡来した時期でもあります。

それらが日本式住宅の基本的な形式として広まり、
安土桃山時代の、
「バブリー成り金紳士といえば金ピカのローレックス」
のような
権力者の威光やプライド、見栄といった
金銀まばゆい豪華絢爛(けんらん)な武家書院造りから
江戸時代には簡素な造りに変わっていきます。
江戸時代の4代将軍・家綱が、
わずか11歳で将軍就任の5年後に発生した、
江戸の大半を焼失した大火災・明暦の大火(1657年3月)を契機に、
江戸の都市改造が大々的に行われ、
天井絵や襖(ふすま)絵は少なくなり
茶室など作意を取り入れた清閑かつ質素で素朴な
草庵風住宅の数寄屋(茶室)造りへと変わり、
それが今の和風住宅にも引き継がれて
床の間には掛け軸やお花が活けられたりしている家もあるわけです。

「数寄(すき)」は、
「和歌や茶の湯、生け花など風流や風情を好むとか楽しむ」
ことで、
「数寄屋」は、
「好みに任せて造った風情ある屋敷」
というような意味で、それが“茶室”なのだそうです。
こういう茶道の基本理念でもある「侘(わ)び・寂(さ)び」の精神は、
残念ですが、今は日本人よりも
日本に観光に来る外人の方が詳しいかもしれません。

ノグチゲラ110720-1.JPG
 我が家の台所の窓のすぐ外側に
 高さ4mほどのシマグワが生えていて
 画像左下のようなトゲトゲの赤い実を付けるために、
 いろいろな野鳥が食べに来て、
 台所に居ながらにしてバードウォッチングが楽しめるのです。
 シマグワは漢字で書くと「島桑」で、桑の木ですが、
 シマグワは南西諸島や台湾、南中国に分布する落葉中高木で
 本土のヤマグワ(山に生える桑)とは少し違うようです。
 クワの名の由来は、蚕が葉を食べるので「蚕葉(コハ)」、
 あるいは「食う葉」が訛ったといわれています。
 画像の野鳥はノグチゲラで、これが今日のテーマです。


室町時代は足利将軍家による15代237年間も続きますが、
(平安時代は398年間、江戸時代は265年間ですから
 けっこう長く続きました)
書院造りが一般に広まったのは室町時代中期の
8代将軍・足利義政の東山文化の頃だといわれています。

足利義政は、
「政治は人任せで、芸能・文化・芸術に没頭」
して、
どこかの国の無能な総理のように
日本史の将軍としては低い評価しかないのですが
文化面では後世に功績を残していて、
文化面ではノーベル文化勲章か、
それ以上の評価があるべき将軍なのですが、
その東山文化の頃の中国は
明の6代〜8代皇帝の時代にあたります。

明朝は約280年の間に16人の皇帝が即位しましたから、
江戸時代の265年間で15代の将軍が即位したのと
だいたい同じような感じです。
明朝で名君といえるのは初代皇帝・洪武帝と
3代永楽帝くらいのもので、
明朝の全盛も永楽帝の時代で、
やがて衰退の道を歩み始めます。

明朝の歴史では、その衰退の主たる原因が
「北虜南倭」
があげられます。
“北虜”とは
「北方から侵入してくるモンゴル系民族」
を意味し、
“南倭”は
「中国南部の沿岸地域に出没する海賊集団“倭寇”」
のことをいいますが、
これらが
明朝に大きな被害をもたらし、
軍事費の支出増大により、
国家財政を瀕死の状態に追い込んでいったのです。

ノグチゲラ110720-2.JPG
 沖縄県の県鳥はヤンバルクイナではなくノグチゲラですが、
 両方とも我が家ではよく出会うものの、本島中南部の人でも
 実物を見た人は少ないんじゃないかな?
 なにせヤンバルにしか住んでいないのですから。
 もちろんノグチゲラはコーヒー山でも見かけますよ。
 沖縄が返還された1972年に国の天然記念物に指定され、
 1977年には特別天然記念物にランクアップしています。
 1993年には種の保存法施行に伴い、
 「国内希少野生動植物種」に指定されています。
 こんな珍しい鳥が私から2mほどの近くでシマグワを食べていて
 しかも台所正面のモクマオウに
 巣をつくろうと穴を開ける音が聞こえてきます。
 頭には赤い帽子をかぶったように見えます。
 警戒心が強い鳥で、人の気配を感じると
 すぐに飛び去ってしまいます。
 外からでは台所が暗いので鳥からすると見にくいので
 バードウォッチングが充分楽しめるのです。


