2013年12月19日

童話から学習するA3−3

ようやく童話の最終回の3回目ですが、何かと慌ただしく、
遅れに遅れて師走に入ってしまいました。

私のコーヒーブログは、
本当は栽培日誌的に書きたいのですが、
最近は道を外れています。
今日もダラダラと長いので、
興味のない方は、どんどん飛ばしてください。

前回から日数が開き過ぎてしまったので、
もう一度「花咲爺」の歌詞を想い出してみましょう。

花咲爺
作詞・石原和三郎  作曲・田村虎蔵

 うらのはたけで、ポチがなく、
 しょうじきじいさん、ほったれば、
 おおばん、こばんが、
     ザクザクザクザク。

 いじわるじいさん、ポチかりて、
 うらのはたけを、ほったれば、
 かわらや、せとかけ
      ガラガラガラガラ。


  しょうじきじいさん、うすほって、
  それで、もちを ついたれば、
  またぞろこばんが、
      ザクザクザクザク。

  いじわるじいさん、うすかりて、
  それで、もちを ついたれば、
  またぞろかいがら、
     ガラガラガラガラ。


  しょうじきじいさん、はいまけば、
  はなは、さいた かれえだに、
  ほうびはたくさん、
      おくらにいっぱい。

  いじわるじいさん、はいまけば、
  とのさまの、めに それがいり、
  とうとうろうやに、
      つながれました。


この「花咲爺」の六番までの歌詞について、
一番と二番、三番と四番、五番と六番と
二番ずつの構成に分けていたので、
今回の第3幕は、歌詞でいう五番と六番の部分に当たります。

花咲爺の第2幕は、
意地悪爺さんが怒って臼を燃やしてしまうところで終わったので、
今日の第3幕のあらすじは、
やさしいお爺さんは、
犬の化身である臼を燃やした灰を返してもらい
大事に供養しようとするのですが、
再び犬が夢枕に出てきて、
「桜の枯れ木に灰を撒いてほしい」
とお爺さんに頼みます。
その言葉に従って灰を撒いたところ、枯れ木に花が満開に咲き、
たまたま通りがかった殿様がそれを見て感動し、
やさしいお爺さんを褒めて、たくさんの褒美を与えるのです。
このときのセリフが、あまりにも有名な「枯れ木に花を咲かせましょう」ですね。
それを見ていた隣の意地悪爺さんが、
またまたその真似をして枯れ木に灰を撒くのですが、
花が咲くどころか殿様の目に灰が入ってしまい、
怒った殿様に牢屋に入れられてしまう。

という、
「花咲爺」の物語の、いわばハイライトの場面であり、
農業的にも最も考えさせられる場面でもあるのです。

やさしいお爺さんが撒いた灰は、
愛犬の化身というべき臼を燃やした灰ですから
草木灰(そうもくばい)になります。

草木灰の主要成分は、
根の発育を促進するため「根肥」といわれ、
植物の生理作用を円滑に行う働きをして生長促進をはかり、
病気や寒さなどに対する抵抗力をつける作用があるK(カリウム)や、
開花・結実に役立つため「実肥(花肥)」とよばれるP(リン酸)、
光合成をする葉緑体の構成成分として不可欠のMG(マグネシウム)、
細胞と細胞とを強固に結びつける働きや、根の正常な発育を促し、
また土壌酸度を調整するCa(カルシウム)、
植物体中の酸化・還元や生長の調整などの整理作用に関与するS(硫黄)、
葉緑素ができる過程で欠かせない鉄、
葉緑素やビタミンの合成に関わるマンガン、
新芽や根の生育を促進するホウ酸、
新しい葉を作るのに役立つ亜鉛、
葉緑素をつくる銅などが含まれている立派な有益な肥料なのです。

