2011年11月08日

「立冬」の今日は恵みの雨で「晴耕雨読」

二十四節気の「立冬」の今日は時々小雨が降り、
11:59には震度4の地震がありました。

『「三国志」魏書三十 烏丸鮮卑東夷伝』
の“倭人(わじん)”の項は
「魏志倭人伝」
とよばれていますが、
この中に卑弥呼が登場しています。

三国志111108.JPG
 名護市図書館にも三国志や史記の本は多数あります。

邪馬台国の女王卑弥呼は,
魏の王に貢ぎ物を持たせて使者を送り,
魏帝から
「親魏倭王(しんぎわおう)」
と刻まれたた金印紫綬(しじゅ)や銅鏡などの宝物を与えられ,
倭国の王と認められたのですが、
卑弥呼が魏に使者を送った239年は、
魏の2代皇帝曹叡(そうえい=明帝)が1月に亡くなり、
次の3代皇帝曹芳(そうほう=斉王)はこのとき6歳ですから、
卑弥呼の使者が誰に謁見(えっけん)したのか、
あるいは239年自体が違うのかなどはともかくとして、
(三国志では238年、中国正史の一つ梁書(りょうじょ)倭国伝では239年)
卑弥呼が朝鮮半島中西部の帯方郡を通じて
魏に使者を送ったことは史実のようですから、
卑弥呼は実在の人物のようです。

子どもハブ111108.JPG
 先日、我が家の台所前の地面から水が噴き出し、
 「水道管破損の水漏れ」
 という事態に大騒ぎになりました。
 穴掘り作業は長さ2m、深さ50cmにも及び
 ようやく水道管が見えてきたと思ったら、
 今度は台所前のノグチゲラなどが来る桑の木を
 切り倒さないとパイプ修繕ができない、
 ということになり、
 桑の枝を切っていた時に、
 幹の上に隠れていた子どもハブを発見したのです。
 ハブの近くの枝も左手で押さえてノコギリで切っていたのですが、
 よく咬みつかれなかったものです。
 子どもハブは体長約60cmですが、
 成体のハブより子どもの方が毒性は強いといわれています。
 最近は、ヒメハブはよほどのことがない限り
 咬まれないことがわかってきたので、
 ヒメハブはスコップに載せるか網に入れて
 生きたまま遠くに投げ飛ばすのですが、
 ハブは可哀そうですが剪定バサミで首や胴を切ったうえで
 放り投げないといけないのです。
 画像の子供ハブも、可哀そうでしたが
 このあと冤罪でギロチン刑になってしまいました。



「古事記」、「日本書紀」の中から
卑弥呼が誰なのかを探す研究もされているようで、
有力な候補者としては、
 ・神功皇后(第14代仲哀天皇の妃、第15代応神天皇の母)
 ・倭姫(第11代垂仁天皇の皇女、日本武尊の叔母)
 ・天照大御神(初代神武天皇の5代前)

などが挙げられているようです。

たとえば、魏志倭人伝の記述から、
 ・宗教的権威をそなえていて、鬼道につかえ、よく衆を惑わす
 ・倭の女王であり、 夫をもたない

等々の諸条件を満たし、
しかも時系列的に239年頃に生きていたと思われる候補は
卑弥呼=天照大御神
に絞られるようです。

卑弥呼と天照大御神の類似点としては、
・卑弥呼には弟がいたが、
 天照大御神にも、須佐之男の命、月読(つくよみ)の命という弟がいる
・天照大御神と弟・須佐之男の命の争いは、卑弥呼と
 狗奴国(くなこく)の男王・卑弥弓呼との戦争に似ている
・卑弥呼の没後大きな塚がつくられ、
 男王がたったが国中が服さず戦いがおこなわれ、
 13歳の宗女台与(とよ)を王となして国が定まったとする話は、
 天照大御神が、天の岩戸に隠れ再び現れたという話と似ている
・魏志倭人伝には、「人が死ぬと、他人は歌舞飲酒につく」と書かれていて、
 これは、天の岩戸の前で、天の宇受売の命(あまのうずめのみこと)が歌舞をし、
 諸神が「歓喜び、笑い遊んだ」のと符合する
・『古事記』には、「天照大御神、高木神の命をもちて」などの記述があるが、
 高木神は天照大御神と共に命令を下したりしていて、
 魏志倭人伝の、女王のことばを伝えるために出入りしている一人の男と、
 高木神とが符合する

