2012年01月20日

戦前の沖縄ハワイ移民−1

明日は大寒で、
東京で初雪が降った今日のヤンバルは気温が20℃と暖かく、
自宅玄関前ではヒメハブを2匹捕まえ、庭の外に放り投げました。

年末にテレビで盛んに予告編の宣伝をしていた
「聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実-」
という映画はまだ公開されているのでしょうか?
たしか本島北部最大の都市・名護市でも映画館が無くて
映画はGEOかTSUTAYAでDVDを借りて自宅で観るしかないので、
こうなると新作や準新作よりも
公開後半年以上経過して100円になった頃に観るのが常になっているのです。

1941年(昭和16年)12月2日、
大日本帝国海軍連合艦隊司令部は
北太平洋上を航行中の第一航空艦隊に対し
「新高山上レ1208(ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ)」
という暗号電文を送信しました。

この暗号は
「12月8日に米国ハワイの米軍艦隊、施設、基地を攻撃せよ」
という命令で、
航空母艦6隻を含む航空機動部隊は攻撃準備を開始しました。
あまりにも有名な話ですがご辛抱下さい。

1937年(昭和12年)に始まった日中戦争が次第に拡大していくにつれ、
東アジア・太平洋地域の現状維持を図るアメリカとイギリスは、
日本勢力を封じ込めるためアメリカは中国に対する援助に踏み切り、
1939年(昭和14年)にはアメリカ側から日米通商航海条約廃棄が通告され、
アメリカの対中国援助と日米貿易縮小による資源難で日本軍の進撃は鈍り、
戦線は停滞していきます。

そんななか成立した第2次近衛文麿内閣のもと、
打開策として日本は北部フランス領インドシナへの進駐を開始、
いわゆる「南進」によって資源を求めようと考えるようになります。
そして日独伊三国軍事同盟における同盟国であり、
勃発したばかりの第2次世界大戦で優位に立っていた
ドイツ、イタリアの援助を日本は期待するのですが、
この動きはファシズム政権から欧州を守ろうとする
アメリカの不信をさらに増幅させてしまうのでした。

こうした日米関係の悪化から近衛内閣は
1941年(昭和16年)3月に日米交渉を開始し、
日米関係修復に動くのですが
強硬派の松岡洋右外相によって日ソ中立条約が締結され
北方防衛が固まったことにより、南進論は勢いを増し、
南進への動きはさらに加速していきます。
日米関係の修復を焦る近衛首相は
松岡外相を外して組閣をし直しますが、
その直後南部フランス領インドシナ進駐が開始され、
アメリカの不信はピークに達します。

アメリカはイギリス・オランダとともに
対日石油、鉄鋼、航空機用ガソリン、
くず鉄といった産業必需物資の輸出禁止、
日本資産凍結などの厳しい制裁措置をとり、
日米関係はいよいよ悪化していきました。
同年9月の御前会議で、南部フランス領インドシナ進駐の維持と、
場合によっては日米開戦もやむなしとする決定がなされ、
政府部内では日米交渉継続を目指す近衛首相と、
交渉打ち切り・日米開戦を主張する東條英機陸相が激しく対立し、
その結果、近衛首相は退陣を決意し、
開戦派の東條内閣が成立してしまうのです。

同年11月26日には、
中国からの完全撤退などを求めた
事実上の最後通告「ハル・ノート」
アメリカから突き付けられるのですが、
同じ日に第一航空艦隊は
択捉(えとろふ)島の単冠(ひとかっぷ)湾を出発し、
ひそかにハワイ北方海域へ向かっていたわけです。

当時の日本はすでに満州からの利益なしでは
国が立ち行かなくなるほどの財政悪化事情がありました。
また、アメリカに屈服すれば、日本の威信は地に堕ちます。
オランダの植民地であったインドネシアの資源地帯や、
輸送に必要な中継地であったアメリカやイギリスの支配する
フィリピンやシンガポールを、戦争になると解っていながら
武力により奪取するほか無かったという状況もありました。
コロンブスの新大陸発見以降、列強大国は植民地を開拓・拡大し
そこから富を得ることで資本主義を発展させてきたわけですから、
弱体化していたとはいえ清や帝政ロシアを撃破して
勢いのある日本を列強大国が警戒して、
資源の無い日本を追い詰めていたので、
そう考えると大東亜戦争が侵略戦争なのか防衛戦争だったのか、
というのはなかなか断定できない問題ではあります。

「新高山上レ1208(ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ)」
という暗号電文の
新高山(にいたかやま、現・玉山、海抜3952m)がある台湾は
日清戦争以降日本統治下にありましたし、
この新高山付近を北回帰線が通っていて、
この北回帰線より北部、
温帯地域までが沖縄を含む亜熱帯地域、
南部が熱帯に属しているわけです。

この新高山の北回帰線の線上を東に見ると
ハワイのやや北側を通っていますから
帝国海軍の暗号は、理がかなっているともいえますね。


コーヒーベルトは、
「北回帰線と南回帰線の間の約70か国」
と、文献では定義されていることが多く、
要するに
「熱帯地域でコーヒーは栽培されている」
という意味ですが、
それを根拠に
「沖縄のコーヒーなんか…」
と考える方々も多いのです。

