2011年12月17日

神秘的で魅力的なコーヒーの葉の並び方

山紫水明処の珈琲山では、いろいろな植物が群生しています。

冬の季節になると森林内の樹木の樹勢が弱まり、
木の種類の判別がしやすくなります。
しかもこの時期に花が咲いていたら、さらに判りやすいです。
縁に細かな鋸歯(きょし)が並び
クチクラ層でピカピカした厚手の葉は
ヤマツバキ(ヤブツバキ)で、
これから赤やピンクの花を咲かせます。
タネには良質の油(椿油)が含まれていますが、
搾油(さくゆ)して精製するなんて、
なかなか出来ませんが、
新鮮な葉には、タンニン、クロロフィルなどが含まれているようで、
葉をするつぶし、切り傷、擦り傷、おできなどの患部に塗布すると
効果があるようですし、
花を乾燥させて煎じると、
滋養強壮、健胃・整腸に効果があるらしいです。

コーヒー山に自生する在来植物の多くには
きっと漢方薬的な効能があるはずですし、
また、山を歩き回っていても
木の名前を知っていたり、
その樹木や植物の生態を知っていると楽しいですよね。

そういう木の種類の判別基準のひとつが
「茎に葉がどのようについているか」
という葉序(ようじょ)で
葉が対生(たいせい)についているのか、
互生(ごせい)についているのかは
大事な目安になります。

葉の根元にあたるところは節(ふし)と呼ばれているのですが、
互生(ごせい)というのは、
茎の節に1枚の葉が互い違いに出ていることで、
珈琲山の代表的な照葉樹林である
ブナ科のスダジイ(イタジイ)やイジュを始めとして
樹木の多くはこれに該当します。

1つの節に茎をはさむように2枚の葉が左右対称につく対生樹木は、
クスノハカエデ.(カエデ科)やゴモジュ(スイカズラ科)、
シマタゴ(モクセイ科)などわりと少なく、
コーヒーは、その対生で葉がついているのが特長です。

コーヒーの枝葉111217.JPG
 コーヒーの葉は幹に左右対称の対生(たいせい)に付いている。

樹木は、枝に多数の葉を付けた方が
たくさんの光を受けられるのですが、
葉と葉の重なり合いがあまりに多いと、
下の方にある葉には
上方の葉の隙間を透過した光しか当たらなくなるので、
受光効率が悪くなります。
そこで、コーヒーの葉序は、
葉と茎を接続している小さな柄、
つまり葉柄(ようへい)部分を少し伸ばし
葉どうしの重なり合いが少なるように
葉身を互いに離れるように付けているのです。

重なり合うコーヒーの枝葉111217.JPG
 コーヒーの枝葉は成木になるにしたがい密集してしまいます。
 陽が当たらない葉は、当然光合成がしにくくなります。


さらに、
光合成をするという葉の役割の面から
葉身の上面が上空を見上げるように並び
受光効率が高まるように並んでいて、
茎と葉身はほぼ一つの平面を形成しているわけです。
天狗のアイテムの団扇(うちわ)はヤツデの葉ですが、
コーヒーの枝葉も、ひとつの面状になっているのです。

毎日見ていると何かと見過ごしがちですが、
注意深く観察すると、
コーヒーは、なかなか神秘的で魅力的な木なのです。
まさに
「たかがコーヒー、されどコーヒー」で、
コーヒーはなかなか侮れません。
日々、コーヒーはいろいろなヒントを出してくれているのに、
私がなかなか気づいてあげられないのが、もどかしいところです。

コーヒーの枝葉111217-2.JPG
 緑色の若い茎は、動きやすいように断面が凹型になっていて
 その枝に付いている葉と同じ面を形成するために
 90度近く茎をねじる。
 ねじりの修正が終わると、茎の断面は円形状になる。


posted by COFFEE CHERRY at 18:14| 沖縄 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | コーヒーの基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月15日

寒さで凍えそうなオオハブムカデに遭遇

先週から最低気温が20℃を下回る日が時々あり、
沖縄も寒い冬の訪れを感じるようになりました。

コーヒー山では、ハブには不思議に遭わないのは
私との活動時間帯が違って、
昼夜で入れ替わっているためだと思いますが、
この寒さでヘビたちは冬眠こそしませんが、
かなり凍えて動きが鈍くなるので、
山での対動物での危険度からすると、
冬場はせいぜいイノシシくらいで、
安全な季節ともいえそうです。
イノシシといっても、リュウキュウイノシシは
神戸とか街中に出没する大型で危険なイノシシと違って
基本的には大人しいです。
子連れだとか私が威嚇するとかでもしない限りは
イノシシも何もしてきません。
イノシシからすれば
「このエリアは本来我々の生息域なんだけど、何してるの?」
と思っているのでしょう。

最近、やんばるでは雨が多く、昨日も午前中降雨があり、
午後から自宅に隣接するバナナ園などの草刈りをしていました。

すると、草の中から何やら黒いものが…。
よく見ると大きなハブムカデです。

オオハブムカデ111215-1.JPG
 草の中をノロノロと這い出してきたのは
 オオハブムカデでした。


コーヒー山でも、移植作業中などに
オオハブムカデやヒメハブが
飛び出してきたことは何度かあり、
お互いに驚いてしまうものです。
「オオムカデ類はヒトに対して能動的に攻撃する」
といわれるものの、
ハブムカデも驚いたのか軽快で俊敏な動きで逃げ去り、
今までとても撮影する機会はなかったのです。

日本で最大級のムカデは
「トビズムカデ」
といって、
体長20cm近くになるといわれていますが、
沖縄のハブムカデは、20cm以上あり、
一説には
「ハブ以上の猛毒を持っている」
ともいわれています。
ハブ以上ではなくとも、毒は持っているでしょうから
咬まれたくはないですね。

オオハブムカデ111215-2.JPG
 黒漆五枚胴具足をまとった伊達政宗公のように
 威厳と風格のオーラが出ていますが、
 「寒いょ、寒いヨ〜」と
 寒さで凍えてなかなか前進できません。


コーヒー山のような朽木や雑木林の落ち葉の中など
やや湿り気のある薄暗いところに生息するようですが、
肉食性なのでゴキブリやバッタ、蛾、
昆虫、幼虫など小動物を捕食しているようです。

ムカデは中国では蜈蚣(ごこう)という漢方薬として
アトピー性皮膚炎の治療に使われているそうですから、
アトピーが今も残る私の娘にも使ってみようかな。

オオハブムカデ111215-3.JPG
 だいたい等身大の大きさです。
 動きが鈍いのでデジカメを取りに行って戻ってきても
 ノラリクラリと30cmも進んでいませんでした。
 活発に動く時期なら怖いですよね。

posted by COFFEE CHERRY at 18:17| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒー山の動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月13日

忠臣蔵の忠義を考える

1702年(元禄15年) 12月14日というと、
当時は旧暦ですから
西暦(グレゴリオ暦)では1703年1月30日のようです。
正確には1703年1月31日 (水曜日)の
雪が深々と降る午前4時ごろ
大石内蔵助を筆頭に47人の赤穂浪士たちが
本所松坂町の吉良邸に討ち入り、みごと本懐を果たし、
「忠義の誉れ」
として現在に伝わっているのは、
あえて言うまでもありません。

