2009年05月11日

コーヒーの苗木移植作業の再開

アマレロの自生苗の黒ポリポット移植は
自生苗の数が多すぎたことが嬉しい誤算でしたが、
予想外に時間が取られてしまったことで、
昨秋から移植を待ち続けている苗木たちの植え付けを
急ピッチで行うことになりました。

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 林床地の中です。
 時々木漏れ日が入る、
 コーヒー山でも最高の栽培環境なのです。


バナナロードと林床地に置いてあるケンガイ鉢の
大きな苗木60本を最優先で植え付けして、
「これを2日で終わらせよう」
と意気込んでいた矢先に、
なんと穴掘り工具が折れてしまうアクシデントがあり
林床地のケンガイ鉢苗木の移植は、
すでに穴が掘られている10個だけにとどめ
急きょ重機の道の下側のエリアで
黒ポリポットの苗木移植に変更しましたが
こちらは30個弱くらいでしょうか、
スコップでの穴掘り作業は
乾燥している表土が硬かったり、
掘り出したら根が出てきて穴掘りの場所をズラしたり
スコップの先に石が当たって石を取り除いたとか、
とにかくスコップでの穴掘りは
数が少なければ便利かもしれませんが
多数の穴掘り作業には足腰の負担が大きくて
過酷な作業なのです。

ムンド・ノーボの自生苗090509.JPG
 林床地の2箇所に、
 ムンド・ノーボの自生苗が出てきていて
 雨不足で苗がダメになってしまうことを懸念して
 プランター2.5個に移してあげました。
 全部で100本くらいはあったかも。
 作業に追われているので、
 正確には黒ポットに移し替えるときに
 数えるつもりです。


平年では5月8日が
「沖縄の梅雨入り」
なのですが、
今年はどうも遅れているようで、
9日(土曜日)も、早朝と夕方の2回、
林床地付近の苗木と自生苗ポットについて
雨水と山水による水やりを
ジョーロで数時間かけて行いました。

アオスジアゲハ090509.JPG
 コーヒー山の最高峰・北山頂上で
 アオスジアゲハが飛んでいました。
 本土にもいる蝶で特別珍しくないのですが、
 動きが機敏でなかなか撮影出来ないので
 これでも良く撮れた方なのです。
 背景はボケていますが、
 活着したコーヒーの木です。


深刻な日照りが続くものの、
スコップで地面を掘ると、
地中の土にはいくらか湿っていますから
鉢やポットに入って移植を待ち望んでいる苗木たちは
一刻も早く地面に植えつけてあげたいのですが、
移植は1日に50個程度しか出来ないので
乾燥が早い鉢やポットだけでも、
週に2回は水やりが必要なのですが、
人間は勝手なもので、こんな時に
「苦しい時の神だのみ」
が頭の中によぎってしまうのです。

バコパ090509.JPG
 ホームセンターで赤札(100円)で売られていた
 「バコパ」を1つ買って
 乾燥防止のために竹の広場に試しに植えましたが、
 意外に機嫌よく根付きそうです。
 マメ科植物ではありませんが、アフリカ原産らしいので、
 定着して広がってくれるかもしれません。


紫式部の源氏物語は、
栄華を極めた藤原氏全盛の貴族社会を背景にして
光源氏を主人公として書かれた長編物語ですが、
この平和な平安時代は
貴族による世襲官僚制と荘園の発達で
少数の富裕層と大多数の農民との貧富の差が大きい
格差社会にもなっていて、
何やら現代を重ね合わせると
歴史は繰り返されるのかと嘆きたくなりますが
この平安時代初期には、
クレオパトラ、楊貴妃と並んで世界の3大美女といわれる
小野小町が朝廷に仕えていて、
雨乞いをしたことがあるのです。

シダ植物090509.JPG
 弦鳴楽器ハープをイメージしてしまうシダ植物の若葉。
 シダ植物は種類が多く、なかなか見分けがつきません。
 これはバナナロードで撮影しました。


二条城の南にある神泉苑(しんせんえん)は
平安時代当時は朝廷のための庭園でしたが、
824年には淳和天皇の勅命で空海(弘法大師)が、
ここで雨乞いをして雨を降らせた、というのですが、
この16年後の承知(じょうわ)7年の大飢饉では、
今度は小野小町が仁明天皇の勅命で
雨乞いの和歌を天に捧げることになり、
神泉苑内の壮麗な祭壇で、

 ことわりや 
 日の本なれば照りもせめ
 さりとてはまた
 天(あめ)が下とは


と詠んで、
雨が降ってきたというのです。

「日の本というぐらいですから、
 照りつけるのも分かりますが、
 天(あめ)が下というぐらいで、
 雨も降らせて下さい」

という意味だと思いますが、
出だしの「ことわりや」から
「さりとては」と受けるところは、
英語の文法「indeed〜,but…」
を思い出すような歌ですね。

この342年後の寿永元年(1182年)の大飢饉では、
またしても神泉苑で壮大な雨乞い儀式が行われ、
百人の白拍子が舞ったというのですが、
このメンバーの中に静(=静御前)がいて
源義経とここで初めて出会ったといわれているのですが…

ガラスヒバア090509.JPG
 重機の道では “神の遣い”に遭遇しました。
 尻尾だけが目に入りトカゲかと思ったら
 「ガラスヒバア」というヘビでした。
 雨水貯水容器のオタマジャクシを食べた帰りかなexclamation&question


それにしても、昔は“雨乞い”が多かったようですね。
江戸時代の元禄6年(1693年)には
江戸が干ばつだったようで、
松尾芭蕉門下の俳人・室井其角は
江戸隅田の三囲(みめぐり)稲荷で

   夕立や 田を三囲(みめぐり)の 神ならば

と詠んで、
翌日雨が降ったというのですが、
私も和歌か俳句を捧げたい心境です。


夕焼け090508-2.JPG
 日本が平安時代の中国では
 強大な経済力を誇り、文化も繁栄していた唐が
 751年にイスラム帝国との戦いで敗れて衰退し始め、
 その後長期にわたる干ばつ、
 夏場の少ない降雨量などの異常気象が続いて凶作になり、
 農民蜂起があちこちで発生して、
 ついに唐朝は907年に滅亡してしまうのですが、
 その唐の衰退時期に李商隠(りしょういん)という
 官僚政治家が詠んだ漢詩、
 題「楽遊原」
 (楽遊原は唐の都・長安の東南にあった絶景の丘陵地)
 向晩意不適
 駆車登古原
 夕陽無限好
 只是近黄昏

 晩(くれ)に向(なんな)んとして意(こころ)適わず
 車を駆りて古原(こげん)に登る
 夕陽(せきよう) 無限に好(よ)し
 只是 黄昏(こうこん)に近し

 夕暮れに近づこうとするこの時、
 私の心はいま一つ気分がすぐれない。
 そこで馬車を走らせてこの古跡楽遊原に登ってみた。
 原上からながめる夕日は、限りなく美しい。
 ただ、もうじきたそがれの闇がすべてを閉ざしてしまう。

 を想い出すような与那の海岸から見た夕陽です。
 夕焼けはとても幻想的な光景であり、
 またどことなく寂しい気分になったりして私も好きですが、
 「(夕陽を隠すような赤黒い厚い雲がない)
  夕焼けが見えた翌日は晴れ」

 ともいわれますから…
 それでも熱帯低気圧が北上してきたようで、
 今日の午後から明日朝にかけて
 “弱い雨”予報がついに出てきましたexclamation×2



posted by COFFEE CHERRY at 13:07| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 移転準備 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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