2006年06月10日

名護市の諸井清二さんご夫妻のコーヒー栽培

4年前に諸井さんの圃場を見せて戴いたので、
現在どうなっているのかは未確認です。

諸井さんご夫婦は、当時名護市に住んでいて、
東村内に約1,200坪の圃場を持たれていました。

それまでにコーヒー栽培の知識や経験がなく、
誰にも師事せず、独学で取組んでいました。

私が圃場に行ったのは、
ヒロ・コーヒーの足立浩志さんに案内して戴いたのです。


圃場は、防風対策がされていないので、
コーヒーの木は荒廃していました。

朽ちたコーヒーの木や幼木の配置からして、最初の頃は、
一面にコーヒーが植えられているように感じられました。

すでに空き地化しているところもありましたから、
台風の影響をまともに受けたような印象でした。

コーヒーの幼木は、支柱をせずに、
植え草をコーヒーの幼木の周りを囲むように
植えてありましたが、
この方法では防風効果はなかったはずです。

相当に頑固な方のようですが、
沖縄でのコーヒー栽培は、
防風対策抜きでは成功するのは不可能ですから、
ヒロ・コーヒーの足立浩志さんに
基本的なことから指導を受けるべきだと思いました。

足立さんはとても面倒見の良いシャイな方です。

諸井清二さんは、コーヒー栽培では悪戦苦闘中ですが、
実はとても有名な方です。


1994年(平成6年)に、
諸井さん(大阪府茨木市、当時農業)は、
『環太平洋ヨットレース』に参加するために、
自分のヨット「酒呑童子(しゅてんどうじ)」号で
ロサンゼルスに向けて航行中、
大シケで転覆し、マストが折れ、かじが利かなくなって、
太平洋を3ヵ月間漂流した方なのです。

奥さんの千恵子さんは、
夫の遭難中に夢の中で、
1ヵ月後の「6月7日に韓国の釜山港の帰る」という正夢を見て、
それが全くその通り実現したことで、
ドキュメンタリー番組にもなりました。

諸井清二さんは、遭難当時56歳でしたから、
今年で68歳ということになりますね。

諸井さんは、
「遭難は命綱のハーネス(転落防止用ベルト)の欠陥が原因」
として、
帰還3年後に、
製造会社(横浜市)と販売会社(西宮市)に
計約1,860万円の損害賠償を求めた訴訟を起こし、
翌年、製造会社側が和解金800万円を支払うことで
和解が成立しています。

その後、夫婦で沖縄に移住され、
コーヒー栽培に取組んだようです。

posted by COFFEE CHERRY at 00:20| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 沖縄のコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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