映画での大石内蔵助役は
長谷川一夫が
「おのおの方、討ち入りでござる」
と言ったのは、
1964年の東京オリンピックの年に
たしか当時白黒テレビで見たと思うのですが
NHK大河ドラマの「赤穂浪士」だったと記憶しています。
長谷川一夫以外にも、この最も重要な主役は
阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、松本幸四郎、
萬屋錦之助、松方弘樹、里見浩太郎、北大路欣也、
中村吉右衛門、高倉 健などといった、
そうそうたる時代劇のスター達が行い、
瑶泉院役も、
星 玲子、玉木悦子、大川恵子、司 葉子、山本富士子、
三田佳子、古手川祐子といった
古手川祐子はともかくとして大女優の面々が演じてきました。

討ち入りをした赤穂浪士たちは、
なにしろ忠義の誉れのヒーローですから、
私たちが映画やドラマで知っている有名な場面も
演劇化による、かなり誇張された脚色も手伝って
逸話や伝承の類が多く出てきます。

吉良邸討ち入り前に、
そば屋の二階に集結して最後の酒宴をして、
出て行くときに小判を4〜5枚(現・40〜50万円)置いていくとか、
討ち入り8か月前に、
病にかかって寝込んでいた岡島八十右衛門に代わって
江戸へ下向した神崎与五郎が
駿河三島宿の甘酒茶屋で馬喰の丑五郎との間に争論がおこり、
神崎はここで騒ぎになる訳にはいかないと、おとなしくその証文を書く
「与五郎わび証文」も史実ではないようです。

さらに
討ち入り直前にこれまで散々迷惑をかけた兄に
弟・赤埴源蔵重賢(あかばねげんぞうしげたか)は
今生の別れを告げようと兄宅を訪れるも兄は留守、
義姉もどうせ金の無心にでも来たのだろうと
仮病をつかって出てこない。
やむなく源蔵は兄の羽織を下女に出してもらって、これを吊るし
兄に見立てて酒をつぎ
「それがし、今日まで兄上にご迷惑おかけしてきましたが、
 このたび遠国へ旅立つこととなりました。
 ぜひ兄上と姉上にもう一度お会いしたかったが、
 残念ながら叶いませんでした。これにてお別れ申し上げる

と、兄の羽織に涙を流しながら酒を酌み交わし、
帰って行く、という「赤埴源蔵、徳利(とっくり)の別れ」とか、
吉良邸絵図面を何とか手に入れるため、
岡野金右衛門は吉良上野介の本所屋敷の普請を請け負っていた
大工の棟梁の娘お艶と恋人になるが、
金右衛門はやがて本当にお艶に恋するようになり、
彼女から絵図面を手に入れたことに自責の念を感じ、
金右衛門は忠義と恋慕の間で苦しむ。
討ち入り後、泉岳寺へ向かう赤穂浪士を見守る人々の中に
涙を流しながら岡野を見送る大工の父娘がいた、
という「岡野金右衛門とお艶の悲恋」も
お涙頂戴の創作のようです。

また
藩主浅野長矩(ながのり)の刃傷事件後に開城恭順を主張して、
籠城・殉死・切腹を唱えた大石内蔵助一派と対立した
末席家老・大野九郎兵衛(くろべえ)は
公金の分配でも、大石は微禄の者に手厚く配分すべきとしたのに対して、
大野は石高に応じて配分すべきと主張し、
結果、大石の意見どおりに配分され、
大野は藩内で孤立し、公金を横領し逃亡した
不忠臣の代表格といわれていますが、
大野は逃げた訳ではなく、大石が万一失敗した時に備えた
第2陣の大将であり、米沢藩へ逃げ込むであろう吉良を待ちうけて
米沢藩(山形県)の板谷峠に潜伏していたものの
大石の討ち入りが成功したという報を聞き、
大野は歓喜してその場で自害したという「大野第2陣説」や
大高源五は子葉の俳号を持ち、俳人としても名高い赤穂浪士で
吉良邸に出入りする俳人宝井其角(たからいきかく)とも親交があり、
討ち入りの前夜、大高は煤払(すすはらい)竹売に変装して
吉良屋敷付近を探索しているときに、
両国橋で宝井其角と偶然出会う。
其角(そかく)は、「西国へ就職が決まった」と別れの挨拶した源五に対し
「年の瀬や 水の流れも 人の身も」
と発句し、大高はこれに
「あした待たるる この宝船」
と返し、仇討ちをほのめかすという
「大高源五と宝井其角の両国橋」の場面も
史実ではないようです。

また、
放蕩の限りを尽くして遊び呆ける大石内蔵助を
京都の一力茶屋で見つけると、
「亡君の恨みも晴らさず、この腰抜け、恥じ知らず、犬侍めが!」
と罵倒し、ののしって大石の顔につばを吐きかけた
薩摩の剣客・村上喜剣は
大石が吉良上野介を討ったことを知ると
無礼な態度を恥じて大石が眠る泉岳寺で切腹し、
大高源五の墓の隣にある「刃道喜剣信士」という戒名が彫られた
小さい墓は村上喜剣のものであるという話や
勝田新左衛門の義父が
討ち入りメンバーを記した号外かわら版をひったくって
婿の名前を探す場面だとか、
さらに
大石内蔵助が討ち入り前日に
江戸南部坂(現在の港区)に住む
浅野内匠頭の未亡人・瑶泉院に会いに行き、
同士の連判状を届け、討ち入り決行を報告しようとするのですが、
吉良側の密偵を警戒し
「ある西国の大名に召抱えられることになりました。
 再びお目にかかることもかないません。
 東下りの旅日記を持参ました。」

と断腸の思いで偽りを伝え、仏壇に参ることを許されず
降りしきる雪の中で今生の想いを伝える大石、
夜中に内蔵助からの旅日記を盗む密偵、
それを捕え、旅日記を見るとそれは同士の血判状、
やがて入る討ち入りと本懐を遂げた知らせが入り、
大石の別れの意味を悟り短慮を悔いる瑶泉院…
この名場面も創作なのです。

討ち入りの午前4時ごろに
大石が太鼓を打ち鳴らした、というのは
「静かに潜入しようとしているのに太鼓なんか打ち鳴らすはずない」
と、私が真っ先に疑った場面ですが、
「街道歩き」
を見ると、
どうも本当にあったことのようですね。


史実とドラマは別ですが、
史実と違うことを十分理解しながらも、
そして結末を十分理解しながらも、
見て感動してしまいながら、
事件の真相というのが今ひとつ解からないというのも
忠臣蔵の面白さなのかもしれません。


江戸時代後期の儒学者で
日向国宮崎郡(現・宮崎県)出身の安井息軒(やすい・そっけん)は
元禄赤穂事件について
「赤穂浪士の一番偉かったことは、
 吉良邸討ち入りを果たしたあと、
 勝手に切腹したり自害したり逃亡したりせず、
 皆従容と幕府に出頭し、素直に法度の裁きを受け、
 その裁きに従って切腹したこと