枝葉のたき火後20131203.JPG
 背丈くらいに積み上げた枝葉を焼き、草木灰をつくります。
 要するに、ふつうの「たき火」です。
 私の三重県の実家では、
 お茶や米、野菜などを栽培する農家でしたが、
 草木灰やもみ殻燻炭、卵の殻、ワラなどを多用する有機農法でしたから、
 私も化学肥料は使わない農法に徹していて、
 コーヒー山やバナナ園では草木灰も、もちろん使っています。
 画像のように白い灰は、高温になりすぎたのかも。
 白い灰は効き目が薄いといわれていますから、
 このたき火は勢いよく燃えすぎて、ちょっと失敗かも。


枝葉のたき火20131104.JPG
 先月のたき火画像です。
 こういう感じで、木の原形が残るような燃え方の方が
 草木灰としての効果があるそうです。
 現状の草木灰の使い方は、完熟豚糞と混ぜて
 コーヒーの木の幹の周りに撒いています。
 その中には粉炭も入れています。


童話・花咲爺の物語では、
やさしいお爺さんだけでなく、意地悪爺さんも灰を撒いているのですが、
やさしいお爺さんは効果があり、
意地悪な爺さんは逆効果になっていますよね。

これは撒く時期や撒き方の教訓を説いているような気がします。

栄養剤や栄養ドリンク、サプリメント、薬など、
人は元気で健康な時には、こういうのはふつう飲まないですよね。
忘年会や新年会でお腹が一杯の時に
消化剤を飲むことはあるでしょうけど、
そんな時に栄養剤は飲まないでしょう。
そう考えると、施肥もいつでもOKではなく、
撒く時期や、撒く量、撒き方の適否があるはずです。
例えば、出産後、
「産後の肥立が良い」とか「悪い」
という言葉を聞いたことがあると思いますが、
「産後の肥立ち」
とは、ご存じのように
「妊娠や出産を終えた女性の身体が日を追うごとに健康を回復すること」
を意味してます。

果樹に置き換えると、
子孫である実(タネ)を付けて完熟期を迎えた頃が“出産”に相当し、
木はヘトヘトになって、回復のための滋養強壮が必要になるといえるはずです。

また、意地悪爺さんは、
「灰をただ撒いた」
ということも考えられます。
草木灰はまとめて地面に置くと泥状に固まったり、雨で流れてしまうこともあるので、
土に鋤(す)くのが一般的です。

また、
「臼を焼いて草木灰を撒いた」
ことを広義にとらえて、
古来から行われている焼き畑農業を考えてみると、
昨年だったか、NHKBSの
「マメの木が森を救う!」
という番組を興味深く観たことを想い出します。

ケンブリッジ大学の熱帯生態学者マイク・ハンズ博士が
永年焼畑農業の研究をした結果、
「焼畑により土地が痩せる」
というのです。

ハンズ氏は、焼畑農法を「破壊的」として、
より「建設的」な農法への転換を提唱していました。

焼畑とは、文字通り森林を焼いて畑を作ることですが、
「森を焼いたその年の農産物の収量は上がるのだけど、
翌年以降は収量が落ちてゆき、いずれその土地は作物が育たなくなる」
というのです。

なぜ、
「作物が育たなくなるのか?」
というと、
ハンズ氏が言うには、
「焼畑により、土中のリンが不足してしまう」
からだと。

「リン」は、前述していますが、
農業肥料の三大要素「窒素・リン酸・カリウム」の1つで、
「花肥」「実肥」とも呼ばれるように、
花を咲かせ、実を実らせるのには、欠くことのできない栄養分で、
焼畑は、その貴重な「リン」を失ってしまうだけでなく、
「土そのもの」も流出してしまうことも問題なのだと。

森林には、地面を強い直射日光から守る「サンシェード」のような役割があり、
森林の覆いがなくなってしまうと、地面は乾きやすくなり、
乾いた土は風に飛ばされやすくなってしまい、
降雨時も、樹木のワンクッションが失われ、雨水は地面を直撃し、
表土が流れやすくなってしまう、というのです。

