2012年01月10日

明けましておめでとうございます

少し遅れてしまいましたが、
明けましておめでとうございます。

2012年(平成24年)は辰年で、
動物にあてはめると龍ですから、
年賀状には昇り龍や龍凧のような
描き方がされた方が多かったのでしょうか。

名護図書館で先月借りた
「宋代易学の研究」(今井 宇三郎・著、明治図書)
は、
太極拳の起源が宋代の易学の発達に起因しているとか
十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)の本義は
生命消長の循環過程を分説したものだとか
陰陽五行説とか難解に書かれていますが、
一般的には年賀状の干支(えと)の題材知識で充分だと思います。

十二生肖(じゅうにせいしょう)は、
十二支に
 ・鼠
 ・牛
 ・虎
 ・兎
 ・龍
 ・蛇
 ・馬
 ・羊
 ・猿
 ・鶏
 ・犬
 ・豚(猪)

の十二の動物を当てたもので、
そもそもどうしてそれらの動物をあてがったのか、
特に、どうして龍を入れたのかを調べようと
上記の本を借りたのですが、
難しすぎてよく解かりませんでした。

その動物の中では、
 ・牛
 ・馬
 ・羊
 ・鶏
 ・犬
 ・豚

は、
「六畜」と呼ばれる、
古代中国における代表的な家畜ですが、
“龍”だけが十二支で唯一の想像上の動物なのです。

龍は四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)のひとつで、
古代中国の神話で神獣とされていますが、
秦を倒し、漢の初代の皇帝となった劉邦は
自らを「赤龍」だと名乗り、
以来、中国では
皇帝は龍、皇后は鳳凰(ほうおう)といわれるようになりました。

そのため、
 ・龍顔 帝王の顔
 ・袞龍(こんりょう) 帝王の衣服
 ・龍影 帝王の姿

など、
帝王にまつわるものには龍がつくことが多く、
最上級の意で龍を用いることも多々あります。
そこで琉球の“琉”と「龍」も何か関係があるのかと思ったのですが、
読み方こそ同じで何の関連性もありませんでした。

龍は水中に棲むとされていて、
なき声で嵐や雷雲を呼び、竜巻となって昇天し、飛翔します。
神秘的な力強さが感じられるように
「逆鱗に触れる」
という言葉も龍からきていますが、
一方では
「竜頭蛇尾(りゅうとうだび)」
という熟語もあります。

戦勝国の進駐軍のように鼻息荒く勇んで政府に乗り込みながら、
政策はことごとく官僚に阻まれて、あげくは降参してひれ伏して
国益と称する省益を優先するに至ってしまった民主党のごとく、
「初めは勢いがあるけど、終わりは奮わない」
という意味の熟語です。


「琉球」の“琉”という字の意味は、
偏が「王」になっていますが、
「King(王)」
という意味ではなく、
本来は「玉」編で、宝石を意味しているのだそうです。

「玉」編なのに、
編として使われるときだけ点が取れて「王」になる、
という何とも紛らわしいのですが、
 ・珊瑚(さんご)
 ・瑪瑙(めのう)
 ・瑠璃(るり、ラピスラズリ)
 ・真珠

などの宝石を表す漢字の王編など、
ほとんどの王編は点が取れた玉編らしいので、
漢字も調べるとなかなか奥が深いですね。

中国では、玉石(琉)に
 ・「仁」 なめらかで美しく潤った様子から思いやり、いつくしみ
 ・「義」 中まで透き通って見える外見は清さ、正しい道
 ・「智」 打てば澄んだような音は
 ・「勇」 堅さ、強さ
 ・「潔」 純粋さ、清潔さ

の五徳という美徳があると考えて
(儒教の五常「仁・義・礼・智・信」と少し違う)
古来から祭祀の道具の特定の材料とされたり、
幸福や平安を願うアクセサリーとされていますから、
子供に王偏の文字を名前に付けるのは、
「玉石のように立派な人柄になるように」
という願いが込められているのでしょう。
親しくさせていただいている仙台市の方のお子様も
瑠璃子ちゃんと命名されていましたね。
「琉」と「瑠」はほぼ同じ意味の漢字らしいですよ。
佐渡の珠美さんの「珠」も“真珠”というように
宝石が由来している字ですから良いお名前ですよね。

元旦のコーヒー山.JPG
 今年の元旦は旧暦12月8日で
 家族の無病息災を祈願する鬼餅(ムーチー)と重なりました。
 沖縄ではムーチービーサーという、ムーチー後に吹く強風後に、
 暖かくなるのですが、今年はどうでしょうか。


ちなみに、「琉球」という国名は明時代以降のことで、
最初は600年頃の
「隋書」
(卷八十一 列傳第四十六 東夷傳 流求國)
に“流求國”と出てきて、
その後
二十四史の1つで中国の唐代の正史
「新唐書」(1060年)では“流鬼”になり、
元史では、クビライの元寇で1292年に
「元が瑠求に武力侵攻した」
となっていて、
(瑠求が琉球か台湾かは諸説あるようです)
沖縄と明が交易を始める14世紀以降、
自国の国号として「琉球國」を用い、
明治維新により成立した日本政府が
1879年(明治12年)に尚泰王(しょうたいおう)を追放し、
沖縄県の設置(廃藩置県)が宣言されて
琉球王国が滅亡するまでの約600年間が
“琉球”という国名なのですが、
実に素晴らしい意味を持っている国名なのです。

研究中の苗木.JPG
 先月の忘年会でお預かりしたアラビカ種の苗木です。
 正月明けにもかかわらず元気一杯です。
 この苗木にはある秘密があり、
 元気一杯であること自体大変なことなのです。
 もしこれでOKならコーヒー栽培だけでなく
 果樹栽培でも画期的な方法になるはずで期待しています。
 申し訳ありませんが詳細な公開はしばらく出来ません



コーヒー山では、昨年、
台風が3度襲来したことや
後継予定者が突然辞めてしまうなどアクシデントもありましたが、
栽培自体は、雨が多いことや保水方法のレベルアップなどで
また高さ30cm程度の苗木が植えられるようになってきたこと、
多くの品種を植えて生育状態の比較が出来るようになってきたことなど、
良い栽培環境になってきました。
また、沖縄の、というか
やんばるでの相性の良し悪しの品種も
何となく判ってきました。

そういうことを踏まえると、
今年は、
「沖縄コーヒーの元年」
といえるのかもしれません。

今までも先人の方々がコーヒー栽培をされてきていますが、
それぞれ個々に、よく言えば独創性に富み、
悪く言えば見よう見まねで好き勝手に栽培をしてきました。

新規参入もありますが、
多くはそろばんをはじくばかりで
栽培を甘く見て失敗される方ばかりです。

沖縄でのコーヒー栽培は
 ・台風
 ・北限

というリスクを踏まえて
それらの対処もしなければいけないのです。
また、今までの失敗の積み重ねから
沖縄に合った栽培法も確立するようにしないといけません。

あるコーヒープロジェクトも動き出そうとしているようですが、
私はここには一切関わらず、独自に真摯に
出来ることだけを着実に行い、
国頭村にコーヒー栽培を定着させる土台を
構築する責務を果たすために前進するだけです。
今年もどうか背中を押していただければ嬉しいです。


riu120103.jpg
 我が家の家族RIUです。
 漢字では琉球の“琉”という名前ですが、
 読みは中国語の「Liú」を使っています。
 そのままだと恐れ多いのでRIUに命名しました。
 那覇市の「りうぼう」も、設立時は琉球貿易商事ですから、
 「りう」は中国語の読みをとっているようです。
 Webでの種々登録で私の“康子”ではなく
 犬の「琉」という名前を使って登録をすることがあるのですが、
 一部では名簿が流用されているようで、
 後日勝手に届く通販とかのDMには「琉」の名前で届くのです。
 TSUCDYAも、入会規約に、
 「サービス情報の提供を受けることに同意する」
 と天眼鏡で見ないと読めないような小さい字で書かれているように
 レンタル履歴などの情報を意図的に流用していますから、
 気をつけた方がいいですね。
posted by COFFEE CHERRY at 14:07| 沖縄 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月13日

忠臣蔵の忠義を考える

1702年(元禄15年) 12月14日というと、
当時は旧暦ですから
西暦(グレゴリオ暦)では1703年1月30日のようです。
正確には1703年1月31日 (水曜日)の
雪が深々と降る午前4時ごろ
大石内蔵助を筆頭に47人の赤穂浪士たちが
本所松坂町の吉良邸に討ち入り、みごと本懐を果たし、
「忠義の誉れ」
として現在に伝わっているのは、
あえて言うまでもありません。

映画での大石内蔵助役は
長谷川一夫が
「おのおの方、討ち入りでござる」
と言ったのは、
1964年の東京オリンピックの年に
たしか当時白黒テレビで見たと思うのですが
NHK大河ドラマの「赤穂浪士」だったと記憶しています。
長谷川一夫以外にも、この最も重要な主役は
阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、松本幸四郎、
萬屋錦之助、松方弘樹、里見浩太郎、北大路欣也、
中村吉右衛門、高倉 健などといった、
そうそうたる時代劇のスター達が行い、
瑶泉院役も、
星 玲子、玉木悦子、大川恵子、司 葉子、山本富士子、
三田佳子、古手川祐子といった
古手川祐子はともかくとして大女優の面々が演じてきました。

討ち入りをした赤穂浪士たちは、
なにしろ忠義の誉れのヒーローですから、
私たちが映画やドラマで知っている有名な場面も
演劇化による、かなり誇張された脚色も手伝って
逸話や伝承の類が多く出てきます。

吉良邸討ち入り前に、
そば屋の二階に集結して最後の酒宴をして、
出て行くときに小判を4〜5枚(現・40〜50万円)置いていくとか、
討ち入り8か月前に、
病にかかって寝込んでいた岡島八十右衛門に代わって
江戸へ下向した神崎与五郎が
駿河三島宿の甘酒茶屋で馬喰の丑五郎との間に争論がおこり、
神崎はここで騒ぎになる訳にはいかないと、おとなしくその証文を書く
「与五郎わび証文」も史実ではないようです。

さらに
討ち入り直前にこれまで散々迷惑をかけた兄に
弟・赤埴源蔵重賢(あかばねげんぞうしげたか)は
今生の別れを告げようと兄宅を訪れるも兄は留守、
義姉もどうせ金の無心にでも来たのだろうと
仮病をつかって出てこない。
やむなく源蔵は兄の羽織を下女に出してもらって、これを吊るし
兄に見立てて酒をつぎ
「それがし、今日まで兄上にご迷惑おかけしてきましたが、
 このたび遠国へ旅立つこととなりました。
 ぜひ兄上と姉上にもう一度お会いしたかったが、
 残念ながら叶いませんでした。これにてお別れ申し上げる

と、兄の羽織に涙を流しながら酒を酌み交わし、
帰って行く、という「赤埴源蔵、徳利(とっくり)の別れ」とか、
吉良邸絵図面を何とか手に入れるため、
岡野金右衛門は吉良上野介の本所屋敷の普請を請け負っていた
大工の棟梁の娘お艶と恋人になるが、
金右衛門はやがて本当にお艶に恋するようになり、
彼女から絵図面を手に入れたことに自責の念を感じ、
金右衛門は忠義と恋慕の間で苦しむ。
討ち入り後、泉岳寺へ向かう赤穂浪士を見守る人々の中に
涙を流しながら岡野を見送る大工の父娘がいた、
という「岡野金右衛門とお艶の悲恋」も
お涙頂戴の創作のようです。

また
藩主浅野長矩(ながのり)の刃傷事件後に開城恭順を主張して、
籠城・殉死・切腹を唱えた大石内蔵助一派と対立した
末席家老・大野九郎兵衛(くろべえ)は
公金の分配でも、大石は微禄の者に手厚く配分すべきとしたのに対して、
大野は石高に応じて配分すべきと主張し、
結果、大石の意見どおりに配分され、
大野は藩内で孤立し、公金を横領し逃亡した
不忠臣の代表格といわれていますが、
大野は逃げた訳ではなく、大石が万一失敗した時に備えた
第2陣の大将であり、米沢藩へ逃げ込むであろう吉良を待ちうけて
米沢藩(山形県)の板谷峠に潜伏していたものの
大石の討ち入りが成功したという報を聞き、
大野は歓喜してその場で自害したという「大野第2陣説」や
大高源五は子葉の俳号を持ち、俳人としても名高い赤穂浪士で
吉良邸に出入りする俳人宝井其角(たからいきかく)とも親交があり、
討ち入りの前夜、大高は煤払(すすはらい)竹売に変装して
吉良屋敷付近を探索しているときに、
両国橋で宝井其角と偶然出会う。
其角(そかく)は、「西国へ就職が決まった」と別れの挨拶した源五に対し
「年の瀬や 水の流れも 人の身も」
と発句し、大高はこれに
「あした待たるる この宝船」
と返し、仇討ちをほのめかすという
「大高源五と宝井其角の両国橋」の場面も
史実ではないようです。

また、
放蕩の限りを尽くして遊び呆ける大石内蔵助を
京都の一力茶屋で見つけると、
「亡君の恨みも晴らさず、この腰抜け、恥じ知らず、犬侍めが!」
と罵倒し、ののしって大石の顔につばを吐きかけた
薩摩の剣客・村上喜剣は
大石が吉良上野介を討ったことを知ると
無礼な態度を恥じて大石が眠る泉岳寺で切腹し、
大高源五の墓の隣にある「刃道喜剣信士」という戒名が彫られた
小さい墓は村上喜剣のものであるという話や
勝田新左衛門の義父が
討ち入りメンバーを記した号外かわら版をひったくって
婿の名前を探す場面だとか、
さらに
大石内蔵助が討ち入り前日に
江戸南部坂(現在の港区)に住む
浅野内匠頭の未亡人・瑶泉院に会いに行き、
同士の連判状を届け、討ち入り決行を報告しようとするのですが、
吉良側の密偵を警戒し
「ある西国の大名に召抱えられることになりました。
 再びお目にかかることもかないません。
 東下りの旅日記を持参ました。」

と断腸の思いで偽りを伝え、仏壇に参ることを許されず
降りしきる雪の中で今生の想いを伝える大石、
夜中に内蔵助からの旅日記を盗む密偵、
それを捕え、旅日記を見るとそれは同士の血判状、
やがて入る討ち入りと本懐を遂げた知らせが入り、
大石の別れの意味を悟り短慮を悔いる瑶泉院…
この名場面も創作なのです。

討ち入りの午前4時ごろに
大石が太鼓を打ち鳴らした、というのは
「静かに潜入しようとしているのに太鼓なんか打ち鳴らすはずない」
と、私が真っ先に疑った場面ですが、
「街道歩き」
を見ると、
どうも本当にあったことのようですね。


史実とドラマは別ですが、
史実と違うことを十分理解しながらも、
そして結末を十分理解しながらも、
見て感動してしまいながら、
事件の真相というのが今ひとつ解からないというのも
忠臣蔵の面白さなのかもしれません。


江戸時代後期の儒学者で
日向国宮崎郡(現・宮崎県)出身の安井息軒(やすい・そっけん)は
元禄赤穂事件について
「赤穂浪士の一番偉かったことは、
 吉良邸討ち入りを果たしたあと、
 勝手に切腹したり自害したり逃亡したりせず、
 皆従容と幕府に出頭し、素直に法度の裁きを受け、
 その裁きに従って切腹したこと

と述べています。

赤穂藩取り潰しと吉良へのおとがめなしという幕府の判断に対し、
喧嘩両成敗の法度の無視へのレジスタンスとして、
赤穂浪士は吉良邸討ち入りを果たし本懐を遂げるのですが
それだけでは国法の無視であり、無法に過ぎなくない。
「無事に本懐を遂げたあと、国法に服したところが素直に偉い」
と言っているのですね。

一方、福沢諭吉は、「学問のすすめ」の中で、
赤穂浪士を酷評しています。

学問のすすめ111213.JPG
 新渡戸 稲造(にとべ いなぞう)の「武士道」は
 三民(農工商)の上に立つサムライの精神として
 「上に立つ者の義務」すなわち、
 五常の徳(仁義礼智信)を基に
 「仁義・節義・忠義・信義・礼節」
 などに置き換え、さらには
 「廉恥(れんち)・潔白・勇気・名誉」
 などの徳を加えて三民の手本となるべき生き方を
 要求するなど、
 厳しい自己規律をもって
 不正や卑劣な行動を禁じ、
 いかに気高く生きるかを説いた行動の美学が
 「武士道」でしたが、
 これらは福沢諭吉の「独立自尊」と同じことで
 明治になって市民平等になり武士階級がなくなった
 近代社会で国民全員が持つべき価値観を
 具体的に説いた本が「学問のすすめ」で、
 決して強制的な「勉強をしろ」という押しつけの本ではないのです。
 なかなか読みやすい本ですよ。



以下は、青空文庫の「学問のすすめ」
赤穂事件についての記述をコピーしました。


 昔、徳川の時代に、浅野家の家来、主人の敵討ちとて
吉良上野介を殺したることあり。
世にこれを赤穂の義士と唱えり。
大なる間違いならずや。
この時日本の政府は徳川なり。
浅野内匠頭も吉良上野介も浅野家の家来もみな日本の国民にて、
政府の法に従いその保護を蒙(こうむ)るべしと約束したるものなり。
しかるに一朝の間違いにて上野介なる者内匠頭へ無礼を加えしに、
内匠頭これを政府に訴うることを知らず、
怒りに乗じて私に上野介を切らんとして
ついに双方の喧嘩となりしかば、
徳川政府の裁判にて内匠頭へ切腹を申しつけ、
上野介へは刑を加えず、この一条は実に不正なる裁判というべし。
浅野家の家来どもこの裁判を不正なりと思わば、
何がゆえにこれを政府へ訴えざるや。
四十七士の面々申し合わせて、
おのおのその筋により法に従いて政府に訴え出でなば、
もとより暴政府のことゆえ、最初はその訴訟を取り上げず、
あるいはその人を捕えてこれを殺すこともあるべしといえども、
たとい一人は殺さるるもこれを恐れず、また代わりて訴え出で、
したがって殺されしたがって訴え、四十七人の家来、
理を訴えて命を失い尽くすに至らば、
いかなる悪政府にてもついには必ずその理に伏し、
上野介へも刑を加えて裁判を正しゅうすることあるべし。
 かくありてこそはじめて真の義士とも称すべきはずなるに、
かつてこの理を知らず、身は国民の地位にいながら
国法の重きを顧みずしてみだりに上野介を殺したるは、
国民の職分を誤り、政府の権を犯して、
私に人の罪を裁決したるものと言うべし。
幸いにしてその時、徳川の政府にて
この乱暴人を刑に処したればこそ無事に治まりたれども、
もしもこれを免(ゆる)すことあらば、
吉良家の一族また敵討ちとて
赤穂の家来を殺すことは必定(ひつじょう)なり。
しかるときはこの家来の一族、
また敵討ちとて吉良の一族を攻むるならん。
敵討ちと敵討ちとにて、はてしもあらず、
ついに双方の一族朋友死し尽くるに至らざれば止まず。
いわゆる無政無法の世の中とはこのことなるべし。
私裁の国を害することかくのごとし。
謹(つつし)まざるべからざるなり。


要するに
「幕府の裁定が不満なら、幕府に異議を訴え出よ。
 それをせず無法に武力で復讐するとは何ごとか」

と言っているのですが、
同時に
「我々は腐敗した徳川政権を倒した、
 徳川とは違って我々は民主主義なんだ」

というエラソーな気ぐらいも感じられますね。
人それぞれ、いろいろな見かたがあって良いと思います。


播州赤穂浅野藩の家老・大石内蔵助ら
四十七人の旧赤穂藩の藩士達は、
主君・浅野内匠頭の仇を討つために
命懸けの討ち入りを敢行し
見事に本懐を遂げた“忠義”が
「誉れ高い」と語り継がれてきたのは、
江戸時代から明治維新を経て、
戦前昭和の日本人を貫く精神が
武士道と大和魂、忠孝の思想だったからです。
ところが大東亜戦争の敗戦を契機として
これら「日本的な価値観」は
マッカーサー司令官より軍国主義の鼓舞につながるとして、
すべて悪として切り捨てられてしまいました。
一時は柔道と剣道の禁止令までも出されていました。

ハワイの日系3世・藤 猛(ふじたけし)が
ボクシングの世界王座獲得後に
「岡山のおバアちゃん、見てる?」
「勝ってもかぶってもオシメよ(=勝っても兜の緒を締めよ)」
「ヤマトダマシイ!」
と、リング上で叫んでいたのを
私が小学校の高学年の頃に
父とテレビでいたのを想い出しましたが、
 ・大和魂
 ・武士道
 ・倫理観