と述べています。

赤穂藩取り潰しと吉良へのおとがめなしという幕府の判断に対し、
喧嘩両成敗の法度の無視へのレジスタンスとして、
赤穂浪士は吉良邸討ち入りを果たし本懐を遂げるのですが
それだけでは国法の無視であり、無法に過ぎなくない。
「無事に本懐を遂げたあと、国法に服したところが素直に偉い」
と言っているのですね。

一方、福沢諭吉は、「学問のすすめ」の中で、
赤穂浪士を酷評しています。

学問のすすめ111213.JPG
 新渡戸 稲造(にとべ いなぞう)の「武士道」は
 三民(農工商)の上に立つサムライの精神として
 「上に立つ者の義務」すなわち、
 五常の徳(仁義礼智信)を基に
 「仁義・節義・忠義・信義・礼節」
 などに置き換え、さらには
 「廉恥(れんち)・潔白・勇気・名誉」
 などの徳を加えて三民の手本となるべき生き方を
 要求するなど、
 厳しい自己規律をもって
 不正や卑劣な行動を禁じ、
 いかに気高く生きるかを説いた行動の美学が
 「武士道」でしたが、
 これらは福沢諭吉の「独立自尊」と同じことで
 明治になって市民平等になり武士階級がなくなった
 近代社会で国民全員が持つべき価値観を
 具体的に説いた本が「学問のすすめ」で、
 決して強制的な「勉強をしろ」という押しつけの本ではないのです。
 なかなか読みやすい本ですよ。



以下は、青空文庫の「学問のすすめ」
赤穂事件についての記述をコピーしました。


 昔、徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討ちとて
吉良上野介を殺したることあり。
世にこれを赤穂の義士と唱えり。
大なる間違いならずや。
この時日本の政府は徳川なり。
浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来もみな日本の国民にて、
政府の法に従いその保護を蒙(こうむ)るべしと約束したるものなり。
しかるに一朝の間違いにて上野介なる者内匠頭へ無礼を加えしに、
内匠頭これを政府に訴うることを知らず、
怒りに乗じて私に上野介を切らんとして
ついに双方の喧嘩となりしかば、
徳川政府の裁判にて内匠頭へ切腹を申しつけ、
上野介へは刑を加えず、この一条は実に不正なる裁判というべし。
浅野家の家来どもこの裁判を不正なりと思わば、
何がゆえにこれを政府へ訴えざるや。
四十七士の面々申し合わせて、
おのおのその筋により法に従いて政府に訴え出でなば、
もとより暴政府のことゆえ、最初はその訴訟を取り上げず、
あるいはその人を捕えてこれを殺すこともあるべしといえども、
たとい一人は殺さるるもこれを恐れず、また代わりて訴え出で、
したがって殺されしたがって訴え、四十七人の家来、
理を訴えて命を失い尽くすに至らば、
いかなる悪政府にてもついには必ずその理に伏し、
上野介へも刑を加えて裁判を正しゅうすることあるべし。
 かくありてこそはじめて真の義士とも称すべきはずなるに、
かつてこの理を知らず、身は国民の地位にいながら
国法の重きを顧みずしてみだりに上野介を殺したるは、
国民の職分を誤り、政府の権を犯して、
私に人の罪を裁決したるものと言うべし。
幸いにしてその時、徳川の政府にて
この乱暴人を刑に処したればこそ無事に治まりたれども、
もしもこれを免(ゆる)すことあらば、
吉良家の一族また敵討ちとて
赤穂の家来を殺すことは必定(ひつじょう)なり。
しかるときはこの家来の一族、
また敵討ちとて吉良の一族を攻むるならん。
敵討ちと敵討ちとにて、はてしもあらず、
ついに双方の一族朋友死し尽くるに至らざれば止まず。
いわゆる無政無法の世の中とはこのことなるべし。
私裁の国を害することかくのごとし。
謹(つつし)まざるべからざるなり。


要するに
「幕府の裁定が不満なら、幕府に異議を訴え出よ。
 それをせず無法に武力で復讐するとは何ごとか」

と言っているのですが、
同時に
「我々は腐敗した徳川政権を倒した、
 徳川とは違って我々は民主主義なんだ」

というエラソーな気ぐらいも感じられますね。
人それぞれ、いろいろな見かたがあって良いと思います。


播州赤穂浅野藩の家老・大石内蔵助ら
四十七人の旧赤穂藩の藩士達は、
主君・浅野内匠頭の仇を討つために
命懸けの討ち入りを敢行し
見事に本懐を遂げた“忠義”が
「誉れ高い」と語り継がれてきたのは、
江戸時代から明治維新を経て、
戦前昭和の日本人を貫く精神が
武士道と大和魂、忠孝の思想だったからです。
ところが大東亜戦争の敗戦を契機として
これら「日本的な価値観」は
マッカーサー司令官より軍国主義の鼓舞につながるとして、
すべて悪として切り捨てられてしまいました。
一時は柔道と剣道の禁止令までも出されていました。

ハワイの日系3世・藤 猛(ふじたけし)が
ボクシングの世界王座獲得後に
「岡山のおバアちゃん、見てる?」
「勝ってもかぶってもオシメよ(=勝っても兜の緒を締めよ)」
「ヤマトダマシイ!」
と、リング上で叫んでいたのを
私が小学校の高学年の頃に
父とテレビでいたのを想い出しましたが、
 ・大和魂
 ・武士道
 ・倫理観

そんな精神的風土が薄れつつある今の日本で
「忠臣蔵が若者層で今ひとつ人気がない」
というのも残念でなりません。

「大和魂」ではありませんが、
沖縄では個々にコーヒー栽培に取り組んできた諸先輩方がいます。

名護市の親川仁吉さんが、戦前
ブラジルからアラビカ種の苗木を持ち帰り、
自宅庭で栽培されたのが
沖縄コーヒー栽培のルーツとしては
今のところ最古になっていますが、
私はもちろん、残念ながらお会いしたことはないのですが、
和宇慶朝伝先生以降の先輩たちには
ご教授を受けてきました。

和宇慶先生は戦後ブラジル丸でブラジルに渡り
現地に移民された妹さんから
「ブルボン種のタネをもらい、苗木をふところに隠して持ち帰った」
と、直接伺いました。
ブラジル丸が移民船として使われたのは
1963〜1971年という
東京オリンピック(1964年)あたりから
大阪万博(1970年)あたりまでの
沖縄復帰前のことです。



和宇慶先生が延べ200人に行った
「コーヒー教室」
で、
ただ一人残ったのが恩納村の山城武徳先生です。
山城先生が約3千坪の農地で
コーヒー栽培をされている現場を拝見して
私はコーヒー栽培が行える安堵をし、
同時に決心をしたのです。
山城先生は沖縄復帰後の第一人者でした。

東村の足立弘志さんにもとても親身に親切にしていただきました。
和宇慶朝伝先生は2年前に104歳で大往生され、
山城武徳先生は昨年大腸ガンで(享年81歳)、
足立弘志さんも2年前の大みそかと、
相次いで戦後の沖縄コーヒーを代表する先輩方が亡くなっています。

先輩方は、行政の支援は一切無い孤立無援の状況下で
試行錯誤を繰り返しながら、最後に亡くなるまで
コーヒー栽培をやり通しました。
その教えや知恵、教訓から学んだことは多く貴重です。