かつて中国本土から追い出され、
北のモンゴル高原に退去したモンゴル民族は
北元を建国後、「タタール部」と「オイラト部」に分裂するのですが、
(“北虜”とは、この2つの部族の総称)
15世紀の中ごろにオイラト部を
也先(エセン・ハーン)が統一し
またたく間に東西貿易のシルクロード上の都市がある中央アジアを制圧し、
貿易商人から莫大な貢ぎ物を得たり重税をかけたりして、
さらに明との朝貢貿易を行って、莫大な利益を得ていたのです。

当初は明とモンゴル族(オイラト部)双方は
お互いの利益を優先して争いもなかったのですが、
オイラト部に従わない部族が独自に明領に入り込んだり
オイラト部の朝貢使節への恩賞をたくさんもらいたいがために
使節の人員を増大させたり、その申告人数が
大幅に水増しされていたことが露見されたりと
だんだんと小競り合いが多くなり、
ついに明が也先(エセン・ハーン)に対して、一方的に
貿易制限(2割程度に減らす)を通告したことで、
也先(エセン・ハーン)は報復のために、
数万の軍を率いて明の長城を超えて攻め込み、
これに6代皇帝・明英宗が50万の大軍で応戦するのですが、
明軍は北京の北の「土木堡」という部落で
数十万人の死傷者を出して完敗し、
6代皇帝・明英宗は草原の上に座り込んでいるところを
オイラト軍に捕虜にされてしまう失態を演じてしまうのです。
この年は足利義政が8代将軍に即位した年でもあります。

也先(エセン・ハーン)は、明皇帝という人質を楯に
有利な和睦条件を画策するのですが、
明では早々と7代皇帝・明景帝を即位させたために
人質としての利用価値がなくなり、
元6代皇帝・明英宗は無事に明に送還されて、
その後8代皇帝に復権することになるのです。

ノグチゲラ110720-3.JPG
 ノグチゲラは漢字で書くと
 「野口啄木鳥」というようにキツツキ科の鳥で、
 DNA解析では同じくキツツキ科のアカゲラの親戚らしいですね。
 縄張りは約4haもあるそうですから、
 高校野球が行われている阪神の甲子園球場のグランドの
 約2.7倍の広さを飛び回っていることになりますね。
 コーヒー山では樹幹の間を、Sinカーブを描くように
 優雅に飛んでいました。
 「画像を縦に90度修正し忘れた?」
 と思うかもしれませんが、
 ノグチゲラが横になっているので、
 画像は台所から見上げた通りなのです。
 体長30cm前後ある大きな鳥で威厳がありますよ。


「琉球」は、明の初代皇帝・洪武帝から授かった国名で、
明朝から琉球に冊封使(さくぽうし)が度々訪れるのですが、
明朝6代・明英宗の頃には
琉球では3代国王・尚忠王(しょう ちゅう)と
4代国王・尚思達王(しょう したつ)の時に冊封使が来琉し、
明朝7代・明景帝の頃には
5代国王・尚金福王(しょう きんぷく)、
6代国王・尚泰久王(しょうたいきゅう)の2回、
明朝8代・明英宗(捕虜から戻り再び即位)の頃は、
7代国王・尚徳王(しょう とく)の時に
冊封使節団が福州の五虎門(ごこもん、五虎島の海門)から
奉使船で那覇港に着き、
識名園が今の迎賓館のような感じで使節を歓待していたのです。

さて、6代皇帝の明英宗がオイラト軍に捕虜にされてしまったことで、
首都北京は皇帝不在の危機に陥ってしまうのですが、
当時、兵部尚書(へいぶしょうしょ、=国防長官)だった于謙(よけん)は、
南京遷都などを唱える無能で弱気な群臣の中で、徹底抗戦を強く主張し、
臨時執政職に有る、捕虜になった6代皇帝の弟を即位させ7代皇帝・明景帝とし、
也先(エセン・ハーン)が明皇帝の人質解放交渉を不利にさせてしまったり、
あるいは無能な官僚たちを粛清して明軍の士気を高め、
北京城の西側の徳勝門めがけて攻め込んでくるオイラト軍を迎え撃ち
激戦の末に、ついにオイラト軍は退却し、
于謙の智略と勇気のおかげで明は救われたのです。