など、
類似点が多くあり、
「卑弥呼=天照大御神」
とすると、
「邪馬台国=高天の原」
ということなのでしょうか?
といっても、高天原それ自体があいまいなので
やはり邪馬台国の場所は特定できないのですが…。

コーヒー山111108.JPG
 昨日のコーヒー山の雄姿
 照葉樹林に覆われた枝葉の下で
 コーヒー栽培を行なっています。


卑弥呼が生まれたのは170年頃と推定されていますが、
卑弥呼が生きた時代は
中国では三国志前半の
特に名場面の多い、華やかな頃で、
 ・184年(卑弥呼14歳) 黄巾の乱が起こる
 ・189年(19歳) 少帝5ヶ月で廃位。董卓、劉協(献帝)を擁立
 ・192年(22歳) 王允・呂布、董卓を殺害
 ・200年(30歳) 官渡の戦い
 ・207年(37歳) 三顧の礼
 ・208年(38歳) 赤壁の戦い
 ・209年(39歳) 劉備、孫権の妹と結婚
 ・216年(46歳) 曹操、魏王に
 ・219年(49歳) 関羽敗死
 ・220年(50歳) 曹操病死
 ・221年(51歳) 張飛暗殺
 ・223年(53歳) 劉備病死
 ・234年(54歳) 諸葛孔明、急死


239年(あるいは238年)に、
卑弥呼が魏に使者を送った当時は
劉備玄徳や関羽、張飛、曹操、諸葛孔明など
三国志を飾るスターたちは
みんな死んでしまった“直後”といってもいいでしょう。
(卑弥呼が亡くなったのは248年頃、68歳ころとされています)

「悪徳の政官によって国が疲弊する」
というと、
「論語」学而篇第3章に出てくる
「子曰、巧言令色鮮矣仁」
すなわち
「巧言令色鮮なし仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」
という、
今から2500年も前に
「口先が巧みで、角のない表情をするものに、誠実な人間はほとんどない」
といった孔子の言葉がまさにピッタリの
腰の低いヒットラーのような人が、
TPP参加や増税といった国の存亡に関わるような重要な問題を
国民の信を得ずに勝手に推し進めようとする
今の日本もそうですが、
漢の末期、悪徳な役人によって腐敗した漢王朝に、
「仙人から妖術の書を授かり、腐敗した漢王朝を打倒する!」
と、
張角(ちょうかく)が黄巾の乱を起こしたのです。
(この張角や兄弟にも不浄な問題はありましたが…)
漢王朝はこの乱を鎮めますが、
討伐で活躍した豪族たちが権力を握り、
漢王朝の権威はますます弱体化していきます。
その混乱の中から、次々に英雄たちが現れ、
その中でも能力と時の運を兼ね備えた三人の人物が、
それぞれ魏、呉、蜀を建国していきます。
この時代を三国時代というのですが、
多くのヒーローの中でも特に私が好きなのが諸葛亮孔明なのです。

ハイビスカス111108.JPG
 自宅のピンクのハイビスカスです。
 こういう品種改良したハイビスカスは
 色は綺麗ですが、防風林としてはまるで役立ちません。
 ガラス戸のさえぎり兼遮光兼観賞用といった
 住宅回りや庭に植えるくらいで私は植えています。


諸葛孔明の父親が役人で比較的恵まれた家庭だったようです。
母親は早く亡くなり、父は後妻をもらいますが、
父も孔明が10歳頃に亡くなっています。

孔明は次男で、兄・瑾(きん)は秀才で漢の都・洛陽の大学で学び、
弟・均(きん)は孔明、義母と生活していました。
そんな時、兄が洛陽から帰ってくるのです。
兄は
「黄巾賊の乱が洛陽にまで及んできた」
といい、
家族は叔父・諸葛玄(げん) を頼って
江東(こうとう)まで非難していきます。