そんな精神的風土が薄れつつある今の日本で
「忠臣蔵が若者層で今ひとつ人気がない」
というのも残念でなりません。

「大和魂」ではありませんが、
沖縄では個々にコーヒー栽培に取り組んできた諸先輩方がいます。

名護市の親川仁吉さんが、戦前
ブラジルからアラビカ種の苗木を持ち帰り、
自宅庭で栽培されたのが
沖縄コーヒー栽培のルーツとしては
今のところ最古になっていますが、
私はもちろん、残念ながらお会いしたことはないのですが、
和宇慶朝伝先生以降の先輩たちには
ご教授を受けてきました。

和宇慶先生は戦後ブラジル丸でブラジルに渡り
現地に移民された妹さんから
「ブルボン種のタネをもらい、苗木をふところに隠して持ち帰った」
と、直接伺いました。
ブラジル丸が移民船として使われたのは
1963〜1971年という
東京オリンピック(1964年)あたりから
大阪万博(1970年)あたりまでの
沖縄復帰前のことです。



和宇慶先生が延べ200人に行った
「コーヒー教室」
で、
ただ一人残ったのが恩納村の山城武徳先生です。
山城先生が約3千坪の農地で
コーヒー栽培をされている現場を拝見して
私はコーヒー栽培が行える安堵をし、
同時に決心をしたのです。
山城先生は沖縄復帰後の第一人者でした。

東村の足立弘志さんにもとても親身に親切にしていただきました。
和宇慶朝伝先生は2年前に104歳で大往生され、
山城武徳先生は昨年大腸ガンで(享年81歳)、
足立弘志さんも2年前の大みそかと、
相次いで戦後の沖縄コーヒーを代表する先輩方が亡くなっています。

先輩方は、行政の支援は一切無い孤立無援の状況下で
試行錯誤を繰り返しながら、最後に亡くなるまで
コーヒー栽培をやり通しました。
その教えや知恵、教訓から学んだことは多く貴重です。

先人の情熱、遺志を継ぎ、定着、大成させることが
先人たちに対する「忠義」だと私は受けとめています。


佐藤一斎先生が
後半生の四十余年にわたって書かれた
「言志四録」(言志録、言志後録、言志晩録、言志耋(てつ)録))
に、
「老人の一話一言は、皆活史なり」
があり、
「お年寄りの話や言葉は、その人の人生の体験史だ」
という意味ですが、
先人から貴重な知識や情報を得ることのできたのは
とてもありがたいことだと思っています。

また、
「赤子(せきし)の一啼一咲は、皆天籟(てんらい)なり。
 老人の一話一言は、皆活史なり」

とも書かれています。

「赤ん坊の泣き声、笑い声は皆、
 無邪気で偽りのない自然のもたらす素晴しい音楽である。
 老人の話や言葉は、すべて経験を物語る活きた歴史である。」

という意味ですが、
これは壺中有天(こちゅうてんあり)の“天”の境地でとらえた考え方ですから、
もう少し深く解釈すると、
「天籟(てんらい)」は、天地自然の音ということなので、
「人間が自然と一体化する」
ということだと思います。
ということは、
自然のままにありのままに生きる。
泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑って、
自分の心をごまかさない。
雨が降る時には雨が降り、風が吹く時は風が吹き、
雪になるときは雪になる。
人の力でそれらを止めようなどということは、やめた方が良い。
天地と一体となって生きてゆく事が、
正しい人間の生き方ではないか、
といっているように思えます。


南宋の儒学者朱熹(しゅき、朱子)の
「宋名臣言行録(そうめいしんげんこうろく)」
は、
北宋の名臣97人の言行録が編纂した書物ですが、
この中に、
「智猶水也、不流則腐」
(智はなお水のごときなり、流れざれば則ち腐る)
があり、
「知恵は水のようなものである。
 工夫して知恵を働かさなければ腐ってしまう。」

という意味で、
先人たちの教えや教訓を土台にして、
さらに試行錯誤して、
探究していかなければない責務を担っているのだと覚悟しています。



『てぃんさぐぬ花』の歌詞     
(1)
  てぃんさぐぬ花や            ホウセンカの花は
  爪先(チミサチ)に染(ス)みてぃ     爪先に染めなさい。
  親(ウヤ)ぬゆし事(グトゥ)や      親の言うことは、
  肝(チム)に染(ス)みり         心に染めなさい。

(2)
  天(ティン)ぬ群り星(ムリブシ)や   天の群星は
  読(ユ)みば読(ユ)まりしが      数えようと思えば数えきれるけど、
  親(ウヤ)ぬゆし言(グトゥ)や     親の言うことは、
  読(ユ)みやならん           数えられない。

(3)
  夜(ユル)走(ハ)らす舟(フニ)や       夜、沖に出る舟は
  子(ニ)ぬ方星(ファブシ)見当(ミア)てぃ   北極星が目当て、
  我(ワ)ん生(ナ)ちぇる親(ウヤ)や      私を産んでくれた親は
  我(ワ)んどぅ見当(ミア)てぃ         私が目当て。

(4)
  宝玉(タカラダマ)やてぃん       宝石も
  磨(ミガ)かにば錆(サビ)す       磨かなくては錆びてしまう
  朝夕(アサユ)肝(チム)みがち     朝晩心を磨いて、
  浮世(ウチユ)渡(ワタ)ら       世の中を生きていこう。

(5)
  なしば何事(ナングトゥ)ん     誠実に生きる人は
  ないる事(クトゥ)やしが      後はいついつまでも、
  なさん故(ユイ)からどぅ      願いごともすべて叶い
  ならぬ定(サダ)み         永遠に栄えるのです。

(6)
戦する意味に 意味を重ねても
渡す命のかずには 何の意味があるの


このYoutubeでは上記(6)の歌詞になって曲が終わっています。
大東亜戦争の末期、本土決戦の時間稼ぎのために、
沖縄が「捨て石」にされた沖縄戦で、
死者行方不明者の半数(約9万4千人)が民間人であり、
戦争を憂いたオリジナルな歌詞にしていますが、
ふつうは(6)は下記のように歌い、
(7)以下は順番が違ったり、カットされたり
歌詞を変えたりといろいろです。

(6)
誠(マクトゥ)する人(ヒトゥ)や       成せば何事も
後(アトゥ)や何時(イチ)迄(マディ)ん   成ることであるが、
思事(ウムクトゥ)ん叶(カナ)てぃ      成さぬ故に
千代(チユ)ぬ栄(サカ)い          成らないのだ。

(7)
行(イ)ち足(タ)らん事(クトゥ)や     行き届かないことは
一人(チュイ)足(タ)れい足(ダ)れい     一人一人が足しあいなさい。
互(タゲ)に補(ウジナ)てぃどぅ        お互いに補い合ってこそ
年(トゥシ)や寄(ユ)ゆる           年は取っていくものだ。

(8)
あてぃん喜ぶな        いくら金や物があっても喜ぶな。
失なてぃん泣くな       また、失ったからといって嘆き悲しむな。
人のよしあしや        人間の善し悪し、人の評価というものは
後ど知ゆる          最後になってわかるものだ。

(9)
  栄てぃゆく中に     栄えていくなかにも
  慎しまななゆみ     謙虚でなくてはいけない。
  ゆかるほど稲や     稲も実るほどに
  あぶし枕ぃ       あぜ道を枕にして、腰を低くするではないか。

(10)
  朝夕寄せ言や        お年寄りの朝夕の教訓は、
  他所の上も見ちょてぃ    世間の例を見て素直に耳を傾けるがよい。
  老いのい言葉の       老いの繰り言などと
  余りと思な         思うのではない。


「てぃんさぐぬ花」
は、
沖縄の代表的な民謡、
ホウセンカ(鳳仙花)は
爪紅(ツマクレナイ)、爪紅(ツマベニ)の別名があるように
赤い花は昔、
マニキュアのように爪を染めるのに使ったようです。
触れるとはじける果実が目を引くホウセンカは
花言葉「私に触れないで」もそれに由来するようです。
韓国でも、爪にホウセンカの汁を塗り、
初雪まで色が残っていたら恋が実ると言う伝承があるらしいのですが、
単に
「男女の掛け合いで、恋の歌」
というより、
先人の教えを歌った教訓歌で
世の中の教えを説いた、いわゆる格言を歌にしたもので、
それが黄金言葉(くがにくとぅば)として歌い継がれているのです。
posted by COFFEE CHERRY at 21:32| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月09日

宮崎産マンゴーからひもとく沖縄産コーヒーの方向性

沖縄でのコーヒー栽培者は、
木を1本庭に植えている方から数百本規模まで含めると、
離島も含めて私が知っているだけでも
すでに100人を超える方々がいますので、
実数はもっともっと多いはずです。

また、新規の栽培希望者も続々と登場してきていて、
大げさにいえば、
「西部開拓時代のゴールドラッシュ」
とまではいきませんが
“プチ・沖縄コーヒー栽培・ラッシュ”
の感が出てきています。

ローゼルの花111209.JPG
 自宅の庭に咲いたローゼルの花です。
 ガクを生のまま熱湯をかけると、
 鮮やかな赤いRoselle teaの出来上がりです。
 酸味が効いてクセになるくらい美味しいです。
 もちろんジャムにも出来ますよ。
 沖縄では10月中旬頃から年内一杯が旬です。



沖縄は今年は台風台風の当たり年で
・5月下旬の2号、大型で葉タバコなど戦後最大の農産物被害
・6月下旬の5号
・8月上旬の9号、本島が45時間暴風雨圏に入り夏野菜が壊滅

と、
3回の台風の襲来で
県内の農産物の被害額としては戦後最大に上りました。

沖縄産コーヒーは、昨年に引き続いて不作でした。
例年、春の降雨がコーヒーの開花を促すのですが、
昨春は曇天ばかりで、晴れ間も降雨も少なかったために
生豆に班が出たり、軟らかかったり、浮豆が多かったりと、
生産者が満足するような良い豆が生産出来なかったのです。

今年は台風の影響も含めて平年以上の降雨があり、
照葉樹林に守られた自然の要塞のコーヒー山では
おかげさまで台風の被災もほとんどなく、
コーヒーの生育は順調そのものでしたが、
他のコーヒー農園は日なた栽培ですから、
3度の台風による被災がかなりあり
・南城市の知念コーヒーは壊滅的
・南風原町の大城コーヒーでも同様で収量は激減
・東村の渡嘉敷コーヒーは今春500本のカットバックを行い
 収量がしばらくは激減

・大宜味村のハウス栽培では台風の被災で撤退化
と、
親交の深いコーヒー農園の現況は、
「良くはない」
というより、
「今年は最悪」
という方が近そうです。
これに関連し、
珈琲豆脱穀機を開発された細川製作所様から
果肉除去機の試作機のデモの日程の打診を頂きましたが
収穫直後の実が集まらないことで
「時期は後日調整」
ということに至ってしまいました。

そういう中でも、
「魔法の打ち出の小づちを持っている」
というウワサのあそことあそこは、きっと
「注文があればすべて納品できる」
態勢なのでしょう。

「沖縄産コーヒーに海外産を1粒でも混ぜたら、もう沖縄産といえない」
「海外産を混ぜるなら正直に公表するべきだ」
という私の考え方は、
このブログを継続的にご覧いただいている方々であれば
充分に理解していただけていると思いますが、
そもそも
『沖縄産』
の定義自体があいまいなことが問題なのです。

将来的には、沖縄コーヒーの生産者団体の
必要性が生じてくるものと思います。
もちろん、単なる親睦団体ではなく、
厳しい基準を設けて、
しっかり公正に管理・指導出来うる生産者団体のことです。

生産者であれば
・栽培面積
・栽培本数
・栽培品種
・農法
・収穫量
・加工方法
・生豆生産量
・保存方法
・使用した肥料の種類と施肥時期、数量

など、
消費者に沖縄産の「安全」や「安心」を認知して頂くためにも
traceabilityの導入は今後不可欠ですから、
それらは本来明らかにできて当然ですし、
また
「生豆を堂々と提示する」
ことも当然のことなのです。

こういうことが徹底出来ないのは
個々の生産者の考え方によっては
「そんな細かいことはいちいち公表する必要性がない」
「企業秘密だから言えない、見せられない」
という用管窺天(ようかんきてん)の方々もいるでしょうし、
「少しの囮(見本)で信用させて、実際の中身はほとんどが海外産」
という犯罪まがいの呆れた産地偽装生産者も実際にいるからです。

フヨウの花111130.JPG
 コーヒー山近くのフヨウ(芙蓉)の花です。
 ローゼルの花によく似ています。
 フヨウ(芙蓉)はアオイ科フヨウ属の落葉低木で
 英語名は「Hibiscus mutabilis」ですが、
 ローゼルもアオイ科フヨウ属の植物で、
 英語名は「Hibiscus sabdariffa」というように
 “Hibiscus”(フヨウ属)のグループです。




なぜ、しつこくそういうことを持ち出すのかというと、
一躍有名になった
宮崎県の完熟マンゴー「太陽のたまご」の事例を考えると
沖縄産コーヒーの将来に暗雲が立ち込めるように思えるからです。

最初の頃は、おそらく沖縄産マンゴー生産者の誰もが
「宮崎のマンゴーなんて…」
と慢心して高を括(くく)っていたのでしょうが、
後発の宮崎産マンゴーは周到な準備・分析をして
消費者のニーズに応え、
現在では沖縄産マンゴーを脅かすようになっています。

宮崎マンゴーは、
1976年(昭和51年)に南郷町の県亜熱帯作物支場で導入され、
その後農家らが部会を立ち上げて試行錯誤しながら試験栽培等を重ね、
1986年(昭和61年)に、お米の減反政策の代替作物として
西都市で本格栽培が始まりました。
もう25年の歴史があるのです。

もちろん沖縄産に比べると宮崎産の歴史は浅い。
そのために後発の宮崎マンゴーは
後発優位のマーケティング戦略を組み立てました。
・すでに沖縄産が国産の市場を創っているので、
 宣伝広告は製品価値を伝えるのではなく、
 ブランド訴求をするのみで良い

・先発(沖縄産)の失敗事例を分析・対応することで、
 技術開発について無駄な投資が抑えられる

・独自の改良をすることで別の新しさ、価値を訴えることで
 先発(沖縄産)の市場を奪い取れる

ということですよね。

要するに、先発の沖縄産は圧倒的優位の市場を占有しながら
確固たる追随を許さないポジションを築けないうちに、
後発の宮崎産に消費者に新しさ、既存にはない価値を
創られてしまったのです。
それは“基準”づくりの差です。

オクラの花111209.JPG
 自宅庭に咲いたオクラの花です。
 この花もローゼルやフヨウに似ています。
 オクラはアオイ科トロロアオイ属ですが、
 以前はフヨウ属(Hibiscus)に分類されていたようです。



1998年(平成10年)に、
JA宮崎が「太陽のタマゴ」のブランド名を制定しました。
宮崎産であれば、何でも「太陽のタマゴ」と名乗れるのではなく、
 @1玉350グラム以上
 A糖度15度以上
といった基準だけではなく、
 ・自然に落果するまで樹上で完熟させる
 ・果実裏側に日照を反射させる白紙をあて、裏側も赤くさせる
 ・果実を高い位置で栽培させる
 ・日照に当たるようにヒモで吊る
 ・すべての果実に生産者を特定する数字を記入する

など、
自然に甘いマンゴーが作れないために
技術を駆使していて、
努力の結晶が結果を出してきているのです。

果実は大きさや糖度などで5段階に分類され、
A品といわれる「太陽のタマゴ」ブランドは
全体の1割程度だそうです。
その技術代が小売価格5000円以上という
高価格になっているのも、
充分に理解できるところです。

こういった「基準づくり」の発想が
残念ながら沖縄県にはまったくありません。
「ただ沖縄でつくったマンゴー」
というだけなのです。

2008年度の年間出荷量(国産)総数は約2,843トンで、
そのシェアは
 ・1位 沖縄県 1,538トン(54%)
 ・2位 宮崎県  862トン(30%)
 ・3位 鹿児島県 307トン(11%)
 ・4位 熊本県   97トン(3%)
 ・5位 和歌山県


沖縄産マンゴーのシェアは年々減少傾向にありますが、
ランチェスターのシェア理論では
「三社以上の競争であれば、過半数を占めなくても
 市場の41.7%を占有すれば
 安定目標値として首位独走の条件となる」

といわれていますが、
現状では沖縄産マンゴーは“安泰”ではないと思われます。
なにせ
「ただ沖縄でつくったマンゴー」
なのですから。
「なんくるないさー」
とは
「“難”来るないさー」
ではないはずです。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色
盛者(じょうじゃ)必衰の理(ことわり)をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ


平家物語の冒頭、平氏が没落していく
「栄華は続かない。栄えていても落ちてゆく。」
様子が、沖縄産マンゴーのようです。

昨年引っ越しする前の南風原(はえばる)町の知人は
「今からマンゴー栽培に参入」
されると言われて、これは心配ですが、
国頭村辺土名で無農薬栽培でマンゴー栽培に挑戦されている
愛知県出身の若いご夫婦に先日お会いしました。
こちらは応援したいですね。

基準づくりをしない沖縄産マンゴーの衰退をみていると、
今後の沖縄コーヒーの方向性も見えてくるわけです。


クミスクチンの花.JPG
 クミスクチンの花。
 東村の「森のハーブガーデン」で撮影しました。
 シソ科の低木多年草生で、
 マレー語で「クミス」は“ヒゲ”を、
 「クチン」は“ネコ”を意味しているように
 和名では「ネコノヒゲ」と呼ばれています。
 腎臓炎、腎臓結石、膀胱炎など
 腎臓疾患の改善に効果がある健康茶として、
 古来から沖縄では愛飲されていますが
 様々なの改善に効能があるとされています
 やらせで打ち切りになった「発掘!あるある大事典」では
 お肌のケアとかダイエット効果を取り上げていたような
 記憶がありますが、さてどうだったでしょうか。



冒頭の“プチ・沖縄コーヒー・ラッシュ”では、
いろいろなウワサを耳にします。

何やら大きなプロジェクト化しようとする動きもあるようです。
そういう動きからすると、やがて沖縄産コーヒーにも
親睦団体が出来る可能性もありそうですが、
産地偽装するインチキ生産者や
ブローカーまがいの人が生産者のフリをしても
誰でも入れる親睦を目的とするだけの団体であるなら、
私は意味がないので入会することは有り得ません。
その場合には将来的にですが、
宮崎産マンゴーの事例からも、
しっかりした栽培指導や基準づくりをしながら
全体の底上げをしていく、
別の団体を興す必要性も出てくると思います。
賛同する生産者がどれだけいるかが問題ですが、
入り口を厳しく、最初は数軒でも集まればいいと思っています。

キクイモの花111203.JPG
 キクイモの花。
 東村の「森のハーブガーデン」駐車場の周囲に
 咲き乱れていたので撮影しました。
 キク科ヒマワリ属の多年草で黄色い花がきれいですが、
 在来種の植物を駆逐して繁殖エリアを拡大するので、
 外来生物法によって要注意外来生物に指定されているようです。



沖縄産コーヒーでの大きなプロジェクト化のウワサは、
いろいろな仕組みづくり、役割がてんこ盛りになっているらしく
クリスマスケーキのデコレーションのようで賑やかそうですが、
一番大切なことは仕組み作りよりも
「木を元気に生育させて、良質の実をつけること」
が肝心かなめの本分なはずですが、
新規参入者には共通していえることですが、
どうもコーヒー栽培を簡単に考えているようで、
収穫時期や収穫量まで、全部うまくいった仮定で
構成されているのだとすれば、
砂上の楼閣になってしまう危惧もあるかもしれません。

織田裕二が演じる青島俊作巡査部長が主人公の
『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年公開の第1作)
のクライマックス場面で、
青島巡査部長がパトカーの無線で
「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだexclamation
と叫んだ名セリフを想い出してしまいました。

映画は、湾岸署と警察庁の組織の中心で
意思決定をするところの間に摩擦や矛盾が生じても、
現場が一生懸命事件を解決していくというSTORYになっていて、
意地とプライドの塊の本部のエリートたちは
会議で好き勝手に方針を決めますが、
そのエリートの中で現場をよく理解している人もいれば、
全く理解しないまま自分たちの手柄だけを考えている人たちがいて、
現場を理解している人の代表が柳葉敏郎でしたね。

沖縄でのコーヒー栽培は、まだ確立されていません。
私は時間がかかっても次の世代に良い形で受け継いでほしいので、
品種探しや栽培方法など、もっともっと研究しないといけない責務があり
地道に自分の道を進む決心を改めて固めた次第です。


「中庸」第二段第一節には、こう書かれています。

仲尼曰:
“君子中庸,小人反中庸。
君子之中庸也,君子而時中;
小人之中庸也,小人而無忌憚也。”


仲尼(ちゅうじ)曰く、
君子は中庸なり。小人は中庸に反す。
君子の中庸や、君子にして時に中る。
小人の中庸や、小人にして忌憚(きたん)する無きなり、と。


孔子曰く
「君子は中庸すなわち偏らず過不足なく、
平常にして徳を身に体得しているが、小人は中庸に反している。
君子が中庸をよくするゆえんは、未だ発せずの中を失わず、
独りを慎むの工夫を凝らして和を得ることにある。
小人が中庸に反するゆえんは、
欲をほしいままにして少しも忌(い)み憚(はばか)り
遠慮することがないからなのである」



