2012年10月10日

相次いだ大型台風の教訓と課題

8月5日(日曜)に台風11号、
8月27日(月曜)には「戦後最大級」といわれた台風15号、
(最接近直前で風向きが変わり戦後最大級ではありませんでした)
9月16日(日曜)には15号より強烈な台風16号がやんばるを横断、
その復旧の最中の9月29日(土曜)には16号を上回る台風17号が、
本島を南部から北部にかけて西沿岸を縦断しました。

台風16号、17号は大潮の満潮と重なったこともあり、
本島だけでなく離島にも、特に沿岸部では甚大な被災がありました。

台風17号は、何しろ本島の過半数の世帯が停電したくらいですから、
車の横転などはあちこちで見られ、
私の住む国頭(くにがみ)村では、台風と三点セットの停電や断水は当然としても
高潮による床上浸水、床下浸水、林道決壊、土砂崩れ、
風力発電の羽根が根元から折られたり、漁船が流されたり、
民家や畜産施設などの屋根やトタンが吹き飛ばされたり等々
台風の爪痕の深さがあらわになっています。

国頭村楚洲の風力発電20121002.JPG
 暴風で羽根が根元からポキリと折れてしまっては
 風力発電の意味がありません。
 ここには2基あり、国頭村の全世帯の電力がまかなえるほどの
 電力量が作れるそうですが売電なので…。


大宜味村の道の駅の北側の山は台風16号で土砂崩れになり復旧修復中でしたが、
約2週間後の台風17号で被害が増幅され、
再度民家や58号線に土砂が流出したりして
一時58号線が通行止めになっていました。

伊平屋島では電柱40本、宜野座村でも21本が倒壊したようです。
今どきの電柱は昔の木ではなくコンクリ製ですから
これがバタバタ倒れるくらいの猛烈な暴風だったわけです。

我が家でもトタンが数十枚飛ばされたり、
コンクリ製の直径50cmの鉢が割れて飛び散ったり、
車のバックミラーが吹き飛ばされたり、
数百メートルも離れた畜産施設のトタン屋根(6m×10m)や車両の一部などが
我が家の防風林モクマオウに直撃して、あちこちに落ちています。
毎度おなじみの停電も長期にわたり、
冷蔵庫や冷凍庫内は停電中は扉を開けていませんでしたが、
大部分は廃棄せざるを得ませんでした。

自宅に隣接するミニバナナ園や大バナナ園は全壊し、
バナナは自宅庭の10本くらいが残っただけです。
運よく生き残ったバナナは、
暴風に当たらない場所にたまたま定植してあったためです。

ミニバナナ園20120930.JPG
 ミニバナナ園は見た目には全壊ですが、
 倒壊したのは高さが1m以上に成長したバナナで
 それ以下の子株は倒壊していません。
 バナナは球根のような草本ですから、仮に子株が折れたとしても
  新しい新芽が次々に出てくるのです。


ミニバナナ園20121010.JPG
 今日のミニバナナ園です。
 台風一過で、生き残ったバナナが一斉に新葉を出してきました。
 こうしてみると、全壊のように見えたのに、
 「予想以上に残っているものだな」
 とバナナに感心してしまいます。
 白っぽい苗木はハイビスカスです。
 度重なる台風で木が丸裸になり、剪定をし直しました。
 ハイビスカスは応急的な防風林には成り得ても
 風速40mまでしか耐えられないので、近年の大型台風では
 とても暴風を防ぎきれるものではありません。
 それでも在来種なので、丸裸になっても
 約2カ月で元通りに復活するのです。


県農林水産部によると、
台風17号の県内農林被害総額(台風3日後の速報第2報)は17億8888万円で
今年の台風被害では最大でした。


沖縄でのコーヒー栽培は、
戦後、具志川(現うるま市)の和宇慶(わうけ)先生や
恩納村の山城先生が行われていた栽培方法がベースになっていることや、
コーヒー栽培のイメージが
「見渡す限りの地平線までコーヒー農園」
という、森林伐採後にコーヒーだけを定植するプランテーション型にあることで、
県内のほとんどの生産者が路地栽培、つまり空が見える状態で栽培しています。

