2011年03月20日

台湾のコーヒー事情U(2011-1)

過去の台湾コーヒーの記事
2006年5月18日「台湾のコーヒー事情」
2009年9月16日「台湾コーヒーの最新事情2009-1」
2009年10月21日「台湾コーヒーの最新事情2009-2」
「2009-2」は、シリーズで記述する予定が
尻切れトンボになっていたようで済みませんでした。


私のコーヒー後継者の伊佐さんが、
先月下旬に台湾のコーヒー事情の視察に2年ぶりに行きました。
那覇空港からの各都市(空港)までの距離は、

国内   東京  1,721km
     名古屋  1,470km
    大阪(伊丹)1,304km
    福岡  1,008km

     鹿児島   758km

海外  台湾  655km
    上海  792km
    香港  845km
    マニラ 1,300km

というように、那覇空港からは
「鹿児島より台湾の方が近い」
ので、沖縄からはとても行きやすいのです。

古坑珈琲-1.JPG
 台湾でのコーヒー栽培は、雲林(うんりん)県の古坑(ここう)郷だけでなく、
 台南県などでも栽培されています。


今回は、
 @ 台湾で栽培しているコーヒー品種を調べ、そのタネを入手すること
 A 収穫した実の果皮や果肉を除去するパルパーという機械を調べること
 B 脱穀方法を調べること
 C 防風対策を含めた栽培方法を見聞すること

などが主なMissionで、
要するに、
「素直に“台湾から学ぶ”」
ということです。

古坑珈琲-2.JPG>
 古坑珈琲の案内板

「中南米とコーヒー」
とか
「エチオピアとコーヒー」
というとイメージが湧きますが、
「台湾とコーヒー」
は、なにか違和感がありますよね。
「沖縄とコーヒー」
も同じでしょうか。
それでも台湾のコーヒーの歴史は沖縄よりだいぶ古いのです。

古坑珈琲-3.JPG
 台湾コーヒーの由来が書いてあります。
 ネットのエキサイトでの翻訳は面倒なので省略。


「父が2代将軍徳川秀忠で、母は浅井長政の三女で
織田信長の姪にもあたる江の次男」

というと
3代将軍家光ですが、
その家光が48歳で生涯を閉じる7年前(1644年)というと、
島原の乱を制圧して鎖国体制を完成させ、
寛永の大飢饉の真っ最中ですが、
この頃、中国では明から清になり、
大清帝国は1912年まで268年間(江戸幕府は265年間)
中国を支配することになります。

古坑珈琲-4.JPG
 古坑珈琲の加工工程

一方、15世紀中ごろから始まった大航海時代以降
欧州列強の世界進出は、大帆船時代と産業革命を経て
世界全体を対象とした植民地獲得競争の時代を迎えました。

その先頭を走る大英帝国は
世界に残された最後の新天地である中国(=清国)を目指しますが、
当時の清国は鎖国状態で自由貿易を認めていなかったこともあり、
大英帝国は清国の開港地・広州から
大量の茶や陶磁器、絹などを輸入するものの、
その対価として対中輸出する産品が無いために
清国相手に巨額な貿易赤字を出すことになります。
その対策として、
 ・大英帝国で製造された工業製品を植民地のインドに輸出し、
 ・インドからは清国に麻薬のアヘンを輸出して、
 ・中国から大英帝国が茶などを輸入する

という三角貿易を行い貿易黒字を出すようになりますが、
その後清国でアヘンの流行が社会問題化し始めたことで、
清国はアヘン禁止令を出すに至ります。
それでも東インド会社は個人貿易商を国のダミーにして
嫌がる清国をしり目にアヘンの輸出を続行したことで、
近代兵器で武装する大英帝国と衰え著しい清国間で、
ついにアヘン戦争が勃発することに至るのです。

古坑珈琲-5.JPG
 世界のコーヒーの味の比較

ジョン・ローンが主演の映画「The Last Emperor」は
アヘン戦争終盤から大日本帝国が暗躍するまでに
翻弄された最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の人間ドラマが描かれていて
映画をご覧になられた方も多いことと思います。

前置きが長くなりましたが、
三角貿易で、東インド会社から清国にアヘンが輸出される時に
当時インドで栽培されていたコーヒーの苗木も
清国に少量入って来たらしく、
「インドの気候に似ている台湾島最南端の
恒春(こうしゅん)の山林地域でコーヒー栽培を始めた」

というのが、どうも台湾コーヒーの起源のようなのです。

イギリス東インド会社といえば、
軍隊を抱えてインドの統治までを行っていたらしく、
そういえば、「小公女セーラ」では
主人公セーラの父親はキャプテン・クルーですから
東インド会社のクルー大尉(Captain)として
フランス人の妻と、夫婦揃ってインドに長期赴任し、
セーラが生まれたようですね。
原作には現地で生まれた子供は
「小さいうちにロンドンに寄宿するのが通例」
だったような記述もありますし、
友人からの誘いでダイヤモンド鉱山に出資していたようですから、
「小公女セーラ」の原作もなかなか歴史的に面白い文献ですね。

次回に続きます。
posted by COFFEE CHERRY at 23:34| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 台湾のコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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