2006年07月02日

コナ・コーヒーと日系移民の関わり〜その7

1865年に南北戦争(American Civil War)が終わり、
翌1866年には、アメリカ大陸横断鉄道が完成します。

この翌年の1867年の日本では、
薩長同盟の倒幕の動きが強まったことで、
衰えの目立つ江戸幕府は
第15代将軍徳川慶喜*が政権を朝廷に返上する
「大政奉還」を行い、
このあと,薩長倒幕派は王政復古*のク−デターを断行し,
1868年に明治維新となって、
この年に第1回目の日本人移民153人がハワイに渡りました。

第1回移民の一団は、
横浜を中心に募集された少数の武士や職人、髪結、料理人等で
構成され、
何しろ先例がありませんので、
移民者自体の資質にも問題があったのかもしれませんが、
ハワイ入植直後から耕地での苛酷な取扱いに対する不満や
低賃金、高い生活物資などへの不平不満を訴えるようになり、
翌1869年、
明治新政府は情況視察の目的で特別全権公使・上野景範を
ハワイに派遣しました。

その結果1870年に、
第1回入植者153人のうち40人を
明治政府の費用負担で送還しました。

第1回移民の過酷な労働が明治新政府内で問題視され、
これから15年間、
1885年までは、移民が中止になってしまいます。

ハワイに留まった108人の“元年者”たちは、
過酷な労働に耐え、
ハワイ人と結婚して同化してゆきました。
(入植者153人のうち5人は、
 入植1年以内に現地で亡くなっていました)


19世紀初頭のアメリカには約115万人いた、
と言われるインディアンは、
1870年当時は、
2万5千人程度まで減っていたようです。

1871年(明治4年)、
明治新政府が廃藩置県を行ったこの年に、
アメリカではインディアン保護地が設定されました。

1874年には、
インディアン居留地に設定されている
ブラック・ヒルズにゴールド・ラッシュが訪れ、
一獲千金を夢見る大勢の白人達が、
インディアンとの不可侵条約もお構いなしで
押しかけたことなどを契機に、
インディアンとのトラブルが一層激しくなり、
スー族の酋長シッティング・ブル(Sitting Bull)や
クレイジー・ホース(Crazy Horse)たち数千人が、
第七騎兵隊(260人)を率いるカスター将軍(当時中佐)を
全滅させてしまいました。

映画では、
・ 黄色いリボン
・ 幌馬車
などが、参考に作られています。

1876年には、米国−ハワイ互恵条約が締結され、
ハワイの砂糖は無関税でアメリカに輸出できることとなり、
サトウキビ産業は飛躍的に増大することになります。

1881年には、
アリゾナ州トゥームストーンで
西部開拓史上もっとも有名な決闘が、
OKコラール(家畜置き場)の裏の空き地で起こりました。

この時の決闘は、
1分もかからない一瞬の出来事らしいですが、
その後、何ヶ月にもわたって
アープ兄弟(ワイアット、モーガン、バージル)と
クラントン一家の間で執念深い銃撃戦が繰り返されたようです。
 OK牧場の決闘.jpg
ワイアット・アープ(Wyatt Earp)に味方した
ドク・ホリディ(Doc Holliday)も、実在した人物です。
   OK牧場の決闘2.jpg
これが、
「OK牧場の決闘」と言われ、
「荒野の決闘」も、これを題材にして映画化されています。

名作「シェーン」は史実ではありませんが、
ワイオミング州の開拓農民と牧畜業者といった
新旧の敵対関係を背景に作られた作品です。
 シェーン.jpg

また、この1881年には、
無法者のガンマン、ビリー・ザ・キッド(Billy the Kid)が、
保安官で友人でもあったパット・ギャレットに
射殺されています(享年22)。


1868年から17年間も日本から移民が途絶え、
1885年にハワイのカラカウア国王が訪日し、
明治天皇への移民要請に応えるように、
日本からの「官約移民」がハワイに渡航してきます。

1885〜1893年までの8年間で合計26回、
延べ約3万人がハワイに移住しました。

1900年までにハワイ人口の約40%を
日本人移民が占めるようになるのです。

1868年(明治元年)に
ホノルルに着いた最初の日本人移民(元年者)の一部が、
1890年頃から1910年にかけて、
サトウキビ耕地の過酷な労働に耐え切れず、
脱走してコナに入り、
白人の経営者のもとでコーヒーの栽培に従事したのが、
コナ・コーヒーと日本人移民の最初の関わり、
と言われています。


1886年には、
アリゾナ州南部を恐怖に陥れたアパッチ族のジェロニモが
降伏しました(当時60歳)。

“ジェロニモ”はメキシコ軍のつけたスペイン語のあだ名で、
アパッチ語の本名は
「あくびをする人」を意味する“ゴヤスレイ”というそうです。

ジェロニモを題材にした映画
・ 駅馬車
・ アパッチ
・ アパッチ砦
・ ジェロニモ


日本では1889年に、大日本帝国憲法が発布(2月11日)され、
市町村制も施行されました。

1894年には日清戦争(〜1895年)がありました。

日清戦争が終わった1895年あたりにも、
アメリカでは有名な事件がありました。

ブッチ・キャッシディとサンダンス・キッドが
“ワイルドバンチ”という強盗団を結成します。

映画「明日に向かって撃て!」は、
これを題材にした映画で、
ポール・ニューマンやロバート・レッドフォードが
主演していましたね。
 明日に向かって撃て.jpg

実話では、
最後に軍隊に追い詰められたとき(1908年ごろ)に、
攻撃される直前に、ピストル自殺をしたそうです。
 明日に向かって撃てのポスター.jpg

また、壁の穴強盗団(Hole-in-the-Wall gang)」の“壁の穴”は、
銃弾による穴ではなく、
彼らが3カ所持っていた牙城の内の1つである
ワイオミング州の地名なのだそうです。

なお、イタリアレストランの「壁の穴」の語源は、
シェイクスピアの戯曲「真夏の夜の夢」に出てくる言葉
「ホール・イン・ザ・ウォール(壁の穴)」
からとったものだそうです。

映画「明日に向かって撃て!」の冒頭、
無声映画で始まる列車強盗シーンと
さらにもう一度行われるダイナマイトによる
大胆で乱暴な列車強盗のシーンは、
映画による誇張ではなく、
1899年に実際に行われた強奪事件でした。

西部劇の映画では、他にも
・ 真昼の決闘
・ エル・ドラド
・ 荒野の七人
・ ネバダ・スミス
・ リオ・ブラボー
・ 荒野の1ドル銀貨
などがありますし、
テレビ番組でも
・ 名犬リンチンチン
・ ローン・レンジャー
・ ローハイド
・ ララミー牧場
・ ライフルマン
・ ガンスモーク
などがありましたね。

この西部劇の頃には、
日本人移民が、
サトウキビプランテーションでの
過酷な労働に耐えていたのです。

次回に続きます。

0509コーヒーのタ.jpg
posted by COFFEE CHERRY at 18:37| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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