その後、明とオイラト両軍に正式に講和が成立して、
捕虜になっていた6代皇帝は明に無事に帰還してくるのですが、
帰国して「上皇」となった元皇帝は、
非常時とはいえ実弟・明景帝が7代皇帝になっていることで
兄弟の関係が気まずくなり、
やがて弟の7代皇帝が病に伏すと、
兄の元皇帝は、
権力欲の塊りで卑しい官僚たちに担がれて
8代皇帝に返り咲いてしまうのです。

皇帝の側近になって権力を手に入れた卑しい彼らは
智略縦横にして清廉潔白、勇往邁進(ゆうおうまいしん)、
人民の信頼を一手に得ている救国の英雄・于謙には
嫉妬やひがみだけでなく、邪魔な存在ですから、
彼らは于謙の失脚を図り、
「捕虜になった明英帝の同意無しに、
 実弟の明景帝を7代皇帝に即位させたことは反逆罪だ」
と、于謙は冤罪で投獄されてしまうのです。

ノグチゲラ110720-4.JPG
 ノグチゲラは野口啄木鳥と書くので、
 「野口さんという方が発見したのでしょ?」
 と思うでしょうが、
 明治初期にノグチゲラを発見したのは
 ヘンリー・プライヤー(Henry James Stovin Pryer)という
 英国人の動物学者なのです。
 プライヤーの内妻が野口姓らしいので
 「ノグチ」が冠に付いたのかもしれませんね。


最難関の官吏試験「進士(しんし)」合格者には
官界のエリートとしての将来が約束されていて、
合格は「50歳でも若い方」といわれているのに、
于謙は23歳で合格してしまうのですが、
彼の才能を疎(うと)ましく思う朝廷側近や官僚たちに
何かと昇進の妨害をされ続けながら
27歳で御史
(ぎょし、官吏監視・監察といった取り締まり役の皇帝直属の役職)
32歳で兵部右侍郎
(へいぶうじろう、左右は“補”の意味で、兵部は国防=国防次官)
と昇進しています。

当時は(今もそうですが)賄賂(わいろ)や貢ぎ物を得るのが
慣行化されていたために
優秀で清すぎる于謙は職場の同僚や部下からは
嫌われていた存在でしたが、
「両袖清風(せいふうりょうしゅう)」
とは、
任地から都へ戻る時に、両袖に清々しい風だけを入れて帰るという、
私利私欲にとらわれない清廉潔白な官僚の例えですが、
このことわざは于謙に由来しているとされています。

卑しい私心で権力にしがみつく厚顔無恥な官僚たちによって
救国の英雄・于謙は冤罪で処刑されてしまうのですが、
于謙は博識博学ですから多くの漢詩も残しています。

「薫風(くんぷう)」というのは
初夏、若葉の香りを送るように
さわやかに吹く南風をいう言葉で
上古の舜帝(しゅんてい、伝説の天帝)が
五弦琴を弾きながら歌ったと伝えられる
『礼記注疏(れいきちゅうそ)』の「舜弾五弦之琴其辞」には

 南風之薫兮
 可以解吾民之慍兮
 南風之時兮   
 可以阜吾民之財兮

 
 南風の薫(くん)する
 以て吾が民の慍(いかり)を解く可(べ)し
 南風の時なる
 以て吾が民の財を阜(ゆたか)にす可(べ)し


というのがあって、
于謙はこの詩句に基づいて“薫風”を使い、
以下のように「偶題」という、
即興の詩を残しています。

 薫風何処来
 吹我庭前樹
 啼鳥愛繁陰
 飛来不飛去
         

 薫風(くんぷう) 何処(いずこ)よりか来(きた)り
 我が庭前(ていぜん)の樹を吹く
 啼鳥(ていちょう) 繁陰(はんいん)を愛し
 飛び来(きた)りて飛び去らず