半年後に叔父は劉表(りゅうひょう)の招きで
荊州(けいしゅう)へ赴きます。
この荊州は三国時代の特に重要な地で、
やがてこの地を巡り多くの戦が起こり、多くの死傷者が出るのです。
当時、呉は英雄といわれる孫策のもとで大きく発展しそうだったので
兄は江東から呉に向かい仕官します。

荊州生活1年後、叔父・玄に代わり
予章(よしょう)を治めていた周術(しゅうじゅつ)が亡くなったため、
叔父・玄は再度予章の郡太守(郡の長官)に命じられます。
ところが任地に着くと、漢朝から予章の郡太守に任命された
失晧(しゅこう)が着任していて争になり、
叔父・玄は戦に敗れて行方不明になってしまいます。
そのため、叔父・玄と孔明たちは
荊州の劉表(りゅうひょう)の下に身を寄せることになります。

以降孔明は荊州で過ごし、
17歳の頃に大学者・石韜(せきとう)の門をたたきました。
ここには石韜の名を慕って全国各地から
すぐれた門人が集まってきていました。
後に劉備玄徳に諸葛孔明を紹介した徐庶(じょしょ)も
その門人の1人でした。
ここで孔明はめきめきと頭角を現します。
その才は群を抜き20歳になった頃には、
もはや学ぶことがなくなっていたといわれます。

孔明は弟・均とともに、隆中(りゅうちゅう)の山中の
草廬(そうろ、草ぶきの粗末な家)にこもり、
農作業に従事しながら臥龍(がりゅう)先生と称して、
晴耕雨読の生活を始めるのです。

それ以降、孔明を訪ねる友人は激減し、
孔明を訪ねてくるのは、孔明の才を見抜いた人たちだけでした。
この頃、孔明は河南の名士の娘と結婚しますが、
相手の外見は肌黒で髪は黄色っぽく、しかも醜いという、
今でいうブサイクの部類といわれていますが、
その内面は天文地理兵法に秀でた才女といわれていますから、
孔明らしいですね。

劉備玄徳は、すでに関羽、張飛、趙雲といった
天下の英雄、豪傑を部下としていましたが、
知能に優れた人材を熱望して諸国を転々とし、
荊州新野に駐屯していた頃に、
劉備は徐庶と会見し彼を有能な人物だと見抜き軍師にします。

207年、徐庶の母が曹操に招かれたため、
徐庶母に会うため劉備のもとから曹操のところへ向かうことになり、
見送りにきた劉備に徐庶は孔明を訪ねるようにいいます。

そして劉備は 隆中にいる孔明を訪ねます。
しかし孔明は不在でした。

劉備はあきらめずに、今度は吹雪が吹き荒れる日、
孔明在宅との知らせをうけて、劉備は再度孔明を訪ねます。
しかし、草廬に居たのは弟の均でした。
劉備はまたしても孔明に合うことが叶わず、
どうして自分は孔明と縁が薄いのかと嘆きながら、
自分の孔明に対する思いを手紙に書いて弟・均に預けていきます。

それからしばらくして劉備はまた孔明を訪ねます。
孔明は草廬に居たものの昼寝中でした。
劉備は孔明を起こそうとせずに待ちます。
孔明がようやく起きて、劉備は孔明と対面できます。
劉備は、孔子の例などを出して、
「天下万民のために立ち上がってほしい」
と頼みます。
ここで孔明は有名な「天下三分の計」を劉備に話すのです。
すなわち、
 ・大きくなりすぎた魏の曹操を討つのは不可能
 ・三代にわたって発展してきた呉を奪うこともまた不可能

