2012年02月12日

戦前の沖縄ハワイ移民−6

明治時代に沖縄からハワイに渡った移民のことを書くのに
「時代背景が必要だ」
といって、
そればかり書いているのでさぞ面白くないことと思います。

テレビで〇十周年記念特番とかいうと、
さんざん予告編やCMで焦らされることが多々ありますが、
それと同等以上かもしれません。
今日は後半になりますが1回目の記事まで書きます。

今までダラダラと時代背景を書いてきましたが、
1885年(明治18)、日本政府とハワイ王国政府間で
日布移民条約が結ばれてハワイ官約移民が開始され、
ハワイ王国が滅亡する1894年(明治27)まで
延べ29,000人がハワイに渡り、
その約9年間が官約移民時代と呼ばれています。


1893年(明治26年)ハワイ革命以降はハワイの政情が不安定になり
日本政府はハワイ王国を信頼していたこともあって
日本政府が介在せずに
日本の民間会社による斡旋(私約移民)が行われるようになります。

移民事業を行う会社は全国に30社以上設立され、
特に
・広島海外渡航会社
・森岡商会(京浜銀行頭取森岡真氏の経営する会社)
・熊本移民会社
・東京移民会社
・日本移民合資会社(神戸)

は五大移民会社と呼ばれたようです。

これらの話をすると、またズルズルと長くなるので
まず新聞記事に沿って、補足的に追記を書くことにしましょう。

記事の原典は当然旧漢字、歴史的カナ遣いですが、
本は読みやすいように親切に当用漢字、新カナ遣いに改められています。
私は記事の漢数字を算数字に変えた以外は、本の原文をそのまま記載します。



1900年(明治33年)

第1回移民氏名と契約書

沖縄県の第1回海外移民30人は1899年(明治32年)12月5日に那覇港を出帆、
大阪で1人、横浜で2人が不合格、27人が同年12月30日横浜出帆。

1900年(明治33年)1月8日ホノルル港着、
移民小屋での身体検査に1人不合格日本へ送還、
26人は1月16日に契約地エワ入耕。
上原団長以下26名の氏名、年齢、本籍地は左の如し。
 @ 上原九八郎(32)団長、島尻郡兼城間切糸満村678
 A 宜野座牧助(32)国頭郡金武間切金武村346
 B 仲間藤助(32)同郡同間切同村538
 C 仲間藤八(31)同郡同間切同村251
 D 与那城久次郎(29)同郡同間切同村322
 E 仲田安七(27)同郡同間切同村492
 F 当山又助(24)同郡同間切同村526
 G 仲間孫八(23)同郡同間切同村528
 H 小橋川半吉(23)同郡同間切同村277
 I 安富祖利八(23)同郡同間切同村358
 J 仲田仙吉(21)同郡同間切同村398
 K 阿波連樽(35)那覇区字西78
 L 野原辰助(35)那覇区若狭町139
 M 喜納正俊(30)那覇区字西58
 N 与儀達通(29)那覇区若狭町255
 O 新垣松(28)那覇区字西116
 P 金城珍善(28)那覇区東133
 Q 真栄城朝和(27)首里区字山川88
 R 松島良智(24)首里区真和志38
 S 島袋太良(21)首里区字寒水川105
 ㉑ 富名腰三郎(34)島尻郡小録間切儀間村98
 ㉒ 宮里松(34)同郡同間切湖城村27
 ㉓ 平良樽(29)同郡同間切同村56
 ㉔ 金城亀(32)同郡南風原間切津嘉山35
 ㉕ 屋次郎(25)中頭郡西原間切呉屋村18
 ㉖ 与那嶺加那(24)島尻郡渡嘉敷間切渡嘉敷村26

第1回ハワイ沖縄移民の契約書は大要次の如くである。
第1…日本移民教会の指示に従うこと
第2…1カ月26日、1日10時間、製糖工場では12時間、昼は休み夜働くことがある。
第3…賃金は男1カ月15弗(※ドル)、女10弗、
   30分以上のオーバータイムは1時間に付き男は10仙、女は7仙の増賃を支払う。
第4…日本出帆から耕地に着くまでの全費用はフリー。
第5…不正行為でなく正しい上陸不合格の費用は取扱い人が払う。
第6…契約中は家賃、水、燃料、医者と薬、人頭税は雇主が支払う。
第7…契約期間中、男は毎月2弗50仙を銀行に預け、契約満期の時に元利を払い渡す。
第8…銀行預金は移民取扱人が取扱う。
第9…渡航周旋料20円を取扱人に支払うこと。
第10…移民は書面契約担保として5円を取扱人に渡し、
   契約認可の時に周旋料の中に入れる。破約の時は取扱人の収入となる。
第11…病気その他により生活出来ない時は取扱人が移民を助け、
   或は帰国の取り計らいをなす。
第12…日本政府の保証で帰国した時は取扱人が一切の費用を払う。
第13…契約違反者は男は35弗、女は30弗、
   および消毒所の費用一切12弗を移民又は保証人が弁償する。
第14…保証人は移民一身上の責任や金額の償還義務あり。
第15…契約期間中は生命保険に入るべし。
第16…この契約は3か年有効とす。

移民の旅費はほとんどが移民周旋屋と結託した高利賃によるもので
その金利は月利三分という高利のものであった。
又移民に行くには厳重な身体検査を受けなければいけない。
特に寄生虫(十二指腸虫、蛔虫)保持者やトラホーム患者は絶対に受け付けないから、
当時としてはこれの治療に大変苦労したものである。

中には神戸や横浜での予備検査に合格しながら、
ホノルルでの第二次検査を受けるまでは戦々恐々たるものであった。

さていよいよ職業の従事であるが、当時の移民は契約移民であるから、
着いた翌日から蔗作(※しょさく、サトウキビ作業)の重労働にかりたてられるが、
時間概念のうすい沖縄人には時間を守るのもまたひとつの苦労であった。
時たま遅刻でもするとその1日は就労できなくなり、
結局は賃金がカットされてしまう。
監督の白人はまるで奴隷に対する態度である。
(石川市誌)


1899年(明治32年)12月5日那覇港を出帆し、鹿児島、神戸を経由して、
同年12月30日にチャイナ号(5900トン)に乗船して横浜港を出航したのです。
翌年1月8日にオアフ島のホノルル港に到着し、上陸を許可されました。

このハワイへの移民送り出しにあたっては、
沖縄県で「沖縄移民の父」と称される
金武村出身の當山久三に負うところが大きかったのですが、
彼の足跡は次回に。

posted by COFFEE CHERRY at 22:12| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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