「清々しい初夏の風がどこからか来たり、
我が家の庭先の樹を吹く。
鳴き声をたてる鳥は茂った木陰を愛し、
飛んで来たまま飛び去ろうとしない」

という意味で、
庭先の何げない情景の描写の中に
夏の訪れを感じさせる詩です。
本当は先月初旬にこの原稿を書いていたのですが、
ノグチゲラの画像が不鮮明なので、
撮影し直そうと思っているうちに
台風9号が来てしまい、
シマグワの実も吹き飛ばされてしまいました。

ahinobu-coffee110808.JPG
 コーヒー山の南山尾根で、昨秋移植した苗木です。
 早々と根が活着したのは嬉しいのですが…。
 コーヒー山で唯一、品種が不明なのです。
 “しのぶ”さんというお名前の方から苗木を譲渡して頂きましたので
 コーヒー山では「しのぶコーヒー」と呼んでいます。
 尾根にあるために、始終風にさらされています。
 特に東の谷から吹きつける東風が吹き抜ける尾根なので
 今回の台風9号でも長時間暴風雨にさらされ続けましたが
 今のところ不思議に耐えしのいでいます。
 今後、尾根にヤンバル在来種の防風林を植えて防風強化を堅固にするか、
 あるいは、黒ポットに入って移植準備中の「しのぶコーヒー」の苗木たちは、
 避難して別の場所に植えることになるかもしれません。
posted by COFFEE CHERRY at 18:26| 沖縄 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | コーヒー山の動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

台風9号のコーヒー山の被災状況と、その教訓

片道2時間以上の日帰りではコーヒー山の作業効率が悪いので、
昨年7月に本島南部の南風原町から国頭村に引越ししたのですが、
その2ヶ月後の8月31日に、
沖縄本島の東南東海域(太平洋側)から
沖縄本島に接近したコンパクトながら強い台風7号は
午後5時過ぎに東村から上陸し、
ヤンバルを横断して国頭村のリゾート地・オクマ(奥間)に抜け、
その後古宇利(こうり)島を経由して伊是名島方面に進行したのですが、
北部一帯では風速40m以上の暴風雨が吹き荒れ
中北部一帯では大規模な停電になり、
我が家でも54時間も停電し、
しかも電話が故障していたので電話開通は、
それから16時間も後のことでした。


深山幽谷のヤンバルは、中国大陸との分断で
ノグチゲラやヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった
希少な動植物が生息して固有種が分化する
原始の生命が息づいているイタジイなどの照葉樹林帯で、
国頭村の総面積の、実に87%が山林原野で
自然の恵みと共生しているのですが、
逆の意味では、たいへんな“過疎地域”ということですから
台風になると、お決まりの「長期停電」が
言わば、要らないオマケみたいな“セット”になっているのです。

リュウキュウヤマガメ110808-1.JPG
 国指定の天然記念物で絶滅危惧種のリュウキュウヤマガメです。
 ヤンバルの他には久米島や渡嘉敷島にも生息しているようですが、
 なかなか出会うことはありません。
 私も昨年7月にコーヒー山で出会ってからですから1年ぶりです。
 国頭村の東西の横断道路・県道2号線が
 台風9号による土砂崩れで途中から不通になっているために
 大国林道と与那林道を迂回しないと国道58号線に出られないのですが、
 コーヒー山近くの林道上にいるリュウキュウヤマガメに出会いました。


先週の台風9号は、
昨年の台風7号と、軌跡こそ違いますが
またしても沖縄本島の東南東海域(太平洋側)から
沖縄本島に接近してきました。

3日(水曜)夕方には南大東島の南海を
ゆっくり西(沖縄本島南部)へ進み
糸満市沖を、人間が歩くような速度で
円弧を描くように迂回したため
4日(木曜)午後から6日(土曜)お昼過ぎまで
沖縄本島は実に46時間にもわたって
暴風域にさらされてしまいました。

沖縄本島が24時間以上暴風域に留まり続けたのは、
7年前の2004年(平成16年)8月の台風18号以来のことで、
また沖縄が40時間以上暴風域に巻き込まれたのは、
10年前の2001年(平成13年)9月の台風16号の時に
53時間暴風域に入ったことに次ぐ、
歴代2番目の出来事なのです。

近年、温暖化の影響なのか台風は大型化し、
襲来コースも多岐になり、
また時期も今までは7月〜10月初旬という
海水温が暖かい時期と決まっていましたが、
今年の台風1号、2号の接近が5月だったように
今後GW明けでも要注意になりそうです。