少し勉強して、課題がほんの少し判ってくると、
新たな疑問が次から次へと湧き出してきます。
「きっと、こういうことなんじゃないかな」
と、仮説をつくるにも容易ではありません。
わからないことだらけです。
まだまだ精進しなければいけません。

ヒビスクス・アセトセラ111203.JPG
 アオイ科フヨウ属ヒビスクス属のヒビスクス・アセトセラです。
 これも東村の「森のハーブガーデン」で撮影しました。
 赤シソのように葉が赤銅色なのでシソアオイともいうようです。
 ローゼルの仲間のようで「実だけでなく葉や茎も使う」と
 比嘉さんからお聞きしましたが、お茶にすると
 ハイビスカス・ローゼルと比較して美味しいとはいえませんでした。
 色はまあまあ出るのですが。
 横浜市の中村さんには、こっちを「ハイビスカス・ローゼル」と
 誤って伝えてしまいました、ごめんなさい。

posted by COFFEE CHERRY at 16:09| 沖縄 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

コーヒーの種子と発芽を考える@ 

コーヒー豆はコーヒーの種子(たね)だ、というと、
「そんなことは小学生だって知ってるよ、当たり前だ」
と怒られてしまうでしょうが、
私たちが日常的に食べている食材では、
米、トウモロコシ、大豆、小豆、ゴマなども種子ですし、
パン、うどん、そば、中華麺、パスタや
豆腐、味噌、醤油、食用油、
おかき、クッキーなども種子からつくられたものですから
ヒトは種子に古来から深く依存して生きているのです。

そういう意味で、コーヒーの種子と、それに発芽について
あらためて感慨深く、敬意を表して
想いついたことを綴ってみました。


植物は花が咲いて、実が実って、種子ができ、
その種子を蒔くと芽が出て次の世代の植物ができますが、
「最適な温度と空気と水」
の絶妙なバランスがそろうと、
ヒトの母体の胎児のように、
種子の中で次世代の植物の赤ちゃんが発育します。

人間の赤ちゃんは、出産後母乳やミルク、オムツにお風呂などと
24時間世話を焼いてくれる人が必ずそばに居ますが、
植物の赤ちゃん(発芽)は生まれた時から独りきりです。
育っていくために必要なものはすべて自分で調達し、
やるべきことはすべて自身でやらなければなりません。
さらに植物は歩いて移動できないのですから、
種子の発芽のタイミングは、
きわめて慎重に発芽環境を検討することになるのです。

必要なものはすべて揃っているのか、
健全に発育できうる環境かどうかを充分に吟味したうえで、
「よし、これなら大丈夫、安心して発芽しよう」
と決断して発芽に踏み切るのです。
人間にはとてもマネの出来る芸当ではありません。

次世代の赤ちゃんが芽を出し、
自分で光合成をすることが出来るようになるまでの
成長に必要な栄養分が種子に入っています。
コーヒーの種子の中の大半を占める硬内胚乳は
セルロース(炭水化物)、タンパク質(粒状アリューロン)、糖などのほか、
ビタミン、ミネラル、鉄なども含まれているのです。

コーヒーの種子は、
水分や水溶性の養分、酵素の量などは少なく(水分20%未満)、
代謝・生合成・細胞分裂といった生命活動は
ふつうは停止に近い休眠状態にあります。
そのため、ふつうなら
耐えられないような環境下(寒冷、高温、乾燥、暗黒など)でも
種子は生き続けることが出来るし、
長い寿命を維持することが出来るわけです。

極端な例では、昭和26年に大賀一郎教授が
弥生時代の遺跡から発掘された蓮(ハス)の種子を発芽させています。
卑弥呼が死んだ時期は
弥生時代から古墳時代への移行期といわれていますから、
少なくとも
「1800年以上昔の種子でも発芽した」
ということになります。
スコーピオン・キングが復活する「ハムナプトラ」という映画のようですね。
といってもコーヒーの種子では数十年も持たないんじゃないでしょうか。
私は植物学者ではないのではっきりしたことは言えませんが、
コーヒーの種子を、どんなに大切に保存していても、
年々発芽率が落ちることは確かですから。
長い年月が経過したコーヒーの種子は
やがて脳死状態のようになって発芽しなくなるような気がします。
「なんだ、コーヒーの種子ってそんなに弱いの?」
というより、
それだけデリケートだと解釈してほしいところです。

また、種子のまわりの種皮は、
動物や昆虫に食べられたり、菌類や細菌に侵されないように、
また衝撃や圧力で傷つかないように、
さまざまな危険から種子の中身を守っています。
コーヒーの種子ではシルバースキンという薄くて頑強な皮が貼り付き、
さらにその外側をパーチメントが覆って、
種子をガードしているのです。
そのため、種皮を脱穀して、丸裸の生豆にした状態では
焙煎には適しても、タネ植えとしては適さないどころか
「発芽しない」
と言ってもいいくらいです。
種皮を脱穀した生豆は、もう種子ではないのです。
コーヒーを栽培する種子は、“パーチメント豆” が大原則なのです。
沖縄でも、これを説明しても
右から左に聞いている方が時々いて
「コーヒーのタネ植えをしたけど発芽しない」
という問い合わせが後日メールで届き、
どうやってタネ植えをしたのか、どこからタネを収取したのかなど
よくよく聞いてみると
「生豆でタネ植えした」
ことが発芽しない原因だった、
ということが、ついこの前もありました。

種子が覚醒する条件は、植物の種類によって違いますが、
多くの場合、その植物の生育様式に対応しています。
寒い冬を避けて春に発芽する種子、
沖縄でのコーヒーはこのパターンですが、
一定時間低温が続くと休眠から醒めて、
発芽の準備に入るのです。
また、乾期が長く続く厳しい環境に生えるような植物は、
土壌湿度によって休眠したり覚醒したりするようです。


もう少し具体的に
コーヒーの種子の発芽のプロセスを考えてみましょう。

種子には胚があり、発芽とは胚が成長を始めることをいいます。
植物学的には、最初に幼根が種子を破って出てくる時点のことを
「発芽した」
と考えるようですから、
私たちが通常考える、地上に芽が出てきた状態は
“発芽”ではないようです。

胚が成長をするということは、
厳密には胚を作っている個々の細胞が大きくなることであり、
また、新しい細胞が作られ、
要するに新陳代謝が促されるのですが、
そのために、水分と養分の補給が必要なのです。
コーヒーの種子内の硬内胚乳、
セルロース(炭水化物)、タンパク質(粒状アリューロン)、
糖などを分解するのは酵素ですが、
乾燥した種子のままでは酵素は働くことが出来ません。
酵素が働くには水分がなくてはならないのです。
そのため、種子を水に漬けるか、
タネ植え後に水やりをしてあげないといけないのです。
それでも、水やりが多すぎても種子がカビたり
腐ったりすることがあるので、
たくさんあげればいいのではなく、
乾燥させない程度に水が必要だということです。

乾燥したコーヒーの種子を水に漬けると、すぐに吸水が始まります。
これは、タンパク質(粒状アリューロン)など
高分子貯蔵物質が水を吸って膨潤していくからです。

その吸水はPHの影響を受けます。
コーヒーの種子は中性より酸性の方が早くかつ効果的に吸水します。
しかも栄養成分を分解する酵素の最適PH値も、
どうも酸性側にあるようで、
そのため発芽以降の生育過程でも
酸性土壌の方が適しているといえそうです。

休眠から醒めた種子が最初に始めるのは、吸水・膨張と
貯蔵物質(杯の栄養分)の急速な代謝で、
貯蔵物質は、そのための原料であり、
同時にエネルギー源にもなるのです。

温度条件的には、
沖縄では3月下旬の20℃あたりになった頃に発芽するのですが、
沖縄では春だけでなく、その後秋まで発芽します。
10月にタネ植えすると、
11月から初春までは休眠に入り発芽はしません。
4月頃に発芽してきます。
生前、和宇慶朝伝先生が
「発芽まで9か月かかったことがある」
と言われたのは、
「8月頃タネ植えして、発芽したのが翌春4月だった」
という意味だったのだと思います。
コーヒーの種子の夏以降のタネ植えでは、
「秋の暖かい時期に、春と間違えて発芽してしまった」
という失敗が起こらないように、
寒い冬を一度経験してから発芽するような仕組みが
組み込まれているということで、
ますますコーヒーの種子の素晴らしさに感嘆してしまいます。

冬の冷たい土の中で、養分を蓄えて発芽のときをひたすら待ち、
「暖かい」という感覚だけではGOサインを出さない、
成長や子孫繁栄という目標に向けて前進するには、
この慎重さと用心深さが大事なんだと、
コーヒーの種子から教えられているような気がします。
「寒い時期を経験してこそ、芽生えがある」
という人生訓的な教えは、
「志さえ失わなければ、
 困難や問題はすべて新たな発展の契機として生かすことができる」

といわれた故・松下幸之助さんのことばのようです。
そう考えると、
沖縄でのコーヒーの種蒔きは
「初春から梅雨」
までがBESTのようです。

胚の中心軸が伸びて、分裂組織が細胞分裂を始め、
その結果、先端へと新しい根、あるいは茎と葉が伸びて行きます。

コーヒーノキの芽生えは、
子葉が2枚の「双子葉型」で
子葉が種皮をかぶったまま地上に出てくる「地上子葉性」
という形態をとり、
種皮を落としてから、子葉が広がって緑色になり、光合成を始めます。
発芽に際しては、光はそれほど重要ではありません。
光が必要なのは、成長して伸びた茎や葉が光合成をするためであって、
発芽前は光は不要で、遮光したところでも元気に発芽します。

土壌は、発芽に必要な水分や生育後の栄養の供給源になりますが、
同時に、種子から生長をし始めた芽生えが
最初にくぐり抜けなくてはいけない障害物でもあるのです。
茎頂(シュートの先端)や根端(根の先端)は、
細胞壁が薄くて軟らかくデリケートな分裂組織を守りながら
土を突き抜けるしくみを持っていますが、
種蒔きの土は、軟らかく水はけがよいものがBESTです。
コーヒーの種子にも、そのくらいの配慮をしてあげないとダメですよね。
南米の中規模以上のコーヒー農園では、
川砂に液肥を使って種蒔きをしているようです。

コーヒーの赤ちゃんが土の中から顔を出したときに、
モヤシのような形状になっています。
言葉で説明するのはなかなか難しいのですが、
分裂組織の少し下で
茎が180度近く曲がって「逆Uの字」形になっています。
その部分の組織もやや硬くなっているので、
この曲がり方は構造力学的には
屈曲点(逆Uの字)部分の強度があるようです。

種子から発芽して、茎が伸びるにしたがい
強度がある屈曲点の部分が先頭になって土を押しのけ、
屈曲点が地表からある程度上に出てから、
分裂組織がある部分が土から離れ、屈曲が解除されて、
最終的には分裂組織が先端に来るようになる。
これを私たちは「発芽」と思っているわけです。

子葉の間にある分裂組織から新しい双葉が出てくるまでは、
芽生えの生活は子葉が支えています。

発芽というと、地上部分の子葉や双葉など、
目に見える部分ばかり気持ちがいってしまいますが、
地中では、芽と同じく、
成長しようと頑張っているのが“根”です。

根は土の中で見えませんから、地味な存在ですが、
コーヒーでいえば地上の樹形をしっかりと支え、
さらに成長に必要な水分や養分を土の中から吸収するという
重要な役割を果たしています。
歌舞伎で後見が舞台に現れるときに着る、
黒装束・黒頭巾姿の黒衣(くろご)や裏方などの
「縁の下の力持ち」
が根の仕事なのです。

私は今までに何度も何度も
数えきれないくらいの失敗を重ねているので
とてもエラソーなことは言えないのですが、
「鉢やポリポットの植え替え」
は面倒でも、してあげないと
根が窮屈になって、栄養を吸収できなくなるだけでなく、
鉢の内側を根がグルグルと巻くようになってしまうのです。

コーヒーの苗木111202.JPG
 コーヒー山にあるコーヒー苗木のほんの一部

コーヒー山をお借り出来るまで、数年がかりで
本島の読谷村以北の休耕地を探していましたが、
面積や期間などが折り合わずに数年が経過していたのです。
引っ越し前の南風原町の自宅庭に2,000本以上のコーヒー苗木を
ブラジルから沖縄に移住されたアキファームの曽木明子さんが
丹念に見られていた頃のことです。
その間に移植を待つ、鉢に入ったコーヒー苗木はすくすくと成長していて、
年末ジャンボ宝くじの1等前後賞の当選より
(といっても、私の今までの最高当選は10万円ですがもうやだ〜(悲しい顔)
運がよくコーヒー山をお借りできたときには、
鉢の中のコーヒー苗木の根はグルグル巻きだったのです。
当時は伐採と移植を同時に行っていたこともあり、
また穴の径も鉢が入るギリギリの大きさしか掘らずに
苗木を植えましたから、
根が伸び放題で、おまけに
窮屈なところに押し込まれたコーヒーには相当なストレスになり、
その後、南側の苗木は
葉や実を全部落として丸坊主になってしまいました。
それらは掘り返して我が家に持ち帰り
庭で再生させていますが、だいぶ回復してきました。

根が伸び伸びと成長して、
たくさんの養分を吸収してこそ、
花が咲いて実もつけるのですから
「根あってこその花や実」
を、私は痛烈に実感しているのです。

コーヒーノキは、発芽後、初めの根が太く地中深く伸びます。
これを“直根”とよんでいます。
この直根は、地中深く伸びて地上の樹形を支えるとともに、
出来るだけ深く根を伸ばすことで、
より多くの水分や養分を地中から吸収する“要(かなめ)”になります。

直根は、地上が乾期になって水分が少なくなっても
地中から補給する役目も果たしているのです。
沖縄の土壌学の権威で県の前農水部長・大城喜信先生が
地下1mに点滴潅水(かんすい)という、
チューブに小さな穴を開けて、水を微量に浸み出させ、
植物の根が水を求めて地中深く伸びる、
という農法を提唱されていましたが、
直根は、この自然バージョンです。

南米では苗木移植時に、
ナタで直根を切り落としてしまうところがあるのですが、
植物は無駄な葉は1枚でも出さないのですから、
私は直根を切るべきではない、
と考えています。


発芽の画像は依然ずいぶん撮影したのですが、
画像の整理が悪いので、後日探しながら発見次第
追加でUPする予定です。
いつもながら長い文で読みにくくてすみません。

(次回に続く)
posted by COFFEE CHERRY at 18:14| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

ミミズの偉大さを考える

・蚯蚓
・目不見
・大地の腸
・地球の虫(英語ではearthworm)
・雨の虫
・自然の鍬
・地竜(中国語)

これらは、
ミミズの別名です。

「春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくる」
二十四節気で3月上旬の
「啓蟄(けいちつ)」
も、
主にミミズのことを表しているような気がします。

最近、コーヒー山や自宅に隣接するバナナ園や庭などで
ミミズがずいぶん目立つようになりました。
以前はスコップで掘った土にミミズが1〜2匹見つかる程度だったのが、
現在はその数倍はいるようで、
嬉しさのあまり思わずニヤけてしまいます。

ヤンバルオオフトミミズの団粒土111116.JPG
 コーヒー山のヤンバルオオフトミミズの団粒土。
 私の右手の握りこぶしくらいある巨大な塊です。
 穴は小指が入るほどの径がありますから、
 きっと30cm以上のヘビのような大物でしょう。
 紫色なので、ミミズに失礼ですが見た目は気持ち悪いです。



今から2300年前後も前の中国の戦国時代、
老子よりあと、荘子より前に生きたといわれる道家・列子は、
8編の書を残し、故事・寓言(ぐうげん)・神話が多く書かれているのですが、
その中の「列子(湯門編)」の
「愚公(ぐこう)山を移す」
には、以下のように書かれています。

原文は省略しますが、
昔、中国の冀(き)州(現・河北省)の南、
河陽(現・河南省)の北に、
太行(たいこう)山と王屋(おうおく)山という、
700里四方もある広大な大山があり、
そのふもとに愚公(ぐこう)という老人が住んでいました。
外出にはいつも遠回りをしなければならず、
「あの険しい山を平らにして、予州の南まで道を通し、
漢水の南まで行けるようにしたい」
と家族に相談し、愚公の妻からは反論が出たものの、
愚公は息子や孫たちとともに岩石を砕き、土を掘り返し、
もっこで渤海の隅に運び出すのです。
黄河のほとりに住む智叟(ちそう)という老人は、その愚かさを嘲笑し
「あんたの馬鹿さ加減といったら話にならない。
老い先短いあんたの力では、山の一角だってとても切り崩せないさ」
と忠告します。
愚公は、ため息をつき、
「あんたの頭の固さには、手のつけようがない。
隣の家の坊やにも遠く及ばない。
良いかね、私が死んでも子供は生き残り、
その子供は孫を生み、孫はさらに子供を生んで、
子々孫々途絶えることはない。
一方、山は増えるわけじゃない。
だとすれば、いつか平らになるときが来るだろう」
と答えるのです。
この様子を見て恐れた2つの山の神は天帝に報告しました。
天帝は、愚公の真心に感心し、力持ちの神に命令して、
2つの山をそれぞれ別の場所に移してやったので、
それ以来、周囲には小高い丘さえもなくなりました。

という内容で、
「努めて怠らなければ大事は必ず成就する」
という有名な故事ですが、
これは以下の考察を想い出させます。

岩石の粒子を砕いてしだいに小さな破片にしていき、
(土をかきまぜながら岩石の粒子に消化器官内を通過させることによって)
土をかきまぜることによって土をほぐし、ばらばらにする。
そのあと重力と浸食作用によって、
土は高いところから低いところへたやすく移動していき、
かくして地形は平坦になる。
ミミズが生息する地域の地形が低くてなだらかなことは、
大部分のところミミズによるゆっくりとではあるが
持続的な働きの証しなのである。

つまり、
「大地をかたちづくるうえではミミズの影響は方向性を持つ」
という論法です。

これは130年前の1881年(明治14年)、
日本では西郷隆盛が西南戦争で敗れて自刃した4年後ですが、
進化論を提唱したイギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンが、
亡くなる前年の1881年、40年に及ぶ研究の集大成として
「ミミズと土」
に書かれた記述です。

ダーウィンは土壌生態学の創始者でもあり、
「ミミズが土壌や植物の成長、
   ひいては人間の生存に有益な効果をもたらす」

という、
初期の文明から引き継がれた伝統や経験からくる知恵に対し、
初めて論理的な信憑性を与えた科学者の1人でもあるのです。

ダーウィンは、ミミズが、枯れ葉をトンネルに引き込み、
代わりに糞塊を地表に残す様子を観察し、
近所の婦人にお願いしてミミズの糞を一年間、毎日集めてもらいました。
その結果、ミミズはイギリスの牧草地で18.7〜40.3t/haもの
糞塊を生み出していることを明らかにしました。

さらに、牧草地の地上にチョーク(chalk)を撒き、
30年後に同じ場所を掘り起こすという、
とても気の長い実験まで行っています。

そういった実験の結果、
晩年の著書「ミミズと土」では、
 ・岩石の粒子を砕いてしだいに小さな破片にしていき、
  土をかきまぜることによって土をほぐし、ばらばらにすること

 ・土壌を形成しかきまぜることで、
  ミミズは土壌の表層、いわゆる肥沃土を形成する

という、
2つの主張をしているのです。

現代でもミミズというと、
日本人のほとんどは無関心か気味悪く思うはずですから、
ましてや130年前の人々からすると、
おそらく誰も関心を寄せる人なんていなかった中で、
ミミズが、実は地球上の土壌の形成という
重大かつ壮大な仕事をせっせとしていることを証明しようとした
ダーウィンの功績は実に偉大なものです。

ミミズは英語で"earthworm"と表記され、
直訳では「地球の虫」ですが、
ダーウィンの
「ミミズがそれまで地球の土壌形成に果たしてきた役割の重要性」
からすると、
ミミズの英語名は大げさな表現ではないといえるでしょう。

ミミズの団粒土111116.JPG
 中央と上の方にもミミズの小さい団粒土があります。
 こういう団粒土には栄養分がいっぱいなので
 コーヒーの根元付近にもパラパラとかけてあげています。



また、
日本の小野小町、中国の楊貴妃と並び、
世界の三大美女の1人に上げられる
クレオパトラ7世(紀元前30年、39歳で没)は、
「ナイル川の豊穣な大地はミミズがもたらす」
として
「ミミズの国外持ち出し禁止」
を打ち出していたようです。