沖縄では4〜5月の、満月や新月の大潮の前後1週間にコーヒーの白い花が開花し、
その後結実して実が成長し、10月以降から収穫期を迎えるのですが、
沖縄の台風の時期、5〜10月というのは、開花がおおむね終わり、
コーヒーの緑の実が少しずつ大きくなってきている大事な時期にあたり、
台風の暴風で枝葉がこすれることで、緑の実や葉が落ちてしまうのです。

今夏の8月以降の相次ぐ台風で、
県内の路地コーヒー栽培では、かなり大きな被災を受けているはずです。
空がぽっかり空いている農地では、
暴風が叩きのめすくらいの勢いで吹きつけますから
被害が大きくなるのは避けられないのです。

また、台風の通過位置で風向きが変わったり、
台風17号では特に返しの猛烈な西風で被害が拡大したように、
全方位の堅固な防風対策が必要になるのですが、
栽培面積や地形的な問題もあり、
頑丈な防風対策はなかなか難しいのが現状ですから、
路地栽培のコーヒーの多くは半壊以上と予想されます。
ということは
「今期の収穫は期待出来ない」
はずですが、
ドラえもんの四次元ポケットか魔法のランプを持っているあそことあそこは
沖縄産と称するコーヒーを無制限で売ることでしょう。


前置きが長くなりましたが、コーヒー山の被災状況をお知らせします。

2001年(平成13年)4月より施行された改正JAS法の後に
「無農薬栽培」
「減農薬栽培」
「無化学肥料」
「減化学肥料」

という表示が曖昧(あいまい)だとして
その6年後の2007年(平成19年)3月に
「特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」
が改正され、
「無農薬」「減農薬」「無化学肥料」「減化学肥料」
の表示は表示禁止事項になりました。

スーパーの店頭などでは、
いまだに「無農薬」とPOPに表示されるのを見受けますし、
私も時々「無農薬栽培」と、つい習慣で言ったりしてしまうのですが、
罰則はないものの、曖昧(あいまい)で誤解を生みやすい表示なので
その使用が禁止されているのです。

それを踏まえて、あえて
「コーヒー山は、台風の被災はほぼ無い」
というのが、
正直な報告なのです。

適当な表現が思い当たらず、
曖昧(あいまい)な言い方で申し訳ありませんが、
以下、画像を交えて説明していきましょう。

台風17号の被災状況20121003-1.JPG
 定植を待つ黒ポリポットのコーヒー苗木に
 照葉樹などの枝葉が落下しています。
 「台風大変だったね」
 と1つ1つに声をかけて枝葉を取り除いていきます。


台風17号の被災状況20121003-2.JPG
 樹高の高い照葉樹は、暴風をモロに受けるので
 枝葉が折れたり、幹が折れたり、倒壊することもあります。
 森林栽培では中高木の照葉樹の下でコーヒーを定植しますから
 画像のように大きな幹が倒れてくることもあります。
 コーヒーの木は幹が細く、見るからに弱々しいのですが、
 柳のようにしなり、ある程度の強風や
 画像のように幹や枝葉の落下で当たっても
 それを取り除くと、まず元通りに復活します。
 コーヒーは弱さも充分ありますが、強さも兼ね備えているわけです。


台風17号の被災状況20121003-3.JPG
 ここでも、バタバタと上空から枝葉などの落下があったようですね。
 コーヒーだけでなく森林内の樹木には激励しながら
 とにかく丹念に落下してきた枝葉などを取り除いてあげることです。


台風17号の被災状況20121003-4.JPG
 落下してくる枝などは、生木よりも多くは枯れています。
 台風はある意味、照葉樹などの中高木の大掃除的な
 枯れ枝などの除去や剪定などの役割も担っているのかもしれません。
 というより、植物が台風をそうやって共生しているのかもしれません。


台風17号の被災状況20121003-5.JPG
 ここでは照葉樹の大木が根元から倒されかけて、
 その根元付近に置いてあったコーヒー苗木たちが
 地面ごと持ち上げられていました。
 まだ根が付いて生きている樹木は、
 出来る限り切らずに、そのまま放任することにしています。
 コーヒー苗木ポットは、他に移動しました。


台風17号の被災状況20121003-6.JPG
 か弱いコーヒーの葉も、暴風の影響がまるで無いくらい元気な苗木が多数あり、
 樹木による防風の効果が充分にあることを証明しています。