リュウキュウヤマガメ110808-2.JPG
 彼は国の天然記念物ですから、
 なでしこJAPANより格が上なので
 本来触れてはいけない動物ですが、
 彼は車が近くに来ると動かなくなる習性があり、
 車からすると“石”にしか見えないのです。
 昨年も林道で車に轢(ひ)かれた仲間の悲惨な遺体を見ました。
 そのため彼を拾い上げ、至近距離のコーヒー山のバナナロードで
 解放してあげました。


台風9号の最大瞬間風速は、
琉球新報によると、
 ・那覇市 43.1m
 ・名護市 44.8m
 ・うるま市宮城島 49.6m
 ・国頭村奥 45.8m

でしたが、
暴風域に45時間もさらされ続けていたので、
瞬間最大風速自体はそれほどでなかったにしても
その影響は大きかったのです。

また、降水量もすさまじく、
4日(木曜)午後10時から6日(土曜)の午前9時までの
35時間の降水量は、
 ・那覇市 386mm
 ・名護市 537mm
 ・本部町 671mm
 ・国頭村 508mm

と、
いずれも観測史上最高値を記録したようで、
今帰仁村の呉我山や国頭村の横断道路(2号線)など
17か所以上の土砂崩れや、
糸満市で真栄平の土地改良区では大規模な農地冠水被害も発生し、
(地下ダムの影響?)
農産物も多大な被害を被ってしまいました。

黒ポットのコーヒー苗木110808.JPG
 暴風の洗礼を浴びたスダジイなどの中高木の枝葉が
 雨あられとコーヒー苗木の黒ポットに降り注いでいました。
 数千ある黒ポットを目視点検し、苗木にかぶさっている
 枝葉を取り除くだけでも大変な根気と時間が要りますが
 苗木たちから「痛いよ、取り除いて」と訴える声が聞こえるので
 入念に見てあげないといけません。
 中には500円硬貨くらいの直径の枝木が
 かぶさっている苗木もありましたが、
 コーヒーは苗木の時期は柳のような感じで柔らかいので
 かぶさった枝葉や枝木を取り除けばOKなのです。


今回の停電もピーク時は10万世帯を超えたようで、
冷凍庫が停電になったスーパーやコンビニなどでは冷凍食品の廃棄や
車の洗車でガソリンスタンドに行列になってみたりと、
台風の後遺症は各方面に残しました。
我が家でも今回は停電の復旧まで56時間を要し
その間は冷凍庫や冷蔵庫を開けることは出来ませんでした。
電話やネットの開通はさらに遅れて8日(月曜)の夜10時のことでした。

ヤンバルでは「オール電化」は自殺行為になります。
停電で断水になり、お湯も沸かせないので
HI調理器具も不必要ですし、
高額の太陽光発電も、屋上に設置したパネルが飛ばされたり
暴風でパイプが破損するなどして、
それでなくとも電気代で投資回収するのに15年以上もかかるのですから
ヤンバルではなかなか難しいと私は思います。
我が家の屋上にも、前に住んでいた方が設置した
太陽光パネルが台風で壊れ、
そのままオブジェとして残っていますが、
これだって台風でいつ吹き飛ばされるか
いつも心配しています。
我が家の水は山の自然な水で、
塩素の入った一般の水道ではありませんから、
台風だけでなく大雨でも水は茶色くにごることがありますが
断水することもなく、しかも何といっても“タダ”なので、
水に関しては、都会に比べると恵みをふんだんに受けています。

主幹の先端が折れたコーヒー110808.JPG
 主幹の大事な先端が、倒壊してきた枝木が当たったことで
 折れてしまいました。
 こういうのは、主幹の先端近くから、また新しい主幹が出て来るのです。
 樹形は少し歪(いびつ)というか、
 真っ直ぐな1本のきれいな主幹ではなくなるので、
 再生しても強度的には弱くなってしまいます。


さて、前置きがとても長くなりましたが
コーヒー山には台風一過の8日(月曜)に行って
被災状況を確認してきました。
ひとことで言えば、
コーヒーは
「ほとんど無傷」
で、
暴風域に45時間もさらされたことで、
私も少し心配もしていたのですが、
想定外、といっては山に失礼ですが
心配は杞憂に終わりました。