古代エジプトでは、
「農業生産はミミズ無しでは成り立たない」
ことが理解できていたことで、
ミミズは
「豊穣の神」
と崇められていたのです。

直木賞作家・赤羽 尭(たかし)さんの1990年の作品、
「復讐そして栄光(光文社)」
という小説では、
イスラムではサラーフッディーン(サラディン)をも超えるほどの
イスラムの英雄なのに、なぜか日本ではあまり知られてない、
奴隷からスルターン(権力者、皇帝)にまで上り詰めた
バイバルスが描かれています。

バイバルスは騎馬軍術に優れて、メキメキ頭角を現し、
1249年のフランスのルイ9世による第7回十字軍遠征では
軍団長代理のバイバルスが奮戦して遠征軍を撃破し
シリアを占領してルイ9世を捕虜にしてしまいます。

また、1277年には、当時「世界に敵なし」と謳われた
イル・ハン(チンギス・ハーンの孫、クビライの同母兄弟)の連勝を止め、
あのフラグと互角以上の戦いを繰り広げ、
難敵の撃退に成功して領土を守っています。
(日本では1274年の文永の役と1281年の弘安の役の2度にわたる元寇がありました)

「復讐そして栄光(光文社)」
では、
エジプトをモンゴル軍の侵攻から守った英雄バイバルスと
エジプトの大法官との間の会話が以下のように展開されています。

「ところで、ナイル河畔に住む人々が、
健康で見事な体格をしているのは、どんな理由によるものかは、
いまさら説明するまでもないだろうな」
「それはナイルとミミズによるものだよ」
「ナイルの氾濫は、多量の土壌を河畔に運んで堆積してくれる。
その土壌に無数のミミズが棲み、繁殖して土壌を豊沃にしてくれる。
彼らが健康なのは、その土壌で栽培された栄養に富む
食物を食べているからなのだ」


これは小説に書いてあることで、
史実か創作かはわかりませんが、
それより1300年も前のクレオパトラ7世の
古代エジプトでも「豊穣の神」と崇められていたのですから、
バイバルスの13世紀でも同様に
ミミズが崇められていたことは想像に難くないでしょう。

ミミズの団粒土111116-2.JPG
 コーヒー山やバナナ園、自宅庭には
 こういったミミズの団粒土があちこちにあり、
 土を少し掘り返しただけで、
 ありがたいことに何匹もミミズが出てきます。



中国で孟子が孔子の儒学を、
荘子が老子の無為自然の思想を広めている
2300年前頃の戦国時代、
古代ギリシアでは、
プラトンの弟子アリストテレスが活躍していて、
『動物誌』第6巻第1章では、
ミミズを
「大地のはらわた」
と呼んでいたそうです。


古代エジプトや古代ギリシアで
「ミミズが土壌を肥沃化させる」
ことが解かっていたのですから、
四大文明といわれる
 ・エジプト文明
 ・メソポタミア文明
 ・中国文明(黄河・長江)
 ・インダス文明

でも、
ミミズの実効性が
経験×知識=知恵
のようなことが積み重なって
伝承されていったのではないかと想像してしまいます。


こうしてみると、
目がなく、体そのものが腸のミミズは
外見は決して美しくはないのですが、
地球には無くてはならないものの1つなので、
仲良くお友達になりたいくらいですから、
私のような自然栽培派からすると、
土壌殺菌剤や農薬、殺虫剤、化学肥料などを使って
植物質を分解するミミズや微生物などを殺してしまうのは
考えられないことなのです。

ルネッサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチが、
「我々は足元にある土壌よりも、天体の動きについての方が分かっている」
と言ったように、
ミミズの生態は500年経った現代でも解明されていないのですが、
今日解かっているミミズの主なはたらきとしては、
まず、土壌中にトンネルを掘って土を動かしたり、
土壌の通気性、透水性を上げる効果でしょう。

ミミズは土壌表層からいろいろな有機物を地中に持ち込み、
地中深くの土壌を地表へ持ち出すという、
一輪車やベルトコンベアー的なガテン系の仕事や
土壌粒子や有機物を食べるという
破砕機やストレーナー的な要素もありますし、
排泄時には植物の有益な栄養源に変えるのですから、
「テクマクマヤコン テクマクマヤコン…」
「マハリクマハリタヤンバラヤン〜」
という魔法の呪文がかけられるような、
まさに
Earthworm
 ・地球の虫
 ・大地の腸

そのもので、偉大な虫なのです。

ミミズは枯死植物や根、動物の糞など有機物を食べて
それを体内で動物性タンパクに変えています。
そのミミズをイノシシやヤンバルクイナなどの野鳥、
ニワトリが動物性タンパク源として食べ、
その(放牧の)ニワトリを人間が食べているので、
大きな食物連鎖の中で、
ミミズはわれわれ人間とも関係しているのです。

バナナ園をヤンバルクイナが荒らすのは
ミミズが増えてきた証拠なんですね。

ミミズが出した糞は植物の貴重な栄養源にもなっています。
ミミズは炭酸カルシウムを含む分泌液を出すらしく、
ミミズの糞はふつう生息している土壌よりも中性に近いといわれています。
また、置換性カルシウム、マグネシウム、カリウム
および可給態リン酸などの無機物や微生物が多く含まれ、
その栄養たっぷりの糞を土の中や地上に排泄しているのです。
そうするとその土は、
次の植物育成に再利用可能な状態になるというわけです。

公園や庭では、美観のために落ち葉を掃いていますが、
本当は放置しておいたよいのです。
森林では樹木が吸収する無機養分の6割程度が
落枝・落葉から供給されているといわれています。

落ち葉を掃けば掃くほど、土はやせますし、
落ち葉で覆われない表土は乾燥したり
浸食を受けやすくなり、
土が踏み固められてしまうと、
充分な雨水や酸素が地中に入り込めず、
根は水や酸素が取り込むことが出来にくくなってしまい、
ミミズを始めとした土壌動物も住みにくい環境になって、
活力の乏しい土壌になってしまうのです。



 ミミズのエサを掃いたり焼いてしまうと、当然ミミズは減少します。
 ミミズのいない土は、栄養がなく水分を吸収することもできにくいので、
 雨が降ると雨水はそのまま表面を流れて行ってしまいます。
 そうなると植物も育たちにくいし、
 ミミズをエサとする動物や野鳥も棲まなくなってしまいますから
 落ち葉清掃はしないか、してもほどほどがよさそうです。
 灰を撒くために落枝・落葉を焼く、というのは
 mini焼け畑のようなものですから、
 良いかもしれませんね。



地球にやさしいエコロジーの一環で
ミミズコンポストという、ミミズによる家庭生ゴミの有機処理も
一部で使われていますが、
ほとんどが、
「“シマミミズ”が生ゴミを一番効率的にコンポストしてくれる」
と言っています。
ミミズは4億年も前から地球に存在していて、
現在判明しているだけでも体長0.44mmから3.6mのものまで
約3,000種類がいるといわれていて、
その土地に合うミミズがいるのです。

例えば、酪農で知られるNew Zealandでは
1850年からイギリス人の移民が始まり
その時に持ち込まれた羊の放牧用の草地に棲む
土着のミミズの働きが悪かったことで、
イギリスから多種のミミズを持ち込み、
ミミズを住まわせる環境や土壌についての実験観察を行い
その土地にふさわしいミミズを選択したことで、
草の生産量が著しく増加し、
酪農王国化していった、
といわれていますから
ヤンバルにもヤンバルに合うミミズはいるはずで、
私は土着するミミズで充分だと考えています。

地域ごとに、土着ミミズの種が存在する意義、
あるいは進化の過程というのがあるはずです。
ヤンバルでは特に大型系や
細長い(といっても10cm程度はあります)ミミズが多いのですが、
土壌環境や気候風土に密接なつながりがあるはずです。

ヤンバルオオフトミミズ111115.JPG
黒ポリポットの植え替え作業中に
 土から出てきたヤンバルオオフトミミズです。
 ヘビのように見えますが、巨大なミミズなのです。
 やんばるの固有種らしいです。



自然農法の創始者といわれる故・福岡正信先生の粘土団子は
すべての生き物を敵とせず、植物本来の力で栽培する農法、
すなわち、“混植”や“不耕起”を説いたものです。
あるいは、絶対不可能を覆して、
リンゴの自然栽培を成功させた木村秋則さん、
共通するキーワードは「ミミズ」でしょう。
自然の循環が森と生きものを共生させ、
豊かな森を育んでいるのです。

要するに、
「いかに自然体でミミズを増やせるか」
ということが、
土壌を肥沃化する上で重要なことだと
私は考えています。



 やなせたかし作詞、いずみたく作曲の
 『手のひらに太陽を』
 には、
 「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、
 みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ」
 という歌詞がありますが、その通りですね。
 そういえば天地総子さんは最近テレビやラジオで
 見かけなくなったような気がしますが。



ツールド沖縄111113.JPG
 先週の13日(日曜)は
 「ツール・ド・おきなわ」という自転車競技レースがありました。
 そのため国頭村内の国道58号線や県道2号線、
 70号線は正午まで交通規制になりました。
 私が見た時は、すでにセミプロ級の選手たちが通過した後でした。
 沿道の大会関係者の話では、
 「1人が独走し、9分くらい離れて2位が1人、
 それからまた離れて集団が通過した。
 その後も10分以上離れている。
 今まではこんなことはなかった。」
 と言われていました。
 「ツール・ド・おきなわ」は
 UCI(国際自転車競技連合)のアジアツアークラス2にランクされる、
 国内最長の国際ロードレースで、
 海外招待選手や国際ライセンス所持の国内の強豪選手が出場する
 “チャンピオン”といわれるレースと、
 一般の方々が出場するレースと2つあるようで、
 ゼッケンの色がチャンピオンは青地、一般は黄色地でしたね。
 距離は210kmですが、起伏に富んだ山岳レースで、
 昨年は福島晋一さんという方が
 5時間30分43秒で優勝しています。
 これは平均時速38kmで、一見遅いように思えますが、
 故・足立弘志さんは生前、
 「時速100kmくらいで家の前の坂を下りていく」
 と言われていましたから、
 県道2号線の山越えが厳しいみたいですね。
 普通のスポーツ車で参加された一般の方は
 脱輪やチェーン切れなどもあるようです。
 箱根や日光のいろは坂のような急坂とは比較しにくいですが、
 東シナ海沿いの国道58号線は海抜1〜2mなのに、
 全長16kmの2号線のピークは300mくらいあり、
 カーブや起伏が多く、
 軽自動車のギアでもトップのままでは2号線を走りとおせないので、
 沖縄本島としては最も厳しい山岳道路ですから、
 ここを自転車で走るのは大変過酷なはずです。
 大会関係者の話では、
 「取材用のヘリコプターやマスコミの取材車も初期の頃はあったのに、
 最近は参加者も減少傾向で年々盛り下がっている」
 仲間のエース級の体力を温存させるためか、
 「前を走る仲間の自転車の後ろにつかまって
 ズルする選手もいる」
 と言っていましたね。
 もちろん日本人ではなく、韓国人でもないのですが。

posted by COFFEE CHERRY at 17:34| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月28日

主幹切り戻しのカットバック処理

海外のコーヒー生産地では、
「量産と品質管理」
といった、
「農業の工業化」
的な考え方で主導されています。

カットバックしたコーヒー111028-1.JPG

私はその逆で、
除草剤や農薬、化学肥料は一切使わない森林栽培で
「生産効率が落ちてもいいから、いかに木を元気に生育させられるか」
ということを考えています。
「木を元気に生育させてこそ、良い実を付ける」
と考えているからです。

そのために収量が落ちたり、生産効率が悪いなら、
「それを補うように数多く植えればいい」
という考え方なのです。

カットバックしたコーヒー111028-2.JPG

“恵み”をもたらす、命ある植物に敬意をはらっていることで、
雑木や下草を刈ることにも抵抗があるくらいですから
コーヒーの木を切るなんてことは、
私にとってはなかなか勇気が要ることなのです。

カットバックしたコーヒー111028-3.JPG

海外のコーヒー生産地では
「カットバック」
という手法がとられています。
これは
収量がピークを過ぎて古くなった樹の主幹を
 下部から思い切って切り、新しい枝(幹)を吹かせる再生方法」

で、
コーヒーだけでなく、ウンシュウミカンや栗など、
日本の果樹農家でも行われている手法です。

カットバックしたコーヒー111028-4.JPG

果樹の生育にともなって樹高も高くなると、
生産者の高齢化により、
 ・摘蕾(てきらい)
 ・収穫
 ・せん定

等の作業性や安全性が問われるようになり、
主幹をカットバックして低樹高化することで、
品質管理にも有効だという考え方ですが、
コーヒーの樹高を、収穫しやすいように
高さ約2mで主幹をピンチすることも、
日本の果樹農家は“カットバック”処理の中に
入れています。

カットバックしたコーヒー111028-5.JPG

海外では、カットバックする前に、
主幹を斜めに引っ張って、
主幹の横から新しい枝(幹)を吹かせる方法も
行っている地域があります。

カットバックしたコーヒー111028-6.JPG

コーヒー山では、3年前に苗木を植え付け始めた時に
鉢の中で、根がグルグル回ったような、
栽培地がなかなか見つからなかったことで
鉢を長く持ちすぎて、
根が苦しがっている苗木たちから最優先に植えていき、
広大な栽培地の開拓を優先したことで
また移植した苗木の、その後の大事な水やりも出来ずに放置したことで、
さらに、移植する鉢の中の土が、
本島南部のジャーカルというアルカリ土壌だった、とか
もろもろの悪条件を与えてしまい、
当初植えたコーヒー苗木たちには、
かなりのストレスをかけてしまったのです。
そのために、収穫前の苗木でも一部が枯れたことで
コーヒー自身が自然な形でカットバックを行って蘇生してきました。
枯れた部分が新芽の妨げにならないように
ノコギリでカットしたのですが、
このくらいのことでも、私にとってはなかなか勇気が要ることなのです。

カットバックしたコーヒー111028-7.JPG

苗木たちは
「まず根付くこと」
を最優先にしたことで
元気がなかった苗木は一部が枝葉を落としてしまい、
外見からすると枯れたように見えるのですが、
幹の周りをこすってみて、固く緑っぽいのは
根付いてきている証拠なので、
これは放置していても、そのうち新芽が出てくるのです。
コーヒーは弱いようですがけっこう丈夫な木です。

カットバックしたコーヒー111028-8.JPG

カットバックしたコーヒー111028-9.JPG

カットバックしたコーヒー111028-10.JPG

カットバックしたコーヒー111028-12.JPG


カットバックした苗木111028-11.JPG
 幹の中央あたりから新芽が出てきたのが見えますか?

自宅庭で再生111028.JPG
 コーヒー山に移植したものの、
 うまく根付かずに苦しんでいる苗木は、
 そのまま放置すると枯れてしまうので、
 地面から取り出して鉢に入れ直し、
 我が家の庭を再生工場にしています。
 移植した時から根が伸びずに
 すっぽりと抜けてしまう苗木もあります。
 工場といっても特別なことはしませんが。
 毎日見てあげられるし、水やりも出来るので
 ほとんどが復活してきます。
 それでもコーヒー山に戻すかどうかは思案中です。
 元気な苗木を移植した方が当然成長が早いので
 コーヒー山で順番を待っている苗木たちを優先しているからです。
 自宅に隣接するバナナ園などに植えてあげようかな。

posted by COFFEE CHERRY at 17:30| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

星の王子さまから学ぶ無念無想の境地

「星の王子さま」
というと、
三遊亭圓楽師匠が
生前、笑点で自身のキャッチフレーズに使われていたことが
想い出されますが、
今日はサン・テグジュペリの名作の方の話です。

著者のサン・テグジュペリは作家でありながら戦闘機のパイロットで、
祖国フランスがナチス・ドイツに講和したことに嫌気がさして
アメリカに亡命してしまうのですが、
第二次世界大戦の終戦3年前(1942年)に
クリスマス用の子供の絵本の創作を出版社から依頼されて、
それまで書きとめていた、
おとぎの国の王子たちの話をまとめた物語が
「星の王子さま」
です。

星の王子さま.JPG
 「TBS新訳・星の王子さま」で、全部読めますので、
 興味のある方はご覧ください。



「星の王子さま」は終戦2年前(1943年)に出版されるのですが、
彼は本がベストセラーになることを知らずに
1944年7月31日、彼は単独で北アフリカ方面の偵察飛行中に
地中海でドイツ空軍主力戦闘機メッサーシューミットに遭遇して撃墜され、
44歳で亡くなってしまいました。
 ・1944年6月6日ノルマンディー上陸
 ・1944年8月25日パリ解放

ですから、
ナチス・ドイツが連合軍の侵攻で劣勢になった時期でもあり、
残念なことです。

「星の王子さま」は、
飛行機が故障して砂漠に不時着した飛行士(ぼく、作者本人)と、
不思議な金髪の少年(王子さま)の出会いを綴った物語です。

王子さまの小さな星には、たった一本、薔薇が咲いていて、
王子さまとその薔薇は恋をしていたのに、
薔薇は我がままで高慢だったため、
二人の恋はうまくいかないまま、王子さまは自分の星を離れ、
旅に出てしまい、星を転々と渡り歩いて最後の星・地球にやってきて、
地球でいろいろな生物や人間に出会い、
王子様の星に戻っていく、というSTORYで、
素直で真摯に美しく、人生を深くみつめて生きる意味を問いかける、
子供より大人が読むべき哲学書です。

SMAPの
「世界に一つだけの花」
というヒット曲の歌詞は
「いくら他にたくさんのバラがあろうとも自分が美しいと思い、
精一杯世話をしたバラはやはりいとおしく、
自分にとっては一番のバラなのだ。
かけがえのない大切な人、大切なものには時間をかけること。」

という、
「星の王子さま」の小説の内容が元になっているようです。

なぜ「星の王子さま」を取り上げたのかというと、
王子さまがキツネに出会う21章の場面に深く感銘したからです。
21章を詳しく知りたい方は、下記のWEBをご覧ください。
これも「TBS新訳・星の王子さま」です。

コーヒー山111013.JPG
 今日は晴れのち曇り、夕方から恵みの雨
 今年は雨が多く、コーヒーたちは元気に生育しています。



21章では、キツネが王子さまと別れるときに
心で見ないと物事はよく見えないってことさ。
 肝心なことは目には見えないんだよ。』

というのですが、
私はもともと、特に植物に接するときの気持ちを重要視しています。
植物にも敬意をもって接するようにしています。
コーヒーの実を収穫しても
パーチメント豆は植えれば発芽する“生命”ですから
脱穀以降の工程は「酷」に感じるときもあるくらいなので、
「心で見る」
という部分には深く共鳴してしまうのです。


作家・評論家の宮崎正弘さんの
「国際ニュース・早読み」
というメルマガの
読者の声に対する宮崎先生のコメントに
「アラブのタッチウッド慣習」
という記述があり、
そこにはこんなことが書かれていました。
縁起の悪いことを見たり聞いたら
 木に触ると厄を回避できるという信仰」

がアラブにある、というのです。

京都の須賀神社の厄塚の柱を触ると
「厄払い」
になるといわれているようですし、
古来から
「木は精霊を宿す」
といわれて
樹木に宿る精霊を木霊(こだま)といい、
山に「ヤッホー」と大声をあげると
山びこで反響して声が還ってくるのは
「因果応報の教訓」
だけではなく、
木霊(こだま)の仕業、という迷信もあります。

また、沖縄県に伝承される木の精は
「キーヌシー」
といって、
妖怪・キジムナーはキーヌシーの一種だともいわれています。

また、山には神が宿るとされて、
古来から日本人は
山や海、川、森林、大木、石などの
自然そのものに神が宿るという自然崇拝・自然信仰の考え方があり、
沖縄の御嶽(うたき)はまさにその典型です。

私も意識はしていないものの、
周りからみれば自然崇拝派なのでしょうが、
実際にコーヒー山でも、邪心あふれる方は
次々に山に入れないような状況に陥っていますから
コーヒー山も、スピリチャルスポットといえそうなのです。

今日のテーマの
「無念無想(むねんむそう)」
というのは、
仏教では、
「無我の境地に入りすべての想念から離れること」
を意味し、
あらゆる雑念をはらい、すべての想念から離れ、心が透明になり無我、無心の
禅宗で行われる“坐禅(ざぜん)”の境地になることで、
老子の
「無為自然の瞑想」
も、これに近い意味があります。

「リンゴの奇跡」
というと、
青森県の木村秋則さんが、
堅忍不抜(けんにんふばつ)の末に
絶対不可能といわれたリンゴの自然栽培を成し遂げた
立派な方ですが、
今回名護市図書館からお借りした本、
「ニンジンの奇跡(赤峰勝人・著)」
でも、
私にとっては実に興味深い記事を発見しました。

