樹高を低くピンチされた
元気一杯のコーヒーに迎えられました。
西原町の沖縄カントリー倶楽部のあたりは、
運玉森(うんたまもり)といって見晴らしの良い丘陵地ですが、
沖縄戦当時は、この丘の制覇を巡り
日米軍の激しい争奪戦が繰り広げられ、
戦後になっても、不発弾の自然発火により、
いくどとなく山火事が起きました。
当時3歳の玉那覇さんは、
運玉森(うんたまもり)北側すそ野の
小波津集落に住まれていて、
5月4日の日本軍の総攻撃での激戦に巻き込まれて
ご両親と兄を亡くされています。
小波津集落637人の戦死率は54%、
一家の全滅率20%以上、
西原町の戦死率47%以上、
と、
西原町でも多くの住民が犠牲になっています。
恩納村の山城先生も沖縄戦当時は13歳で、
本島西側の部隊に弾薬を運ぶ要員や伝令として動員され、
米艦隊が沖にビッシリと並んでいる光景や、
夜の艦砲射撃の様子を、
よく伺ったものです。
玉那覇さんは、独自に西原町の戦跡調査を行い、
遺族の慰霊案内もされているそうで、
戦後62年を経過した今でも、
沖縄戦の傷跡はまだまだ消えていないのです。
沖縄県内では、コーヒーは4月の開花が最も多いのですが、
その後も徐々に開花が続きます。
収穫されたときに、まだ熟していなかった実が、
今頃遅れて赤くなっていたり、
採り忘れて実が朽ちかかっているものも多数ありました。
落花後の花托(かたく)も順調なようです。
今年収穫された新豆を頂きました。
玉那覇さんの精製加工は、
・ 外皮・果肉を取り
・ 水洗い
・ 天日乾燥
まで、ですから、
パーチメントとシルバースキンは取り除いていないので、
薄茶色をしているのです。
今日頂いた生豆は、
那覇市のCOFFEE potohotoの山田哲史様に焙煎していただき、
ご自身が生産されたコーヒーを1度も飲んだことがない、
と言われる玉那覇さんに、
ぜひ味わって戴きたいのです。
姉妹二人☆那覇の小禄で自家焙煎の珈琲店・田原屋を経営しています、井手といいます。
珈琲豆を焙煎して四年目に入ります。
レキオの記事を見てそちらの農園のことを知りました(^^)是非とも農園を見学して・できれば一度岡田さんの大切な珈琲豆を焙煎したいのですが・・・・よろしければお返事下さい。
お返事お待ちしております。
嘉数