台風17号の被災状況20121003-7.JPG
 照葉樹が折れてタコの木のように見えますね。
 苗木がどうなったかは次の画像をご覧ください。


台風17号の被災状況20121003-8.JPG
 上の画像のタコの脚部分です。
 コーヒー苗木が奇跡的に当たらないのではなく
 当たってもしなるので、よほどの直撃でなければ大丈夫、
 ということが判ってきました。


台風17号の被災状況20121003-9.JPG
 樹高の高い中高木から、雨あられのように降ってくる枝葉を
 ただひたすら、とにかく丹念に拾い上げてあげます。


台風17号の被災状況20121003-10.JPG
 暴風が吹き抜けるエリアに置かれたコーヒー苗木たちは
 枝葉がこすれ合い、一部の葉は破れてしまっています。
 雑木の幹が折れるほどの暴風でも
 意外とコーヒーは耐え抜いたことを示しています。
 出来る限り風が吹き抜けるエリアには苗木は置かない、
 定植もしない、という考えですが、
 暴風が吹き荒れている現場に立ち会えば判るのですが、
 それが出来ないために、平時の状態で
 周囲の樹木の配置や地形、方位を勘案して
 “勘”で「ここにしよう」と決めるのですが、外れも多々ありますね。


オオジョロウグモ20121003-1.JPG
 日本最大のクモ「オオジョロウグモ」が網を張って
 獲物を待ち構えていますが、
 台風一過で獲物もだいぶ吹き飛ばされているはずですから
 開店休業状態でした。


オオジョロウグモ20121003-2.JPG
 オオジョロウグモの裏側です。
 足の先端の端から端までの大きさは
 私の手のひら全体の大きさに相当します。


台風17号の被災状況20121003-11.JPG
 周囲には落下したり飛ばされたりした枝が散乱しているものの
 暴風の影響が無いコーヒー苗木もあり、
 「無事で良かったね」
 と声をかけずにはいられません。


台風17号の被災状況20121003-12.JPG
 コーヒー山の縦貫道路「重機の道」の導入部分です。
 松の大木が倒壊するなど、行く手をはばみますが、
 倒壊した松は頭上の上なので、当面はこのままにしておきます。


台風17号の被災状況20121003-13.JPG
 コーヒー山の縦貫道路「重機の道」では、
 土砂崩れになっているところもありました。
 ここは以前から少し崩れかかっていたところですが、
 植物の根で抑えこむようにして被害拡大を防ぐ考えでいます。


台風17号の被災状況20121003-14.JPG
 ここでも暴風の影響はありませんね。

台風17号の被災状況20121003-15.JPG
 コーヒーだけでなく、エリア全体を見渡して
 風がどう吹き抜けたのか、その影響がどうだったかを観察します。
 コーヒーも葉が吹き飛ばされていないか、
 丹念に見てあげます。


台風17号の被災状況20121003-16.JPG
 ここでも被害はほとんど見られません。
 手前のコーヒーの葉が一部破損しているのは
 虫ではなく枝が当たったり風で葉がこすれ合ったりしたようですね。


台風17号の被災状況20121003-17.JPG
 中低木の幹が折れて落下し、
 危うくコーヒー苗木に直撃するところでした。
 こういうのは今までの台風でもよく見かけました。
 不思議に当たらないのです。


ヒメハブ20121003.JPG
 雨水バケツの取っ手部分にヒメハブがうたた寝をしていました。
 カエルの産卵やオタマジャクシを捕食するために
 この付近に棲みついているようです。
 雨水バケツの中は、枝葉やオタマジャクシ、ボウフラ、ヤゴなどで
 込み合っていました。


台風17号の被災状況20121003-18.JPG
 コーヒー山の東側は大きな谷になっているために風が吹きあがってくるので、
 尾根はすさまじい暴風が吹き荒れたらしく、
 スダジイが根元から倒壊していました。
 こういった暴風が吹く沖縄でのコーヒー栽培は
 空がぽっかり見える路地では、とてもムリだと思います。