そのため、ハンズ氏は
「地球上でもっとも持続的で生産性の高い生態系である森に学ぶべき」
と言い、
それらの問題点を解決しようと提唱するのが、
森林の仕組みを再現する
「アレイ・クロッピング(Array cropping)」
という農法で、
番組ではホンジュラスで実践中のようでした。

「アレイ」とは、「列」を意味し、
「マメ科の樹(インガ)を列上に植えておき、その木の間で農作物を育てるという方法」
が効果的な農法だというのです。
私としては、このへんからちょっと違和感が…。

ハンズ氏は、
・マメ科植物が窒素を固定して肥料にするだけでなく、
 樹から落ちた葉もそのまま養分として農作物の成長を促す。
・インガがある程度大きく成長したら、地上に光が届くようにするために
 一定の高さで剪定し、枝を刈り取るため、燃料として薪を確保することもできる。

と、
唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞、
「うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 夢はいまも巡りて 忘れがたきふるさと」
のような、
日本の田舎の里山で行われていたことを想い出させるような理にかなった方法で、
この農法だと、従来のように次々に畑を移動させる必要もなく、
固定した一定の土地を畑として毎年利用できるというメリットが生じる、
というのです。

「同じ場所で焼畑を繰り返すからリンが不足する」
ことは正論でしょうが、
「畑を焼かなくとも同じ農産物ばかり作れば、連作で有効成分は微減する」
こともいえるはずです。

要するに
「アレイ・クロッピング農法はアグロフォレストリー(森林栽培)の手法の一つ」
というだけで、
この農法より中南米の中小零細規模で行われているアグロフォレストリーの方が
私としては参考にしたいと思います。
第一「インガ」というマメ科植物が
ホンジュラスでは元気に生育するかもしれませんが、
沖縄のやんばるに向くのかどうか、
苗木の入手方法だって判りません。

沖縄にもマメ科植物は
・デイゴ
・ホウオウボク
・カエンボク
・センナ
・ソウシジュ
・ハギ
・ツル植物のカズラ系

など多くあり、
コーヒー山に自生している在来系マメ科植物を中心に
アレロパシーを考慮して植えればいいので、
「インガが世界を救う」
わけではないと思います。
その土地にあったやり方をすればいいのです。

コーヒー山はやんばるの中心あたりだし、
村有林や国有林だって近くにあるので、
まさかコーヒー山の中でたき火をするわけにはいきませんから、
我が家のバナナ園前で焼いた草木灰をコーヒー山に持ってきて撒く、
という方法を行っています。

前述のハンズ氏の焼畑研究からすると、
意地悪爺さんは、
「同じ場所で毎年のように焼畑を続けたことで
 リン酸などが減少し、荒地になってしまった」

ということなのかもしれません。

「スパイラル」
は、意地悪爺さんのような悪循環からすると“負”ですが、
やさしいお爺さんのように、
計画や行い次第では“良”もある、
ということを教える戒めなんですね。


Wikipediaの「花咲か爺」を検索すると、
その「解釈」欄の後半には、
「この話の花を咲かせるモチーフは中世末以降、
 千手観音の信仰を背景として民間に普及した
 「枯れ木に花を」のたとえの形象化であると言われる。」

と記してありますが、
これをもう少し補足すると、
江戸時代初期の「竹斎(ちくさい)物語」という仮名草紙小説に
それが書かれているのです。

この小説の成立が1621年(元和7年)といいますから、
江戸幕府第2代将軍秀忠時代の後期、
・1615年(元和元年)に大坂夏の陣、豊臣氏滅亡、
・1616年(元和2年)に家康が75歳で死去、
・1618年(元和4年)家光乳母のお福(=春日局)が大奥法度(はっと)を定める
・1623年(寛永元年)家光が第3代将軍になる

