2012年02月13日

戦前の沖縄ハワイ移民−7

今や日本だけではなく、世界の、特に先進国が
経済危機や多くの試練に直面しています。
日本でも放射能汚染、財政破綻の危機、政官の腐敗、
経済衰退など、先行きは暗いことばかりです。

「このまま日本に居たくない」
という人が出てきたとしても、ちっとも不思議ではありませんが、
いざ海外移住となると、
・ 治安
・ 衛生面
・ 医療水準
・ 物価水準
・ 教育水準
・ 税制
・ 言葉
・ 気候
・ 食料自給率
・ 仕事はあるのか
・ 親日的かどうか
・ 食生活はどうか
・ 生活費がどのくらいかかるのか


多岐にわたる具体的な問題点をいろいろと考えてシミュレーションしたり、
慎重な方は一時的に候補予定の現地に行って実地テストもするかもしれません。

でも、現代より情報がかなり少ない明治時代に、
海外移民を決断するのは相当な勇気だけではなく、
・出稼ぎ、金儲けといった経済的要因
・移民会社の斡旋、移民指導者の存在、徴兵忌避、
地縁血縁関係などの社会的要因

など、貧困要素が相まって
沖縄の先人たちは、必死の思いで決断をして
渡航していったのだと思います。


今日は社会的要因として、徴兵制を考えてみたいと思います。
1871年(明治4年)の廃藩置県で、藩の軍事力も解体されたのですが、
当時の政府軍はわずか1 万の規模しかありませんでした。
鎖国政策で国を閉ざす朝鮮に対し、
約200万人の、失業して不満いっぱいの武士の武力を利用して
朝鮮を開国させようとする征韓論の高まりと共に,
1873年(明治6年)政府は徴兵制によって
それまで旧来の武士が独占専業としていた武事を士族より奪い、
兵役による国民皆兵の実現、四民平等などの義務にもとづいて
国軍を充実させようと
「徴兵免除の者を除いて、
 満17歳から40歳までの男子全員を国民兵役の兵籍に登録し,
 満20歳の男子を徴兵検査と抽選によって3年の兵役に就かせる」

という徴兵令を出しました。

ところが、徴兵免除の特例があったり、
北海道開拓使は、日清戦争が終わる1896年(明治29年)まで、
沖縄は1998年(明治31年)までは徴兵制が施行されず,
北海道開拓使に本籍を移動して兵役を免れたりする者や
戸籍の売買、改ざんもあったりして
1873 年の徴兵令では,適齢人口の8 割が徴兵免除になって
初期の徴兵制は機能しませんでした。
また、徴兵令が出されてからは、
人手を取られると困る農村を中心に反発も多くなり、
「懲役免役心得」
という合法的徴兵忌避マニュアルのような本が
ベストセラーになったようです。
そのため政府はその後何度か改正されて公平化を図っていきます。

明治22 年(1889)にベルギーやプロイセンに強く影響を受けた
大日本帝国憲法が発布され,
兵役が国民の義務として明記されました。
また、憲法発布の直前に「徴兵令」が大改正され、
勅令ではなく、法律第1号の形式で出されました。

この改正徴兵令の特長は
免役が大きく制限されたことです。
それまでの平時徴集猶予制は全廃され、
徴集延期制が導入されました。

該当者は
 ・官公立師範学校以上の学生生徒(卒業まで徴集延期,但し26歳まで)
 ・留学生(帰国するまで、但し26歳まで)
 ・身長がまだ基準に達していない者(翌年度再検査)
 ・病中病後でまだ現役に耐えない者(翌年度再検査)
 ・公権停止など拘留中の者(事故やむまで)
 ・徴集すれば家族が自活できない者(3年以上続くときは免役)


海外に出向いた留学生や出稼ぎ労働者で、
帰国した時に27歳であった場合、
あるいは貧困者の場合は免役となっています。

徴兵から逃れることも、
海外に出稼ぎに行った理由のひとつと言えそうですね。


新聞記事は以下の通りです。

1900年(明治33年)4月19日
移民募集に応じ布哇(※ハワイの漢字)国へ渡行したる
我が県の同胞兄弟等の状況に就いては
其消息ある毎に本紙上に掲載して報道を怠らざりしが、
聞く所に依れば近来同国に於いては
ペスト病流行せるが為め
該病に罹(かか)れる移住民の家屋を焼いたる由にて、
此惨聞の本邦に伝わるや時に
広運社長護得久朝惟氏は恰(あたか)も在京中なりしかば之を聞き
大に驚き吾が同胞移民の安否如何を気遣い
早速横浜なる移民会社へ馳せ赴(おもむ)きて状況如何を探索したるに、
幸い沖縄の移民にしてペストに罹(かか)りたる者は一人もなく
布哇(ハワイ)国に於いては特別に日本人一名を附して
沖縄移民を監督せしめ衛星其他の事に注意怠りなしとの事なり、
又沖縄の移住民は勤勉と正直の故を以て
大に西洋人の信用を得て
他の移民よりは特別の優遇を受け居れりとぞ実に喜ばしき次第にあらずや。

(琉球新報)


「1900年(明治33年)に琉球新報ってもうあったの?」
と思われるかもしれませんが、
琉球新報の創刊は1893年(明治26年)で、
1906年から日刊紙になっているのです。
(それまでは隔日刊)

最近手を抜いて画像を出さずに済みません。
次回からコーヒー山などの画像も入れるようにします。
posted by COFFEE CHERRY at 21:57| 沖縄 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | コーヒーオーナーの募集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

おお!

そう言えばコーヒー山の写真も資料の写真もご無沙汰していましたね。

Posted by まめこがし at 2012年02月14日 23:51
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