先人の情熱、遺志を継ぎ、定着、大成させることが
先人たちに対する「忠義」だと私は受けとめています。


佐藤一斎先生が
後半生の四十余年にわたって書かれた
「言志四録」(言志録、言志後録、言志晩録、言志耋(てつ)録))
に、
「老人の一話一言は、皆活史なり」
があり、
「お年寄りの話や言葉は、その人の人生の体験史だ」
という意味ですが、
先人から貴重な知識や情報を得ることのできたのは
とてもありがたいことだと思っています。

また、
「赤子(せきし)の一啼一咲は、皆天籟(てんらい)なり。
 老人の一話一言は、皆活史なり」

とも書かれています。

「赤ん坊の泣き声、笑い声は皆、
 無邪気で偽りのない自然のもたらす素晴しい音楽である。
 老人の話や言葉は、すべて経験を物語る活きた歴史である。」

という意味ですが、
これは壺中有天(こちゅうてんあり)の“天”の境地でとらえた考え方ですから、
もう少し深く解釈すると、
「天籟(てんらい)」は、天地自然の音ということなので、
「人間が自然と一体化する」
ということだと思います。
ということは、
自然のままにありのままに生きる。
泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑って、
自分の心をごまかさない。
雨が降る時には雨が降り、風が吹く時は風が吹き、
雪になるときは雪になる。
人の力でそれらを止めようなどということは、やめた方が良い。
天地と一体となって生きてゆく事が、
正しい人間の生き方ではないか、
といっているように思えます。


南宋の儒学者朱熹(しゅき、朱子)の
「宋名臣言行録(そうめいしんげんこうろく)」
は、
北宋の名臣97人の言行録が編纂した書物ですが、
この中に、
「智猶水也、不流則腐」
(智はなお水のごときなり、流れざれば則ち腐る)
があり、
「知恵は水のようなものである。
 工夫して知恵を働かさなければ腐ってしまう。」

という意味で、
先人たちの教えや教訓を土台にして、
さらに試行錯誤して、
探究していかなければない責務を担っているのだと覚悟しています。



『てぃんさぐぬ花』の歌詞     
(1)
  てぃんさぐぬ花や            ホウセンカの花は
  爪先(チミサチ)に染(ス)みてぃ     爪先に染めなさい。
  親(ウヤ)ぬゆし事(グトゥ)や      親の言うことは、
  肝(チム)に染(ス)みり         心に染めなさい。

(2)
  天(ティン)ぬ群り星(ムリブシ)や   天の群星は
  読(ユ)みば読(ユ)まりしが      数えようと思えば数えきれるけど、
  親(ウヤ)ぬゆし言(グトゥ)や     親の言うことは、
  読(ユ)みやならん           数えられない。

(3)
  夜(ユル)走(ハ)らす舟(フニ)や       夜、沖に出る舟は
  子(ニ)ぬ方星(ファブシ)見当(ミア)てぃ   北極星が目当て、
  我(ワ)ん生(ナ)ちぇる親(ウヤ)や      私を産んでくれた親は
  我(ワ)んどぅ見当(ミア)てぃ         私が目当て。

(4)
  宝玉(タカラダマ)やてぃん       宝石も
  磨(ミガ)かにば錆(サビ)す       磨かなくては錆びてしまう
  朝夕(アサユ)肝(チム)みがち     朝晩心を磨いて、
  浮世(ウチユ)渡(ワタ)ら       世の中を生きていこう。

(5)
  なしば何事(ナングトゥ)ん     誠実に生きる人は
  ないる事(クトゥ)やしが      後はいついつまでも、
  なさん故(ユイ)からどぅ      願いごともすべて叶い
  ならぬ定(サダ)み         永遠に栄えるのです。

(6)
戦する意味に 意味を重ねても
渡す命のかずには 何の意味があるの


このYoutubeでは上記(6)の歌詞になって曲が終わっています。
大東亜戦争の末期、本土決戦の時間稼ぎのために、
沖縄が「捨て石」にされた沖縄戦で、
死者行方不明者の半数(約9万4千人)が民間人であり、
戦争を憂いたオリジナルな歌詞にしていますが、
ふつうは(6)は下記のように歌い、
(7)以下は順番が違ったり、カットされたり
歌詞を変えたりといろいろです。

(6)
誠(マクトゥ)する人(ヒトゥ)や       成せば何事も
後(アトゥ)や何時(イチ)迄(マディ)ん   成ることであるが、
思事(ウムクトゥ)ん叶(カナ)てぃ      成さぬ故に
千代(チユ)ぬ栄(サカ)い          成らないのだ。

(7)
行(イ)ち足(タ)らん事(クトゥ)や     行き届かないことは
一人(チュイ)足(タ)れい足(ダ)れい     一人一人が足しあいなさい。
互(タゲ)に補(ウジナ)てぃどぅ        お互いに補い合ってこそ
年(トゥシ)や寄(ユ)ゆる           年は取っていくものだ。

(8)
あてぃん喜ぶな        いくら金や物があっても喜ぶな。
失なてぃん泣くな       また、失ったからといって嘆き悲しむな。
人のよしあしや        人間の善し悪し、人の評価というものは
後ど知ゆる          最後になってわかるものだ。

(9)
  栄てぃゆく中に     栄えていくなかにも
  慎しまななゆみ     謙虚でなくてはいけない。
  ゆかるほど稲や     稲も実るほどに
  あぶし枕ぃ       あぜ道を枕にして、腰を低くするではないか。

(10)
  朝夕寄せ言や        お年寄りの朝夕の教訓は、
  他所の上も見ちょてぃ    世間の例を見て素直に耳を傾けるがよい。
  老いのい言葉の       老いの繰り言などと
  余りと思な         思うのではない。


「てぃんさぐぬ花」
は、
沖縄の代表的な民謡、
ホウセンカ(鳳仙花)は
爪紅(ツマクレナイ)、爪紅(ツマベニ)の別名があるように
赤い花は昔、
マニキュアのように爪を染めるのに使ったようです。
触れるとはじける果実が目を引くホウセンカは
花言葉「私に触れないで」もそれに由来するようです。
韓国でも、爪にホウセンカの汁を塗り、
初雪まで色が残っていたら恋が実ると言う伝承があるらしいのですが、
単に
「男女の掛け合いで、恋の歌」
というより、
先人の教えを歌った教訓歌で
世の中の教えを説いた、いわゆる格言を歌にしたもので、
それが黄金言葉(くがにくとぅば)として歌い継がれているのです。
posted by COFFEE CHERRY at 21:32| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月09日

宮崎産マンゴーからひもとく沖縄産コーヒーの方向性

沖縄でのコーヒー栽培者は、
木を1本庭に植えている方から数百本規模まで含めると、
離島も含めて私が知っているだけでも
すでに100人を超える方々がいますので、
実数はもっともっと多いはずです。

また、新規の栽培希望者も続々と登場してきていて、
大げさにいえば、
「西部開拓時代のゴールドラッシュ」
とまではいきませんが
“プチ・沖縄コーヒー栽培・ラッシュ”
の感が出てきています。