台風17号の被災状況20121003-19.JPG
 このあたりでも、台風が無かったと思わせるような
 元気な姿を見せていました。


台風17号の被災状況20121003-20.JPG
 昨年の台風の爪跡から照葉樹が復活できていないところに
 夏以降の台風3連発ですから、
 さすがのコーヒー山でも空を見上げると
 ご覧のとおり、スカスカの状態で空がよく見えています。
 光量の考え方はいろいろありますが、
 時期にはこれから寒季に向かうので
 陽当たりが良くなってもいいかもしれません。


台風17号の被災状況20121003-21.JPG
 このエリアも暴風の影響はありません。

台風17号の被災状況20121003-22.JPG
 コーヒー山では、おおむねこういう感じで
 台風の被災は「まったく無い」と言ったらウソになりますし、
 「被害があった」という状況ではないし、そのため
 「コーヒー山は、台風の被災はほぼ無い」
 というあいまいな報告をしたのです。


台風17号の被災状況20121003-23.JPG
 陽が落ちるのが早くなりました。
 「また来るからね」
 と、コーヒーに声をかけるのですが、
 五感ではなく想念で声をかけるように心掛けています。



コーヒーの生産地の中で、
沖縄は台風とは切り離せない特殊な環境の地域ですから、
沖縄でコーヒー栽培をして、安定的な生産をするには、真摯に
「台風とどう向き合うか」
を考えなければいけません。
当たり前のことですが、
「実が出来たらどう売るか」
ということばかり考えて
防風対策を軽視する方があまりにも多く、
当然のことながら次々に失敗、撤退が繰り返されているのが現状なのです。

路地栽培やアルミパイプのハウスでは
暴風はとても防ぎきれませんし、
高価な鉄骨ハウスを建てるとしても、
ハウス内でコーヒーばかりを植えると
連作障害のようになってコーヒーは病弱化してしまいます。

防風対策としての防風林は
ハイビスカスやホンコンカボックでは、
成長は早いのですが、風速40m程度で
しかも葉が生えそろう2カ月以内に再度台風が襲来すると
木がスカスカ状態なので、まったく防風の役は果たせません。

また、歴史的に考えても
タンカンやシークワーサーなどのみかん、果樹類は
本島西海岸側で行われていて、
東海岸側ではパイン栽培が中心です。
これは東海岸側での暴風で果樹栽培が適しないことを意味しています。

そういうことを鑑みると、
防風林は時間がかかってもイスノキや、出来ればフクギにすべきで、
農地の全方位に造る必要性があることが判ってくるのです。

イスノキやフクギは効果ある樹高にするには20〜30年もかかりますが、
次世代のためには絶対必要だということが
今回の相次いだ大型台風で心底確信しました。
今後はフクギ苗木も作り、随時植えて行こうと考えています。
フクギの発芽はなかなか難しいのですが、
何となく判ってきました。

また、改めて
「沖縄のコーヒー栽培は森林栽培が最適」
ということが認識できました。
森林栽培は在来種の生存競争の場ですから
コーヒーのようなひ弱な外来種は
放置すると死に絶えてしまうので
人はコーヒーを補佐をする役割に徹すればいいのです。
“人”という字は、支えあって出来ているといわれますが
コーヒーと人が支えあって森林で栽培すればいいのです。

要は、コーヒーも人も、森林の中の一員になるよう
共生するように心掛けていけば、
おのずと答えは出てくるものと確信出来ました。
今後も私の信ずる道を歩んで行きますので、
どうか皆様方のお力をお貸しください。


相次いだ大型台風とスケール度が違いますが、
「猛風」で始まる夏の夕立の詩があります。

「夏夜(かや)」  
 猛風飄電黒雲生
 霎霎高林簇雨声
 夜久雨休風又定
 断雲流月却斜明

 
 猛風(もうふう)飄電(ひょうでん) 黒雲(こくうん)生(しょう)ず
 霎霎(しょうしょう)たり 高林(こうりん) 雨声(うせい)簇(むらが)る
 夜(よる)久(ひさ)しくして 雨(あめ)休(や)み 風(かぜ)又定まる
 断雲(だんうん)流月(りゅうげつ) 却(かえ)って斜(なな)めに明らかなり


