2011年10月13日

星の王子さまから学ぶ無念無想の境地

「星の王子さま」
というと、
三遊亭圓楽師匠が
生前、笑点で自身のキャッチフレーズに使われていたことが
想い出されますが、
今日はサン・テグジュペリの名作の方の話です。

著者のサン・テグジュペリは作家でありながら戦闘機のパイロットで、
祖国フランスがナチス・ドイツに講和したことに嫌気がさして
アメリカに亡命してしまうのですが、
第二次世界大戦の終戦3年前(1942年)に
クリスマス用の子供の絵本の創作を出版社から依頼されて、
それまで書きとめていた、
おとぎの国の王子たちの話をまとめた物語が
「星の王子さま」
です。

星の王子さま.JPG
 「TBS新訳・星の王子さま」で、全部読めますので、
 興味のある方はご覧ください。



「星の王子さま」は終戦2年前(1943年)に出版されるのですが、
彼は本がベストセラーになることを知らずに
1944年7月31日、彼は単独で北アフリカ方面の偵察飛行中に
地中海でドイツ空軍主力戦闘機メッサーシューミットに遭遇して撃墜され、
44歳で亡くなってしまいました。
 ・1944年6月6日ノルマンディー上陸
 ・1944年8月25日パリ解放

ですから、
ナチス・ドイツが連合軍の侵攻で劣勢になった時期でもあり、
残念なことです。

「星の王子さま」は、
飛行機が故障して砂漠に不時着した飛行士(ぼく、作者本人)と、
不思議な金髪の少年(王子さま)の出会いを綴った物語です。

王子さまの小さな星には、たった一本、薔薇が咲いていて、
王子さまとその薔薇は恋をしていたのに、
薔薇は我がままで高慢だったため、
二人の恋はうまくいかないまま、王子さまは自分の星を離れ、
旅に出てしまい、星を転々と渡り歩いて最後の星・地球にやってきて、
地球でいろいろな生物や人間に出会い、
王子様の星に戻っていく、というSTORYで、
素直で真摯に美しく、人生を深くみつめて生きる意味を問いかける、
子供より大人が読むべき哲学書です。

SMAPの
「世界に一つだけの花」
というヒット曲の歌詞は
「いくら他にたくさんのバラがあろうとも自分が美しいと思い、
精一杯世話をしたバラはやはりいとおしく、
自分にとっては一番のバラなのだ。
かけがえのない大切な人、大切なものには時間をかけること。」

という、
「星の王子さま」の小説の内容が元になっているようです。

なぜ「星の王子さま」を取り上げたのかというと、
王子さまがキツネに出会う21章の場面に深く感銘したからです。
21章を詳しく知りたい方は、下記のWEBをご覧ください。
これも「TBS新訳・星の王子さま」です。

コーヒー山111013.JPG
 今日は晴れのち曇り、夕方から恵みの雨
 今年は雨が多く、コーヒーたちは元気に生育しています。



21章では、キツネが王子さまと別れるときに
心で見ないと物事はよく見えないってことさ。
 肝心なことは目には見えないんだよ。』

というのですが、
私はもともと、特に植物に接するときの気持ちを重要視しています。
植物にも敬意をもって接するようにしています。
コーヒーの実を収穫しても
パーチメント豆は植えれば発芽する“生命”ですから
脱穀以降の工程は「酷」に感じるときもあるくらいなので、
「心で見る」
という部分には深く共鳴してしまうのです。


作家・評論家の宮崎正弘さんの
「国際ニュース・早読み」
というメルマガの
読者の声に対する宮崎先生のコメントに
「アラブのタッチウッド慣習」
という記述があり、
そこにはこんなことが書かれていました。
縁起の悪いことを見たり聞いたら
 木に触ると厄を回避できるという信仰」

がアラブにある、というのです。

京都の須賀神社の厄塚の柱を触ると
「厄払い」
になるといわれているようですし、
古来から
「木は精霊を宿す」
といわれて
樹木に宿る精霊を木霊(こだま)といい、
山に「ヤッホー」と大声をあげると
山びこで反響して声が還ってくるのは
「因果応報の教訓」
だけではなく、
木霊(こだま)の仕業、という迷信もあります。

また、沖縄県に伝承される木の精は
「キーヌシー」
といって、
妖怪・キジムナーはキーヌシーの一種だともいわれています。

また、山には神が宿るとされて、
古来から日本人は
山や海、川、森林、大木、石などの
自然そのものに神が宿るという自然崇拝・自然信仰の考え方があり、
沖縄の御嶽(うたき)はまさにその典型です。