著作権に触れたら、以下の転用は削除することにして
興味深い部分をそのまま書き写しましたので
まずはご覧ください。

ニンジンの奇跡.JPG

第五章 循環の中に生かされる
種を撒くときは心穏やかに
 植物は本当に繊細です。
 私たちの心を
見透かしているのではないかと思うときさえあります。
 種を撒くときも、その種に気持ちを集中していないと、
 見事に発芽しなくなります。
 ましてや怒りをもって撒くと、種が死んでしまいます。
 うそだと思うでしょうが、何度も経験しましたし、
 そういう例を嫌というほど目撃しています。
 あるとき、かつて学校の教師だったという人が畑を手伝いに来ました。
 とてもプライドの高い人で、何かのことでカッとなったのでしょう。
 一緒に畑でキュウリの種を撒いていたのですが、
 突然、怒って口をきかなくなりました。
 振り返って顔を見ると、真っ青な顔をして、かなり怒っている表情でした。
 「ははぁ」と思って、彼女が撒いたところに、
 あとで印をつけておいたのです。
 キュウリは四、五日で発芽するので、四日経って畑に行ってみると、
 案の定、印がついているところだけ、
 まったくキュウリが生えていませんでした。
 「種を撒いている途中に、あんた怒ったやろ。だから、ここから生えんやったんよ」
 と言いましたが、プライドの高い人だったので、納得がいかないようでした。
 とにかく怒りの心で種を撒くと、種は発芽しません。
 …


著者の赤峰勝人さんは、
大分県臼杵(うすぎ)市で
無農薬、無化学肥料の循環農法で野菜を育て
問答塾、百姓塾、なずなの会を組織されている
生産者です。

私は新聞やNHK、本などは
今まで誤っているところが多々あるし、
変に洗脳しようと感じるので、
基本的に全部は鵜呑みにしないことにしてします。
前述の記事も、
単純に「面白い」とか「興味深い」というだけではなくて、
私自身もそういう経験というか、
似たような経験がけっこうあって、
この記述を見て
「なるほど、やはりそういうことだったのか」
と“ガッテン”したわけです。

キツネが王子さまにアドバイスしたように
「心で見る」
なら、
私はなおさら
「コーヒーの立場」
で考えてあげなければいけないことに
改めて気づきました。

夏目漱石が英国留学から帰国し、
本郷区駒込千駄木町(現・文京区向丘)の借家で書き上げた、
 吾輩(わがはい)は猫である。
 名前はまだない。
 どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
 何でも薄暗いじめじめした所で
 ニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
 吾輩はここで始めて人間というものを見た。
 しかもあとで聞くとそれは書生という
 人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。
 この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。
 しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。
 …

で始まる「吾輩は猫である」でも、
「猫の立場」
から見ていますよね。

生まれて間もなく捨てられて名前もないくせに
エラソーに自分のことを吾輩という猫が、
苦沙弥(くしゃみ)先生の家に転がり込んでくる。
人間は不徳なものだと車屋の”黒”から教えられた吾輩は、
人間ウォッチングを鋭く行う。
苦沙弥先生の門下生・寒月、美学者の迷亭、
詩人の東風などがやって来ては太平楽や俗世間に対する攻撃などを並べて語り、
さまざまな人間模様が垣間見える。
というSTORYです。

明日からなお一層
「コーヒーの立場」
に立って作業をしないといけません。
posted by COFFEE CHERRY at 21:14| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月03日

今日は恵みの雨で「陰雨者時之餘」

倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。
旧百余国、漢時有朝見者、今使訳所通三十国。
従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、
乍南乍東、到其北岸狗邪韓国、七千余里

自郡至女王国万二千余里


倭人は帯方(たいほう、現在のソウル付近)東南大海の中にあり、
山島に依りて国邑(こくゆう、集落の中心)をなす。
旧百余国。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十国。
郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓国を歴(へ)て、
乍(しばらく)南し乍(しばらく)東し、
その北岸、狗邪韓(くやかん)国に到る、七千余里。

郡より女王国に至る万二千余里。


というのは、
その考証解読のしかたにより
新井白石の大和(幾内)説や本居宣長の九州説
あるいは木村正昭先生の沖縄説まで入り乱れて
場外乱闘さながらの論争が幾百年繰り広げられながら
真相はまだまだ藪の中のようです。

この書き出しは
「魏志倭人伝」
とされていますが
『魏志倭人伝』
という書物はありません。

邪馬台国は沖縄だった111003.JPG
 木村正昭先生の本。なかなか興味深く
 何度も図書館で借りて読みました。


三世紀後半に晋(しん)朝の修史官・陳寿(ちんじゅ)によって
編集されたといわれる「魏・呉・蜀」の歴史を扱った
あまりにも有名な“三国志”の中に
魏から見た、廻りの諸国について書かれている
「東夷伝(とういでん)」
が魏書にあり、
この中に高句麗(こうくり),馬韓(ばかん),弁韓(べんかん),
辰韓(しんかん)等の諸部族について記した部分があって,
その列伝の最後に、ようやく「倭」について記述した部分が登場し、
この部分が「魏志倭人伝」とよばれているのです。

魏が、ことさら“倭”だけを取り上げて書き記したわけではなく,
東アジア全体の様子を書き残したついでに,
よくわからない倭の事も書き加えた、
という程度なのですが
約二千の漢字で記された、他の東夷の国々のことより
記述が長いわりに抽象的な内容になっていることで、
その考証解釈が難解になっているわけです。

森の卵・比嘉さんのハーブ園111003-1.JPG
 8月上旬に沖縄に大きな被災をもたらした台風9号の前日に、
 東村の比嘉利正さんのハーブ園に伺った時の画像。
 枝葉が茂っています。


もう20年くらい前になりますが、
TBSのテレビ番組『ギミア・ぶれいく』で、
糸井重里氏や石坂浩二を中心としたプロジェクトチームが結成され
壮大な徳川埋蔵金発掘が行われました。
覚えている方も多いはずです。
古文書や金属探知機、風水、スピリチュアルまで動員して
地下数十メートルまで巨大な穴を重機で掘りながら、
廃材や坑道跡とかは見つかるものの、
肝心の金銀財宝は最後まで見つからず、
「ここじゃなかったのかも…」
という落胆させる結論が最終回でしたね。

番組では
幕末の大政奉還当時勘定奉行だった小栗忠順が
「赤城山に埋めた」
と決めつけたのですが、
明治時代から3代にわたって財宝発掘に挑戦している方が
小さい東照権現像とか銅板を発見しているとか
古文書を歴史学者が解読したり
怪しげな霊能者たちが祈禱(きとう)してみたり
あげくには
「利根川をさかのぼる船から、何かを赤城山中へ運び込むのを見た」
というような昔の伝承まで引っ張り出してきて
重機であちこちダイナミックに掘り進めて、
ついには巨大な穴を掘っただけで、
重機操作の会社だけが大儲けしたような印象でしたが
インパクトがある企画でした。

銀行が無い昔は、財宝はどこかに隠すしかないのですが、
後の子孫以外に発見されないように隠すのですから
証拠も根拠も論拠があるはずがなく、
偽証やウワサ、ウソの古文書など
推定の域を出ないのですから、
冷静に考えれば見つかるわけないのです。
といいながら、私も最後まで番組を観ていたのですが。

この番組で言ったのかどうか忘れましたが
童謡「かごめかごめ」の歌詞は
「囲め囲め、囲った中の鳥居はいついつ出やる…」
というような、
どこかの神社の中というようなニュアンスで
埋蔵金の在り処を示しているサイン、という説もあるようですから
どじょう政権も増税やムダな朝霞・国家公務員宿舎建設を避けて
税外収入の一環として
徳川埋蔵金発掘に挑戦してみてもいいかもしれません。

森の卵・比嘉さんのハーブ園111003-2.JPG
 先週末に東村の比嘉利正さんのハーブ園に伺った時の画像。
 覆っていた枝葉が台風で飛ばされ、新しい葉が出始めています。
 さながら床屋さんに行ってスッキリしたような感じですね。
 コーヒー山もこれと同様の現象ですが、
 猛烈な台風の被災もなく木々が残っているのは奇跡的なのです。
 これは比嘉さんのハーブ園が、開拓時に周りよりも一段低くしてあり
 防風対策がしてあるからです。



脱線が長くなりましたが、
中国の二十四史の1つ「三国志」の魏書の中に
「王粛伝(おうしゅくでん)」
という魏の儒学者・王粛伝(おうしゅく)の言葉が記されています。

魏略曰、云々、人有從學者、遇不肯ヘ而云、
必當先讀百遍、言讀書百遍而義自見、
從學者云、苦渇無日、遇言、當以三餘、
或問三餘之意、
遇言、冬者歳之餘、夜者日之餘、陰雨時者之餘也
 

魏略に曰く、云々、人に從學者の有り、
遇のヘ(おし)へ肯(がえん)ず而(しか)して云わく、
必らず先(ま)ず讀(よ)むこと百遍を當(あ)たるなり、
讀書百遍而(しか)して義を自ら見ると言う、
從學者の云わく、渇く日の無くして苦なりと、
遇の言わく、三餘(さんよ、三余)を以って當(あ)たるべし、
或るもの三餘之意を問ふ、
遇の言わく、冬は歳之餘、夜は日之餘、陰雨の時は之の餘也



森の卵・比嘉さんのハーブ園111003-3.JPG
 東村の「森のハーブガーデン 森のたまご屋さん」の卵は  
 沖縄一、日本一というより世界一の卵です。
 EMとか木酢とかを配合飼料に微量混ぜたくらいで
 “こだわり”と称するゴマカシ卵の次元とはかけ離れた、
 比嘉利正さんが自身で納得するまで突き詰めた独自の
 安全な薬草やサプリメントで育てた究極の卵です。
 田園調布で1個150円の卵が売られていることを
 初めて知った時は驚きましたが、
 比嘉さんの卵はこの種の卵と比較するべきではありません。
 ウソだと思ったら、試しに食べてみたら判りますよ。
 特に卵かけご飯にすれば。
 発送可能な箱や運送会社が最近決まったようで
 本土からの受注も可能になりましたが、
 注残が数百箱あるそうで、なかなか入手困難でもあります。
 
 画像はシークワーサーです。
 比嘉利正さんの理念は
 「自然の森林をイメージして、そこで安全な飼育と栽培をする」
 ところにあり私の理念と重なる部分が多いのですが、
 ハーブ園での栽培でも、安全な鶏糞がないので、
 「それなら自分で安全な鶏糞を作りだそう」
 ということで、安全なエサ作りと飼育方法で行った
 卵や鶏糞ですから、もう他の類似品とは違うのです。




「魏・呉・蜀」三国時代の魏の国の董遇(とうぐう)という、
たいへんな勉強家がいて、多くの弟子が彼のもとに集いました。
彼は弟子に学問を教える時は
文書の読み方を教えるだけで、解読解説はせず
弟子に何度も何度も繰り返し本を読ませました。

彼は
「読書百遍自(おの)ずから通ず」
と言い、
「何度も反復して内容を音読することによって
 書物が表したい意味を、自然に自分の中で消化することができる」

と考えていたのです。

たしかに、私も受験生の頃や中間・期末テストの前に
徹夜で丸暗記した知識は、テスト終了とともに、
いつしか右から左式に忘れてしまいましたが、
その後コーヒー栽培に取り組むうちに
不勉強が思い知らされて、多くの本を読むようになりました。
何度も何度も読むうちに、徐々に核心に触れる部分が
知識として判りかけてくるような気がしますし、
自ら考えて理解できた知識は忘れにくいし、
さらにもっと知りたくなってくるものです。

董遇はまた学問をするにあたって
「“三余”を利用すべし」
と主張しました。

「冬者歳之余、夜者日之余、陰雨者時之余」
の三つの“余”です。

つまり
 ・冬者歳之余
  冬の時期の、天も震え地も凍るような天候の時には、
  外では何もできないので時間が余る

 ・夜者日之余
  夜は暗くて何かしようとしてもできないことが多いが、
  ほとんどの人々は家で休んだり寝たりしている

 ・陰雨者時之余
  雨が降ったり、天候が悪いときは、
  活動が不便でただ家で暇をもてあましている

ということで、
董遇は
「やる気があれば時間はいくらでも見つけることが出来る。
 農作業(仕事)の出来ない冬(歳の余)と夜(日の余)と
 雨(時の余)の“三余”を利用して
 学問に費やし、かつ何度も繰り返して本を読み込めば
 必ずその成果が出てくる」

といっているのです。

沖縄農業は夏野菜やハウスの果樹などを除くと、
10〜5月がメインですから、
沖縄の冬は
「農作業をむしろしないといけない季節」
なので、
沖縄では“夜”と“雨”の「二余」を有効利用しないといけないのです。


国頭村伊江付近の海岸111003.JPG
 サスペンスドラマの約束ごとといえば「海辺の崖」で、
 主人公と犯人、有力な登場人物が人為的に崖に配置されて
 主役が犯人を説得し、犯人がとうとうとすべてを告白するまで、
 周りは立ちすくして自供を聞き、やがて警察が到着するのが
 お決まりのパターンですが、
 国頭村の東海岸でも風光明媚な崖があちこちにあります。
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2011年10月02日

コーヒーの希少種のタネ植えと育苗に炭粉を活用

童話「はなさかじいさん」は日本人であれば誰でも知っているはずですが、
私も人やモノの名前がすぐに思い出せなくなりつつあり
あらすじも断片的にしか思い出せなくなりました。

自信はないのですが、おそらくあらすじは、
たしかこんな感じだったと思います。
 ・親切でやさしいおじいさんの家の隣に意地悪じいさんが住んでいた
  (正直じいさんだったかな、童謡が正直じいさんだったような…)
 ・やさしいおじいさんは犬を飼っていた
 ・その犬は裏の畑で「ここ掘れ、ワンワン」と鳴き、
  やさしいおじいさんがそこを掘ったところ、大判小判がザクザク出てきた
 ・その話を聞いた隣の意地悪なおじいさんは、その犬を借りて、
  自分の家の裏畑に連れていき、犬に「さあ、鳴け」とけしかけ、
  しぶしぶ犬が鳴いた場所を掘るとガラクタがたくさん出てきて、
  怒った意地悪じいさんは、犬を殺してやさしいおじいさんに遺体を返す
 ・やさしいおじいさんは落胆し、犬を埋めて墓(or塚)をつくり、
  その上に1本の木を植える
 ・その木は一晩で(or数日で)大木となり、
  やさしいおじいさんはその木を切って臼(うす)を作り、お餅をつく
 ・するとお餅をつくたびに、また大判小判がザクザクこぼれ出てきた
 ・それを知った意地悪じいさんは、その臼をかりて、自分もお餅をつくが、
  お餅をつくたびにガラクタがザクザク出てきたので、
  またまた怒った意地悪じいさんは臼を焼いてしまう
 ・やさしいおじいさんは灰となった臼を持ち帰り、その灰を冬の枯れた木に撒く
  (冬じゃなくて春だったかも)
 ・すると、桜や梅の花があたり一面に咲いた
 ・そこにちょうど殿様が通りかかり、殿様はあまりの不思議さと見事さを喜び、
  やさしいおじいさんにたくさんの褒美をあげた
 ・それを見ていた隣の意地悪じいさんは、自分も殿様から褒美をもらおうと画策し、
  殿様の行列を待ち構えて、やさしいおじいさんが残した灰を枯れ木に撒いた
 ・しかし枯れ木に花は咲かないどころか、
  撒いた灰がお殿さまの目に入るアクシデントに
 ・怒った殿様は意地悪じいさんを牢屋に入れてしまう

というような話だったでしょうか、
おばあさんも登場していたかもしれませんが、まあいいや。

ストーリーとしては
「情けは人のためならず」
ということの教えだったと思いますが、
花咲かじいさんが
「枯れ木に花を咲かせましょう」
と言いながら灰を撒き、
枯れ木に美しい花を咲かせた
というのは、
単に
「童話の話でしょ?」
とは言い切れず、一理あるのです。

草や枝木、木材など植物を燃やした灰は
「「草木灰(そうもくばい)」
といわれていて
 ・カリウム
 ・カルシウム
 ・マグネシウム
 ・マンガン
 ・ケイ素
 ・鉄
 ・ゲルマニウム

など、
肥料成分が含まれています。
(窒素は0%)

カリウムのほとんどが水溶性なので
土と混ぜると比較的植物に早く吸収されるといわれていますし、
木材を多く含む灰はアルカリ性が強くなり、
微々たるものでしょうが土壌改良という期待も出来るかもしれません。

枯れた木を生き返らせることは不可能にしても
元気がない木であれば、
植物の灰をかけることによって
復活して花を咲かせることも有り得るかもしれませんから、
「枯れ木に花を咲かせましょう」
というのは、
理にかなっていると思うのです。

なぜ花咲かじいさんかというと、
先日希少なコーヒーのタネを頂いて、
タネ植えを行っていますが、
「灰もいいけど、炭粉を表土に撒きたい」
と以前から思っていたからです。

今回、希少なタネを頂いたことで
炭粉をどうしても入手したくなったのです。

土のう袋111002.JPG
 炭焼きの方から直接買った炭粉。
 土のう袋にパンパンに詰まって1袋800円。
 重量は30kgはありそうで重いです。
 やんばるの伐採した木ということですから
 スダジイが中心なのだと思います。


もちろん、
「灰と炭は字は似ているものの作り方や性質が少し違う」
ということは何となく理解しているつもりですが、
コーヒー山やタネ植えでは
「草木灰よりも炭の方が効果が長続きするかも」
という単純な動機で、
草木灰よりも炭の方に興味がありました。

実際には、炭の効果というのは農業の世界でも
厳密には明らかになってはいないのですが、
「炭を撒いた方が良い」
ということは昔から経験的に知られています。

開封111002.JPG
 炭を入れた土のう袋を触るとゴツゴツしていたので
 A品以外の不良の炭や割れた炭、掃き集めた炭のmixで
 完全な「パウダー状の炭粉じゃないな」と思っていましたが、
 開封してみると厚さ数ミリの板きれ状の炭が入っていました。


炭のメリットは
 @保水効果
 ・炭はたくさんの細孔に水分を蓄え土の保水力をUP
  炭の表面積は1g当たり200〜400uあるといわれています
 ・水やりの手間を省き、干ばつに効果
 A有用微生物に住みかを提供する
 ・有機物を分解する有用微生物や、不溶性のリンを溶かし出して、
  植物の根に供給してくれるVA菌根菌などの住みかになる
 B肥料の保持、ミネラルの供給
 ・過剰な肥料を保持して雨水などでの流忘を防ぎ、利用率を高める
 ・炭化したことでミネラル分も溶解して植物に効果がある
 C通気性を高める
 ・炭の細孔には空気(酸素)も豊富にあり、微生物や植物の根の酸欠を防ぐ
 D遮光
 ・光をさえぎり、また冬場はマルチのように表土に撒けば、
  太陽光を吸収して遠赤外線を出して、地温上昇に役立つ可能性もある

といった一般的な「炭の効用」は
いろいろな本にも載っていますが
「貝殻を粉砕して焼き、炭にして使う」
という方法もあるようです。
貝殻はカルシウムやホウ素、ミネラルを含んでいますが、
雨水での溶解量は微々たるものなので、
貝殻をクラッシュして焼いて炭にして
貝殻焼性カルシウム、つまり
「水溶性ミネラル資材」
として植物に与える、というのですが、
ここまでは私は出来ない、というかする必要性がありません。
これなら海岸のコーラルを、塩分は無視して
花咲かじいさんのようにバラ撒いた方が簡単で楽ちんですからね。

炭を出す111002.JPG
 板チョコをスライスしたような炭を板の上に出しました。
 このままでは使いにくいので、粉砕しなければいけません。


また、東海大学では、
光線や電磁波などの波動を、
炭が音波や超音波に変換して発すると、
その音波を好む細菌が増殖し、
それらが他の細菌に影響して別の菌も増殖し、
「炭があることで微生物が活性化し、増殖する」
という研究が行われているようで、
この研究論文も見てみたいものです。

自然界で音波や超音波を出すのは炭だけでなく
河川や海辺の黒っぽい砂でも出しているし、
炭になっていない樹木や切り出した材木でも
植物の種類によって様々な音を出しているらしく
山川草木、渓声山色のほとんどすべてが
光やその他の電磁波を、音波や超音波に変換して
生きている細胞に働きかけ活性化を促す、
という研究論文があるようですから、
私には清々しいフィトンチッドの香りしか判りませんが
森林はさながら交響楽団るんるんのようなものなのかもしれませんね。

U字溝で粉砕111002.JPG
 自宅周辺には掘り起こしたU字溝があちこちに置いてあり、
 「おそらく、もう誰も使わないんだろうな」
 と独断で判断して、1個無断拝借してきました。
 基礎部分にブロックを置いて、その上にU字溝を置きました。
 上下反対と思われるかもしれませんが、
 逆U字にすると、小槌(こづち)で炭を叩いた時に
 炭が飛んで行ってしまうために、この置き方にしました。


松尾芭蕉が元禄2年(1689年)5月27日(旧暦なので、新暦に直すと7月13日)に、
の立石寺に参詣した際に詠んだ俳句
「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉(せみ)の声」