 激しい風が吹き、大気に亀裂を生じたかのごとき稲妻が走り、
 黒雲がムクムク・モクモクと湧き起こる
 思う間もなく、高い木々の林の辺り、雨の激しく降る音が大きな音を立てている
 夜が更けて雨が上がり、風も静まった
 夕立の過ぎ去った後には、ちぎれ雲が漂い、
空に浮かぶ傾き加減の月が明るく流れているように見える


唐代末期の韓偓(かんあく)の詩です。

韓偓(かんあく)は889年、
47歳で進士(しんし、国家公務員T種合格のような超難関試験合格)に、
その後、翰林学士(かんりんがくし、皇帝の秘書官)、
中書舎人(ちゅうしょしゃじん、皇帝を補佐し政治を行う宰相の次官)から、
兵部侍郎(へいぶじろう、現・国防次官クラス)とエリートコースを歩むのですが、
時の権力者に憎まれて左遷され、終生都に帰れませんでした。
当時の日本は平安時代中ごろで、
学問の神・菅原道真(すがわらのみちざね)は
韓偓(かんあく)の3歳年下で同世代になります。

左大弁(さだいべん、太政官)、勘解由(かげゆ)長官(行政の監査・監督官)、
春宮亮(皇太子の家政補佐)を兼任していた49歳の菅原道真は
894年、遣唐大使に任ぜられるのですが、
「遣唐使の派遣には莫大な経費がかかるわりに
 航海には海賊などかなりの危険が伴う。
 唐の国力が衰退し、騒乱が頻繁に起こっている現状では
 遣唐使の派遣は国交の意味はなさない」

と、道真は天皇に派遣中止を進言し、
遣唐使派遣は停止になりました。
(907年に唐は滅亡し、この時点で遣唐使は終了)

道真はその後も出世街道をばく進し、
55歳で右大臣まで上りつめるのですが、
奈良時代以降、何代にもわたって天皇家との姻戚関係を結び、
摂関政治を完成させて強大な権力を持つ藤原氏が道真に立ちふさがります。

中央で権力を振り回し、贅沢三昧の藤原氏のおかげで地方が疲弊し、
農民が苦しむ構図を打開しようと、
藤原氏を快く思わない宇多天皇や次の天皇の醍醐天皇が道真を要職に就かせ、
地方の立て直しを図ったのですが、
当時の左大臣・藤原時平ら藤原氏一族が
「道真は自分の娘婿にあたる醍醐天皇の弟を天皇にさせようと陰謀を企んでいる」
というウワサを流し、
大宰権師(だざいごんのそち、大宰府の長官、現副知事くらい)という
名誉職に格下げさせて、
道真は妻子と別れ、流人扱いで福岡に左遷させられてしまうのです。

道真は、京都の自邸で大事にしてきた梅と別れる前に
 東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

 東風(春に吹く強い風)が吹いたら、香りを私のもとまで届けてくれ、梅の花よ。
 主人がいなくなったからといって、春であることを忘れるな。


という有名な和歌を詠んでいます。

都にいた妻や左遷させられた息子二人の死をはるばる大宰府で聞き、
道真自身も濡れ衣を晴らせないまま
着任2年後の59歳で失意のまま、大宰府でその生涯を閉じました。

出世街道を上りつめて、政敵に嫌われて左遷、都に戻れないまま亡くなるのは、
3歳年上の唐の韓偓(かんあく)と重複し、興味深いです。
こういうことは古今東西どこにでもあり得ることですが、
権力を持つズルい人が勝ち上がる構図はイヤなものですね。

道真が亡くなった後、大宰府から少しはなれた土地に墓が作られ、
後に太宰府天満宮が建てられましたが、
当時の神道思想では、怨霊を恭(うやうや)しく祭ることによって、
いわば負の絶対的パワーが大いなる守護霊に変換されると解されていましたから、
大宰府天満宮は、当初は
「道真の怨霊を鎮めるために建立された」
といえるでしょう。

