2012年08月29日

大バナナ園のはじまりはここから

沖縄気象台が「最大級の警戒」を呼び掛けた台風台風15号は、
大東島、沖縄本島を約32時間も暴風圏内に巻き込み、
山原(やんばる)を横断して東シナ海を北上し、
昨日の午後になってようやく返しの風も治まりました。

沖縄気象台は一昨日27日(月曜)午後9時前に
国頭地区と名護地区に
「過去に例のない大雨が降っている」
と、
川の氾濫や土砂災害、浸水に警戒を呼び掛ける気象情報を発表し、
たしかに国頭村比地で535mm、遠く徳之島伊仙町でも537mmの大雨が降り、
名護市付近と大宜味村付近では
午後7時からの1時間当たり約80mm、
国頭村付近でも約60mmの猛烈な雨を観測して、
大宜味村では少なくとも24件の床下浸水が発生、
道路冠水や道路陥没や1万世帯以上の停電などの被害がありました。
気象庁の事前の警報があり、
台風慣れの県内では珍しく今帰仁村などでは一時避難者も出ていました。

台風15号が実際に戦後最大級だったかどうかはともかく、
例年台風とセットのやんばるの停電も短時間で済み
(現在でも県内北部は数千戸が停電中らしいです)
想定したほどの被災がなくて済みました。

やんばるの林道の一部には倒木や道路陥没などもあるようで、
コーヒー山にはまだ行けないのですが、
私が6月から管理している大バナナ園は昨日見てきました。

コーヒーはなかなか結果が出ないのに対し、
バナナは翌年には結果が出ますから
「バナナが栽培が出来なければコーヒー栽培なんてムリ」
という思いで、
バナナ栽培にも奮闘しているのです。

バナナ栽培の問題点は、
ヒトの盗難を除くと、以下の2点が挙げられます。

1つは「バナナツヤオサゾウムシ」です。

バナナが成長し、開花して房を出してきて
収穫が楽しみになる頃に、
なぜか成長が止まったり、収穫前に倒壊してしまうのは
バナナツヤオサゾウムシの侵食が疑われます。

こういう病害虫は、まず「敵を知る」ことから始めないといけません。
それはコーヒーでも同様です。
彼らの生態を注意深く観察し、彼らの弱点を探るのです。

バナナツヤオサゾウムシは
沖縄が本土復帰(1972年)する3年前の今から43年前、
沖縄がまだ米軍統治下に置かれている1969年(昭和44年)に、
沖縄本島中部のバナナ園で発見されたのが最初なのです。

彼らがどうやって沖縄に密入国したのかは不明ですが、
 ・ 台湾などからバナナと共に侵入した
 ・ 東南アジアからのバナナ子株(根塊)持込みで、
   中に潜り込んでいるために消毒から逃れて侵入した

 ・ 米軍経由
などのルートが考えられ、
最も可能性の高いのは米軍ルートです。

ベトナムの南北統一を巡る対立に、
ソビエト連邦と中国の共産主義勢力と
アメリカの資本主義との代理戦争となったのがベトナム戦争ですが、
1960〜1975年の15年間の中で、
当時米軍統治下にある沖縄は、
ベトナムまで空路で3時間という至近距離のため、
 ・ 沖縄の嘉手納基地からB-52爆撃機が出撃
 ・ 米軍の毒ガスを沖縄で製造、
   沖縄市の知花弾薬庫から毒ガス漏れ事故(1969年)
 ・ 牧港補給基地からベトナム向け物資を山積みし、
   米軍輸送船で前線へ送り出した
 ・ 米軍基地雇用者も車両整備などの技術者が
   ベトナムに派遣させられた

など、
沖縄は戦争の補給基地となって翻弄されていました。

バナナツヤオサゾウムシが沖縄で最初に発見されたのは、
1969年(昭和44年)という、ベトナム戦争の最中で、
 ・ ソンミ村虐殺事件が1968年
 ・ ホー・チ・ミンが亡くなり、米軍劣勢になったのが1969年
 ・ 米軍兵士による基地雇用者のひき逃げを起因に、
   抗議した群衆にMPが発砲したことで、県民の不満が爆発し、
   コザで反米運動が起こったのが1970年

という、この頃のことですし、
バナナの葉に巻きついて樹液を吸うバナナセセリという蛾も、
 「ベトナム戦争中の1971年に米軍の物資に紛れ込んで沖縄に移入した」
といわれているのですから、
バナナツヤオサゾウムシだって
米軍経由という可能性は相当高い、
というグレーよりクロに断定してもいいくらいですね。
このバナナツヤオサゾウムシがバナナ栽培の1つの問題点で、
もう1つは「台風」です。