「奥の細道」に収録されている、あまりにも有名な俳句ですが
コーヒー山では、これを少し変えて
「閑(しずか)さや フィトンチッドと 炭の声」
としたいところです。

ふるいにかける111002.JPG
 一輪車に土を載せておき、
 小槌(こづち)で叩いた炭を網にかけて
 ふるいにかけて細かくなった炭が土に落ちる仕組みですが、
 我ながら、なかなか原始的でアナログな作業です。


posted by COFFEE CHERRY at 17:44| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

雨水止めと穴掘りの作業

コーヒー山はスダジイなどの中高木の枝葉が森林を覆い、
地面の乾燥を防いでくれているのですが、
水道はもちろん、井戸もありませんから、
大きな黒バケツを山のあちこちに配置して
雨水を溜めこんでいます。

せっかく貴重な雨が降っても、
水は高いところから低いところに流れてしまいますから
地形的に傾斜地の山では
養分を含んだ貴重な水が道路まで流れ出てしまうのを
指をくわえて見ているだけでは忍びがたく
「棚田」をイメージして、
丸太などの廃材を雨水止めに置いて
雨水を止め、腐葉土をかけて保水させるような取り組みを行っています。

雨水止め111001.JPG
 コーヒー山の南西側の重機の道沿いです。
 画像右が山頂で左が斜面で下がっています。
 この傾斜地を分割して、
 ここよりさらに南側ではムンド・ノーボ、
 その手前がブルボンアマレロと苗木を植えていて
 この左側はハワイコナのモッカ種を植える予定です。
 雨水がダーダカ流れないように、
 画像のように廃材で雨水を“通せんぼ”をするわけです。
 これを斜面に何段階もすることによって
 少しでも雨水の流出を防ぎたいと考えています。
 特に谷のように雨水流出が集中する場所から優先して行っています。
 古代中国の春秋時代の斉(せい)の宰相・管中(かんちゅう)は
 「善く国を治める者は、必ずまず水を治める」
 といわれたそうですが、
 コーヒー山では、うまく水が治まるでしょうか。
 穴掘り画像はマンネリで珍しくないので今日はカット。


シンジュサンの繭111001.JPG
 先日の夜に自宅で出会ったシンジュサン(神樹蚕)ですが、  
 どうやらその繭(まゆ)らしいのを
 今日の作業中にクヌギの木の下で見つけました。
 作業中なので、あいにくスケールを持っていませんでしたが、
 大きさは親指大です。
 すでに中の住人は外に出て行ったようですね。
posted by COFFEE CHERRY at 23:04| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月30日

リベリカとロブスタの実の外見の違い

リベリカとロブスタの実の比較110927.JPG
 左の梅干しのタネのようなのが「リベリカ」で
 右のヤギとかウサギのフンのような丸大豆状のが「ロブスタ」です。
 最初ロブスタの実を見ていて
 「実の中央に桃のような縫合線(割れ目)があるのがロブスタ」
 と仮説をたてたら、
 リベリカにも縫合線はありましたね…。もうやだ〜(悲しい顔)
 外見では左のロブスタは原種に近いはずですから
 アラビカの果肉よりかなり肉厚で木の実のように見え、
 右のロブスタとは明らかな違いがあります。
 ロブスタは英語のrobust(強健な)が語源といわれているように
 その特長は「病害虫に強く耐候姓があり収穫量が多い」といわれていて、
 また約3年で開花するように成長が早いとか
 海抜500m以下の低地でも栽培可能といわれています。
 もっとも「標高差=温度差」論については
 「海抜500m」とかはそれほど重要な要素ではないと思っていますが、
 ロブスタは沖縄の土壌や気候環境に合いそうな気がして
 来春の発芽や、それ以降の生育に期待しています。
 リベリカ種はかなりの希少種ということは知られています。
 「病害虫に弱い」ために生産量が少ないのか
 個性やクセが強い「味」で人気がないのか
 収量が少ないので採算ベースに乗らないのか、
 何がホントなのか判りませんが、
 私は原種に近い分「意外と沖縄には向いているかもしれない」とも
 思っています。
 画像には写っていない超レアなエクセルサの焙煎豆は
 ファミレスの出がらしコーヒーから苦さを取り除いて、
 漢方薬を加えたような中華風珈琲のような味がしたのですが
 私の舌がおかしいのでしょう。



国頭村奥110929.JPG
 昨日、国頭村の奥郵便局に行きました。
 画像右側が本島最北端の、その郵便局です。
 画像は北に向かって撮影しました。


国頭村伊江110929.JPG
 太平洋側の県道70号線は風光明美な道路です。
 行きかう車も少なくてお奨めしたいドライブコースです。
 画像上部の水平線に見える平坦な島は与論島です。
 肉眼ではっきり見えるように国頭村の辺土(へど)岬からは
 約22kmしか離れていないのですが
 与論島以北は鹿児島県なのです。


国頭村楚洲110929.JPG
 固有種が多いやんばるでも
 なぜかヤンバルクイナだけは別格な過保護扱いですが、
 我が家周辺にはウジャウジャ生息しています。
 明け方前から深夜1時過ぎまで続く
 彼らの運動会のような鳴き声で
 「終日喧騒なり」という生活になっています。
 我が家の外水道では大きくて生意気なオスが
 明け方に水浴びをしに来るのですが
 逃げ足は速くなかなか撮影させません。
 

posted by COFFEE CHERRY at 19:18| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月26日

希少種のタネ植え作業を行いました

昨日、フィリピンの遠藤さんから頂いた
希少なリベリカ種とエクセルサ種、
それにロブスターのタネ植え作業を行いました。

発芽はおそらく来春だと思います。

昨日のうちに、
3品種とも水を浸したバケツに実を投入しておいたことで
乾燥した外皮もふやけて、だいぶむきやすくなりました。

タネの選別110926.JPG
 エクセルサ種とリベリカ種は混合されていたので、
 遠藤さんにエクセルサ種の特長をお聞きして
 まず実で判断できる場合はその時点で選別し、
 不明の場合は、画像右上のように
 網の上において見て判断して選別しました。
 どちらともいえないタネは、そのままタネ植えしてしまい、
 「発芽以降、どこかで判った時点で選別しよう」
 ということにしました。
 画像右上の網は防風ネットで、枠はコタツの脚部分です。
 パーチメント豆や生豆の天日乾燥では
 下からも風が通るので、充分満足出来る乾燥が可能です。


エクセルサとリベリカ110926.JPG
 画像左がリベリカ種、右がエクセルサ種のはずです。
 アラビカ種の実とはずいぶん違いがあり興味深いです。


ロブスタ種110926.JPG
 ロブスタ特有の丸い実です。
 昨夜から水に浸していたので、
 ザルに入れたところです。


ロブスタ種のパーチメント豆110926.JPG
 ロブスタ特有の丸い豆です。
 パーチメントが付いた状態ですから
 タネ植えすると発芽し、いずれ実をつける命の源で
 1粒1粒が愛おしく尊く、見入ってしまいます。


豆の比較110926.JPG
 画像左側がロブスタ、中央がエクセルサ、左がリベリカです。
 それぞれ特長的ですよね。


ロブスタのタネ植え110926.JPG
 コーヒー山だと水やりやセキュリティの関係もあり
 自宅近くでタネ植えを行いました。
 画像中央のヤギのフンに見えるのはロブスタの実です。
 水に漬けてふやけたものは実をつぶしてタネを取りだしましたが
 固くてつぶせない実は、手抜きをして
 そのままタネ植えすることにしました。


万能土110926.JPG
 やんばるは「国頭(くにがみ)マージ」という酸性の赤土です。
 島尻のジャ−カルというアルカリ土壌は肥沃ですが、
 国頭マージは栄養分が少ないので、
 自然栽培では腐葉土を敷き詰めますが、
 カカオのタネ植えでヤンバルクイナに
 タネを食べられた悪しき事例があり、
 我が家の周りはヤンバルクイナだらけなので、
 まさかコーヒーのタネは食べないだろうと思いますが
 今回は慎重を期して腐葉土を敷くには止め、
 万能土を表土にまぶしました。
 この土は1体140円前後ですが、タネ植え時にはかなり良いです。


エクセルサのタネ植え110926.JPG
 100均で買ったプランターでエクセルサの第1次タネ植えを行いました。
 明日炭粉を買って国頭マージに混ぜて第2次を行う予定ですが、
 今日だけで約1500個くらいエクセルサのタネを撒いたはずです。
 表土に万能土をまぶし、その上に100均で買った
 緑のネットを念のためにかけました。
 もちろんヤンバルクイナから守るためです。
 タネ植え作業中にもかなり近くから
 ヤンバルクイナの鳴き声がしていますから、
 私の作業の様子を伺っているのかもしれません。
 「私の庭で何を勝手なことをしているんだろう」
 と思われているのかもしれません。

posted by COFFEE CHERRY at 18:57| 沖縄 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月25日

幻のエクセルサとリベリカのタネが到着、早速タネ植えを!

フィリピンに移住されている遠藤さんのご好意に甘えて
エクセルサやリベリカ、ロブスタのタネや
それぞれの焙煎豆を先週送って頂いていましたが
今日無事に我が家に届きました。

エクセルサとリベリカのタネ110925.JPG
 コーヒーの3大品種というと、ご存知のように
 「アラビカ・ロブスタ・リベリカ」で、
 リベリカ種は生産量がかなり少なく
 日本にはほとんど入って来ません。
 エクセルサ種なんて3大品種にも入っていないので
 さらに希少種になります。
 希少品種のエクセルサやリベリカが
 何とか沖縄の土壌や気候風土に合っていればいいのですが。
 「エクセルサは先が尖っていて少し小さい」
 と言われたのですが、私には見分けが難しいので
 2品種混合の状態でタネ植えすることにします。
 はっきり区別がついたタネにはプレート表示をしておけば、
 発芽すればいずれ違いはわかってくるでしょう。


ロブスタのタネ110925.JPG
 ロブスタのタネです。
 タネというより“実”を乾燥させた状態ですね。
 この丸い実の中に、落花生状にタネが2つ入っているわけです。
 意外とロブスタは沖縄に合うかもしれませんね。
 これもタネ植えを開始します。
 発芽は来春になるかもしれません。


希少品種の焙煎豆110925.JPG
 今回お送り頂いたのは、希少品種のタネだけではなく
 それらの焙煎豆も頂きましたので、
 それぞれがどんな味がするのか試飲も出来ることになりました。
 画像左がバラコ100%(=リベリカ種)、
 画像右がエクセルサです。


エクセルサとロブスタのブレンド110925.JPG
 エクセルサ60%とロブスタ40%のブレンドです。
 日本人でも飲んだことある人はかなり少ないはずですから
 これを飲めるなんてドキドキしてしまいますね。


私は、
「飲んで美味しいか美味しくないか」
ということよりも、
「沖縄の土壌や気候風土に合うコーヒー品種は何か?」
というテーマで、
現在いろいろな品種のタネ植えを行っていて、
さらにもっともっと多くの品種で栽培テストを行うつもりですが、
他の農園には入手が困難な希少種のタネ植えを
早々と行えることになり、嬉しく思っています。
遠藤さんありがとうございました!

posted by COFFEE CHERRY at 14:47| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月21日

沖縄産コーヒー栽培は「ヤンバルの森林が最適」と改めて考え直す

沖縄は亜熱帯気候なので、
温帯や熱帯の植物は、基本的に栽培可能な地域ですから
コーヒーやカカオの栽培は地植え栽培でも当然可能なのです。

実際に県内のあちこちでも、
零細ですがコーヒー栽培をされている方々が徐々に増えつつあり
仲間が増えて喜ばしいことです。

コーヒーの木が地植えで栽培出来るなら、
コーヒー好きの方なら
「自分の家の庭や畑で栽培したコーヒーを飲んでみたい」
と思うのは当然のことですが、
県内でコーヒー栽培が今いちマイナーなのは、
 ・タネや苗木が容易に手に入らない
 ・コーヒーの特性や栽培方法がよくわからない
 ・順調に生育して実が付いたとしても、その後の加工方法がよくわからない

こともあるでしょうが、
「台風や強風に弱い」
ことや、
何より
『収穫出来るまで何年もかかる』
ことが最大のネックになっているようです。

まさに
「桃栗3年、柿8年」
それだけの年月をかけないと、ちゃんと実を付けてくれない、
ということですが、
「それまでの時間を丹誠込めて育成しなさい」
といった、
ジックリ待てない人には不向きな果樹でもあるのです。

バナナ園110820-1.JPG
 昨日20日(土曜)は、自宅に隣接する約300坪のバナナ園で
 草刈りとハイビスカスの苗木の植え付けを行いました。
 「バナナが見える暮らし」は私は大好きで、
 台所や居間、寝室からもバナナが見えるように
 庭にもいろいろな品種を植えています。


一般の樹木のように、
・ 接(つぎ)木
・ 取り木
・ 挿(さ)し木

という増殖法は、
なぜかコーヒーは極めて難しく、
(というより手間がかかる、という方が正確かも)
3大コーヒー研究所といわれる
 ・ブラジル
 ・コロンビア
 ・エルサルバドル

がある地域のコーヒー農園でも、
それらが行われていることを聞かないところをみると
増殖効率が悪い果樹でもあるのです。
実際に私も何度も挑戦しましたが、
100回試して数本成功するかどうか、という程度でした。
そうなると、時間がかかってもタネ植えに頼るしかないので
コーヒー栽培はどうしても敬遠されてしまうのでしょう。

バナナ園110820-2.JPG
 バナナ園の標高は約80〜100mあり、海も見えます。
 海までの直線距離は約1kmなので、台風時は
 潮が吹きあがり、白いしぶきが横なぐりに吹きつけます。
 バナナ園には防風林がないために、
 山城武徳先生の、7m置きにハイビスカス柵を設けた方式をするために
 まず草刈りをして、ハイビスカス(アカバナー)の根付き苗木を移植しました。
 引越し前の南部のテスト圃場では、ハイビスカスは枝を地面に刺す
 挿し木をしましたが、今回は根付きだし、樹高も背丈くらいあるので
 早目に防風柵は出来るはずです。
 今回はハイビスカスは剪定しながら堅固に作っていきたいです。


ちなみに、
もう28年前の映画ですが
原田知世主演映画『時をかける少女』のセリフに、
「桃栗3年柿8年、柚子(ゆず)は9年でなり下がり、梨のバカめは18年」
というのがありました。
「桃栗3年柿8年」の後は、
梅やリンゴ、銀杏(ぎんなん)が出てきたり
あるいは年数も地域によって違ったりします。
私の故郷(三重県)では
「梅ゆうゆうと13年」
といわれていました。
沖縄ではリンゴやイチョウは育てにくいですから、
熱帯果樹の沖縄バージョンがあってもいいはずですよね。

コーヒーノキ110820.JPG
 バナナ園には2本のコーヒーが生育中です。
 バナナ園の端にあり、周囲を木に囲まれているために、
 木漏れ日が入る木陰の環境で、台風の被災もなく、
 まったく順調に生育しています。
 来年には開花してくれるんじゃないかな。


「沖縄ではコーヒーの栽培方法が統一されていない」
という方がいますが、
これは当たり前の話です。
県の農業試験場だって真剣に栽培テストもしてくれない現状では
個々の零細生産者は、それぞれ支援もなく孤立無援の中で
試行錯誤しながら独自の栽培方法に挑戦するしかないので、
また山城武徳先生や足立浩志さんといった
数十年もコーヒーに取り組んだ方々がここ2年内に
相次いで亡くなり、
県内でコーヒー栽培の代表的な人が不在となってしまったことも大きいです。
この機に乗じて
「山城武徳先生の後継」
を自認する生産者もいます。
その方の人格には山城先生から呆れた、
という話は何度も聞きましたが
その方を褒めた話は一度も聞いたことがありません。
評価は自分がするのではなく、周りの他人がするものですが、
その悪い評判ばかりを撒き散らす身勝手な人には
もはやつける薬はなさそうです。

ヒメハブ110820.JPG
 バナナ園の草刈り中に、またしてもヒメハブが出現。
 刈り取って積み上げた草から突如現れ、
 「動きが鈍い地雷ヘビ」と思いこんでいたヒメハブは
 すごい勢いでクネクネ動き、また草の中に潜っていきました。
 このバナナ園には、ハブ、アカマタ、ガラスヒバァが生息していますので、
 今後草刈りは2カ月に1回は行わないとダメですね。


私は亡くなられた和宇慶先生や山城先生、足立さんを含めて
県内の主要なコーヒー栽培者の栽培方法を直接何度も見てきました。
参考にしたいところもあれば、
その逆に取り入れない方がいい、というところも見てきました。
それらを踏まえて、“良いとこ取り”ではありませんが
自分なりにアレンジして栽培してみても
失敗の積み重ねの連続です。
「コーヒー栽培の失敗の事例」
については、私がダントツのトップだろうと、
これについては自信があります。

そういう感じで、
県内でコーヒー栽培にチャレンジしている人たちには、
私は除いて構いませんが、
「どうか暖かく見てあげてほしい」
と私は思います。

また、
「沖縄ではコーヒーは事業としてはムリ」
という方もいますが、
これは、そういう方が
「枝がしなるほどたわわに実った収穫期を残念ながら見たことがない」
ことや
昔の正確性に欠ける文献のコーヒーベルトの固定観念が
常識化していることで、その先入観から
「沖縄はコーヒーベルトから外れている」
と決めつけてしまうのでしょうが、
それも早計です。
「沖縄では広大な栽培面積で取り組んだ人がいない」
というだけの話なのです。
「数本では事業化はムリでも、数千本なら事業化は可能」
「台風の被災が怖ければ、
 あちこちに農園を分けるなどのリスク分散をすればいい」

というのが私の持論ですから、
本当にコーヒーが事業性に欠けるなら
私だってとうに投げ出しているはずです。
私も孤立無援の中で、
個人で取り組んでいるためにモタモタしているだけなんです。

ヤマーコーヒー農園110821-1.jpg
 2002年当時の山城武徳先生の農園です。
 私はこの当時に何度もこの農園と山城先生宅に伺って
 コーヒー栽培のレクチャーを受けました。
 この圧倒される光景には
 「沖縄でこんなことが出来るのか」と、感動したものです。
 これを見たら「沖縄ではコーヒーはムリ」という論理は、
 私からすると、とても考えられないことです。


温暖化の影響で、本土は猛暑に見舞われる地域が多くなり、
局地的な集中豪雨が多くなったりしています。
沖縄の夏はどんなに暑くても35〜36度で、
最近は日中でも32度くらいですし、
しかも私の住むヤンバルは夜間の気温が23〜28度くらいと涼しく、
寝る時はエアコンは不要ですから、
本土から沖縄に避暑に来られる観光客も多くいるようです。
本土でも夏の猛暑があって冬の寒さが氷点下にならない地域であれば
コーヒーだって栽培可能になってくるかもしれません。
実際に房総半島ではドラゴンフルーツやパッションフルーツなどの
熱帯果樹も栽培され始めています。

ヤマーコーヒー農園110821-2.jpg
 私は夢を追いかけているのではありません。
 山城武徳先生がこれだけ作り上げたのですから、
 私はそれを応用するだけのことで、
 沖縄で良いコーヒー豆を生産させる責務があるだけなのです。


「沖縄産コーヒーなんて…」
という焙煎業者も県内にも居て、
そういう持論を展開しているようです。
私はもちろん真逆な考え方です。
“水と油”といった相反した考え方はあっていいのですが、
私はそういう方々に説得する気はありませんし、
議論する気もありません。
私自信が満足する、自分なりの最高レベルのコーヒーが
生産出来たとしても、それをそういう方々に
「沖縄産でも良いレベルのコーヒーが出来るでしょう?」
と、納得させる気もありません。
コーヒーは嗜好品ですから、
香りや酸味、苦み、甘味、コクなど、
同じコーヒーでもその感じ方は人それぞれだと思いますし、
全体的なバランスから
「美味しい」
と思えれば、それでいいとも思いますし、
そのコーヒーの辿(たど)ってきた道(ルーツ)というか
生産地に至る歴史的STORYや、
生産者の理念や作業風景、農園の光景なども
飲む時に、もし、ふと思い浮かべていただけるなら、
生産者としたら、これほど嬉しいことはありませんが、
「私が丹精込めて作ったコーヒーは美味しいでしょう?」
という押しつけはしたくないし、するべきではありません。

「美味しいか美味しくないか」
を評価するのは、飲んだ人が決めることですから、
「1人でも多くの人に美味しいと感じてもらえるコーヒーを作りたい」
ために、
「美味しいコーヒーを生産するために、どうしたらいいのか」
をひたすら突き詰めて考えないといけないのです。