もちろん、イタジイなどの中高木は
直接暴風を受けるのですから、
枝葉が吹き飛んだり、一部は倒壊するなどして
木漏れ日が入る程度の遮光の森林内も、
中高木の枝葉が飛ばされたことで
陽をさえぎることが出来ずに
森林内は見通しが良くなり、
空を見上げても、青い空や白い雲が
見えるようになってしまいました。

倒壊したコーヒー110808.JPG
 森林内でもともと朽ちていた木を切らずに見落としていると
 朽ち木は暴風で簡単に折れてしまいます。
 大事なコーヒーが、朽ち木が倒壊して直撃したことで
 下敷きになってしまいました。
 こういう場合は、放置しておくと根付いていれば
 “カットバック”という、新しい幹が根元付近から出てくるのですが
 これだと時間がかかるので、植え替えするかどうか
 もう少し様子をみたいと思います。


中高木の枝葉が茂り、
地面から天を見上げても
そよ風になびいた枝葉の間から
まぶしい空が見えるようになるまでは
最低1カ月以上かかりそうです。

コーヒーの具体的な被災としては、
 ・苗木ポットに、頭上から枝葉が振り落とされてきている
 ・苗木ポットが大雨で水抜きが悪くなっているものが
   数%程度あった
 ・移植したコーヒーの木が数本、
   暴風で倒壊した木の直撃を受けて折れてしまった
 ・尾根に移植したコーヒーの木が数本、
   暴風で斜めに倒されかけていた

といった程度の軽微なもので、
沖縄では台風は避けて通れない試練ですから
「防風対策」
は必須条件の1つですが、
「森林内の中高木の樹幹に植える栽培方法では
  中高木が暴風をさえぎり、森林はまさに天然の要塞」

といえて、
沖縄でのコーヒー栽培は、
ヤンバルでこそ活路がありそうな気がします。

恩納村の故・山城武徳先生に
「台風対策」をお聞きした時に言われた
「自然には自然で立ち向かうべきだ」
という名言を戴いたのですが、
森林栽培こそ、まさしく“沖縄流”だと思います。

イノシシ被害110808.JPG
 画像では判りにくいのですが、
 イノシシに掘られた地面を撮影したものです。
 この時期はイノシシの好物のドングリがないために
 体長30〜40cmもある巨大なヤンバルオオフトミミズを探し、
 強靭な鼻をブルドーザーのように押し進めて
 いわば地面を“開墾”してしまうのです。
 時々苗木黒ポットにまで鼻を押しこめているような跡を
 見ることがありますが、
 コーヒーにはカフェインというアルカロイド(=毒)があり、
 イノシシはこれを嫌って、直接コーヒーを狙うことはないのですが、
 ミミズを取るために、コーヒーの近くを掘ることはあるのです。
 コーヒー山では、ある意味台風よりもやっかいなのが
 イノシシなのです。


コーヒーを森林栽培するということは、
除草剤や農薬、化学肥料とは無縁の世界で
畜産堆肥も使わない自然農法をするということですが、
将来的に、コーヒー山で収穫したコーヒーだけでなく、
いろいろな果樹を食べられるような喫茶コーナーも
循環農業や自然エネルギーといったことを考えると、
中米のニカラグア北部のコーヒー農園
「セルバ・ネグラ(Selva Negra)」
を目標にすることになりそうです。

私はニカラグアに行ったことがありませんから、
本やネットでの情報しかありませんが、
「セルバ・ネグラ」
では、
国内の電気代が高いので
電気は風力発電とソーラー発電による自給でまかない、
汚水溜めで発生したメタンガスを利用したり、
オーガニックファームとして農産物の栽培や畜産を飼育して
食材も完全自給だったり、
レストランからでる生ゴミはミミズとバクテリアで分解するとか、
農園内には結婚式用チャペルやバンガローまであり、
ジャングルトレッキングも行えるそうです。

もちろん、コーヒー山では畜産飼育はしませんが、
国頭村内には畜産農家が多く、
良いものを作る理念を掲げる農家も多いので、
全部私がやらなくても提携すればいいのですから、
私はより良い品質を求めて精進すればいいわけです。
というわけで、
最初から「セルバ・ネグラ」を意識していたわけではなくて、
目指す方向性が同じなので、
最近意識するようになりました。
いつか現地を視察してみたいものです。
posted by COFFEE CHERRY at 16:29| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 台風の被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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