バナナは樹木と思われている方もいると思いますが
バナナは草本なので、強風には弱いのです。
この点はコーヒーと同様ですが、
バナナは風速20〜30mで倒壊しますから、
樹木のコーヒーの方がもう少しは強いのですが、
沖縄における台風襲来時期は5〜10月初旬で、
コーヒーが開花結実後、緑の実が大きくなる時期になり、
強風で枝葉がこすれ合って実や葉が落下してしまいますから
コーヒーもバナナ同様に、
堅固な防風林が不可欠なのです。

コーヒーより風に弱いバナナの防風対策が効果的に出来るなら
コーヒーの防風対策だって出来るはずで、
「バナナを制する者はコーヒーも制する」
と私は考えているわけです。

大バナナ園の問題点は2つあり、
「放任による密植え」

「防風対策がまったく無くて無防備」
なことですから、
約1000坪の大バナナ園の検地をして
防風林を作ろうとしていた矢先に
8月6日に台風台風11号が、
そして一昨日は台風台風15号が来てしまったのですもうやだ〜(悲しい顔)

台風11号では全体の約3割がすでに倒壊してしまっていましたが、
一昨日の台風では、全体の約97%が倒壊してしまいました。
以下は大バナナ園の被災状況です。

大バナナ園20120731.JPG
 7月31日の大バナナ園です。
 こんな感じで約1000坪に、放任されて密植えになっているバナナ園です。
 防風林は無く吹きさらしの状態です。


大バナナ園20120828-1.JPG
 大バナナ園を、上の道路から見下ろした光景です。
 ドミノ倒しのようにバナナが倒壊していて、
 最初にこれを見ただけで力が抜けてしまいました。


大バナナ園20120828-2.JPG
 まるでオスプレイの墜落現場のような光景です。
 電柱のように太いバナナの仮茎がゴロゴロと横たわっています。


大バナナ園20120828-3.JPG
 バナナは房を成熟させると朽ちるのですが、
 1年半もかかってようやく房を出して
 もう少しで集大成を迎えるバナナが倒壊しているのを見ると、
 バナナの無念さを感じます。


大バナナ園20120828-4.JPG
 すべて倒壊したのかと思っていたら、
 よく見ると、運良く倒壊を免れたバナナもあるのです。


大バナナ園20120828-5.JPG
 バナナの手前の苗木はローゼルです。
 何とか台風の被災を免れました。
 ローゼルは冬には収穫出来そうですね。


ハイビスカス挿し木20120828-1.JPG
 ハイビスカスの挿し木からは、新芽が出ています。
 来年は私の背丈くらいには成長しているはずですから
 来年は少しは防風林の役割が果たせそうです。
 大バナナ園の中を7m×10m間隔でハイビスカスで区切り
 その中にバナナを定植しなおそうと思っています。


タラを連想させる空20120109.JPG
 今年の1月9日の午後2時ごろに
 我が家から撮影した空の画像です。
 映画「風と共に去りぬ」のラストシーンを想い出して見上げていました。


名作「風と共に去りぬ」は、
1861〜1865年の南北戦争(American Civil War)が背景で、
南側から見た南北戦争が描かれていました。

主人公スカーレット・オハラはアイルランド移民の娘で、
土地に執着し、自分の相続地に
古代アイルランドの聖地と同じ「タラ」と名付けていました。

ラストシーンでは、
戦争で荒廃した故郷タラの木の下で、
燃えるような夕陽の中で、スカーレットが
「今は考えるのはやめよう。明日、考えることにしよう」
と言うシーンは印象深かったのですが、
私は大バナナ園の始まりはここからだと思っています。

posted by COFFEE CHERRY at 01:19| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 台風の被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月27日

観測史上最大級の台風15号の教訓は「あるがまま」

沖縄の戦後観測史上最大級といわれた台風台風15号は
山原(やんばる)を横断して東シナ海に抜けていきました。

台風とセットの、お決まりの山原(やんばる)停電も短時間でしたし、
バナナやモクマオウなどの樹木の倒壊度合いからしても
昨年や一昨年の台風の方が強かったように感じますが、
奄美諸島も巻き込む大型で、いまだに吹き返しも強く、
まだ風雨が強いので我が家の被災の確認は出来ませんが
納屋などの屋根のトタンがあちこち吹き飛ばされていたり、
バナナの倒壊などが見えます。