そういうわけで、
「沖縄でコーヒーが栽培可能か?」
というのは、
実際に誰でも栽培出来るわけですから、
ここから先が各生産者の理念で分かれてくるところなのです。

ただ、栽培して
「実がたくさん取れればいいね」
という生産者もいれば、
「除草剤や農薬、化学肥料を使おう」
という生産者もいるでしょうし、
「いや、畜産堆肥を入れた有機栽培がいいよ」
という生産者もいるはずです。
また、
「沖縄産は国産で注目されるから、
 ゴマかして海外産を混ぜちゃってもわかりゃしないさ
 売れればいいのさ」

という産地偽装をする生産者もいれば、
「栽培面積や栽培本数、収穫量なども
 コーヒーのことなんかみんな知らないんだからいくらでもゴマかせるさ」

といった、最初から詐欺を図る生産者だっているのです。

これらは、生産者の理念ですから、
ウソつきは「沖縄産コーヒーの信頼を失墜させる」ことで論外ですが、
生産者それぞれに、いろいろな自由な考え方があっていいのです。
それでも県内でも複数のコーヒーの木を栽培している人は
まだ私が名前や住所まで知っているだけでも
40人ちょっとしかいないのですが、
これだけ理念が違う人たちがいるのが現状の中で
 ・生産者の交流、研修、講習
 ・栽培方法や加工方法、防風対策の指導や助言

などを行い、
「全体のレベルアップを図る」
という趣旨で
仮に「コーヒーの生産者団体」が県内に立ち上がったとしたら、
私は迷わずにその団体に入らずに、孤軍奮闘の道を選びます。

私は
「同じ作るなら丹精込めてより良いものを作りお客様に提供したい」
からです。
「良いものを目指すなら、徹底して最高のものを作り上げたい」
と本気で考えているのです。
そういった“最高のものを作る”ための仲間づくりであれば
共に知識や技術を供与しあって、切磋琢磨しながら
共にレベルアップしていきたいという気持ちはもちろんあります。

それなのに、海外産を混ぜたり、
栽培面積や栽培本数などをゴマかしたりするブローカーに近い生産者と
私がもし一緒の生産者団体に入ってしまったら、
私も当然のことながら
「田舎の怪しいお土産」
と思われてしまうはずで、
それならそういう“仲良しクラブ”的な、
誰でも入れる団体には入らず、
たとえ孤立したとしても
「岡田さんのコーヒーだから飲んでみたい」
といわれる道を進んだ方がいいと考えているのです。

いつか
「良いもの作りを目指す生産者だけの厳しい団体」
だって、県内に出来ることでしょう。
そういうホンモノの団体なら私も喜んで入りたいところです。

私が孤立したとしても、
もちろん、他の生産者に対する協力は惜しみませんよ。
私も和宇慶朝伝先生や山城武徳先生、
足立浩志さんなど諸先輩たちには
ずいぶん親切に教えていただきましたから、
私でも役立てることがあれば助言は惜しみません。

そういうことで、いま私が取り組もうとしているテーマは
「美味しいか、美味しくないか」
というあいまいな基準ではなく、
『沖縄の気候や土壌環境に最適な品種は何か?』
ということです。

これは花城良広先生にも7月にご助言いただきましたが、
私もまったく同感です。
沖縄では、残念ながらまだこれがわかっていないのです。
いってみれば、今年は
「沖縄産コーヒーの良品作り計画元年」
のような
「沖縄産コーヒーの歴史的な転換期に入った」
といってもいいかもしれません。
そう覚悟した生産者は私ひとりなのは寂しいですが、
「いずれ経過を見て同調される方も少しずつでも増えてくればいいな」
と気長に思っています。

リュウキュウヤマガメ110820-1.JPG
 バナナ園で草刈り中に、
 沖縄固有種のリュウキュウヤマガメの
 子供(体長約7〜8cm)を発見しました。


リュウキュウヤマガメ110820-2.JPG
 この子の親もすぐ近くに居て、
 巨大なスッポンくらいの大きさでした。
 親も撮影しようと甲羅をつかもうとしたら
 咬みつかれそうになったので、
 「再開した時に撮影させてもらおう」
 とあきらめたことがありましたが、
 彼の子に会うとは…。


リュウキュウヤマガメ110820-3.JPG
 リュウキュウヤマガメは本島ではヤンバルにしかいません。
 絶滅危惧種ですが、もちろん、コーヒー山にもいますよ。
 彼らは国の天然記念物にもなっています。


私は、
「コーヒーの木を元気に生育させれば、良い豆をつけるはず」
という当初の素人発想から、
「どれだけ木を自然のままに元気に生育させられるか」
となって、
「もともと森林で自生していたコーヒー原種をイメージして
 その森林栽培の再現がコーヒー栽培環境に最適じゃないかな」

「沖縄では台風と共生しなければいけない栽培環境なので、
 防風対策を考えると、自然の要塞の森林が最適じゃないかな」

と考えるようになり、
花城良広先生からの
『焙煎加工や味は二の次で、まず沖縄に最適なコーヒー品種を探すべき』
というアドバイスを真摯に受け止め、
改めて
「沖縄でのコーヒー栽培で良い豆を生産するための課題」
を改めて考え直しました。

@ 栽培する場所
 平坦地なのか傾斜地なのか、丘陵地なのか森林なのか、
 海からどのくらい離れているのか、土壌は何か、
 水はけはどうなのかなどを考える必要があります。
 土壌は本島中部以北の国頭マージが最適です。
 また風通しが悪いと病害虫が発生しやすくなります。
 西日だけが当たる場所は植物の生育はよくないです。

A 気温差と標高
 標高が高い=気温差がある、朝露が出る地域が最適、
 となると本島ではヤンバルが最適地になります。
 山城武徳先生や足立浩志さんも
  「国頭マージのヤンバルがコーヒー栽培の適地」
 といわれていました。

B 栽培品種が陽樹?陰樹?
 コーヒーは基本的に木陰の少ない光合成で生育する陰樹で、
 日なた用の品種は、プランテーション化に合わせて
 品種改良してきたものです。
 陰樹を直射日光の当たる日なた栽培すると、
 光合成の異常などで短命化してしまいます。
 そのため“コーヒーノキ”とか“アラビカ”というだけでは不十分で、
 「アラビカの何という品種なのか?」
 あるいは
 「どこから入手したのか?」
 という経緯からルーツをたどるとかが必要になり、
 木陰栽培なのか日なた栽培なのか、
 品種に適した場所を調べた上で植えつけるべきです。

C タネ植え
 中南米では、毛根が伸びやすいように砂地に種植えをしています。
 私も砂を入れたいのですが、川砂が入手できません。
 海砂は「水をかけて塩分を流した」と言っても…。
 コーヒーは発芽率は高いですが、発芽後に形が悪いものや
 成長が遅いものは勇気を出して間引く必要があります。

D 移植時期
 苗木の高さが30cm程度になり、
 根がポット内で巻かない頃が最適です。
 移植する穴は、苗木ポットの3倍以上の
 大きな穴を掘らないといけません。
 苗木も移植する場所の近くに置いて、
 環境に慣らした方がいいです。
 また台風が襲来しやすい8月と沖縄の厳冬期の1月の
 移植は避けた方がいいかな、と考えています。

E 水やり
 成木になるまでは水は定期的に必要で、
 小さい苗木ほど必要です。
 水道や井戸がない森林栽培では
 雨水バケツをあちこちに置く必要があります。

F 生産履歴などの栽培管理
 植えつけたコーヒーの木には、すべて通し番号を付けて、
 いつ、どういう肥料を、どのくらい投入したのかといった
 管理は当然必要になります。
 私も移植した約2,500本のすべての木に、
 まだ通し番号を付けていません。
 「安心」と「安全」は違いますが、
 『安全』を提供するなら、そのスローガンよりも、
 より真摯に“安全の意味”を考えないといけません。
 「灌漑用水の水は汚染されているから使わない」とか
 「化学肥料は1gも入れない」とか厳しい見かたが問われます。

G 加工方法
 脱穀機はお米の精米機メーカーの細川製作所が
 すでに高性能な加工機を開発して私も持っていますが、
 県内でも1カ所、コーヒーの収穫した実の加工機を
 作っているメーカーが判りました。
 ここは近日見てこようと思います。

H 台風対策
 沖縄は「台風銀座」といわれるように台風が多く、
 いわば「台風と共生する」考え方、
 つまり「台風に耐えうる堅固な農園作り」が求められます。
 地球温暖化による影響なのか、海流の変動や暖水渦の発生、
 海面上昇で長周期波浪などが起きたり、特に近年は
 南西諸島において猛烈な台風が
 かなりの高頻度で発生・襲来し、
 その脅威にさらされています。
 また襲来するコースや時期も多岐におよぶようになっています。
 その逆に、沖縄島嶼域を中心とした干ばつ・渇水に悩まされた歴史もあり、
 風水害・集中豪雨・土砂災害以外に
 少雨に対する両極端の災害対策が必要となるのです。

思いついたまま書いた@〜Hといった
基本的な諸条件を満たす地域は、
消去法で考えても、本島ではヤンバルの、
特に山岳地帯の民有林はコーヒー栽培には最適だと思います。

コーヒー山110819.JPG
 8月19日現在のコーヒー山。
 南側の谷をはさんで撮影しました。
 台風9号以降晴天が続き、
 雨乞い状態で、撮影当日は雨水バケツに一杯に溜まっている雨水を、
 オタマジャクシに注意しながら、柄杓(ひしゃく)で水撒きをしました。
 コーヒー山にはまだ水たまりも所々にあり、
 乾ききってはいないので1週間は大丈夫でしょう。


私も失敗続きの試行錯誤の連続ですから、
エラソーに書いていることはご容赦頂きたいのですが、
花城先生からのご助言をいただいて、
「沖縄でのコーヒー栽培は森林栽培が最良」
と、一層自信を深めています。

世界経済が混乱したり英国や中国などの暴動など
世界は未曾有(みぞう)の
「ソブリン恐慌に突入した」
ともいわれるようになりましたが、
こういう混沌とした世の中こそ
農福論や老福論を論じてほしいものです。
posted by COFFEE CHERRY at 17:33| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月05日

“恵みの雨”を考える

昨日はやんばるでは13日ぶりに“恵みの雨”が降りました。

コーヒー山をお借りして1年ちょっとまでは
山の数カ所にブルーシートを張って
雨水を貯めていましたが、
その後はホームセンターで、大きめの樹脂製の黒バケツを買い
それを山のあちこちに分散させて置くように至っています。

黒バケツ110401.JPG
 ホームセンターで1,980円で買った黒バケツ、
 直径1mくらいある大きさにしては安価です。
 これが山のあちこちに数十個置いてあり、雨水を貯めています。
 この中にはオタマジャクシがたくさんいますが
 カエルに成った頃には、ほとんどがヘビのエサになる運命なのです


アカマタ110405.JPG
 過疎の我が家では、今日もアカマタという無毒ですが凶暴なヘビが
 カエルを捕まえていました。
 庭にはアカマタ以外に、昨日はリュウキュウアオヘビを見ましたが
 そういえば昨年は台所にアカマタの子供や
 ガラスヒバァも入りこんでいましたね。
 引越し時はハブの子供や、
 つちのこに似ているけど動きの鈍いヒメハブも居たので
 草むらなどは要注意なのです。


山をお借りした当初は
雨が1週間以上降らないと、
雨乞い祈祷をオリジナルで念じるだけの
「お天気任せ」
でしたが、
今は雨水貯水バケツがあちこちにあって
ずいぶん楽になりました。

伊佐ダム110401.JPG
 コーヒー山のゲートを入ったバナナロード脇に
 伊佐さんがスコップとノコギリという手掘りで掘った
 リトルダムがあります。
 ここだけでも雨水が15トンはありそうです。


2週間にわたる日照り続きにたまりかねて
私が水やりを始めると、
「翌日か、近日には雨が降る」
というガッカリなジンクスがあるのですが、
先週土曜まで3日間にわたって
ポリポット苗などを中心に私が水やりをしたら
昨日(月曜)の雨ですから、
悪しき慣習はまた伝統化しつつあるようです。

恵みの雨を眺めながら“雨”について考えてみました。

「持ち家住宅敷地面積の県別ランキング(2008年)」
では、
持ち家住宅面積の全国平均が
121.03u(=36.6坪)というらしいのですが、
この住宅の建ぺい率が60%とすると、
 121.03u×60%=72.6u
が建屋の屋根の面積で、
 121.03u−72.6u=48.4u
が庭の面積になります。

この住宅に50mmの雨が降った場合、
建屋を含めた敷地に降った雨の60%は
屋根から地面に流れ落ちますから、
 @もともと庭に降った50mm
 A屋根に降った雨量
 (60%÷40%)×50mm=75mm
の合計の雨量が庭に溜まることになり、
48.4uの庭には
 50+75=125mm
の水深の雨が溜まったことになります。
また、1uに1cmの雨が降った時の容量は
 10,000cc=10リットル=10kg
ですから、
この敷地の雨の重さは、
 121.03u×10kg=1210kg
にもなるのです。

庭に駐車場屋根や玄関までの舗装された通路など、
土以外のものもあると考えると
地面の庭の面積はさら狭くなり、
水深200mm以上になることだってあり得るかもしれません。
もちろん排水や下水溝などが無いことが前提の机上計算で、
実際には“水はけ”を考えた設計がされているはずですから
雨は下水や道路を流れることになります。

こういう現象が、雨が降った地域全体で起こると
その水量は膨大な量になり、
下水管や側溝などの最大流量を超えてしまうことも充分考えられますから
集中豪雨になると排水が追いつかなくなって
マンホールが持ち上がったり、道路が冠水したり、
濁流になったりで、人が住みよい環境のはずの都市が、
以外と自然には無防備にさらされてしまうようです。

重機の道の手前の通路110329.JPG
 画像の奥(南)が重機の道で高くなっています。
 画像手前(北)は低く、手前の方から奥に向かって
 南北の一本道なので、
 北風が吹くと、まともに風が重機の道に入ってくるために
 この通路を画像のように丸太の右側を迂回するように
 丸太の三角の中は植栽をしようと考えていて、
 この通路は画像の部分と、もう一カ所
 こういう要領で迂回路を作りました。


都市の水道の蛇口では、
水圧や水道管の口径などにもよりますが、
一般的には
「1分間に10〜12リットルの水が出る」
のですが、
これは重量に換算すると10〜12kgのことで、
1uに1cmの雨が降ると10kgですから、
これと同等なわけですが、
例えば
「農地5千坪に1cmの雨が降った」
とすると、
 3.30579u×5,000坪×10kg=165289.5kg=165.3トン
もの雨量が降ることになり、
また、これを水道の蛇口からホースで水を撒いたと仮定すると、
 165289.5kg÷10kg=16528.95分=275時間28分57秒
つまり
11日11時間28分57秒
という、
わずか1cmの雨が降っただけでも、
面積が広くなると、とてつもない数字になるのですから
コーヒー山でのスプリンクラーなんて文明開化的思考は夢のまた夢のことで
広大な山での雨水は、雨ばかりでも困りますが、
まさに
“恵み”
そのものなのです。

当たり前のことですが、
「降った雨は低い方に流れて
  狭いところで流れが速くなる」

という、
誰でも知っていることですが、
今さらながらの“雨対策”をコーヒー山で昨年末から実験しています。

コーヒー山は、当たり前ですが“山”ですから
高い地点から低い方へ雨が流れされますが、
コーヒー山の南山や中山などの山頂は、
土壌がどうしても乾燥しがちになっていて地力が少なく、
また山の傾斜地は、急な斜面ほど、
雨水の流れる溝がリトル渓谷のように掘られていますし、
コーヒー山の入口のゲートには、
山から流された雨水が、栄養分あふれた貴重な土壌と共に
流れ出ていますから、
それは以前から
「もったいないことだなあ」
と、気になっていて、
昨年末から
“堤防”
を設置するようになりました。

丸太せき止め策110325.JPG
 撮影時は曇りだったので写りが悪いですが
 左上は重機の道です。
 右下に斜面になっていて、段々畑のように丸太を置いて、
 上(重機の道の上は中山)から流れてくる雨水を
 せき止めようという考えです。
 こういった丸太せき止め作戦は、
 コーヒー山のあちこちで展開し始めていますが
 なにしろ広いのでなかなか進みません。
 梅雨入り前の5月のGWあたりには完成させないといけませんが
 どこまで出来るかな…。


山をお借りした当初は
通路やコーヒー苗木を植える場所を確保するために
森林の中の木を間引くような伐採を行ない
山には切り倒した木が丸太のようになってあちこちにあり
それを置くことで、
「高い位置から流れる雨水を止める」
という考え方で、
「木が腐食したらどうするか」
とか
「丸太などで雨水が予想通り遮断できたとしても、
 それまでの雨水の流れが変わってしまい、
 それがどうなるのか?」

ということは、また後の問題だと
楽観的に取り組んでいます。

「今は恵みの雨で流される雨水を
 出来うる限り山でとどめて、貴重な雨水をムダに流したくない」

という単純な思いを最優先にしたテスト段階なのです。

中国の三国志より前、
春秋戦国時代初期の斉(せい)という国の
政治家・管仲(かんちゅう)が
「善(よ)く国を治める者は、必ずまず水を治める」
つまり
「水を治める者は国を治める」
という
2,600年以上も昔の人が言ったことを、
今になって私もほんの少しだけ理解できたような気持ちで、
まだまだ私は修行が足りないようです。
posted by COFFEE CHERRY at 21:20| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月14日

ユポラベルでの全数管理化を始めます

今までコーヒー山には、約2,500本のコーヒーを移植したと思うのですが、
“約”というように、テーゲーでアバウトな数字です。

私と一緒にコーヒー山で作業をしている、
私の後継の39歳の伊佐さんは
「植えたのは2,300本くらいじゃないかな」
と言われるし、
また、オーナー募集はとうに打ち切っているのに、
現時点でもオーナー様の木が決められていないのは、
私自身が管理出来ていないためで、
「オーナーの方々に木の選定や画像などのご連絡を差し上げていない」
という失礼な状態が当初から続いています。
オーナーの方々には心よりお詫び申し上げます。

私たちも、広い山の中で、特定な木のことを話したり、
連絡したりするときに
「林床地の奥」
とか、
「南山の東側」
とか抽象的なことを言うのですが
頭の中では自身が特定の木や場所をイメージ出来ていても
それを相手になかなか伝えられないし、
また理解もされにくいのです。

コーヒー山は森林ですから、在来植物は主だった木だけに、
名前を書いたプレートをかけることにして、
すべての移植したコーヒーやカカオ、アボガドなどの木の幹や枝などに
“ユポラベル”という防水のラベルを付けて管理しようと考えています。

ユポラベル.JPG
 下側は、沖縄のホームセンター「メイクマン」のラベルで、
 ここで「ユポラベル」だと教えて頂きました。
 上は昨秋カカオ苗木を大量に買った時のラベルです。
 防水で左側の赤い部分の裏側は粘着シールになっていますから
 雨が当たる森林内の木の細い主幹や枝などにも
 ラベルを付けることが出来るのです。
 最初は1本1本の木にプレートを付けていこうと考えていましたが
 ユポラベルの方が断然簡便です。


これは少し値段が高いのですが、
ラベルのフォームを自由に決められるようですから、

コーヒー山の中を、
 ・いくつかの地区に分けて、
 ・さらにブロックに分けて
 ・品種名を書いて
 ・木ごとに番号を書いていく

というような、コーヒー山オリジナルフォームを決めてオーダーしてから
コーヒー山に移植した木を徹底的に全部調べて管理しようと考えています。

広いコーヒー山での作業は、ふだんは2〜3人で行っていて、
来週の20日(日曜)が満月なので、
色々な種類のコーヒーやカカオなどのタネ植えもしなければいけないし、
(タネ植えは満月に近い時期が最適)
またコーヒー山に新たに伐採する地区が出てきたので、
「具体的にいつまでに行う」
というのは残念ながら言えないのですが、
ユポラベルでの全数管理を行うことによって
 ・コーヒーやその他の果樹が品種ごとに実数で判る
 ・「どこの木」と具体的に言いやすいし判りやすくなる
 ・トレーサビリティも時系列的に管理できる
 ・オーナー様ごとに木がどこにあるか、すぐに判り
  木の様子を画像で説明することが出来る

などのメリットがあるものと期待しています。
posted by COFFEE CHERRY at 19:56| 沖縄 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

アグロフォレストリー(森林農法)こそコーヒー栽培の原点回帰C

1895年(明治28年)というと、
ドイツではレントゲンがX線を発見し、
日本では夏目漱石が愛媛尋常中学校(松山中学校)の教論に就任したり、
樋口一葉が「たけくらべ」を発表、
また東京では博報堂が創業したり、
銀座に洋食の名店・煉瓦亭が開店した年ですが、
日本のコーヒー栽培の祖ともいうべき榎本武揚(たけあき)は
この4年前、彼が外務大臣当時の1891年(明治24年)にメキシコ殖民団を組織し、
チアパス州ソコヌスコ郡エスクィントラ周辺の官有地をメキシコ政府から購入し、
同地にコーヒー栽培に就業する日本人を殖民する計画を立てていました。
1897年(明治30年)には、
榎本が募った約30人の移民たちがメキシコへ渡り、
日本人によるコーヒー栽培に着手するのですが、
この事業は長続きせず、失敗に終わってしまいます。
小笠原にコーヒー苗木が導入されたのは
1878年(明治11年)ですから
1895年(明治28年)には小笠原コーヒーはサトウキビ生産に
収益性で劣りながらも、細々と続けていたと思われます。


