2006年06月03日

小笠原のコーヒー栽培

東京から南へ1,000kmも離れた太平洋に
散在する30以上の島々・小笠原諸島は、
暖流の黒潮の影響をうける温暖な海洋性気候で、
バナナも栽培できますから、
コーヒーも露地栽培が可能なのです。

父島には「コーヒー山」という地名があるように、
小笠原とコーヒーの関わりは
1878年(明治11年)までさかのぼります。

実に128年の歴史があるのです。

現在、小笠原で栽培されているコーヒーの品種は、
明治11年にジャワから導入されたときの原種に近いものから、
品種改良されたものまで3種類程度があるといわれています。

現在、父島、母島で5軒の農家が
コーヒー栽培に取組んでいるようです。

父島では「ボニンコーヒー」の商標名で生産され、
三日月山の笹本農園では豆の販売もしているようです。

母島ではUCCの傘下の北川農園が
「小笠原のコーヒー」として限定販売されているようです。

北川農園での販売数量は6sですから、
小笠原のコーヒーは沖縄よりさらに零細な農家が中心のようです。

北川農園のコーヒーは
100g当たり1680円(税込・送料別)と、
ずいぶん高価ですが、機会があれば一度飲んでみたいです。


小笠原のコーヒーの歴史は幕末にさかのぼる
幕末の戊辰(ぼしん)戦争で、
旧幕府艦隊を率いて新撰組の土方歳三らとともに
函館の五稜郭に立て籠もり、
蝦夷島総裁として新政府軍と戦った
幕臣・榎本武揚(たけあき)が、
小笠原のコーヒーに関わっているのです。

榎本は幕末の26歳の時にオランダに留学し、
そこでコーヒーを知り、興味を抱いたようです。


当時の小笠原の主な年表
・1830年(天保元年) 
 それまで無人島だった小笠原に白人5名、
 ハワイ先住民約20名が父島に来島し定住を始める

・1853年(嘉永6年) 
 ペリー提督が沖縄より父島に寄港し、石炭補給所用地を獲得する

・1862年(文久2年) 
 幕府の支援を受け、八丈島などから日本人の入植が始まる
 (父島19戸36名、母島1名、計37名)

・1863年(文久3年) 
 前年の生麦事件の影響で国際緊張が高まり、
 日本人入植者は小笠原から撤収してしまう

・1875年(明治8年) 
 外務省の調査団が明治丸で来島し、
 欧米系住民が日本所管となることを諒承する
 (父島13戸68名、母島3名 計71名)

・1876年(明治9年) 
 日本政府が37名の移民を送り、扇浦に仮庁舎を設置し、
 小笠原が日本領土であることを諸外国に宣言する
 年3回の横浜〜父島の定期航路が開設される

・1878(明治11年) 
 内務省勧農局出張所・同試験地を父島北袋沢に開設する
 所長・武田昌次らが、
 布哇(ハワイ)、爪哇(ジャワ)、印度(インド)
 各地を視察し、熱帯植物を採収して小笠原に持ち帰る
 この中に、爪哇(ジャワ)で採収したコーヒー苗木があった


・1880年(明治13年) 
 小笠原群島の管轄が内務省から東京府に移される
 (父島75戸338名、母島7戸19名、計357名)

・1887年(明治20年) 
 東京府知事らが小笠原・硫黄島を視察
 当時の小笠原人口は498名

・1888年(明治21年) 
 ワシントンにおいてメキシコと日本が
 対等の条件の「修好通商条約」を締結する

・1890年(明治23年) 
 「父島製糖組合」が組織される
 (父島272戸1106名、母島212戸898名、
  計484戸2004名)

・1891年(明治24年) 
 外務大臣榎本武揚がメキシコ殖民団を組織し、
 チアパス州ソコヌスコ郡エスクィントラ周辺の官有地を
 メキシコ政府から購入し、
 同地にコーヒー栽培に就業する日本人を殖民する計画を立てる

 榎本が東京農大の原点「徳川育英会育英黌農業科」を創立する

・1897年(明治30年) 
 榎本が募った約30人の移民たちがメキシコへ渡り、
 日本人によるコーヒー栽培に着手するが、
 この事業は長続きせず、失敗に終わってしまう



戊辰(ぼしん)戦争で、
勇猛果敢な土方歳三が戦死して旧幕府軍は壊滅し、
榎本武揚は新政府軍に降伏して幽閉されるのですが、
その後彼の高い資質を見込まれて
新政府の外務大臣になってゆく過程で、
彼がオランダで知ったコーヒーに興味を持ち、
小笠原で試したことが推察されます。

1878年(明治11年)に
インドネシアのジャワ島からコーヒー苗を試験場に移植し、
4年後には収穫があったようですが、
小笠原でのコーヒー栽培は定着しなかったようです。

小笠原島史によると、
コーヒー導入後28年後の1906年(明治39年)には
「収益面でサトウキビに劣ることから
 コーヒー栽培をする者はなく、放置されている」
と記録されているようです。

それでも、当時コーヒーが栽培された証として、
今でも「コーヒー山」という地名残っているんですね。

1972年(昭和47年)は、
沖縄が返還された年なのですが、
この年に小笠原でコーヒーが復活したようです。

母島の東京都小笠原営農研修所は、
この年「小笠原亜熱帯農業センター」に改組されたのですが、
ここで野生化していたコーヒーの木が80本ほどあり、
UCCが栽培方法や精製などの講習会、官能検査での協力をして、
栽培研究が再開されたようです。

1978年(昭和53年)には、同センターで
「コーヒーの肥効に関する試験」
が行われ、
1983年(昭和57年度)には、
小笠原亜熱帯農業センター試験成績書に
同研究の結果(67〜70頁)が書かれているようです。
ぜひ見せて頂きたいものですね。


無人島だった小笠原を偲んでいるのか、
小笠原原種の植物には「無人=ムニン」という名前が
付けられたものが多いです。
・ ムニンツツジ
・ ムニンボタン
・ ムニンヒメツバキ
・ ムニンフトモモ
・ ムニンイヌノハナヒゲ
・ ムニンキヌラン
・ ムニンアオガンピ
・ ムニンヤツデ
・ ムニンイヌツゲ
・ ムニンゴシュユ
・ ムニンモチ
・ ムニンタイトコメ
・ ムニンヒサカキ
・ ムニンビャクダン

posted by COFFEE CHERRY at 10:10| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 小笠原のコーヒー栽培 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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