台風11号の被災20120807.JPG
 8月6日に与論島〜沖永良部島を東から西に横断した
 台風11号の返しの風で、大バナナ園の約3割が倒壊しました。
 今回の台風15号では全壊もあり得ますが、明日行けるかな。
 自宅から車で2〜3分ですが。


台風前の大バナナ園20120803.JPG
 8月3日当時の、台風11号が接近する前の無傷の大バナナ園です。
 ここは約1000坪ありますが密植えで光合成をしたいバナナが
 充分に陽が当たらない環境なので、間引きしたり
 防風林を植えたりを計画中で、当時は検地していました。



恩納村の故・山城武徳先生は、かつて
「自然には自然で立ち向かう」
という名言を残されています。

「人工的な防風柵や防風ネット、ハウスを使わず、
 台風にはハイビスカスやホンコンカボックなどを防風林とすることで
 ある程度防ぐことが出来る。
 自然には自然で立ち向かうのが持論だ」

という立派な考え方でした。

「どこか被害があれば、どこをどうすれば良いか、
 次回被害に遭わない方法を考えればいい、その繰り返しだ」

とも言われていました。

私も山城先生の考え方にまったく同感で、
「自然には自然で立ち向かいたい」
のですが、
ハイビスカスによる防風林は
「早く綺麗に完成する」
わりに、
「風速40mが限度」
と、
近年の大型台風には対応しにくいことや、
また1回の台風でかなりの葉が飛ばされ
2回目の台風との間隔が2カ月以上空かないと
防風効果がかなり落ちることからも、
「最終的にはクロキやイスノキなどの堅固な樹木での防風林を作るにしても
 それが成木になる間の一時的な防風林としてハイビスカスを利用せざるをえない」

という考え方に修正しています。

自宅に隣接するバナナ園では、
土塁の上にハイビスカスを植えたり、
(それだけだと垣根ごと倒されるので、土塁の下にも植えて二重にしています)
バナナを1m近く掘り下げて植えたり(高さを低くするため)、
などいろいろ工夫をしていますが、
それでも改良の域を出ていません。

防風林は面積が必要になり、耕作面積が減少するので、
防風対策を講じない農家も見受けられますが、
台風銀座の沖縄では台風を受け入れ、
向き合わないと農業は出来ません。
コーヒーのように風に弱い果樹では
なおさら防風対策は必須条件になりますが、
無防備な生産者もまだまだ居るのが実情です。

山城先生のハイビスカス防風林は7m間隔でしたが、
「なぜ7m間隔なのか」
物理学的な説明を何度も受けました。
農家が個々に対応策を考え、その代々で考え方が違う、というより
そういう有用な理論は受け継いで共有していくべきだと思います。


自然界のあらゆる事象で学習するという考え方は、
200年も前の幕末期にその教えがあります。

春風(しゅんぷう)以て人を和(わ)し、
雷霆(らいてい)以て人を警(いまし)しめ、
霜露(そうろ)以て人を粛(しゅく)し、
氷雪(ひょうせつ)以て人を固くす。
「風雨霜露(ふううそうろ)も教(おしえ)に非(あら)ざるは無し」
とは、此(こ)の類を謂(い)うなり。


春のそよ風は人の心を和(なご)ませ、
雷鳴や稲光(いなびかり)は人の心を戒め、
霜や露は人の心を引き締め、
冷たい氷や雪は人の心を堅固にする。
「伝習録」に
「風雨霜露も教えでないものはない」
とあるのは、
自然界のあらゆる事象に教えを含まないものはないことを言っているのであり、
我々はすべてから学ばなければいけない。


という意味で、
天(宇宙)地(自然)の大いなる仕組みの中に生かされる
人間の「生の在り方」を説いた言葉で、
「どんなに苛酷で悲惨で厳しい状況であっても、
 その事自体を私たち人間が受け止め、
 糧にすべき何かの教えが隠されているはず」

だと説いています。

私たちに次々と訪れる事象のひとつひとつから「教訓」を見つけ出し、
取り込んでいくこと、即ち「学習」とか「経験」とは
本来そう言うものだということを納得させてくれる言葉でもあります。
自分の環境から敏感に「教え」を見出す謙虚さと感性が大事だと説いているのです。
まさに台風でもいろいろなことを学習する必要があるのです。