道真は、京都の邸宅を出て行く際には、
 君が住む 宿の梢を 行く行くも 隠るるまでに かえり見しやは

 君が住んでいる家の立木を、道すがら隠れて見えなくなるまで振り返って見ていました。

という悲哀の歌を詠んだように、
家族や庭木を大切にしていたのですが、
同時に庭木たちも道真を慕っていて、
(ペットでも動植物、人間も、かけた愛情がそのまま返ってくるのです)
桜は主人が遠くへ行ってしまったことを悲観して
見る見るうちに枝葉を落として、ついには枯れてしまい、
梅と松は、自分たちを大切に育ててくれた主人の後を追うべく
空を飛んだというのです。
ところが松は途中で力尽きて、
摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの
後世「飛松岡」と呼ばれる丘に降り立ち、この地に根を下ろし(飛松伝説)、
梅だけはその夜のうちに主人の居る大宰府まで飛んでゆき、
その地に降り立ったという「飛び梅伝説」があります。

また、道真が世を去ってから、京都では落雷など天変地異が相次ぎ、
「これは道真の怨霊の祟(たたり)りに違いない」
と恐れられました。
特に930年の清涼殿への落雷では公卿、官人らが巻き込まれ
死傷者が出てからは、道真の怨霊は雷神と結びつけられ、
京都の北野に北野天満宮が建立され、
朝廷は道真の罪を許すとともに、官位を贈り、
祟りを鎮めようとしました。
道真の死後百年ほどのあいだは、大災害がおきるたびに
「道真の祟り」
として恐れられ、
天神信仰は全国に広まっていきます。

やがて、各地に祀られた祟りを封じるはずの天神様は、
道真が優れた学者であったことから、
天神は「学問の神様」として信仰されるようになったわけです。

夏以降の相次ぐ大型台風の襲来は、誰の祟りなのでしょうか。


また、韓偓(かんあく)は陝西(せんせい)省西安)の出身ですが、
西安は以前は長安という前漢、北周、隋などの首都で
三国志でも当時の都は長安でしたね。

中国の王朝においては、西の長安(現西安)、東の洛陽の両都が
長きにわたって首都に選ばれることが多く、
王朝が南遷した場合の仮の都としては、南京が選ばれることが多かったのですが、
日本で平安時代末期の中国の北宋では
大運河の影響により開封(かいほう)が首都に選ばれ、
さらに航海術の発達により元代に大都(現北京)に首都が置かれた後は、
全て北京に首都が置かれるようになりました。

西安は兵馬俑抗博物館に代表される古代遺跡はもとより、
数多くの仏教遺跡などがあるのですが、
日本の尖閣諸島国有化に対する抗議行動中、
日本車を破壊した映像を撮影していたのも西安でした。

また、10月5日(金曜)の深夜に
奈良時代の遣唐留学生・阿倍仲麻呂の記念碑がペンキで汚されたのも、
西安市内の公園に設置されています。

また、西安市には西安輸出加工区があり、
JETROの2010年の資料の25ページには
日系企業リストが掲載されていますが、

来年までには撤退する企業も続出することでしょう。


台風21号が今週末から来週初めにかけて沖縄本島に接近する可能性がありますが、
相次ぐ大型台風で海底が撹拌され、本島近海の海水温度も下がり、
本島でも台風以降、朝晩はずいぶん涼しくなりましたから、
もう本島には台風は来ないような気がしますが、楽観的すぎるかな。


リハビリ中のRIU20121006.JPG
 画像右下で遊泳しているのはアザラシではありません。
 ラブラドール特有の亜関節脱臼になって
 9か月間も正座状態で歩行できなかった我が家の家族RIUが
 昨年5月に奇跡的に自力で立ち上がるようになり、
 以降、小走りが出来るように回復してきました。
 週イチの遊泳もリハビリには良いようで、
 画像の岩礁を一周してくることもあります。
 RIUにも想念で話しかけるように心がけていて
 断片的ですが、対話が少し出来るような気がします。

posted by COFFEE CHERRY at 16:10| 沖縄 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 台風の被害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本当に台風の多い夏でした。
北関東では竜巻も多数発生しました。
それでも沖縄の台風に比べたら驚くほどのものではありませんね。

保留となっている停電対策用の発電機導入は当分見送りですか。
もっとも停電が長期化するような場合は発電機用の燃料の貯蔵や調達が課題となりますね。
食品が直ぐに手に入るなら冷蔵庫の為だけの発電機など無用かな。
Posted by まめこがし at 2012年10月11日 02:11
とにかくも一安心しました。今回は友人から送ってくる映像や停電の状況も半端ではなかったですから。
Posted by ボーンチャイナ at 2012年10月11日 23:36
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