ローゼルの花111209.JPG
 自宅の庭に咲いたローゼルの花です。
 ガクを生のまま熱湯をかけると、
 鮮やかな赤いRoselle teaの出来上がりです。
 酸味が効いてクセになるくらい美味しいです。
 もちろんジャムにも出来ますよ。
 沖縄では10月中旬頃から年内一杯が旬です。



沖縄は今年は台風台風の当たり年で
・5月下旬の2号、大型で葉タバコなど戦後最大の農産物被害
・6月下旬の5号
・8月上旬の9号、本島が45時間暴風雨圏に入り夏野菜が壊滅

と、
3回の台風の襲来で
県内の農産物の被害額としては戦後最大に上りました。

沖縄産コーヒーは、昨年に引き続いて不作でした。
例年、春の降雨がコーヒーの開花を促すのですが、
昨春は曇天ばかりで、晴れ間も降雨も少なかったために
生豆に班が出たり、軟らかかったり、浮豆が多かったりと、
生産者が満足するような良い豆が生産出来なかったのです。

今年は台風の影響も含めて平年以上の降雨があり、
照葉樹林に守られた自然の要塞のコーヒー山では
おかげさまで台風の被災もほとんどなく、
コーヒーの生育は順調そのものでしたが、
他のコーヒー農園は日なた栽培ですから、
3度の台風による被災がかなりあり
・南城市の知念コーヒーは壊滅的
・南風原町の大城コーヒーでも同様で収量は激減
・東村の渡嘉敷コーヒーは今春500本のカットバックを行い
 収量がしばらくは激減

・大宜味村のハウス栽培では台風の被災で撤退化
と、
親交の深いコーヒー農園の現況は、
「良くはない」
というより、
「今年は最悪」
という方が近そうです。
これに関連し、
珈琲豆脱穀機を開発された細川製作所様から
果肉除去機の試作機のデモの日程の打診を頂きましたが
収穫直後の実が集まらないことで
「時期は後日調整」
ということに至ってしまいました。

そういう中でも、
「魔法の打ち出の小づちを持っている」
というウワサのあそことあそこは、きっと
「注文があればすべて納品できる」
態勢なのでしょう。

「沖縄産コーヒーに海外産を1粒でも混ぜたら、もう沖縄産といえない」
「海外産を混ぜるなら正直に公表するべきだ」
という私の考え方は、
このブログを継続的にご覧いただいている方々であれば
充分に理解していただけていると思いますが、
そもそも
『沖縄産』
の定義自体があいまいなことが問題なのです。

将来的には、沖縄コーヒーの生産者団体の
必要性が生じてくるものと思います。
もちろん、単なる親睦団体ではなく、
厳しい基準を設けて、
しっかり公正に管理・指導出来うる生産者団体のことです。

生産者であれば
・栽培面積
・栽培本数
・栽培品種
・農法
・収穫量
・加工方法
・生豆生産量
・保存方法
・使用した肥料の種類と施肥時期、数量

など、
消費者に沖縄産の「安全」や「安心」を認知して頂くためにも
traceabilityの導入は今後不可欠ですから、
それらは本来明らかにできて当然ですし、
また
「生豆を堂々と提示する」
ことも当然のことなのです。

こういうことが徹底出来ないのは
個々の生産者の考え方によっては
「そんな細かいことはいちいち公表する必要性がない」
「企業秘密だから言えない、見せられない」
という用管窺天(ようかんきてん)の方々もいるでしょうし、
「少しの囮(見本)で信用させて、実際の中身はほとんどが海外産」
という犯罪まがいの呆れた産地偽装生産者も実際にいるからです。

フヨウの花111130.JPG
 コーヒー山近くのフヨウ(芙蓉)の花です。
 ローゼルの花によく似ています。
 フヨウ(芙蓉)はアオイ科フヨウ属の落葉低木で
 英語名は「Hibiscus mutabilis」ですが、
 ローゼルもアオイ科フヨウ属の植物で、
 英語名は「Hibiscus sabdariffa」というように
 “Hibiscus”(フヨウ属)のグループです。




なぜ、しつこくそういうことを持ち出すのかというと、
一躍有名になった
宮崎県の完熟マンゴー「太陽のたまご」の事例を考えると
沖縄産コーヒーの将来に暗雲が立ち込めるように思えるからです。

最初の頃は、おそらく沖縄産マンゴー生産者の誰もが
「宮崎のマンゴーなんて…」
と慢心して高を括(くく)っていたのでしょうが、
後発の宮崎産マンゴーは周到な準備・分析をして
消費者のニーズに応え、
現在では沖縄産マンゴーを脅かすようになっています。

宮崎マンゴーは、
1976年(昭和51年)に南郷町の県亜熱帯作物支場で導入され、
その後農家らが部会を立ち上げて試行錯誤しながら試験栽培等を重ね、
1986年(昭和61年)に、お米の減反政策の代替作物として
西都市で本格栽培が始まりました。
もう25年の歴史があるのです。

もちろん沖縄産に比べると宮崎産の歴史は浅い。
そのために後発の宮崎マンゴーは
後発優位のマーケティング戦略を組み立てました。
・すでに沖縄産が国産の市場を創っているので、
 宣伝広告は製品価値を伝えるのではなく、
 ブランド訴求をするのみで良い

・先発(沖縄産)の失敗事例を分析・対応することで、
 技術開発について無駄な投資が抑えられる

・独自の改良をすることで別の新しさ、価値を訴えることで
 先発(沖縄産)の市場を奪い取れる

ということですよね。

要するに、先発の沖縄産は圧倒的優位の市場を占有しながら
確固たる追随を許さないポジションを築けないうちに、
後発の宮崎産に消費者に新しさ、既存にはない価値を
創られてしまったのです。
それは“基準”づくりの差です。

オクラの花111209.JPG
 自宅庭に咲いたオクラの花です。
 この花もローゼルやフヨウに似ています。
 オクラはアオイ科トロロアオイ属ですが、
 以前はフヨウ属(Hibiscus)に分類されていたようです。



1998年(平成10年)に、
JA宮崎が「太陽のタマゴ」のブランド名を制定しました。
宮崎産であれば、何でも「太陽のタマゴ」と名乗れるのではなく、
 @1玉350グラム以上
 A糖度15度以上
といった基準だけではなく、
 ・自然に落果するまで樹上で完熟させる
 ・果実裏側に日照を反射させる白紙をあて、裏側も赤くさせる
 ・果実を高い位置で栽培させる
 ・日照に当たるようにヒモで吊る
 ・すべての果実に生産者を特定する数字を記入する

など、
自然に甘いマンゴーが作れないために
技術を駆使していて、
努力の結晶が結果を出してきているのです。

果実は大きさや糖度などで5段階に分類され、
A品といわれる「太陽のタマゴ」ブランドは
全体の1割程度だそうです。
その技術代が小売価格5000円以上という
高価格になっているのも、
充分に理解できるところです。

こういった「基準づくり」の発想が
残念ながら沖縄県にはまったくありません。
「ただ沖縄でつくったマンゴー」
というだけなのです。

2008年度の年間出荷量(国産)総数は約2,843トンで、
そのシェアは
 ・1位 沖縄県 1,538トン(54%)
 ・2位 宮崎県  862トン(30%)
 ・3位 鹿児島県 307トン(11%)
 ・4位 熊本県   97トン(3%)
 ・5位 和歌山県