私も意識はしていないものの、
周りからみれば自然崇拝派なのでしょうが、
実際にコーヒー山でも、邪心あふれる方は
次々に山に入れないような状況に陥っていますから
コーヒー山も、スピリチャルスポットといえそうなのです。

今日のテーマの
「無念無想(むねんむそう)」
というのは、
仏教では、
「無我の境地に入りすべての想念から離れること」
を意味し、
あらゆる雑念をはらい、すべての想念から離れ、心が透明になり無我、無心の
禅宗で行われる“坐禅(ざぜん)”の境地になることで、
老子の
「無為自然の瞑想」
も、これに近い意味があります。

「リンゴの奇跡」
というと、
青森県の木村秋則さんが、
堅忍不抜(けんにんふばつ)の末に
絶対不可能といわれたリンゴの自然栽培を成し遂げた
立派な方ですが、
今回名護市図書館からお借りした本、
「ニンジンの奇跡(赤峰勝人・著)」
でも、
私にとっては実に興味深い記事を発見しました。

著作権に触れたら、以下の転用は削除することにして
興味深い部分をそのまま書き写しましたので
まずはご覧ください。

ニンジンの奇跡.JPG

第五章 循環の中に生かされる
種を撒くときは心穏やかに
 植物は本当に繊細です。
 私たちの心を
見透かしているのではないかと思うときさえあります。
 種を撒くときも、その種に気持ちを集中していないと、
 見事に発芽しなくなります。
 ましてや怒りをもって撒くと、種が死んでしまいます。
 うそだと思うでしょうが、何度も経験しましたし、
 そういう例を嫌というほど目撃しています。
 あるとき、かつて学校の教師だったという人が畑を手伝いに来ました。
 とてもプライドの高い人で、何かのことでカッとなったのでしょう。
 一緒に畑でキュウリの種を撒いていたのですが、
 突然、怒って口をきかなくなりました。
 振り返って顔を見ると、真っ青な顔をして、かなり怒っている表情でした。
 「ははぁ」と思って、彼女が撒いたところに、
 あとで印をつけておいたのです。
 キュウリは四、五日で発芽するので、四日経って畑に行ってみると、
 案の定、印がついているところだけ、
 まったくキュウリが生えていませんでした。
 「種を撒いている途中に、あんた怒ったやろ。だから、ここから生えんやったんよ」
 と言いましたが、プライドの高い人だったので、納得がいかないようでした。
 とにかく怒りの心で種を撒くと、種は発芽しません。
 …


著者の赤峰勝人さんは、
大分県臼杵(うすぎ)市で
無農薬、無化学肥料の循環農法で野菜を育て
問答塾、百姓塾、なずなの会を組織されている
生産者です。

私は新聞やNHK、本などは
今まで誤っているところが多々あるし、
変に洗脳しようと感じるので、
基本的に全部は鵜呑みにしないことにしてします。
前述の記事も、
単純に「面白い」とか「興味深い」というだけではなくて、
私自身もそういう経験というか、
似たような経験がけっこうあって、
この記述を見て
「なるほど、やはりそういうことだったのか」
と“ガッテン”したわけです。

キツネが王子さまにアドバイスしたように
「心で見る」
なら、
私はなおさら
「コーヒーの立場」
で考えてあげなければいけないことに
改めて気づきました。

夏目漱石が英国留学から帰国し、
本郷区駒込千駄木町(現・文京区向丘)の借家で書き上げた、
 吾輩(わがはい)は猫である。
 名前はまだない。
 どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
 何でも薄暗いじめじめした所で
 ニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
 吾輩はここで始めて人間というものを見た。
 しかもあとで聞くとそれは書生という
 人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。
 この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。
 しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。
 …

で始まる「吾輩は猫である」でも、
「猫の立場」
から見ていますよね。

生まれて間もなく捨てられて名前もないくせに
エラソーに自分のことを吾輩という猫が、
苦沙弥(くしゃみ)先生の家に転がり込んでくる。
人間は不徳なものだと車屋の”黒”から教えられた吾輩は、
人間ウォッチングを鋭く行う。
苦沙弥先生の門下生・寒月、美学者の迷亭、
詩人の東風などがやって来ては太平楽や俗世間に対する攻撃などを並べて語り、
さまざまな人間模様が垣間見える。
というSTORYです。

明日からなお一層
「コーヒーの立場」
に立って作業をしないといけません。
posted by COFFEE CHERRY at 21:14| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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