この語録は幕末の儒者・佐藤一斎(いっさい)が
80歳(1851年)から82歳(1853年)までに執筆された
「.言志耋(てつ)録」
85条に書かれています。

東京大学の前身は、
神田湯島に設立された江戸幕府直轄の教学機関・昌平坂(しょうへいざか)学問所ですが、
佐藤一斎はその総長を歴任したこともあり、門弟は3000人もいたといわれています。

中国の明の時代に、王陽明が起こした儒学・陽明学の入門書「伝習録」には、
天道至教、風雨霜露無非教也

天道は教(おしえ)の至りなり、
風雨霜露(そうろ)も教に非(あらざる)ざるは無し。


天の行いは、教の至極である。
この異常気象も、敢えて読み解くまでもなく、
われわれに何かを教えている。


これを一斎が語録に引用しているのですが、
これは500年も前に言われていることなのですから、
現代人はもっと進歩していないと恥ずかしいですよね。

佐藤一斎は後半生の42歳から82歳にかけての
総数1333条の語録を四篇(四緑)に分け、
42歳から53歳にかけての246条を「言志録」といい、
その33条にも同じ趣旨の語録が収められていて、
こちらの方が有名かもしれません。

春風(しゅんぷう)を以って人に接し、
秋霜(しゅうそう)を以って自ら粛(つつし)む。


「暖かな春の風のような態度で他人に接し、
 自分に対しては秋の霜のようにキリリとした態度で厳しくあるべきだ」

という意味です。

自分と他人との関係の在り方、というより
他人に対する自分の在り方についての教えであり、
とかく他人に厳しく自分に甘くなってしまうのが人の常ですが、
「厳しい環境を謙虚に受け止め、
 そのまま自分の成長の肥やしにする気持ちがあれば、
 それは自分を取り巻く環境に対する慈(いつく)しみの感情を生み、
 他人に対しても同様に謙虚に、
 慈しみを以て接することが出来るようになる」

と説いているのだと思います。


厳しい環境を謙虚に受け止めるということは、
自然に服従し、境遇に従順なれという
「あるがまま」
という境地ですが、
これは自然体とか、そのままとかの意味ではなく
「気分や感情にとらわれず、今自分がやるべき事を坦々と実行していく」
という目的本意の姿勢であり、
柔道の
「押さば引け、引かば押せ」
という極意にも近いもので、
道元の「坐禅箴(ざぜんしん)」の後半でも

水清徹地兮(すいせいてつちけい)、魚行似魚(ぎょこうじぎょ)。
空闊透天兮(くうかつとうてんけい)、鳥飛如鳥(ちょうひにょちょう)。


水清(きよ)うして地に徹し、魚行いて魚に似たり
空闊(ひろ)うして天に透(とお)る、鳥飛んで鳥の如し


水清くして地に徹し、魚の行くところ魚に似ている
空は広く天に透り、鳥は飛ぶこと鳥のようである


という一説も、
「人間も自然界に生きる動植物のように、
 逆らうことなく、虚飾を加えることなく、
 ありのままの姿で生きること」

が禅の悟りだと説いています。

風雨が治まらないとコーヒー山に行って被災状況を確認出来ないのですが、
天然の要塞なので、おそらく問題はないと思われます。
沖縄でのコーヒー栽培は、
どうしても台風がネックになりますから、
誤解を恐れずに言わせていただくと
「沖縄でのコーヒー栽培は平地での路地栽培では難しい。
 山原(やんばる)の森林栽培が最適」

という思いが強くなっています。

コーヒー山を覆うスダジイなど20120718.JPG
 7月中旬に撮影した、コーヒー山の地上から空を見上げた光景です。
 空が見えるということは、森に陽が射し込むことを意味しています。
 コーヒーは陰樹にしても、
 こういった森林内の光量がどの程度がコーヒーに最適なのは
 私もよく判らないで栽培しているのが現状ですが、
 台風11号ではほとんど影響がなく、
 今回の台風15号で、森林の外側を覆うスダジイなどの照葉樹林が
 どの程度被災しているのか、気になります。
 画像よりも空が見えるようになっているのだけは間違いないでしょう。
 それでも森林内に入る光量がどうとかではなく、
 スダジイの倒木や枝葉の落下でコーヒーが直撃したのがあるのかどうか、
 あるいはスダジイの被災によっては、冬期のドングリが不足になり
 また今年もイノシシの活躍になる可能性があるので、
 コーヒーだけでなくシイ類の被災度も気になるのです。
 コーヒーは総体的には影響はほとんどないと思います。
posted by COFFEE CHERRY at 22:01| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 台風の被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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