沖縄産マンゴーのシェアは年々減少傾向にありますが、
ランチェスターのシェア理論では
「三社以上の競争であれば、過半数を占めなくても
 市場の41.7%を占有すれば
 安定目標値として首位独走の条件となる」

といわれていますが、
現状では沖縄産マンゴーは“安泰”ではないと思われます。
なにせ
「ただ沖縄でつくったマンゴー」
なのですから。
「なんくるないさー」
とは
「“難”来るないさー」
ではないはずです。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色
盛者(じょうじゃ)必衰の理(ことわり)をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ


平家物語の冒頭、平氏が没落していく
「栄華は続かない。栄えていても落ちてゆく。」
様子が、沖縄産マンゴーのようです。

昨年引っ越しする前の南風原(はえばる)町の知人は
「今からマンゴー栽培に参入」
されると言われて、これは心配ですが、
国頭村辺土名で無農薬栽培でマンゴー栽培に挑戦されている
愛知県出身の若いご夫婦に先日お会いしました。
こちらは応援したいですね。

基準づくりをしない沖縄産マンゴーの衰退をみていると、
今後の沖縄コーヒーの方向性も見えてくるわけです。


クミスクチンの花.JPG
 クミスクチンの花。
 東村の「森のハーブガーデン」で撮影しました。
 シソ科の低木多年草生で、
 マレー語で「クミス」は“ヒゲ”を、
 「クチン」は“ネコ”を意味しているように
 和名では「ネコノヒゲ」と呼ばれています。
 腎臓炎、腎臓結石、膀胱炎など
 腎臓疾患の改善に効果がある健康茶として、
 古来から沖縄では愛飲されていますが
 様々なの改善に効能があるとされています
 やらせで打ち切りになった「発掘!あるある大事典」では
 お肌のケアとかダイエット効果を取り上げていたような
 記憶がありますが、さてどうだったでしょうか。



冒頭の“プチ・沖縄コーヒー・ラッシュ”では、
いろいろなウワサを耳にします。

何やら大きなプロジェクト化しようとする動きもあるようです。
そういう動きからすると、やがて沖縄産コーヒーにも
親睦団体が出来る可能性もありそうですが、
産地偽装するインチキ生産者や
ブローカーまがいの人が生産者のフリをしても
誰でも入れる親睦を目的とするだけの団体であるなら、
私は意味がないので入会することは有り得ません。
その場合には将来的にですが、
宮崎産マンゴーの事例からも、
しっかりした栽培指導や基準づくりをしながら
全体の底上げをしていく、
別の団体を興す必要性も出てくると思います。
賛同する生産者がどれだけいるかが問題ですが、
入り口を厳しく、最初は数軒でも集まればいいと思っています。

キクイモの花111203.JPG
 キクイモの花。
 東村の「森のハーブガーデン」駐車場の周囲に
 咲き乱れていたので撮影しました。
 キク科ヒマワリ属の多年草で黄色い花がきれいですが、
 在来種の植物を駆逐して繁殖エリアを拡大するので、
 外来生物法によって要注意外来生物に指定されているようです。



沖縄産コーヒーでの大きなプロジェクト化のウワサは、
いろいろな仕組みづくり、役割がてんこ盛りになっているらしく
クリスマスケーキのデコレーションのようで賑やかそうですが、
一番大切なことは仕組み作りよりも
「木を元気に生育させて、良質の実をつけること」
が肝心かなめの本分なはずですが、
新規参入者には共通していえることですが、
どうもコーヒー栽培を簡単に考えているようで、
収穫時期や収穫量まで、全部うまくいった仮定で
構成されているのだとすれば、
砂上の楼閣になってしまう危惧もあるかもしれません。

織田裕二が演じる青島俊作巡査部長が主人公の
『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年公開の第1作)
のクライマックス場面で、
青島巡査部長がパトカーの無線で
「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだexclamation
と叫んだ名セリフを想い出してしまいました。

映画は、湾岸署と警察庁の組織の中心で
意思決定をするところの間に摩擦や矛盾が生じても、
現場が一生懸命事件を解決していくというSTORYになっていて、
意地とプライドの塊の本部のエリートたちは
会議で好き勝手に方針を決めますが、
そのエリートの中で現場をよく理解している人もいれば、
全く理解しないまま自分たちの手柄だけを考えている人たちがいて、
現場を理解している人の代表が柳葉敏郎でしたね。

沖縄でのコーヒー栽培は、まだ確立されていません。
私は時間がかかっても次の世代に良い形で受け継いでほしいので、
品種探しや栽培方法など、もっともっと研究しないといけない責務があり
地道に自分の道を進む決心を改めて固めた次第です。


「中庸」第二段第一節には、こう書かれています。

仲尼曰:
“君子中庸,小人反中庸。
君子之中庸也,君子而時中;
小人之中庸也,小人而無忌憚也。”


仲尼(ちゅうじ)曰く、
君子は中庸なり。小人は中庸に反す。
君子の中庸や、君子にして時に中る。
小人の中庸や、小人にして忌憚(きたん)する無きなり、と。


孔子曰く
「君子は中庸すなわち偏らず過不足なく、
平常にして徳を身に体得しているが、小人は中庸に反している。
君子が中庸をよくするゆえんは、未だ発せずの中を失わず、
独りを慎むの工夫を凝らして和を得ることにある。
小人が中庸に反するゆえんは、
欲をほしいままにして少しも忌(い)み憚(はばか)り
遠慮することがないからなのである」



少し勉強して、課題がほんの少し判ってくると、
新たな疑問が次から次へと湧き出してきます。
「きっと、こういうことなんじゃないかな」
と、仮説をつくるにも容易ではありません。
わからないことだらけです。
まだまだ精進しなければいけません。

ヒビスクス・アセトセラ111203.JPG
 アオイ科フヨウ属ヒビスクス属のヒビスクス・アセトセラです。
 これも東村の「森のハーブガーデン」で撮影しました。
 赤シソのように葉が赤銅色なのでシソアオイともいうようです。
 ローゼルの仲間のようで「実だけでなく葉や茎も使う」と
 比嘉さんからお聞きしましたが、お茶にすると
 ハイビスカス・ローゼルと比較して美味しいとはいえませんでした。
 色はまあまあ出るのですが。
 横浜市の中村さんには、こっちを「ハイビスカス・ローゼル」と
 誤って伝えてしまいました、ごめんなさい。

posted by COFFEE CHERRY at 16:09| 沖縄 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月03日

誹謗中傷と思われるコメントは消させていただいています

私は真剣に真摯にコーヒー栽培に取り組んでいます。
これについては自信を持っています。
おそらく歩けなくなるまでコーヒー山に行くでしょうし、
意識が無くなるまで、沖縄でのコーヒー栽培について
より良い方法を考えると思っています。

私のコーヒーブログは、私自身の栽培日誌です。
数年前に書いた記事と今では、
栽培法でも若干違いが出てきています。
もちろん、多くの失敗を繰り返して
今の考え方に至っているのですが、
それでも“完全”ではなく「仮説」の域を出ていないでしょう。
「三歩進んで二歩下がる」
ことを実践していることは私自身も百も承知していますが、
コーヒー栽培はとにかく時間がかかるので、
仮に私の代で成功しなくても、
私の後進の人たちが成功すればいいと思っています。
私は沖縄にコーヒー栽培を定着させ、
高品質の豆を生産できるように
まずは沖縄の気候や土壌に
最適な品種を探し当てようと頑張っています。
そのために全財産を投げ打っているのです。