バナナロード1007.JPG
 コーヒー山の導入路バナナロードです。
 この道の片側に残念ながらバナナが植えられないので、
 コーヒーを植える予定でいます。


一方1895年のキューバでは
スペインの植民地支配による弾圧から第二次独立戦争が始まり、
キューバ史における英雄ホセ・マルティが
スペイン兵の狙撃に倒れ、43歳で亡くなりました。

私は
「沖縄はキューバを目指すべき
というのが持論なのですが、
それはまた別のテーマで書くことにして、
ホセ・マルティは、
「人民は、単一の作物に生存を託す日には、自殺することになる」
「樹木のない土地は貧困である。
 森のない都市は病んでおり、
 樹木のない大地は干からび、
 貧弱な果実しか実らない。」

という名言を残しています。

当時はスペイン統治時代で
サトウキビのプランテーションなどで
住民が劣悪・低賃金での労働を強いられていましたから
“作物”はサトウキビを指し、
次の“都市”はニューヨークへの皮肉も入っているのですが、
この説明も長くなるのでカットして先へ。
ホセ・マルティの弟子を自認している
キューバの最高指導者フィデル・カストロは、
ホセ・マルティのこの思想のとおり、森づくりに尽力しています。

南側の風景1007.JPG
 コーヒー山から南側を見た風景です。
 標高300〜500mの山が脈々と続いています。


大航海時代の1492年、
コロンブスがキューバを発見した当時は、
島の95%以上はうっそうとした森林におおわれていたそうですが、
スペイン、アメリカと植民地支配が続く中、
森林乱伐や大規模な牧場づくり、
コーヒーやサトウキビ農地の大造成などで国土は荒廃し、
キューバ共和国が成立し米国支配が始まる1902年の森林面積は約50%に減少し、
1959年のカストロ政権成立(キューバ革命)時には、
国土のわずか14%にまで森が減っていたことで、政権を掌握したカストロは、
英雄ホセ・マルティの思想を引き継ぎ、
直ちに再植林に力を注いだのです。

全国民が参加する大運動の結果、30億本を超す樹木が植えられ、
2001年には森林面積は22.9%、
2006年には24.7%まで回復し、
2015年までに30%まで増やす目標を掲げられているので
運動は今も継続されていますが、
世界的に熱帯林の減少が懸念される中で、
ラテンアメリカで年々森林を増やしているのはキューバだけなのです。

キューバの森林再生の特長は
「果樹との混植」
で、
例えば
「成長の早いカリブ松とマンゴーの木」
をセットにしているようです。

新たな植林の55%は保護して、
残りの45%を材木や薬剤、
塗料などに使用する油生産を含めた商業目的に利用しながら
森林再生を進めているようです。

米国の経済封鎖とソ連圏との良好な貿易関係の崩壊という両面で
キューバは苦しめられていましたが、
独自の自給自足的(厳密には完全な自給自足ではない)な国づくりを行い、
環境先進国でもあるキューバは、沖縄はおおいに見習うべきでしょう。

伐採現場1007.JPG
 コーヒー山の近くで、森林組合が伐採した現場です。
 ここにはイジュを植えるらしいです。
 「ひどいことするな」と思いますが、
 コーヒー山も約35年前はこんな感じに丸裸に伐採されて
 その後放置されて潜在植生が復活しました。


コーヒー山は約35年前にパイン生産のために
丸裸状態に伐採され、その後放置されたことで、
地衣(ちい)類やコケ類、多年生の草生が生えて、
土壌が再生し湿気を帯びてきたころに
落葉性低木やリュウキュウマツが入り込んで陽樹林になり、
やがてそれらの木の陰で育ってきた常緑広葉樹に勢力を奪われ
私がコーヒー山を丸ごとお借りした2年前には
潜在植生の照葉樹林のみごとな森林によみがえっていて、
昔、重機が通った平坦地や、ややスロープの面の
高木を防風林と直射日光を遮るために残し、
中・低木の一部を伐採しながらコーヒーを植えています。
現在も1日平均5本以上は移植しています。
今春からは積極的に果樹も混植し、
コーヒーが開花する初春に併せて多くの花を咲かせ、
コーヒーの受粉に好影響が出るようにしたいと考えています。

次回に続く。

posted by COFFEE CHERRY at 21:10| 沖縄 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

アグロフォレストリー(森林農法)こそコーヒー栽培の原点回帰B

1994年(平成6年)は、
小室哲哉プロデュ−スの篠原涼子が
「恋しさとせつなさと心強さと」
をヒットさせ、
相沢すず役の安達祐実が
「同情するなら金をくれ」
と言った「家なき子」が放映されたり、
F1ドライバーのアイルトン・セナが事故死した年ですが、
この年は世界一のコーヒー生産国ブラジルでは
6月と7月の2度の降霜による大不作で
同国の年間生産量が3〜4割(日本の輸入量の約2年分)減少になり、
その影響でコーヒーの国際価格が約2倍に急騰した年でもあるのですが、
この年のコロンビアでは、
約40万トンの化学肥料が使われ、
同国で生産された生豆1kg当たりに換算すると、
実に500g以上の化学肥料が使われたといわれています。

1エーカー(約0.4ヘクタール=約1226坪)当たりの殺虫剤使用量でみると、
「コーヒーは綿花とタバコに次いで3番目の殺虫剤漬け作物」
ということは、
私たちの飲食品の中では、
コーヒーは最も殺虫剤が投入される作物なのです。

ヒカゲヘゴ0926.JPG
 コーヒー山から北側をヒカリヘゴ越しに見た画像です。
 脈々と山が連なっています。
 やんばるは南北約32km、東西約12kmの範囲内に
 与那覇岳の標高503mを最高峰に
 300〜400m級の山々で構成された
 脊梁(せきりょう)山地となっています。


貧困のコーヒー生産者が収入を増やすには、
“増産”が手っ取り早い方法ですが、
そのためには効率的に生産性を上げなければならず、
品質よりも病気や害虫に強く、たくさんの実を付ける品種を大量に植え、
しかも省力機械化によって、収穫時に未完熟豆も一斉に収穫したり、
必然的に農薬を大量に使うことになるのです。
その甲斐あって生産性は飛躍的に増大しますが、
生産者の収入は増えるどころか
大増産でコーヒーがダブついて国際相場を下げてしまうのです。
そうなると生産意欲はなくなり、
他の作物生産に切り替えたり、農園を手放したりする人たちも出てきて、
収穫量は減少し、またそうなることで国際相場は上昇する、
という悪循環が繰り返されるのです。

これは沖縄のシークワーサーやドラゴンフルーツなども同様のパターンで、
「健康成分が多く、テレビで取り上げられた」
とか
「本土で高値で売れているらしい」
というと
一斉に作り出して、
その市場を一気に飽和状態にして
暴落させて多くの人が止める
という繰り返しなのです。

キノボリトカゲ0926.JPG
 コーヒー山ではキノボリトカゲに毎日10回以上出会います。
 彼(彼女?)はスダジイの木を降りてきたところです。
 ミニ恐竜のようで、コーヒー山では
 彼らと出会うのをいつも楽しみにしています。


もともと陰樹のコーヒーが、
部分的あるいは全面的に直射日光の下で栽培される
“サン・コーヒー(Sun Coffee)”
になったことによる弊害は、
森林伐採で広大な農地を作り出し、
そこではコーヒー以外ほとんど植えない単植栽培になったことで、
土から同じ養分だけが吸収されるために、
より多くの農薬、
 ・殺虫剤
 ・除草剤
 ・殺菌剤
 ・化学肥料

が必要になったことで、
こうした生産システムは、
コロンビアではコーヒー耕作地の7割弱、
コスタリカでは約4割を占めるようになりました。
メキシコ、コロンビア、中米、
カリブ諸国におけるコーヒー耕作地のうち、
1990年代前半に約4割が
“サン・コーヒー”に転換されたといわれています。

殺虫剤には、
 ・DDT
 ・マラチオン(Malathion)
 ・ベンゼンヘキサクロリド(BHC)
 ・リンデン(γ-BHC)
 ・ディルドリン
 ・アルドリン
 ・クロルデン
 ・クロルピリホス
 ・へプタクロル

など、
コーヒー栽培に使われる化学薬品の多くに
発ガン性や残留性環境汚染の疑いがあり、
それらは先進国の多くが販売や使用が禁止されているにも関わらず、
発展途上国の多くではいまだに販売・使用されているのが現状です。

2年前の2008年(平成20年)の
イエメン・エチオピア産のコーヒー豆(モカ)から
基準値以上の残留農薬が検出されて輸入停止に至ったことは
記憶に新しいところでしょう。
「厚生労働省 平成20年度輸入食品監視指導計画に基づく監視指導結果」
(12〜18、24、29ページなどを参照して下さい。)

一方、農薬は消費者の安全や生産地の環境汚染だけではなく、
コーヒー労働者にも多大な影響を及ぼしています。
“サン・コーヒー(Sun Coffee)”の栽培システムに切り替えた結果、
窒素肥料を大量に投与するようになり、
多くの生産地の飲料水が汚染され、
ある種のガン、不妊、発育障害などにも影響があると懸念されています。

また、コロンビアではコーヒー豆に穴を開ける
ラ・ブロッカと呼ばれる害虫駆除のために
毒性の強いエンドスルファンが日常的に使用されているようですが、
この殺虫剤は急性毒性があり、
また神経系や生殖機能に悪影響を及ぼすことから
世界の多くの地域で禁止されている農薬でもあるのです。
コロンビア政府やコーヒー生産者連合も使用を禁じているものの、
依然として使用され続けているのです。

自生みかん0926.JPG
 コーヒー山に向かう途中の林道で
 自生のミカンがなっています。
 青切りミカン(温州みかん)?カーブチーかな?
 カラスがふもとのミカン農園から拝借して果実だけ食べて
 ここにタネを棄ててミカンの木が自生したのでしょう。
 昨年見つけたのですが、誰にも知られていないのでしょうか、
 いつも実が付いています。


「プランテーション化されたコーヒー農園は
 それまでの日陰栽培に比べて4倍の生産がある」

といわれているものの、
収益性でみると、
手間暇かかる伝統的な日陰栽培の方が有利になっているようで、
 ・汚染された水の浄化や新しい水源の開発
 ・殺虫剤による汚染
 ・土壌の浸食、堆積と土壌汚染による地域の魚の減少
 ・労働者が農薬汚染にさらされる人的損失

などは私たちが購入するコーヒーの価格には含まれず、
生産地が負担しているものの、
こういった諸々の問題をふまえて、
これまで軽視されてきた伝統的な日陰栽培が
徐々に見直されているのです。

次回に続く。
posted by COFFEE CHERRY at 22:11| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

アグロフォレストリー(森林農法)こそコーヒー栽培の原点回帰A

日本の天然生態系としては、太古から
近畿から西は照葉(常緑広葉)樹林、
それより東は落葉広葉樹林になる条件を維持しています。

南西諸島の植生は、
外観的には,日本西南部の照葉樹林と酷似していますが、
南西諸島という地域は,暖温帯から熱帯への植生帯の以降域にあたり
屋久島,奄美,沖縄本島と南に行くにしたがい樹木の種類数は増え,
さらにその地域でしか見られない樹木の種類も多様性を増しています。

沖縄島での潜在植生は、
スダジイやオキナワウラジロガシ、
アマミアラカシなどのドングリ系照葉樹林を中心に
ヤンバルアワブキ、ヤマモモ、イスノキ、イジュ、
エゴノキ、ヒカゲヘゴなど多彩な植生となっていて、
またこのような森林群集には希少な動物群集も生息していて、
コーヒー山のある沖縄本島北部の自然林においては
ヤンバルクイナ,ノグチゲラ,ヤンバルテナガコガネ、
オキナワトゲネズミ、リュウキュウヤマガメ、ヤンバルオオフトミミズなど
やんばる地域にしか分布しない固有種が多数生息しています。

フンガー湖0922.JPG
 国頭村内の県道2号線という東西の横断道路にまたがる
 フンガー湖(普久川ダム)です。
 山は東斜面で、8月31日に本島北部を直撃した台風7号の暴風雨を受けて
 枝葉が吹き飛ばされて、主幹が白くなっているのがスダジイです。


近畿以南の原生林(照葉樹林)の特長は、
冬でも緑色をしたシイやカシ、ツバキなどが生い茂り
葉が分厚いうえに層をなしていて、
しかもそれらが重なり合って密林状態なので
日中でも森林内は薄暗く、
森の表土はジメジメしていて、
クモの巣がまとわりつき、蚊も多く、
人間が森林に分け入るのも大変で、
木の実が小粒でアクが強く、食用にしにくいものが多く
獣たちにとっても住みやすい環境とはいえなかったはずで、
そのため約1万年前に登場した縄文人は、
森で木の実や草の根を集めて、水辺で魚や貝を採り
鳥やシカやイノシシなどを捕まえて食べていたようですが、
長野県など遠方から黒曜石を移入し、欠き割って鋭利な刃物にしたり、
また土をこねて土器を焼いて食器として使い、
食べ物を煮たり焼いたりして調理してしたようで、
その火は乾いたヒノキを棒状にしてこすり合わせて作り出していたようです。

フンガー湖0922-2.JPG
 フンガー湖の北側です。
 うっそうとした照葉樹林が広がり、森林内は薄暗いです。


縄文人が暮らしていた森は、東日本各地の
照葉樹林と落葉広葉樹林の境目あたりに集落を作り、
転々と移動しながら暮らしていたようですし、
また東日本の落葉広葉樹林の森林では
栗やクルミなど秋に大粒の実を付ける木が多く、
また落葉すると森林内の中まで日光が届いて
キノコ類をはじめ多様な植物が生息し、
それらを求めて集まる小動物も含めて
豊かな生態系が保たれていたように推測出来ます。

縄文時代も半ばを過ぎると生活技術の向上に伴って、
それまでの移動型から定着型の集落が出現するようになり、
住み着けば、当然生態系にも影響が及び、
それまでは山火事や台風など偶発的な自然災害に見舞われても、
やがて元の森に戻っていったものが、
木々が切り倒されたり、焼かれたりを繰り返すと、
森は次第にブッシュや草原化に移行していきます。
食べ慣れた草の一部は、人の手で栽培されているうちに、
だんだん作物らしくなっていき、新しい作物を見つけると、
遠隔地に住むグループ同士で物々交換が行われ、
お互いの栽培品種が豊富になり、食生活も豊かになっていきます。
こうして東日本の縄文文化は森との共生を基とした農耕を中心に進展し、
シソの仲間やエゴマ、ヒエ、ヒョウタンなども栽培されるようになりました。
やがて中国大陸から稲作が伝わるのですが、
最初は畑に撒く陸稲(りくとう)だったようです。

ヒカゲヘゴ0922.JPG
 多年生シダ植物のヒカゲヘゴで、木ではありません。
 約3億6千万年前から存在しているという生きた化石ですが
 南西諸島ではふつうに見られる常緑木性シダで食用にもなるようですが…。
 コーヒー山に向かう大国林道で撮影しました。


縄文時代の畑は、森の一部を焼き払って開いた焼き畑で、
最初に一定の広さの木々を切り倒して、
よく乾燥させた春先に、下草と共に火を付けて焼いてしまう農法で、
木や草の灰が肥料になることで、収量は上がりますが、
やがて焼き畑は2〜3年で地力が衰えて、
雑草や病害虫が増えてくるので、それまでの畑を放棄して、
また別途に新しく森を切り開き、
他で耕作する間に森は25〜30年かかって元の森に戻るという、
焼き畑農耕は環境調和型の循環農業システムといえるでしょう。

コーヒー山も、約35年前にパイン栽培のために森林伐採されながら
以降放置されたことで、潜在植生が生い茂って、
元のやんばる特有の照葉樹林によみがえっていましたから
、私が山をお借りする時には、ジャングル状態だったのです。
それまでは恩納村の山城武徳先生の
“山城方式”のコーヒー農園を頭に描いていて、
本島中部以北の、平坦な休耕地などを探していましたから、
私がコーヒー山にめぐり会えたことは
ジャンボ宝くじの1等と前後賞を当てたことに匹敵する幸運でした。


次回に続きます。

コーヒー山0922.jpg
 バナナロードからコーヒー山の、特に急斜面の場所を撮影しました。
 森林はすっかり潜在植生の密林になっていて
 コーヒーを地植えするには、森林内を必要最小限度伐採する必要があります。
 画像下の鉢はマニラヤシで、根を張り水を吸う役目として、
 コーヒー山から雨水が流れ出るエリアに植えるつもりで、
 JUSCO那覇店横のマニラヤシの赤い実を拾い、
 タネ植えして200本くらいがバナナロードに鉢で置いてあるのですが、
 コーヒー苗木が優先なので、なかなか地植えしてあげられません。


posted by COFFEE CHERRY at 14:51| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月17日

アグロフォレストリー(森林農法)こそコーヒー栽培の原点回帰@

世界資源研究所(WRI)では、
「世界の原生林は、人類の文明が始まった時期とされる
 約8000年前と現在を比べると、すでにその8割が消失」

していて、さらに
「天然林は過去30年間で約8割が消失し、
 現在はアマゾンや太平洋地域、アラスカなどの約2割しか残っていない」

という報告をしています。

コーヒー山の入口0917-1.JPG
 片側にいろいろな品種のバナナを植えて
 バナナ街道にしたかった“バナナロード”を
 北に向かって撮影しました。
 道路を含めて右側(東側)の山が「コーヒー山」です。


森林破壊や消失の問題が深刻さを増しているコーヒー大国ブラジルでは、
森林破壊の大部分が、農業、牧畜用地への転換によるもので、
「森林を破壊せず、自然と共存するエコロジー農業」
として、
「アグロフォレストリー(Agroforestry)」
という農法を、
近年ブラジルが国をあげて推薦しています。

“アグロフォレストリー”とは、聞きなれない言葉ですが、
 ・農業(Aguriculture)
 ・林業(Forestry)
を合わせた造語で、
直訳すれば「農林業」、
要するに、
「森林形態で作物を生産する農法」
つまり
「森林形態で果樹などの樹木作物を中心に植栽し、
 その樹間で動植物を育成する」

という森林農法のことで、
「自然と共生し、果樹やその他の農作物などを同時に育てる」
という思想ですが、
これは新しい考え方ではなく、
森林の自然の営みを利用する形として、
数千年にわたって特定の地域ではぐくまれてきた
単純で自然なスタイルなのです。

コーヒー山の入口0917-2.JPG
 コーヒー山の最初の入口です。
 ここを上がって右側を最初に開拓し、
 その後左側(林床地)を開拓中で、
 現在2千本以上地植えしていますが、
 まだまだ数千本は植える場所があります。


「おいしいコーヒーの真実」
という映画をご覧になられた方は理解されていると思いますが、
発展途上国のコーヒー生産者が貧困にあえいでいることで、
小規模農家が組織する協同組合が
中間業者(例えば中米の「コヨーテ」と呼ばれるような悪質な買い手)を介さずに
消費国の輸入業者に直接公正で適正な対価で販売する
「フェアトレード運動」
が少しずつ広まりつつあります。
5エーカー(約2ヘクタール=約6,132坪)に満たない
伝統的な小規模コーヒー農園の多くは、
コーヒーの国際市場の変動や降霜、社会的・制度的な急変、 
暴風雨などのリスクから逃れるために、
高木、中木、低木、草で構成される植林地でコーヒー栽培をしていて、
バナナやカカオ、パパイヤ、マンゴーなどの果樹、
高くそびえる広葉樹が混植して、
コーヒーなどの下層にある低木のための日陰をつくり、
森林が土壌浸食を防いで、適度な温度・湿度体系を保ちながら、
落ち葉は土壌の有機物を分解して自然の肥料になり、
混植する植物は経済害虫を統制できる多くの益虫にすみかを与え、
有害な化学農業を不必要とする自然農法で
コーヒーとともに多様な生産物を育成することで、
果物、家畜飼料など、買わなければいけない産物を
農家は森で得ることが出来ますし、
同時にコーヒーの生産性にすぐれ、
さらに回復力に富むことも確認されているようで
アグロフォレストリー構造が、安定した生産システムを実現し
こういった伝統的なコーヒー生産は、中南米の北部において、
「最も環境にやさしく、生態系に安定した農業生産システム」
であると主張されているようです。

次回に続く。
posted by COFFEE CHERRY at 18:38| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | コーヒーの品質を高めるための考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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