だいたいそのあたりの頃です。

江戸時代後期に、
十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の作で、有名な
「東海道中膝栗毛」
という滑稽本が大ベストセラーになりました。
ひょうきんな弥次郎兵衛と喜多八が、
江戸品川を振り出しに東海道を下り、伊勢参りをすませて、
京都大阪を見物するという道中もので、
弥次喜多珍道中としても知られていますが、
この初刷りが、
「1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて」
といわれていますから、
「竹斎(ちくさい)物語」
は、
東海道中膝栗毛から180年以上前の滑稽文学になるのです。
十返舎一九も、「竹斎物語」から
かなり刺激を受けていると判ります。

「竹斎物語」の著者は、
伊勢松坂生まれの医師・富山道冶(とみやま どうや)、
私は三重県出身ですが聞いたことがない名前です。
藪(やぶ)医師竹斎(ちくさい)を主人公にした諸国遍歴の物語です。
仮名草子2巻2冊で、
主人公のやぶくすし竹斎(ちくさい)が都で食い詰め,
睨(にら)み之介という下僕をつれて
東海道を京から名古屋を経て江戸に下る道中の名所旧跡の見聞や失敗談を、
狂歌などを交えて滑稽に描いていて、
現代の腕の悪い医者を指す、
「ヤブ医者」
の起源でもあるそうです。

この小説は、
天下泰平にして、峰の松も平かに、
徳川松平の御代も慶び長き、慶長の頃、
世の中は平和にして治まりぬ。
その頃、山城の国にヤブ医者の竹斎という一風変わった瘦せ法師がおった。
貧に窮す故、何事も心に叶わず、
自然と自堕落な身形となり医者の十徳もヨレヨレに汚れ
病家からのお呼びも儘ならず。
「げにや家、貧にしては親知乏しく賤しき身には人も疎ましいものにやあらん」
と、芦刈の謡曲にも謠(うた)えり。
然る様にては都に住めども益もなし。
論語の教えにもあるように、賢きより賢からんとするには色を変えよ、とある。
繁盛する医者の上をゆくにはその方法を変えねばなるまい。
ここは一番、都を打ち捨てて田舎へ下ろうと思い立つ。
さても、恨の介ならぬ、睨の介なる用心棒を呼び寄せて、
汝も承知の様に我は天下一の藪医者を任ずるも、
なにせ病者も寄りつかぬ故、この上は諸国をめぐり歩いて
心の赴くままに住まいしようぞ、との存念なるが、
そなたの存念は如何に?と問わば、げにも仰せの通り、
かかる憂き都を捨て、田舎へ下り、心の赴くままの所で暮らすべきなり。
この睨の介もいづくまでも、御供いたしましょうぞ、と申されけり。

と、始まります。

この物語の後編2巻目の始めのあたりに、
千手観音の記述が出てきます。

睨みの介の申しける、田舎へ下るつもりなら、
ぐずぐずしても何かせん、急ぎ御下り召されよと、
三條大橋打ち渡り、良き病者の粟(会わ)田口、
病を問へば関(咳)寺の小町鐘突く、
つくつくと寝られぬ程に後より、
医者を大津の浦に来て病者の色を三井(見い)寺の左の脈は比叡(ひえ)の山、
伝教大師の御歌を思い出してやかくばかり。

あぬくたらさんみゃくぼだいの病者達、
我が行先に冥加をばあらせ給へと手をとりて、
みぎり(右)の脈はかすかにて、
如何にも堅き石山の寺の本尊千の手の千手観音尊しや、
誓いを聞くも有難く、枯れ木に花と聞くにつけ、療治の甲斐もありたれば、

何とし、信楽壺の中、ねりねり薬取りいだし、
飲めば心も潔く(いさぎよく)、命も長き瀬田の橋、病も泡と消えゆかん。

粟津が原を打ち渡り、睨みの介と竹斎は主従二騎にて過ぎ行けば、
今井の四郎兼平に少し姿は鳰(似お)の海、
舟は数々浮かべども御足無ければ乗せもせず、
海原遠く出船の漕がれて物を思はする、
余りの事の悲しさに睨みの介は一首とぞ、詠じけりとて哀れなり、
   弓張の月の入るより川岸を早く離るる矢橋舟かな
あたりの舟子、これを聞き、
優しの人の云いごとや、御足無くとも乗り召されよとて、
返し歌
   津の国の難波入江の舟ならば御足無くとも只乗はせめ
誠に歌さへ鄙びたり、舟人こぞりて泣きにけり、