私の記事の誤りのご指摘は結構ですが、
考え方に対する批判や誹謗、中傷、嫌がらせ、抗議などと
受け取れるコメントにはバトルしている暇はありませんので、
私の一存で消させて頂くと同時に、
アクセスも拒否させて頂くことにしています。
posted by COFFEE CHERRY at 23:04| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの栽培日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

コーヒーの種子と発芽を考える@ 

コーヒー豆はコーヒーの種子(たね)だ、というと、
「そんなことは小学生だって知ってるよ、当たり前だ」
と怒られてしまうでしょうが、
私たちが日常的に食べている食材では、
米、トウモロコシ、大豆、小豆、ゴマなども種子ですし、
パン、うどん、そば、中華麺、パスタや
豆腐、味噌、醤油、食用油、
おかき、クッキーなども種子からつくられたものですから
ヒトは種子に古来から深く依存して生きているのです。

そういう意味で、コーヒーの種子と、それに発芽について
あらためて感慨深く、敬意を表して
想いついたことを綴ってみました。


植物は花が咲いて、実が実って、種子ができ、
その種子を蒔くと芽が出て次の世代の植物ができますが、
「最適な温度と空気と水」
の絶妙なバランスがそろうと、
ヒトの母体の胎児のように、
種子の中で次世代の植物の赤ちゃんが発育します。

人間の赤ちゃんは、出産後母乳やミルク、オムツにお風呂などと
24時間世話を焼いてくれる人が必ずそばに居ますが、
植物の赤ちゃん(発芽)は生まれた時から独りきりです。
育っていくために必要なものはすべて自分で調達し、
やるべきことはすべて自身でやらなければなりません。
さらに植物は歩いて移動できないのですから、
種子の発芽のタイミングは、
きわめて慎重に発芽環境を検討することになるのです。

必要なものはすべて揃っているのか、
健全に発育できうる環境かどうかを充分に吟味したうえで、
「よし、これなら大丈夫、安心して発芽しよう」
と決断して発芽に踏み切るのです。
人間にはとてもマネの出来る芸当ではありません。

次世代の赤ちゃんが芽を出し、
自分で光合成をすることが出来るようになるまでの
成長に必要な栄養分が種子に入っています。
コーヒーの種子の中の大半を占める硬内胚乳は
セルロース(炭水化物)、タンパク質(粒状アリューロン)、糖などのほか、
ビタミン、ミネラル、鉄なども含まれているのです。

コーヒーの種子は、
水分や水溶性の養分、酵素の量などは少なく(水分20%未満)、
代謝・生合成・細胞分裂といった生命活動は
ふつうは停止に近い休眠状態にあります。
そのため、ふつうなら
耐えられないような環境下(寒冷、高温、乾燥、暗黒など)でも
種子は生き続けることが出来るし、
長い寿命を維持することが出来るわけです。

極端な例では、昭和26年に大賀一郎教授が
弥生時代の遺跡から発掘された蓮(ハス)の種子を発芽させています。
卑弥呼が死んだ時期は
弥生時代から古墳時代への移行期といわれていますから、
少なくとも
「1800年以上昔の種子でも発芽した」
ということになります。
スコーピオン・キングが復活する「ハムナプトラ」という映画のようですね。
といってもコーヒーの種子では数十年も持たないんじゃないでしょうか。
私は植物学者ではないのではっきりしたことは言えませんが、
コーヒーの種子を、どんなに大切に保存していても、
年々発芽率が落ちることは確かですから。
長い年月が経過したコーヒーの種子は
やがて脳死状態のようになって発芽しなくなるような気がします。
「なんだ、コーヒーの種子ってそんなに弱いの?」
というより、
それだけデリケートだと解釈してほしいところです。

また、種子のまわりの種皮は、
動物や昆虫に食べられたり、菌類や細菌に侵されないように、
また衝撃や圧力で傷つかないように、
さまざまな危険から種子の中身を守っています。
コーヒーの種子ではシルバースキンという薄くて頑強な皮が貼り付き、
さらにその外側をパーチメントが覆って、
種子をガードしているのです。
そのため、種皮を脱穀して、丸裸の生豆にした状態では
焙煎には適しても、タネ植えとしては適さないどころか
「発芽しない」
と言ってもいいくらいです。
種皮を脱穀した生豆は、もう種子ではないのです。
コーヒーを栽培する種子は、“パーチメント豆” が大原則なのです。
沖縄でも、これを説明しても
右から左に聞いている方が時々いて
「コーヒーのタネ植えをしたけど発芽しない」
という問い合わせが後日メールで届き、
どうやってタネ植えをしたのか、どこからタネを収取したのかなど
よくよく聞いてみると
「生豆でタネ植えした」
ことが発芽しない原因だった、
ということが、ついこの前もありました。

種子が覚醒する条件は、植物の種類によって違いますが、
多くの場合、その植物の生育様式に対応しています。
寒い冬を避けて春に発芽する種子、
沖縄でのコーヒーはこのパターンですが、
一定時間低温が続くと休眠から醒めて、
発芽の準備に入るのです。
また、乾期が長く続く厳しい環境に生えるような植物は、
土壌湿度によって休眠したり覚醒したりするようです。


もう少し具体的に
コーヒーの種子の発芽のプロセスを考えてみましょう。

種子には胚があり、発芽とは胚が成長を始めることをいいます。
植物学的には、最初に幼根が種子を破って出てくる時点のことを
「発芽した」
と考えるようですから、
私たちが通常考える、地上に芽が出てきた状態は
“発芽”ではないようです。

胚が成長をするということは、
厳密には胚を作っている個々の細胞が大きくなることであり、
また、新しい細胞が作られ、
要するに新陳代謝が促されるのですが、
そのために、水分と養分の補給が必要なのです。
コーヒーの種子内の硬内胚乳、
セルロース(炭水化物)、タンパク質(粒状アリューロン)、
糖などを分解するのは酵素ですが、
乾燥した種子のままでは酵素は働くことが出来ません。
酵素が働くには水分がなくてはならないのです。
そのため、種子を水に漬けるか、
タネ植え後に水やりをしてあげないといけないのです。
それでも、水やりが多すぎても種子がカビたり
腐ったりすることがあるので、
たくさんあげればいいのではなく、
乾燥させない程度に水が必要だということです。

乾燥したコーヒーの種子を水に漬けると、すぐに吸水が始まります。
これは、タンパク質(粒状アリューロン)など
高分子貯蔵物質が水を吸って膨潤していくからです。

その吸水はPHの影響を受けます。
コーヒーの種子は中性より酸性の方が早くかつ効果的に吸水します。
しかも栄養成分を分解する酵素の最適PH値も、
どうも酸性側にあるようで、
そのため発芽以降の生育過程でも
酸性土壌の方が適しているといえそうです。

