2006年07月10日

コナ・コーヒーと日系移民の関わり〜その12

オアフ島のかつて砂糖工場の町ワイパフは、現在は
「ハワイズ・プランテーション・ビレッジ」
(Hawaii's Plantation Village)
といって、
1930年代の砂糖工場が最盛期の頃の
町並みが再現されています。

日本からの移民をはじめ、
世界各地の移民の生活を、
当時の家を復元する事で今に伝えられています。

日系移民には、
主に不況や飢きんなどで生活が困窮していた
山口県、広島県、福島県、沖縄県出身の農家の
次男や三男などが多かったといわれています。

長男は跡取りなので、
先祖代々の土地や墓を守るために、
移民として海外に新境地を求めることは出来なかったようです。

現在のJA(前・農業協同組合)の社員も、
農家の長男ではなく、次男以下が多いはずです。

ほとんどの人々が未知の地に期待と不安を抱きながら、
まず生活圏を確保してから家族を呼び寄せようと、
男性が単身でハワイに渡って来たようです。

プランテーション内で働く労働者は、
国別にブッロクで敷きられて住んでいたようです。

日本のブロックには公衆浴場や稲荷神社、床屋もありました。

また、住居は洋風造りの二部屋くらいで、
そこに一家族が暮らしていました。

また、火事を避けるためにかまどは外に作られていたそうです。

プランテーション労働者は
1日約11時間にも及ぶ炎天下での過酷な労働でも、
日当は1日1ドルで、
休憩時間は40分程度しかなかったそうです。

そのため、逃亡する人や、病気で亡くなる人も多く、
生活環境も劣悪で、
酒や女、博打にふける人も多かったといいます。

異国での過酷な労働の中でも、心の中は、
「いつか故郷に錦を飾りたい」
という気持ちが強く、
永住を覚悟してハワイにやって来た人は少なかったようです。

そのため、いつか日本に帰国した時のことを考えて
「自分の子供にも日本語の教育をさせたい」
という願いから、
日本語学校がお寺に設けられました。

教師には、
プランテーション内の知識人や、
お寺のお坊さんなどがなったそうです。

次回に続きます。

 2006年1月のコーヒーのタ.jpg

posted by COFFEE CHERRY at 18:25| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ハワイのコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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