2009年01月04日

江戸時代を見直して沖縄コーヒーのブランド化を考えるF(最終回)

江戸時代の地方分権から、
明治政府が中央集権化を図るために、
明治5年(1871年)、
全国261の藩を廃して府県を置く政策をとるのですが、
鹿児島県(薩摩藩)の管轄下にあった琉球国は、
一度「琉球藩」にされて明治政府の直轄に移された上で、
明治12年(1879年)に強制的に「沖縄県」に移行されて
約500年間続いた琉球王国は滅んでしまいました。

希少動物の階段1.JPG
やんばるの横断道路・県道2号線には
U字溝の横に希少動物の階段らしきものが
20m間隔で設置されていました。


琉球王朝最後の国王・第19代・尚泰王(しょうたいおう)は
琉球藩の藩王として家族と共に東京に強制的に移住させられ、
沖縄県になった以降も沖縄に帰郷することなく
東京で亡くなるのですが、
尚泰王の四男・尚順(しょうじゅん)が
明治25年(1892年)20歳のときに東京から沖縄に帰り、
以降、琉球新報や沖縄銀行などを創設する一方で、
自身の邸宅の庭を基に農園を開き、
パイナップル、グァバなどの沖縄県外から
果樹や観賞用植物を積極的に導入し、
沖縄農業の発展にも寄与されたのですが、
この農園「桃原(とうばる)農園」は
その後の沖縄戦で壊滅的打撃を受け
自身も1945年6月17日の沖縄戦のさ中で
亡くなってしまうのです。

希少動物の階段2.JPG
カメやトカゲがU字溝に落下した時の
救命用の階段のつもりなのでしょうかexclamation&question


昭和20年(1945年)4月1日に沖縄本島中西部の
読谷(よみたん)村海岸から米軍は上陸し、
長期持久戦に臨む日本軍と激しい戦闘を繰り広げて
沖縄住民を巻き込むのですが、
米軍は海上の戦艦からの艦砲射撃や
戦闘機による空爆と機銃掃射、
戦車を先頭に火炎放射器による攻撃、
ガソリンを流し込む等の壕への馬乗り攻撃による戦闘を行い
6月15日から6月18日にかけては現・糸満市にまで
日本軍や住民は米軍に追いやられて、
鉄血勤皇隊や義勇隊、ひめゆり隊、白梅隊、瑞泉隊、
でいご隊などの学徒隊などに動員された
沖縄師範学校学徒隊が次々に全滅していったのですが、
父が琉球王朝の最後の国王であり、
自身も今後の沖縄の発展を望みながら
その沖縄が日米軍に踏みにじられて、
郷土が焼かれ、住民が虐殺されていく様を見ながら
亡くなることはさぞ無念だったのではないかと思います。

照首山の山麓.JPG
コーヒー山の近くの照首山です。
ヒカゲヘゴと幹が白っぽいスダジイの間から
ティラノザウルスが飛び出して来ても
おかしくはない光景ですね。


江戸時代を見直して沖縄コーヒーのブランド化を考える1
江戸時代を見直して沖縄コーヒーのブランド化を考える2
江戸時代を見直して沖縄コーヒーのブランド化を考える3
江戸時代を見直して沖縄コーヒーのブランド化を考える4
江戸時代を見直して沖縄コーヒーのブランド化を考える5
江戸時代を見直して沖縄コーヒーのブランド化を考える6

T型フォードが1908年に米国で発売され、
以降、自動車産業ピラミッドが
世界経済を牽引してきましたが、
昨秋から激変の時代に突入して一気に世情不安になり
新しい時代への移行期といえば聞こえが良いのでしょうが、
なにやら「平家物語」を連想するような
栄枯盛衰の雲行きになってきました。

平家物語
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏(ひとへ)に風の前の塵(ちり)に同じ。


「祇園精舎の鐘の音には、
 諸行無常、すなわちこの世のすべての現象は
絶えず変化していくものだという響きがあります。
(釈迦入滅のときに白色に変じたという)
沙羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も
必ず衰えるものであるという
道理をあらわしているように思えます。
おごり高ぶった人も、その栄えはずっとは続かず、
春の夜の夢のようにはかないものです。
勇猛な者でさえ、ついには滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようなものです。」


年末のつわぶきの花.JPG
年末にコーヒー山のオーナーにご挨拶に伺いました。
その道中に咲いていたツワブキの黄色い花です。


T型フォードから始まった1908年は、
奇しくも尚家(しょうけ)の
「桃原(とうばる)農園」
が開かれたころですが、
「この農園にはCoffeeの木も植えられていた」
と、
コーヒー山のオーナーから聞かされました。

沖縄のコーヒー栽培の歴史は以前ご紹介した通りですから
「沖縄でコーヒーは栽培出来るかexclamation&question出来ないかexclamation&question
という質問はすでに愚問であり、
今後の沖縄コーヒーは
『質と量』
を極めてゆくことで、
沖縄が国産コーヒーの名産地に成り得るわけですが、
江戸時代の
 ・ 『土地に応じ』た高品質
 ・ 他にはない『比類無き』特色
 ・ あせらない長期戦略
 ・ 生産者自らの創意と工夫

が特産を名産に育て上げる、
という思想から検証すると、

@『土地に応じ』た高品質化について
コーヒー栽培は「コーヒーベルト」といって、
一般に
「南北回帰線の内側で露地栽培が可能」
といわれていますが、
沖縄の日照や気温、降雨量などの気候環境は
コーヒー栽培上まったく問題はなく、
また、沖縄ではどの地域でも
土壌を選ばず放任で露地栽培が可能ですから
風対策さえすれば
明治以降何度もコーヒー栽培がTryされているように
「土地に応じている」
といえましょう。