と書かれているように、この時代では、
「千手観音の徳度は枯れ木にも花を咲かせるほど」
と言い伝えられていたようです。

それで、花咲爺では
「枯れ木に花を咲かせましょう」
と。
童話でも、調べるとなかなか奥が深いです。

海竜祭の夜.JPG
 諸星大二郎氏の「妖怪ハンター」シリーズの「海竜祭の夜」にも
 「花咲爺論 序説」があることを知り、本を知人から借りました。
 諸星氏は考古学や歴史学の史料まで使い、
 豊富な知識に支えられた奇抜な発想をするSF・伝奇漫画家です。
 私の子供時代の週間少女フレンドの、
 楳図かずお「ヘビ女」、望月あきら「サインはV」、手塚治虫「リボンの騎士」、
 少年画報の「まぼろし探偵」、「さるとび佐助」、「赤胴鈴之助」、「黄金バット」…、
 そういった昔の少年少女雑誌風の、懐かしい泥臭い絵柄で描かれています。


「妖怪ハンター」の主人公は、稗田(ひえだ)礼二郎という
イケメン考古学者で、妖怪バスターでもあるようです。
古事記の編纂者の一人、稗田阿礼(ひえだのあれ)をもじったネーミングなのでしょう。
「花咲爺論 序説」は以下のような論法です。

「花咲爺」は、もともと焼畑農耕民の間の伝承で、
日本でも焼畑の行われていた縄文中期から、
すでに言い伝えられていている。
灰を撒いて枯れ木に花を咲かすのは、
山林を焼いた灰による生命力の復活であり、
焼畑は何年かの周期で、最初の土地に戻ってきて
また火をいれて畑にする。
欲深い爺さんに殺された犬の墓に生えた木から臼を作ると、
その臼がまた金銀を生むが、
動物から植物の変身、
農具である臼が金銀を生むというのは豊穣を意味している。
動物を殺すことによって、その生命力が植物に転化し豊穣をもたらすのは、
大地に対して、ある種の供養が行われていた古代の儀礼の名残りで、
犬が代用される前は、人間が人身御供(ひとみごくう、神への生贄)であった。


うーん、こじつけが多いように感じて、説得力があるようで無い、
ちょっと違うような気がします。

これなら、前回の最後のあたりに書いた、
民俗学で「花咲じじい」の祖型といわれる、
中国の雲南省東部の、犬を主人公とする民話
「狗耕田(くこうでん)」
の方が、
より花咲爺の物語に近いような気がします。


童話も、子供の頃は誰でも読んだと思いますが、
その後見向きもしなくなり、そのうち関心もなくなり、
「たかが童話」
ですが、
改めて花咲爺を読み直すと、
灰を撒くことが農業的に効果があり、
物語では方や成功、一方では失敗という対比になっていることも、
私のように数えきれないほど失敗を積み重ねてきた立場からすると、
花咲爺は、なかなか考えさせられるところが多く、
「されど童話」
なのです。

亜熱帯の沖縄ですからコーヒー栽培は露地栽培でも可能ですが、
土壌や台風銀座であることも含めた気候環境なども鑑(かんが)みると、
単純に
「苗木を生育させて、やがて開花し、実が出来た、万歳」
というのでは、
「ただ植えただけ、ただ実が出来ただけ」
で、
「品質的に本当に良い実かどうか」
というのは、また別の次元の話になるはずです。
何を、どこをゴールに考えるのか。

そう考えると、コーヒー栽培も
「されどコーヒー」
なのです。


犬と農耕の話も書こうかと思いましたが、
さらに長くなるので、それはまた機会があった時にでも。
posted by COFFEE CHERRY at 12:51| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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