しかし、沖縄本島のヤンバルの北緯26度は
小笠原諸島やハワイ諸島の北のミッドウェー諸島、
カリブ諸島のバハマ、中東のバーレーンも同等の緯度で
亜熱帯気候ですし、
沖縄本島から約130km北の南西諸島の徳之島伊仙町でも
吉玉さんが、もう20年以上コーヒーを栽培されています。
この130kmという距離は、
東京からだと軽井沢や沼津、
大阪からは西舞鶴や和歌山県の田辺までの距離に相当します。
(新大阪〜名古屋間は新幹線で186.6km)

鹿児島県の大隅半島南南西約60kmの海上に位置する
屋久島ではコーヒー栽培が失敗されている事例を聞いています。
雨が多すぎるのか雨天が多いことで光合成がしにくいのか、
冬の寒さが影響したのか、栽培品種が何だったのか
栽培方法など失敗の理由は不明ですが、
徳之島伊仙町から屋久島までは
約350kmほど離れています。
この距離は東京からだと名古屋、仙台、新潟間に相当します。

今のところ、コーヒーの路地栽培では
徳之島、奄美大島、喜界島あたりが
「コーヒー栽培の北限地」
といえそうです。

コーヒーは熱帯果樹の中に組み込まれますが、
熱帯果樹という名称から
「熱帯地域だけしか栽培出来ない」
というのは早計で、
熱帯果樹とは
「熱帯及び亜熱帯地域を原産とする果樹」
で、
「温帯性の植物と比べて耐寒性がなく、特に降霜、降雪には弱い」
のが特長ですから、
沖縄や徳之島といった
厳冬期でも氷点下以下にならない亜熱帯地域では
コーヒー栽培が可能なわけです。
私は基本的に
「コーヒーベルトは概ねバナナベルトやカカオベルトと同等」
と考えています。

コーヒー栽培が可能であるなら、
当ブログで何度もいうように
あとは「どう取り組むか」という
個々の生産者の理念に関係してくるわけです。

ただ路地植えして放任して
「我が家の庭で栽培したコーヒーを飲んでみたい」
というのも理念ですし、
私のように
「ハワイのコナに匹敵する品質の豆を作りたい」
というのも理念です。
また、囮(おとり)に少量栽培しておいて、
実際には海外産で水増しして偽装し、
「混ぜたってどうせわかりゃしないよ」
というのも理念なわけです。

インチキな理念は“お米”と似ています。
今はお米はスーパーでも買えるので、
お米屋さんは激減していますが
昔はお米屋さんというとお金持ちという時代がありました。
つい最近まで、一部のお米屋さんでは
「ブレンド米に味を落とさず、いかに安価米をブレンドするか」
というのが“技術”といわれていました。
私はそういうのは技術ではなく
「悪意のある詐欺」
だと思っていますから、
コーヒーも海外産をブレンドするなら
自ら正直にアピールしてほしいだけなのです。
断じて
「海外産と混ぜたらダメ」
とは思っていません。

ちなみに、
熱帯地域の北限、北回帰線からコーヒー山までは
約360km離れています。
東京からだと名古屋、仙台、新潟までの距離と同等です。

また、北回帰線から石垣島(石垣市)までは約100kmで
この距離は東京から宇都宮、水戸、伊東、沼津あたりと
だいぶ熱帯域に近いので、
石垣島では台風の猛烈な暴風が吹き荒れるものの
東内原 稔さんご夫妻が20年以上コーヒー栽培をされています。

新聞に見るハワイの沖縄人90年.JPG

年末に名護図書館から
「新聞で見るハワイの沖縄人90年」
という本を借りて感銘を受け、
あらためて
「先人の想いを拳拳服膺(けんけんふくよう)しなければいけない」
と思い、
沖縄県内であれば、どこの図書館でも蔵書されているはずが
興味深く見た記事を抜き書きし、一部ですがご紹介することにしました。

著者の比嘉武信さんは日系2世ですが
ご自身は
「帰米2世」
と表現されています。

「帰米」
とは、
「アメリカで生まれて日本で教育を受け、再びアメリカへ帰る人」
のことを指すのだそうで、
きわめて重い深い意味が込められた言葉です。

時代に翻弄され、多くの困難を克服してきた
ハワイ在住沖縄県人の望郷の想いを、
自ら
「事実が知りたい、真実が知りたい、真実を後世に残したい」
という思いで、
アメリカと日本の両方を公平に見ることが出来るという立場から、
移民のアイデンティティーの模索、確立に役立つように
自らの移民2世という立場を通して、出された本で、
昨今のマスメディア報道でも判るように
新聞記事もあながち真実を伝えているとはいえないので、
「記事に読まれないように注意をした」
と紹介されています。

記事の原典は
ポリネシア、ハワイを中心に
太平洋地域の自然・文化等に関するコレクションが収蔵されている
ハワイ州最大の、Honoluluにあるバーニス・P・ビショップ博物館の
図書室のマイクロフィルム室の新聞資料
で、
・日布時事(日布)
・ハワイ報知(報知)
・その他の新聞雑誌

から採録され、
何度も記事を切り捨てて、
残ったものを集成して出版されるに至ったのですが、
私が期待したコーヒー農園での就労に関する記事は
残念ながら切り捨てされた方にあったようで、
この本では記述されていませんでした。
それでもとても興味深く何度も読み返してしまいました。
日米開戦までが「前篇」とされています。

次回に続く
posted by COFFEE CHERRY at 20:19| 沖縄 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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