休眠から醒めた種子が最初に始めるのは、吸水・膨張と
貯蔵物質(杯の栄養分)の急速な代謝で、
貯蔵物質は、そのための原料であり、
同時にエネルギー源にもなるのです。

温度条件的には、
沖縄では3月下旬の20℃あたりになった頃に発芽するのですが、
沖縄では春だけでなく、その後秋まで発芽します。
10月にタネ植えすると、
11月から初春までは休眠に入り発芽はしません。
4月頃に発芽してきます。
生前、和宇慶朝伝先生が
「発芽まで9か月かかったことがある」
と言われたのは、
「8月頃タネ植えして、発芽したのが翌春4月だった」
という意味だったのだと思います。
コーヒーの種子の夏以降のタネ植えでは、
「秋の暖かい時期に、春と間違えて発芽してしまった」
という失敗が起こらないように、
寒い冬を一度経験してから発芽するような仕組みが
組み込まれているということで、
ますますコーヒーの種子の素晴らしさに感嘆してしまいます。

冬の冷たい土の中で、養分を蓄えて発芽のときをひたすら待ち、
「暖かい」という感覚だけではGOサインを出さない、
成長や子孫繁栄という目標に向けて前進するには、
この慎重さと用心深さが大事なんだと、
コーヒーの種子から教えられているような気がします。
「寒い時期を経験してこそ、芽生えがある」
という人生訓的な教えは、
「志さえ失わなければ、
 困難や問題はすべて新たな発展の契機として生かすことができる」

といわれた故・松下幸之助さんのことばのようです。
そう考えると、
沖縄でのコーヒーの種蒔きは
「初春から梅雨」
までがBESTのようです。

胚の中心軸が伸びて、分裂組織が細胞分裂を始め、
その結果、先端へと新しい根、あるいは茎と葉が伸びて行きます。

コーヒーノキの芽生えは、
子葉が2枚の「双子葉型」で
子葉が種皮をかぶったまま地上に出てくる「地上子葉性」
という形態をとり、
種皮を落としてから、子葉が広がって緑色になり、光合成を始めます。
発芽に際しては、光はそれほど重要ではありません。
光が必要なのは、成長して伸びた茎や葉が光合成をするためであって、
発芽前は光は不要で、遮光したところでも元気に発芽します。

土壌は、発芽に必要な水分や生育後の栄養の供給源になりますが、
同時に、種子から生長をし始めた芽生えが
最初にくぐり抜けなくてはいけない障害物でもあるのです。
茎頂(シュートの先端)や根端(根の先端)は、
細胞壁が薄くて軟らかくデリケートな分裂組織を守りながら
土を突き抜けるしくみを持っていますが、
種蒔きの土は、軟らかく水はけがよいものがBESTです。
コーヒーの種子にも、そのくらいの配慮をしてあげないとダメですよね。
南米の中規模以上のコーヒー農園では、
川砂に液肥を使って種蒔きをしているようです。

コーヒーの赤ちゃんが土の中から顔を出したときに、
モヤシのような形状になっています。
言葉で説明するのはなかなか難しいのですが、
分裂組織の少し下で
茎が180度近く曲がって「逆Uの字」形になっています。
その部分の組織もやや硬くなっているので、
この曲がり方は構造力学的には
屈曲点(逆Uの字)部分の強度があるようです。

種子から発芽して、茎が伸びるにしたがい
強度がある屈曲点の部分が先頭になって土を押しのけ、
屈曲点が地表からある程度上に出てから、
分裂組織がある部分が土から離れ、屈曲が解除されて、
最終的には分裂組織が先端に来るようになる。
これを私たちは「発芽」と思っているわけです。

子葉の間にある分裂組織から新しい双葉が出てくるまでは、
芽生えの生活は子葉が支えています。

発芽というと、地上部分の子葉や双葉など、
目に見える部分ばかり気持ちがいってしまいますが、
地中では、芽と同じく、
成長しようと頑張っているのが“根”です。

根は土の中で見えませんから、地味な存在ですが、
コーヒーでいえば地上の樹形をしっかりと支え、
さらに成長に必要な水分や養分を土の中から吸収するという
重要な役割を果たしています。
歌舞伎で後見が舞台に現れるときに着る、
黒装束・黒頭巾姿の黒衣(くろご)や裏方などの
「縁の下の力持ち」
が根の仕事なのです。

私は今までに何度も何度も
数えきれないくらいの失敗を重ねているので
とてもエラソーなことは言えないのですが、
「鉢やポリポットの植え替え」
は面倒でも、してあげないと
根が窮屈になって、栄養を吸収できなくなるだけでなく、
鉢の内側を根がグルグルと巻くようになってしまうのです。

コーヒーの苗木111202.JPG
 コーヒー山にあるコーヒー苗木のほんの一部

コーヒー山をお借り出来るまで、数年がかりで
本島の読谷村以北の休耕地を探していましたが、
面積や期間などが折り合わずに数年が経過していたのです。
引っ越し前の南風原町の自宅庭に2,000本以上のコーヒー苗木を
ブラジルから沖縄に移住されたアキファームの曽木明子さんが
丹念に見られていた頃のことです。
その間に移植を待つ、鉢に入ったコーヒー苗木はすくすくと成長していて、
年末ジャンボ宝くじの1等前後賞の当選より
(といっても、私の今までの最高当選は10万円ですがもうやだ〜(悲しい顔)
運がよくコーヒー山をお借りできたときには、
鉢の中のコーヒー苗木の根はグルグル巻きだったのです。
当時は伐採と移植を同時に行っていたこともあり、
また穴の径も鉢が入るギリギリの大きさしか掘らずに
苗木を植えましたから、
根が伸び放題で、おまけに
窮屈なところに押し込まれたコーヒーには相当なストレスになり、
その後、南側の苗木は
葉や実を全部落として丸坊主になってしまいました。
それらは掘り返して我が家に持ち帰り
庭で再生させていますが、だいぶ回復してきました。

根が伸び伸びと成長して、
たくさんの養分を吸収してこそ、
花が咲いて実もつけるのですから
「根あってこその花や実」
を、私は痛烈に実感しているのです。

コーヒーノキは、発芽後、初めの根が太く地中深く伸びます。
これを“直根”とよんでいます。
この直根は、地中深く伸びて地上の樹形を支えるとともに、
出来るだけ深く根を伸ばすことで、
より多くの水分や養分を地中から吸収する“要(かなめ)”になります。

直根は、地上が乾期になって水分が少なくなっても
地中から補給する役目も果たしているのです。
沖縄の土壌学の権威で県の前農水部長・大城喜信先生が
地下1mに点滴潅水(かんすい)という、
チューブに小さな穴を開けて、水を微量に浸み出させ、
植物の根が水を求めて地中深く伸びる、
という農法を提唱されていましたが、
直根は、この自然バージョンです。

南米では苗木移植時に、
ナタで直根を切り落としてしまうところがあるのですが、
植物は無駄な葉は1枚でも出さないのですから、
私は直根を切るべきではない、
と考えています。


発芽の画像は依然ずいぶん撮影したのですが、
画像の整理が悪いので、後日探しながら発見次第
追加でUPする予定です。
いつもながら長い文で読みにくくてすみません。

(次回に続く)
posted by COFFEE CHERRY at 18:14| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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