沖縄以外での栽培候補地では
小笠原諸島か南西諸島ですが
小笠原は雨量が少なく、
南西諸島では徳之島で露地栽培されていて
屋久島では失敗していますが、
広大な栽培面積はとても望めませんし、
ましてや本土でのハウス栽培では
日照不足で木が病弱になり高品質化は無理で、
台風対策さえ充分に行えば
ますます沖縄の優位性が明確になるはずです。

また、高品質化には、
本島中北部の柑橘系果樹栽培に向いている
国頭(くにがみ)マージという
酸性土壌で栽培することが必要条件になりますが
この土壌のweak pointは
カルシウム、マグネシウム、カリウム成分などが脆弱の
「痩せて地力がない」
ことで、
それを補うために
 ・有機ぼかし、米ヌカ、海草、植物堆肥などを使う
 ・完全発酵した牛糞か豚糞堆肥を使う
 ・本島南部の肥沃なアルカリ質のジャーカル土壌を
  客土して土壌改良する

などで、
コーヒー栽培に最適な土壌作りが出来ると考えられます。

年末の与那海岸.JPG
 12月31日の夕方の与那海岸です。
 当日は9mの風が吹いて
 日中気温も14℃で寒い1日でした。
 本土ではこれくらいの波は普通でしょうが
 沖縄の海岸ではこれでもだいぶシケています。


A他にはない『比類無き』特色について
海外から輸入されるコーヒー生豆は
植物検疫で害虫が1匹でも見つかると
生豆は豆類なので、
内部の奥深くまで入り込んだ害虫を殺すために
発ガン性の疑いがある臭化メチル(24〜72時間)や
特定毒物に指定されている燐火アルミニウム(5〜9日間)で
くん蒸処理されますが、
(廃棄や返送する商社は少ないでしょう?)
沖縄産は「国産コーヒー」ですから
本土に生豆を発送するとしても
“くん蒸処理”はされず、
除草剤や農薬を絶対に使用しない栽培法に限り
世界最高の安全性は保証されるはずで、
これは大きな特色でもあるはずです。

年末の重機の道.JPG
 コーヒー山でも強風のために
 コーヒー苗木の3鉢が倒れていました。
 沖縄は年末から1月中旬までが一番寒いのですが、
 コーヒー苗木たちは元気一杯で安心しました。


B「あせらない長期戦略」については
自宅のやんばるの引越し先は決まっていて、
残りの苗木の搬入と引越し先のリフォームさえ終われば
コーヒー山までの通勤も
片道20分で行けるようになるのですが、
引越し先では苗木を大量に作り、集落の民家に無償提供して、
地域ぐるみでコーヒーに取り組めるようにしたいと
年末に山のオーナーと意気投合したのですが、
品質的にレベルアップさせるためにも
コーヒーの栽培基準を作って作業標準化を目指し、
加工所を設けて地元からの弱者の雇用もして
地域ぐるみでの所得の向上につながり
やがては国頭村が
「コーヒーの里」宣言をしてもらえるような
土台作りをしてゆきたいと考えていて、
私自身が弱者なのですから、
あせらず長期戦で構えています。

年末の北山山頂.JPG
 コーヒー山の北山山頂の雨水貯水システムです。
 山には落葉樹も多く、
 青いシートにも
 たくさんの落ち葉が降り積もっていました。


C「生産者自らの創意と工夫」では…
 ・ 種植えの最適時期
 ・ 苗木移植最適時期
 ・ 日照や日陰の影響

など、
コーヒーの生態を再度研究しなおして
「コーヒーの栽培基準」
作りをするのは当然としても
「コーヒーの白い花が
 春の新月・満月の大潮前後に咲くことが多い」
「新月にコーヒーの種植えをすると、徒長苗が多くなる」

ことから、
月と農業(コーヒー)との関係も
見直さなければなりません。

ウミガメや魚、カニ、珊瑚などが
大潮の満潮時に産卵することは、
よく知られるところですが、
これは人間や犬猫など
動物にも言えること(自然分娩の場合)で
「満月や新月の上げ潮時から満潮時にかけて出産が多い」
という傾向があり、
それとは反対に
「引き潮時から干潮時にかけて臨終をお迎えする」
傾向もあると言われています。

また、虫の発生(孵化)時期が
「大潮の時期と合致している」
といわれています。
「種植えは満月、苗木移植は新月」
も、再度原点から比較実験も行って
コーヒーに最適な栽培基準を作り出したいと思います。

「高品質のコーヒー豆を作るには
 木にストレスを与えず健全に育成させる必要がある」
「コーヒーの木のHappy Lifeを重視することが
 美味しい実の恵みを受けるはず」

というのが私の基本理念で、
「そのためにはどう栽培したら
 コーヒーの木がHappy Lifeになるのか」

を常に考えながら
栽培努力を積み重ねてゆく必要もあるはずです。

以上@〜Cを実践することで
「沖縄コーヒーのブランド化は充分可能」
と確信していますし、
周りにどう思われようとも
「まず小さな成功モデルをつくり
  小さな村おこしとPax Okinawanaに貢献出来れば…」

と本気で考えているのです。

花芽の出始め.JPG
コーヒー山の中腹の「竹の広場」から奥の
 重機の道に植えたコーヒー苗木には、
 花芽が出始めました。
 根の活着が予想より早く
 根付いているようです。


自生え期待の落下した種.JPG
 コーヒー山の中山山頂の手前では
 コーヒーの赤い種が自然落下していました。
 自生えを期待して、そのままにしてきました。


posted by COFFEE CHERRY at 16:20| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代の農政から学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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