 ・ならば、そのどちらにも属していない荊州と益州(後の蜀)に勢力を興し
  国を三つにわけ、その後、曹操の野心を砕く

というのが孔明の「天下三分の計」でした。

これを聞いた劉備は
「これからも私にいろいろ教えください」
と願います。
孔明は初めは断りますが、
劉備の国を思う真摯な姿に心を打たれ、
ついに劉備に協力することを決め出廬(しゅつろ)します。
これが有名な三顧の礼で、劉備46歳、孔明は27歳でした。

しかしこの話は三国志演義での話です。
それでも、この逸話の中で学べるところは多く、
例えば、
劉備は自分で人材を見抜き、探したりする能力がなくても、
人材を見抜ける人を信ずる人徳があり、
それが、多くの人材を集め、
やがて大国の雄になることができたということです。

また、人物の迫力さでは、
どうみても劉備より曹操の方が上手で
先見性や洞察力に優れた孔明はとうに
曹操か劉備のどちらが天下を取るか予測できたはずだし、
曹操も孔明に自分の部下となるよう使者を出していたのに
孔明が曹操を選択しなかった、というのは
劉備の人間としての魅力や人徳によるものでしょう。

しのぶコーヒー111108.JPG
 品種名が不明のため、仮称「しのぶコーヒー」。
 しのぶというのは名護市の果樹栽培者の名前です。
 このコーヒーは昨秋買い、コーヒー山の南側尾根に植えたのですが、
 3度の台風の厳しい暴風にも不思議に耐え抜いています。


今日のテーマ「晴耕雨読」とは、
単に
「晴れれば畑を耕し、雨降れば読書で時を過ごす」
「世の流れに左右されず、自分の思うままに生きる悠々自適生活」
という意味だけにとらわれず、
中庸の境地(平常心)ととらえたり、
あるいは、老子や荘子の無為自然の
「あるがままに生きる」
と考えると、
「晴耕雨読」
という言葉の重さ、深さを感じます。

徒然草 第三十八段「物欲、名誉欲について」の冒頭、
「名誉欲、金銭欲にこきつかわれてあくせくし、
 閑寂を楽しむいとまもなく、一生を苦しんで送るのは、
 まことに愚かなことだ。」

途中を省略して、この段の最後、
「また、いかなるものを「善」というべきか。
 これについても、絶対的な判断は存在しない。
 それらを超越した真の人間とは、
 智もなく、徳もなく、功もなく、名もない人であろう。
 だから、それらの真実の存在は、人にも知られない。
 誰がそれを知り、誰が伝えることができようか。
 これは、わざと徳を隠したり、愚をよそおっているのではない。
 もともと、賢愚・得失といった境地を超越した存在なのだ。
 人間が迷いの心をもって、名誉や利益を求めるというのは、
 かくのごとくつまらないことである。
 言うに足りない、願うに足りないものにすぎない。」

鎌倉時代末期から南北朝へかけての
社会不安、政情不安、金銭のあくなき追求を知り尽くし、
見尽くしてきた吉田兼好の、物質欲、名誉欲の否定は、
老子、荘子の思想に強く影響されています。

老子の読み方111108.JPG
 名護市図書館で借りた本です。
 孔孟思想や老荘思想の本も多数あり
 何度も読んでいるうちに、
 最初はチンプンカンプンだったのが、
 少しだけ解かるような気がしてきました。



『孔孟の教え(儒教)』

『老荘の教え(道教)』
の最大の違いは、
「人間の努力や営為(日々の営み)」
を肯定的に捉えるのか否定的に捉えるのか、
というところにありそうです。
老荘思想は
「人間の欲望・知識・意志」
を否定的に認識して
無為自然(何も行動しないことの道徳性)を説いていますから、
若い頃は孔孟思想を学び、実践して
晩年にさしかかって、出世を求めず
人生の集大成をまとめる頃になったら老荘思想、
というのが良さそうです。
これが逆だと、
若者がへんな悟りを開いて仙人のようになってしまいますからね。

posted by COFFEE CHERRY at 19:26| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーから学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/234198203
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。